池田信夫ブログ 核燃料再処理

毎日新聞 2013年02月02日〜

虚構の環(サイクル) 再処理撤退阻む壁

1.六ヶ所村 「再処理堅持」の意見書
  原燃社長 突然役場に  
   「ひな型」[email protected]時間半後 可決

  民主党政権の原子力政策策定が大詰めを迎えていた昨年9月6日午後8時ころ、青森県六ケ所村の自宅でくつろぐ橋本猛一村議会議長の携帯電話が鳴った。ディスプレーに表示された名前は「川井吉彦」。日本原燃の社長だった。川井氏が専務時代からの付き合いだが09年8月に社長に就任してからは初めての 電話だ。議長によると、川井社長は「近く閣議決定される」と事態が切迫していることを伝えた。
 この日、民主党のエネルギー・環境調査会が「30年代に原発ゼロを目指す」「核燃サイクルを一から見直す」とする政府への提言を決めた。核燃サイクルは、原発の使用済み核燃料を再処理し、ウランと プルトニウムを再利用する事業。見直しは六ケ所村で再処理工場を経営する日本原燃の業績や村の財政、雇用を左右する。橋本議長は川井社長からの電話を切り、この問題に詳しい橋本勲、三角武男両村議に 相談。国に意見書を出すため翌朝、早めに登庁することを決めた。

 7日午前9時前、議長が役場の「正副議長室」に入ると、両議員だけでなく、面会を約束した覚えのない川井 社長ら日本原燃幹部3人がソファに座ってい,た。川井社長らは文書を示し、再処理から撤退した場合@村内への使用済み核燃料受け入れA過去に再処理を委託した英仏から返還される放射性廃棄物の搬入ーなど3項目について、継続が困難になると説明した。
 意見書のたたき台とも言える内容だが、公文書の原案を民間企業が作成するのは異常だ。橋本議長が「証拠が残るから文書を持ち帰ってほしい。後は我々で相談して決める。他の議員や記者たちに見られるとまずいから早く退席してください」と言うと3人は従った。

 議会は同日午前10時に開会し、意見書は午後1時半、全会一致で可決された。「再処理路線の堅持を求める」 と題した意見書には8項目が並び、その中には、日本原燃の主張する3項目が含まれていた。

 日本原燃は「社長が誰に電話したのか相手のあることなので回答を控える。ただ意見書を出すよう依頼していない」と回答した。橋 本議長も「意見書は我々が独自に作った原案を基にした。日本原燃の文書は参考にしていない」と説明する。し かし電話がきっかけで議会が動き出した事実は動かない。電話から意見書可決まで17時間半の早業だ った。

 意見書は後日、致府のエネルギー・環境会議に届いた。民主党の方針通り閣議決定すれば、使用済み核燃料は行き場を失う、2月に英国から返還予定の高レベル放射性廃棄物も陸揚げできない。エネ環会議事務局の関係者が振り返る。「国際 問題になりかねない。意見書は猛烈に効いた」
 昨年9月14日、エネ環会議は「再処理継続」と決めた。「見直す」とする党の方針はわず か8日で覆った。

 核燃サイクルは資源に乏しい日本が「準国産エネルギー」を目指し60年代後半から具体化させた。しかし再処理工場の完成は19回延期され、再処理後の燃料を使うはずの高速増殖原型炉「もんじゅ」がトラブルで停止したままで、循環(サイクル)は「完成のめどの立たない虚構」(電力会社首脳)だ。にもかかわらず撤退できないのはなぜか。

 

 

 

 

 

 

 

 

原燃に寄りかかる村
  税収69億円、寄付ふんだん
   http://mainichi.jp/feature/news/20130202ddm002040073000c.html

