「人民網日本語版」2004年3月1日

砂漠緑化の研究家・遠山正瑛氏が逝去 享年97歳

  中国の砂漠緑化の研究に携わってきた日本の著名な農学専門家の遠山正瑛・鳥取大学名誉教授が2月27日、肺炎のため鳥取市内で亡くなった。享年97歳。3月1日の人民日報第5面に、故・遠山教授の生前の活動を紹介する文章が掲載された。主な内容は次の通り。

  遠山教授は1972年の退官後まもなく、中国の砂漠緑化の研究に取り組み始めた。その後、中国科学院(科学アカデミー)との協力プランを開始。帰国して日本沙漠緑化実践協会を設立し、中国へ砂漠開発協力チームを派遣した。1991年には、内蒙古自治区の恩格貝砂漠開発モデル地区に、指導責任者として招かれた。このとき遠山教授はすでに84歳という高齢だった。恩格貝では、日除けの帽子に作業服・長靴のいでたちで道具袋を背負う遠山教授の姿がよく見られた。毎年8〜9カ月の滞在期間には、毎日10時間近くにも及ぶ作業を続けた。

  遠山教授は日本へ帰国するたびに、新聞や雑誌のインタビュー、テレビ出演、セミナー出席などに奔走し、砂漠の開発・整備事業のPR活動を行うほか、砂漠緑化のために精力的な募金活動を展開した。遠山教授の呼び掛けにより、10年間で335チーム・6600人余りが日本から恩格貝に赴き、中日友好のシンボルとなる樹木約300万株を植えた。

  砂漠緑化の地として恩格貝を選んだ理由について、遠山教授は「日中の人々の間には、長い友好関係がある」と何度も語っている。遠山教授はこれまで、奈良時代に日本へ渡航した中国の高僧・鑑真和上(688年生〜763年没)により日中関係が親密さを増した歴史に触れたり、「第二次大戦後に中国の一般家庭で日本の残留孤児が育てられたことに恩返しをすべきだ」と話したりしていた。

  遠山教授の精神は人々に感動を与え、人々から尊敬を勝ち取った。遠山教授の貢献を称えるため、内蒙古自治区政府は「栄誉公民」の称号を授与した。国連も遠山教授に「人類に対する思いやり市民賞」を贈っている。江・前国家主席は、遠山教授と二度にわたり会見し、中国の砂漠緑化への貢献を高く評価した。恩格貝の砂漠開発規範区には、遠山教授の銅像が立てられている。台座には「遠山先生は砂漠化防止を世界和平に通じる道と考え、90歳の高齢でありながらたゆまず努力し、志を変えなかった。この精神は尊敬すべきであり、志は鑑(かがみ)とすべきであり、功績は称えるべきである」