2013/3/28-29 毎日新聞夕刊

がん治療の是非
 近藤誠さん x 香山リカさん対談 

     医療不信と向き合う

     共存の発想で生きる
 

「患者よ、がんと闘うな」(96年)で大論争を巻き起こした放射線科医、近藤誠さん(64)。「抗がん剤は効かない」「手術は最善の治療ではない」「がん検診は無意味」ーーなどの言説に、受け手は信奉者と批判者に分かれる。

精神科医の香山リカさん(52)は、社会のさまざまな矛盾に発言を続けてきた。

根深い医療不信の時代、患者はどう病と向き合えばいいのか。“異色の医師”の対談を、2回にわたって紹介する。

近藤 誠  「手術なら根治」誤解 
1948年東京都生まれ。慶応大医学部卒。83年から慶応大医学部放射線科講師。近著「医者に殺されない47の心得」(アスコム)が話題に。4月に「『余命3か月』のウソ」(KKベストセラーズ)、「がん治療で殺されない7つの秘訣」(文春新書)を刊行。

香山リカ  医師に悪意はない 
1960年札幌市生まれ。東京医科大卒。立教大学現代心理学部教授。学生時代から雑誌などに寄稿、現在も臨床を続けるかたわら、執筆や講演など幅広く活躍。近著に「できることを少しずつ 香山リカの目」(毎日新聞社)。

香山:私は精神科ですが、患者さんに「すべておまかせします」と万能の神様のように扱われるか、逆に「医者はウソばかり」と最初から全否定してかかられるか、極端に分かれる傾向が強くなっています。医師に対する過剰な期待、あるいは過剰な不信感、いずれかを持った方が非常に多く「どちらも違うんです」と言いたくなります。近藤先生はどう思いますか。

近藤:一般的な診療に共通する話だと思います。ただ、医師には批判されてしかるべき部分がある。がんに限らず、病気にはまず治療が必要なものとそうでないものがある。治療が必要なもののなかにも、薬を出し過ぎるなどの問題は多い。そういう面では医者不信は当然です。一方、医師の言葉は何でも信じてしまい、客観的に見られない人もいます。患者さんにしてみれば、おかしいなと思っても、担当医が間違っているとは思いたくないのでしょう。

香山:精神科の投薬処方に関しては多剤をやめようという動きがあって、かなり改善されてきました。

近藤:精神医療は変わってきていても、たとえば成人病予防では血圧を下げる薬、中性脂肪値を下げる薬、尿酸値を下げる薬、血糖値を下げる薬、冠動脈を広げて血流をよくする薬など、世界に類を見ないほどの量の薬が出ています。がんについては、子宮頸がん、乳がん、食道がん、ぼうこうがんの深いもの、舌がんなどは世界ではほとんど摘出手術をしなくなっています。日本の医師はそうした情報を一切患者に与えない。患者さんが日本の医療に不信感を抱くのには理由があるということです。僕は、データや理論で最適の治療方法を伝えなければと思い、二十数年やってきました。

香山:日本の医療のおかしさの背景にあるものは何でしょうか。医師の勉強不足や無知なのでしょうか。医療不信の患者さんは「私たちを薬漬けにして、金もうけして」と意図的に、悪意をもってやっていると感じているようです。私からすると、どの医師も基本的には患者さんを治そうとしていて、悪意を持っているわけではないと思っているのですが。

近藤:日本には実質的な専門医制度が存在しないことが問題なんですね。医師教育は畳の上の水練に似ており、専門医集団に教育・訓練される欧州の専門医とは似て非なるものです。

 なぜか。江戸時代には医師(薬師)は自称でした。明治時代にドイツ流の大学制度を作りましたが、第二次世界大戦で大量の軍医が必要になり、養成課程を半年や1年にして促成した。終戦後、何万人という知識も技術も不十分な軍医が帰ってきた。やがて国民皆保険制度ができ、それまで医者に行ったことがないような人たちが病院に行くようになると、彼らが相次いで病院をつくり、医師会が強くなった。医師会は自分たちの既得権を守るための組織で、欧州のギルドとは違う。