 政府のエネルギー・環境会議が「核燃サイクル維持」を決めてからちょうど1カ月後の昨年10月14日、青森県六ケ所村の大石総合運動公園の野球場に村議や日本原燃幹部ら約30人が顔をそろえた。前年に引き続き開かれた村議会対日本原燃の親睦軟式野球大会。橋本猛一議長と工藤健二専務の両先発で始まった試合は議会側が1点差で逃げ切った。
 一行はそのまま村内の温泉施設「ろっかぽっか」で汗を流すと、併設の大広間で宴会を開いた。割り勘の参加費は1人6000円。話題は昨年9月7日の意見書に及ぶ。「再処理から撤退するなら使用済み核燃料の受け入れを拒否する」など8項目の主張を政府に突きつけ、核燃サイクル見直しの方針を覆した。日本原燃役員の一人が橋本議長に近づき頭を下げた。「本当に助かりました」
     
 村議と日本原燃は工事を介して深く結びつく。青森県に提出された工事経歴書によると、村議や妻、父母兄弟が役員を務めたり、大株主になったりしている建設会社は8社。うち6社が日本原燃に関連する工事を受注し総額約8億円に達する(10年10月〜11年末)。また関係者によると、村議の子供が日本原燃に直接雇用されるケースも複数ある。
 村の財政も日本原燃に依存している。
 人口約1万1000人の六ケ所村の税収は69億円余。青森県内の自治体でほぼ人口が同じ中泊町は約7億円、鰺ケ沢町は約8億円に過ぎない。税収が多いため普通交付税が交付されない県内唯一の自治体で、うち約49億円は日本原燃の払う固定資産税だ(金額はいずれも11年度)。ろっかぽっかも日本原燃側が02年、約23億円かけて建設し村に寄付した。
 日本原燃の施設のある一帯は60年代後半から開発対象になった。石油化学コンビナートを誘致する開発計画(後の「むつ小川原開発計画」)が閣議決定(69年)されたためだ。多くの村民が土地を手放し高台に移転。しかしオイルショックで頓挫し、代わりに持ち込まれたのが核燃サイクルだ。

 村商工会長の上長根浅吉さん(63)は、10代のころから出稼ぎで北海道から大阪まで転々としていた。「先祖代々から守ってきた土地を手放せない」という父を説得して農地を売り、工務店を起こし年商2億〜3億円の株式会社に育てた。上長根さんは「サイクルをやめれば村は貧しかった昔に戻ってしまう」と語る。斎藤行雄さん(83)の思いは複雑だ。「土地が開発予定地区に入っている」と言われ77年、20年続けてきた酪農をやめ警備員になった。「『コンビナートができる』と夢みたいなことを聞かされたが全然できなかった。売却した土地は今、原野になっている。再処理工場だっていつまで続くか分からない」と話す。

 今年1月23、24日、九州電力玄海原発1〜4号機から出た低レベル放射性廃棄物の入ったドラム缶計1040本がむつ小川原港(六ケ所村)に陸揚げされた。「低レベル放射性廃棄物埋設センター」(同)に埋設処分するためだ。再処理工場、ウラン濃縮工場と合わせ「核燃3点セット」と呼ばれ、かつては逮捕者を生む激しい反対運動が展開された。しかしこの日、港に反対派の姿はなかった。

 撤退への道は阻まれた。実は攻防は10年前にもあった。

2)エネ庁・電力各社、撤退を模索
   言ったら負けの「ばば抜き」
    http://mainichi.jp/feature/news/20130203ddm002040115000c.html

 03年6月、経済産業省資源エネルギー庁の安井正也電力・ガス事業部企画官(現原子力規制庁緊急事態対策監)は今後の再処理政策について協議するため、電力各社とひそかに会議を設置した。集められたのは▽電気事業連合会の武藤栄・原子力部長(現東京電力嘱託)▽村松衛・東京電力企画部マネジャー(現常務執行役)▽豊松秀己・関西電力原子力事業本部副事業本部長(現副社長)▽青木輝行・中部電力副社長。各組織の原子力部門を代表する人物が顔をそろえ、エネ庁内部で「エージェント(代理人)会議」と呼ばれた。

 青森県六ケ所村再処理工場の建設費は当初7600億円だったが、漏水や不良溶接などのトラブルが相次ぎ2兆円を超えることが確実になっていた。再処理工場経営会社の筆頭株主である東京電力と経産省双方の首脳は02年、極秘に会談し、高コストを理由に再処理から撤退することで一致した。しかし部品のひび割れなどを隠蔽した「東電トラブル隠し」で東電首脳が引責辞任し協議が中断。エージェント会議で復活した形になった。

 安井氏と電力側4人は取材に対し、会議の存在を否定した。しかし、関係者がメモを残していた。メモによると、03年7月のエージェント会議で、電力側が1枚の文書を示した。そこには再処理からの撤退を決断するための条件が並んでいた。「国から『撤退したい』と言い出す」「使用済み核燃料は国の責任で処理する」「電気料金に上乗せして集めた使用済み核燃料の再処理費用(この時点で約2・7兆円)を、再処理をやめても電力会社側が自由に使えるようにする」……。

 東電首脳が振り返る。
 「このころ、村田成二・経産事務次官が『六ケ所から撤退できないか』と提案してきた。電力から『撤退したい』と言えという。冗談じゃない。国から言い出し国が責任をとるべきだと考えた」

 言い出した方が責任を負う。だから言い出せない−−。この構図はエネ庁内部で「ばば抜き」と呼ばれた。

 実はエネ庁は90年代前半にも撤退を検討していた。「X作戦」と名付けた勉強会を主催したのは原子力産業課の課員たち。ある課員が説明する。「再処理は技術として確立していないのに事業費はどんどん膨れあがる。心配だった」。そこで使用済み核燃料をすぐ再処理するのではなく、再処理工場は当面ストップし技術が確立するまで核燃料を貯蔵(中間貯蔵)する政策について検討した。
 

3)プラントを分割発注、弱点に
  「ずっと試験中でいいんだ」
 http://mainichi.jp/feature/news/20130205ddm002040093000c.html

 経済産業省を中心に再処理からの撤退を模索する動きは続いていた。

 03年秋、東京都内にあるかっぽうの小上がり。経産省職員数人が関西電力幹部ら2人と顔を合わせた。当時、業界団体「電気事業連合会」トップは藤洋作・関電社長で、その意向が重要と考え、経産省側がセットした会合だった。

 経産省職員がトラブル続きの六ケ所村再処理工場について尋ねると、関電幹部は「危ないんです」と答えた。当時、漏水や施工ミスなどの発覚が相次いでおり、官民ともに「危険性がある」という認識で一致した。幹部は続けた。「投資が巨額で自分たちからはやめられない(撤退できない)。ただ、これまでも自分たちは国策に協力してきた。国が『やめる』といったらやめられるかもしれない」

 再処理工場の重大な弱点として、分割発注を挙げる声は根強い。

 取材班は関係者から「再処理施設所掌一覧表」と題したA3判1枚の文書を入手した。左半分に各施設の配置図、右半分に受注業者名が記載されている。配置図は核防護上の問題、業者名は私契約に関する事項だとして、いずれも非公開だ。文書によると施設は原発メーカーなど14社に分割発注されている。14社から建設工事を請け負ったゼネコンを加えると25社以上になる。工場配管の総延長は約1300キロ。東京−徳之島(鹿児島県)間の直線距離にあたり複雑かつ大規模だ。

 国の原子力政策作りを担う原子力委員経験者の一人が明かす。
 「プラント設計がばらばらで、分断されて施工している。うまくいくわけがない。トータルで仕切っている会社もない」

 04年4月27日、経産省職員2人は意を決して自民党商工族で大臣経験もある重鎮に接触した。撤退には政治の後押しが不可欠だ。場所は東京・永田町の国会議事堂にある一室。A4判5枚の資料を渡し説明した。

 「再処理工場は安全性に疑念がある。行政も電力も本音では『動かしたくない』と思っている。原子力発電自体は維持しつつ再処理は凍結すべきだ。サイクル政策について、首相直轄の『原子力政策改革委員会』(仮称)を新設し徹底的に議論して見直してほしい」