香山:中世にできた鍛冶、建築、石工などの職人技能集団のようなものですね。

近藤:欧米では医療にだけギルド的な組織が残っている。専門家としての技能を維持しつつ、徒弟制度で後継者を育成するのに都合がいいからです。さきほど「医者は悪意でやっているわけではないと思う」と言っておられたが、僕は、不用意である、不勉強である、経済でしか動いていないという点において、未必の悪意はあると思います。がんに関しては医師の側にかなり悪意がある。臓器を取らずに治す方法があるのに、言わずに手術するわけですから。

記者:近藤さんは、人はがんで死ぬのではない、がん治療で死ぬのだ、と書かれています。

近藤:臓器を取るというのは相当のこと。抗がん剤も毒薬指定だし、慎重にやらなきゃいけない。初期の食道がんを治療中、昨年12月に亡くなられた中村勘三郎さんについてあえて言えば、放射線治療にしておけばよかった。担当医が外科医で、手術万能の考え方で説明すれば患者は手術を選ぶ。手術のリスクのなかに、勘三郎さんのように術後の経過が悪く、亡くなる可能性は5〜1O%はある。放射線治療ならそのリスクはずっと低い。治療後の5年生存率も、同じぐらいかそれ以上ですし、術後合併症や手術時の細菌感染が原因となって死ぬことはまずない。

香山:食道がんと診断された作詞家のなかにし礼さんは手術を選択しませんでした。けれど、患者の側で調べて、最もよい方法を選ぶ、というのは難しいように思います。

近藤:今はセカンドオピニオンというツールがある。別の方法を知り、どちらを選ぶかを自分で選択することができるようになりました。

香山:ただ、まったく別のことを言われたら、患者さんは混乱しますし、どちらかを選べ、というのは、生死が懸かった状態では本当に大変なことです。簡単なことではないと思います。

近藤:どっちもそれなりの根拠があると言うわけですからね。

香山:手術を選ぶ人は「悪い部分を取り切れば大丈夫」という安心感を欲しがっているのでしょう。根治したいという欲求が強いのだと思う。

近藤:手術なら根治できるというのは根拠のない刷り込みです。

香山:代替療法に走り、あまり科学的でない民間療法に多額のお金をつかってしまう人もいます。「治るかどうかはわかりません」という医師の正確な言葉よりも、「こうすれば治ります」という断言を欲しがっている。

近藤:理屈が分かって治療を選択できる人にはそういうことはあまりないですね。大多数は分かってくれる人ですが、分からない人はどうしたって分からない。

常識、検診に疑問、極論を避ける

記者:近藤さんは「がん検診は無駄だ」と主張されています。

近藤:検診で見つかるのは、増大する速度が遅かったり、転移能力がなかったりする、生命を危険にさらす可能性が低いがんです。臓器転移して生命にかかわるがんは検診ではほとんど見つからない。検診と検診の間に体調が悪くなって気付くことが多いというのが私の見方です。ある集団で、一定期間内に死亡する人の割合を「総死亡率」といいます。例えば大腸がんの検診は、米ミネソタ大の1993年の研究で、総死亡率を下げる効果はないことが分かっています。乳がん検診も同様です。

 検診には構造的な問題がある。日本の総人口は減り、他方、医師は増えている。このままだと医師1人あたりの収入は減る。それをどうにかするには患者を増やせばいい。いまは健康だと思っている人の中から病気を発掘しようとしているわけです。それで余命が長くなればいいが、そうではない。成人病予防検診なんて、見つかるものはほとんど老化現象なんです。50歳、60歳の人を健康診断すれば、何かは見つかる。それに病名をつけて薬を飲ませているのが、今の成人病医療です。

香山:私自身は、検診による患者の掘り起こしが100%悪いとは思いません。診療室では、若い時から明らかな症状にずっと苦しんでいて、広告や啓発キャンペーンでようやく病院に足を運んで沿療を受けて良くなる人に今でも出会いますから。

 ただ、新しい抗うつ薬が発売された2001年以降、世界的にうつ病が激増しているデータがある。製薬会社が「あなたもうつかも」という広告キャンペーンをして掘り起こした影響だと言われています。掘り起こしで救われる患者さんがいる一方、その周囲に膨大な「うつ状態」の人や、日常的な気分の落ち込みや悲しみをうつと勘違いしたり、うつに逃避したりする人が出現していると思います。抗うつ薬の処方がこれまで適用されなかつたパニック障害や極端に内気な性格などにも可能になり、適用範囲がどんどん広がっているんです。製薬会社の市場開拓が背景にあるのではと指摘されています。