 重鎮は黙ったまま聞き、説明が終わるとこう言った。
 「君らの主張は分かる。でもね。サイクルは神話なんだ。神話がなくなると、核のごみの問題が噴き出し、原発そのものが動かなくなる。六ケ所は確かになかなか動かないだろう。でもずっと試験中でいいんだ。『あそこが壊れた、そこが壊れた、今直しています』でいい。これはモラトリアムなんだ」

4)自民商工族がエネ庁に圧力
   直接処分、試算膨らませろ
   http://mainichi.jp/feature/news/20130206ddm002040076000c.html

 04年5月14日午前8時、東京・永田町の自民党本部。7階の一室で「エネルギー関係幹部会」が開かれた。自民党政調に置かれたエネルギー関係の委員会に所属する商工族ら衆参16議員が出席。経済産業省資源エネルギー庁の日下一正長官、石毛博行次長、寺坂信昭電力・ガス事業部長、業界団体の電気事業連合会幹部が招かれた。

 会議は非公開。議員らは取材に対し「覚えていない」などと答えた。しかし経産省職員が作成し、関係部署に送信した議事メモが残されていた。

 3日前の同11日、日経新聞が1面トップで、国の原子力委員会がコスト高から「核燃料サイクル政策を抜本的に見直す」と報じていた。会議は報道を基にエネ庁を「つるし上げる」(出席した経産省職員)構図だった。

 A議員「日経新聞に訂正を打たせろ」
 B議員「役所の課長レベルに(核燃サイクルに)反対の人がいるので、こういう問題が出てくる」
 日下長官「閣議後の大臣会見で(報道は)事実無根であると発言していただいている」
 B議員「大臣が発言しても十分ではない」
 C議員「原子力は報道との戦い。まともな報道は少ない」

 当時、青森県六ケ所村の再処理工場を動かすと18.8兆円のコストが生じると公表されていた。一方、再処理工場を動かさず使用済み核燃料を地中に捨てる直接処分を選んだ場合のコスト試算について、エネ庁や原子力委、電事連などが共同で作業を進めていた。

 D議員「直接処分のコストについて強引に(試算を)作ればいい」

 発言は「意図的に直接処分のコスト試算を膨らませろ」という意味だ。会議に出席していた経産省職員は「今でも覚えている。ひどいと思った。ただ試算は『粉飾』しなかったはず」と語る。別の職員は「粉飾したといううわさを省内で耳にした」と話し真相は分からないが、いずれの職員も会議の様子から「撤退は難しいと感じた」と振り返る。自民党議員はこう話したという。「2カ月後は参院選。スタンスを維持しないと支持者が離れる」

 電力業界は立ち位置を変えた。電事連の総合政策委員会(通称社長会)は自民党の会議と同じ日「サイクル確立に向けた流れを確実なものとする」ため全会一致で「推進に関する決議」をした。02年から撤退に向けて経産省と水面下で協議してきたが、政策転換した際の責任を国、電力いずれがとるのか折り合いがつかなかった。この間、立地自治体である青森県や六ケ所村の反発が強まり時間切れになったのだった。

 同日夕の経産事務次官室。当初は電力側に再処理撤退を持ちかけていた村田成二次官と、部下とのやり取りが残されたメモがある。
 寺坂部長「もうもたない。六ケ所は動かすしかない」

 これに対し、村田次官は「すぐに(再処理をやめて)直接処分にしろと言っているわけではない」と言うだけで「今どうすべきか」明確に答えなかった。政治と電力は「稼働」で一致している。省内を諦めが覆った。

 結局撤退は失敗した。2人はどう思っているのか。村田氏は取材に応じず、寺坂氏は次官室での発言内容を否定した。

5)「撤退」唱える共同研究
   電力業界異論で連載中止
   http://mainichi.jp/feature/news/20130207ddm002040044000c.html

 使用済み核燃料を再処理し、ウランとプルトニウムを取り出して再利用する核燃サイクルを維持するのか、見直すべきか。03〜04年、研究者の世界でもせめぎ合いがあった。

 「どうする日本の原子力」と題した連載が03年8月、業界誌「原子力eye」9月号に載った。
 書いたのは山地憲治東大教授(現名誉教授)や電力各社の寄付で作る「電力中央研究所」に所属する鈴木達治郎上席研究員ら「原子力未来研究会」のメンバー。記事は「巨額のコスト」を理由に「青森県六ケ所村の再処理工場は経営的に破綻している。核燃サイクル確立という国策の堅持は閉塞感を強め、原子力の未来を危機に陥れる。国策を変えるべきだ」と主張していた。

 10月号では「出口なき前進ではなく撤退を」と訴える予定で、既に原稿もできあがっていた。ところが8月15日、山地教授は出版元の編集主幹から「どうにもなりません」と連載中止の連絡を受けた。編集主幹の上司が取材に答えた。「電力業界から『(購読や広告出稿によって)この雑誌に金を出しているのに何だ。この記事はおかしいじゃないか』と批判が出た。頭にきたが仕方がなかった」

 同じころ、経済産業省OBの一人はある電力会社の首脳が「あいつら(山地、鈴木両氏)はもう原子力の、電力の世界から全部消す」と話しているのを聞いた。OBは「研究をやめさせるから『消す』のはやめてくれ、と裏で走り回った」と言う。

 しかし、水面下で研究は続いた。山地、鈴木の両氏に、佐藤太英電中研理事長、電力各社の役員が理事に名前を連ねるシンクタンク「日本エネルギー経済研究所」の内藤正久理事長(現顧問)、田中知(前日本原子力学会会長)、八田達夫(現学習院大特別客員教授)の両東大教授らが加わり、03年12月に極秘の研究会が発足した。04年1月に合宿をした後に各自研究を進め、同5月には報告書をまとめた。

 「核燃サイクルを維持すると、コスト高で電気料金が上がり産業界が反発」「再処理工場を一定期間動かした後にストップすると(六ケ所村など)自治体が反発」「工場を稼働させず直接処分を可能にすると、青森県が使用済み核燃料の受け入れを拒否し、電力が原発から撤退する」など、大別して3パターンの予想をした。どの政策にも一長一短があるという当たり前とも言える分析だった。

 ところが報告書の内容を知った東京電力幹部は「『六ケ所をやめる』というパターンが含まれているのはまずい」と公表しないよう求めた。経緯を知る関係者は「電中研もエネ研も電力の金なしでは成り立たない。だからあきらめた」と語る。研究会は解散し、報告書は闇に葬られた。

 佐藤、内藤の両理事長と山地教授は取材に対し圧力を否定。田中、八田の両教授は「経緯は知らない」と答えた。現在、原子力委員長代理を務める鈴木氏は「コメントする立場にない」と話した。

6.上層部「維持」で意思統一
    経産省「撤退派」を次々更迭
    http://mainichi.jp/feature/news/20130208ddm002040105000c.html

 04年6月、原子力政策決定の鍵を握る経済産業省資源エネルギー庁の電力・ガス事業部長と原子力政策課長が交代した。新任の安達健祐部長(現経産事務次官)と柳瀬唯夫課長(現首相秘書官)らはすぐに青森県に飛んだ。柳瀬課長が回想する。

 「三村申吾知事、古川健治六ケ所村長と会った。2人とも『あなたたち(国)、何をやっているんですか。東京の人が無責任に振り回さないでほしい』と言った。怒っているというより困っている感じだった」

 六ケ所村は全国の原発から使用済み核燃料を受け入れている。なぜか。それは、再処理工場でウランとプルトニウムを取り出して再利用する核燃サイクル事業のためだ。
 ところが当時、さまざまなマスコミが「国が核燃サイクル見直しへ」と報じ、地元は不信感を募らせていた。柳瀬氏は「会談後、撤退するにせよ、維持するにせよ、はっきり決めなければならないと感じた」という。