 そうしているうちに、特に若い世代の間で、「私はうつかも」と言う人が多くなってきた感覚があります。文学を読んだり、教会で話をしたり、座禅を組んだりして気持ちが救われるのではなく、病院に行くのが意識が高い、トレンドだ、ということになっているのでしょうか。

近藤:成人病の世界では、高齢者は具合が悪いときに「病気だ」と言われると安心する。「これは老化ですね」というと怒り出す傾向があります。病気なら治るものだ、という常識があるのかもしれません。「アンチェージング」の風潮もありますし、なかなか老いを認めない社会になっていますね。

香山:婦人科でも同じです。更年期を認めず、「病気だ、治療してほしい」と譲らない人もいました。老いや自然な気持ちの落ち込みを「あってはいけない」悪いものとする価値観があるのでは?

近藤:世界のがん研究は変わってきています。昔はがんは段階的に成長すると思われてきましたが、今は違います。米国のがん生物学の権威、ロバート・ワインバーグ・マサチューセッツ工科大教授も同意した説で、がんの性質は、がんの幹細胞で決まるという考え方が主流になってきました。増殖・転移するがんかそうでないかは幹細胞の段階で既に決まっているという考え方です。

香山:幹細胞がどういう性質を持つかは遺伝子的に決まっているわけですね。

近藤:そうです。人はある日突然がんになるわけではない。遺伝子変化の積み重ねでがんになる。遺伝子はアミノ酸で作られたたんぱく質の設計図です。例えば呼吸して体内に入った物質で遺伝子が傷つき、設計図が少し書き換えられて性質が変わり、その変異が積み重なってがんになる。それも数種類の遺伝子変異が積み重なってがんになるといわれています。つまりがんの種は誰もが体内に持っていて、完全に排除することはできない。日本ではあまり紹介されていませんが、この説に基づくと、がんを根治しようとする治療はすべて無意昧になってしまう。

香山:精神医学でも、治療が必要な病気と、治療する必要がない気分の落ち込みや憂鬱は線引きできないものです。それを今は、なんでもかんでも治療可能なうつに包括しようとする傾向があり、それは違うと考えています。治療分野では、症状を切り離して排除できない自らの一部としてつきあう療法が始まっています。統合失調症の妄想や幻聴を受け入れて、どんな幻聴が聞こえるかを患者さん同士が語ったりします。

近藤:まさに、がんを告白した女優、樹木希林さんのような、がんと共存するという発想ですね。それが一番長生きする秘訣だと思います。

香山:気の持ち方とか、柔軟なものの見方が大切だと感じます。最近、医療不信だけでなく、あらゆる場面で全否定か全肯定かを求められるといった行きすぎた同調圧力を感じることがあります。原発問題はその最たるものですね。

近藤:原発と治療選択には近いものがあります。企業があって学者がいて産業が動いているという構造が似ている。原発の是非については政治経済などたくさんの要因があり、発言を避けてきました。ただ放射線の影響について「100ミリシーベルト以下は安全」という間違った説明には、医療の立場から「どんな少量であっても影響はあります。1ミリシーベルトであっても100ミリシーベルトであっても遺伝子に変化が起きてがん化に進むという点は同じです」と申し上げました。まあ、聞かれれぱ「原発推進が必要なら東京湾の真ん中に作ればいい」と答えていますけどね。

香山:原発でも医療でも、極論を避けてほどほどを自分なりに選ぷ、というのは実に難しいと思います。成長し続けないと不安、若くあり続けないと不安……そこそこで平穏に暮らしていく知恵があったらいいですよね。

 

参考 2011/10/15  米国予防医療専門委員会、前立腺癌のPSA検査を推奨せず

検査により癌死を防ぐメリットよりも、死に至らない癌を手術することによる深刻な副作用のデメリットの方が大きいとしている。

USPSTFは2009年11月に、40歳代の女性に対する乳房X線撮影装置(マンモグラフィ)を用いた乳がん検診で意見を変更している。
「40歳代の女性に対しては、マンモグラフィを用いた定期的な乳がん検診を行うことを推奨しない」(Grade C)に変更した。

癌ではなかった人に対する不必要な検査や、放置しても臨床的に問題にならない癌に対する治療等のデメリットが存在し、利益と不利益を比べた場合に50歳代以上の女性と比較して、40歳代では利益が不利益を上回る度合いが小さいとした。