 同月、電力側に再処理からの撤退を持ちかけていた村田成二・経産事務次官が退任。すると翌月以降、水面下で動いていた経産省職員数人が次々異動した。エネ庁職員が解説する。「当時、新体制になり上層部は『サイクル維持』で意思統一した。そして撤退派を更迭した」。粛清の嵐が吹いた。

 同11月、内閣府原子力委員会の「策定会議」が核燃サイクル維持を基本方針とする中間報告をまとめた。翌月には再処理工場で、初めて放射性物質(ウラン)を使った試験が始まる。「ついに施設が汚れた。廃炉費用が約1.2兆円増え、撤退はさらに難しくなった」。更迭された職員は無力感に包まれた。
     
 「再処理事業の確実な実施が著しく困難となった場合、(工場を経営する)日本原燃は使用済み核燃料の施設外への搬出を含め、速やかに必要かつ適切な措置を講ずる」。
 98年、日本原燃、青森県、六ケ所村が締結した覚書だ。
 国も電力もこの文書に基づき「再処理から撤退→工場に貯蔵中の使用済み核燃料が各原発に送り返される→収容しきれなくなり全原発が即時停止」というシナリオを最も恐れる。

 現職のエネ庁課長級職員が取材に答えた。「核燃サイクルは恐らく完成しない。早く撤退した方がいいと思う。でも実際の政策となると無理」。電力会社首脳も「『サイクルをやるべきだ』とは思わない。しかし仕方がない」と言う。

 04年、核燃サイクルの問題点と撤退に向けた方策をまとめた経産省職員のメモが残っている。「国民的コストが大で安全性に関する懸念が強い。反原発派のみならず原子力推進論者の中にも批判がある」としたうえで「民間任せの使用済み核燃料の取り扱いについて国の責任を明確にし、立地自治体に対し血みどろになって説明、撤退への了解を獲得する」と書かれている。

 問題点は今も重なる。だが今、撤退に向け奔走する人物はいない。
 



池田信夫ブログ 2013年02月11日 

核廃棄物の問題は解決できる
 

NHKスペシャルで核廃棄物をやっていたので見たが、予想どおりナンセンスな番組だった。10万年後の安全がどうとか、最終処分地が決まらないので核のゴミ問題は絶望だとかいう話は、学術会議の報告書と同じく誤ったホラーストーリーである。

 
この問題を理解するためには、きのうの河野太郎氏と澤昭裕氏とのG1セッション(下記)のほうが参考になると思う。核燃料サイクルは破綻しており、撤退するしかない。高速増殖炉が将来実用化しても、採算に乗らないからだ。この点で河野氏と澤氏と私の意見は一致した。

これは難事業だが、最終処分が技術的に不可能であるかのようなNHKの話は間違いだ。10万年後の安全なんか保証する必要はない。プルトニウムより危険な水銀(毒性は永遠に続く)は年間22トンも海中に放出されている。最終処分の技術は確立しており、問題はどこに引き受けてもらうかに尽きる。

その場所が決まっていないので大変だというのもおかしい。核燃料サイクルが行き詰まったら、六ヶ所村の再処理工場は撤退するしかない。その場合に六ヶ所村は宙に浮いてしまうので、それを最終処分地にすることが有力な選択肢である。今は再処理だけして最終処分は別の場所に持って行くことになっているので、国と地元の覚書を修正する必要がある。政治的には厄介だが、技術的には問題ない。

最終処分地としては福島第一原発の近くに埋めるなどの案もあり、六ヶ所村に限る必要はないが、再処理工場がなくなる地元対策としてはちょうどいいし、地盤などの問題もクリアされている。核燃料サイクルに投じられた19兆円のほとんどはサンクコストであり、考えてはいけない。大事なのは、今後のコストをいかに最小化して撤退するかである。

高速増殖炉の問題は技術ではなく採算性である。OECDの保守的な評価でも、「非在来型ウラン」の埋蔵量は700年分あり、再処理は経済的に意味がない。

 

2013年02月11日 

非在来型ウランの埋蔵量について
 

きのうのG1サミットの内容が関係者にいろいろな反響を呼んでいるの、少し補足説明をしておく。
 
放送でもいったことだが、核燃料サイクルの問題は技術ではない。高速増殖炉の技術に大きな問題があるわけではない。もんじゅの事故は単なる配管の破断であり、原子炉そのものに欠陥があるわけではない。致命的な問題は、採算性である。河野太郎氏も指摘したように、もんじゅや六ヶ所村のプラントには想定をはるかに超えるコストがかかって実用化が40年後に遅れているばかりでなく、そもそも再処理の目的である高速増殖炉(FBR)が経済的に意味をなさないのだ。

FBRはプルトニウムを燃料にしてそれより多くのプルトニウムを生み出す「夢の原子炉」といわれているが、1970年代に核燃料サイクルの計画が始まったときは、ウランの埋蔵量が数十年しかなく、世界で原子力開発が進んだら枯渇してしまうという危機感があった。このため、国内でエネルギーを生産できる「準国産エネルギー」としてFBRが期待されたのだ。

しかし最近の「非在来型エネルギー」の開発によって、この根本前提がゆらいできた。OECDの報告書はこう書いている:
1980 年代以来、ウラン探鉱は限定的にしか行われてこなかったが、2002年以降はウラン価格の上昇を受け、探鉱活動は以前の3倍以上に増加した。近年の探鉱活動が活発でなかったにも関わらず、現在の消費量に対する既知のウラン資源の割合(=可採年数)は、他の鉱物エネルギー資源とほぼ同等で、約100年である。さらに現在の地質学的情報に基づいて発見が見込まれる資源を加えると、可採年数は300年分近くになる。また、「非在来型」資源、具体的にはリン鉱石中に含まれるウランも加えると、この数字は約700年にまで延びる。
通常のウラン(価格130ドル/kg以下)の埋蔵量は、世界全体で630万トン程度と推定され、これは世界のウラン消費量(約6.3万トン)の100年分ぐらいだが、それ以上のコストで採掘可能な非在来型ウランの埋蔵量は、IAEAによれば3500万トンある。これは世界の消費量の550年分である。OECDは2200万トンという数字を「きわめて保守的な推定」として紹介しているが、これでも350年分である。

さらに海水中にはほぼ無尽蔵のウランが含まれているが、その精製コストも下がり、日本の原子力委員会の報告によれば25000円/kgまで下げられる。これは通常のウランの価格基準(130ドル)の2倍程度で、今後の技術進歩で在来型のウランと競争できる可能性もあり、そのコストは核燃料サイクルよりはるかに低い。

そういうわけで、たとえFBR(高速増殖炉)が完璧で安全な技術だとしても必要ないのだ。使用ずみ核燃料を直接処分したほうが安いからである。そしてFBRが必要なくなると、核燃料サイクルは宙に浮いてしまう。プルサーマルは核燃料サイクルを延命するための技術で、再処理から撤退すれば必要ない。こういう事実認識は、河野太郎氏から電力会社に至るまでほぼ同じだ。必要なのは政治的な決断だけである。

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河野太郎ブログ 

福島の裏磐梯で開催されているG1 Summit 2013に出席しています。

「福島で考えるエネルギーの未来」というセッションで、アゴラ研究所の池田信夫氏、21世紀政策研究所の澤昭裕氏と3人でパネリストを務めました。グロービスの田久保善彦氏にモデレーターを務めていただきました。

原発再稼働については3人の意見は違うかもしれませんが、核燃料サイクルは破綻しているというバックエンドの議論については、意見がほぼ一致しました。

再処理はやめ、高速増殖炉からは撤退、使用済み核燃料をドライキャスクで暫定保管しながら、もはや守ることができない国と自治体の数々の約束について、守れないという現実を認めて具体的な方策を考えるという方向性でほぼ一致したといっても良いと思います。