ウクライナ問題について  2022/3/20 

 

John Joseph Mearsheimer、1947年12月4日 - )は、アメリカの政治学者、国際関係学者、空軍軍人。シカゴ大学政治学部教授。

  

筆者は、プーチン大統領の行動を強く非難し、プーチンの軍事侵攻正当化を完全に否定するものである。
以下は、欧米側のこれまでのやり方にも問題があることを指摘するものである。

・ ロシアは心底、ウクライナ(とジョージア)のNATO加盟を恐れている。越えてはいけないRed Lineとしており、米国でもそれを知る人はいる。

・ NATO側は、本当はウクライナをNATOに入れる気はない。(入れれば、集団防衛義務でロシアとの戦争となり、核戦争になる恐れも多分にある。)

・ しかし米国もNATOも、ロシアによるウクライナの加盟阻止の要求を拒否した。
  ロシアは欧米側が越えてはいけないRed lineを越えようとしていると考え、以前から予告していた対応策をとった。

・ 欧米側は現時点ではウクライナをNATOに入れないとしている。プーチンの要求時にそうしておれば、ロシアの侵攻はなかったかも分からない。

 

ロシアは2月24日、ウクライナに対する軍事侵攻に踏み切った。プーチン大統領は「ほかに選択肢はなかった」と述べ、軍事侵攻を正当化した。

欧米はこれまで、ウクライナのNATO加盟について曖昧な姿勢を取り続けてきた。

実際にウクライナがNATOに加盟すると、ロシアがウクライナ侵略をした場合に同盟国としてロシアと戦う義務があり、ロシアとの全面戦争の可能性が生じるためである。

北大西洋条約 第5条(集団防衛)

欧州又は北米における一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなす締約国は,武力攻撃が行われたときは,国連憲章の認める個別的又は集団的自衛権を行使して,北大西洋地域の安全を回復し及び維持するために必要と認める行動(兵力の使用を含む。)を個別的に及び共同して直ちにとることにより,攻撃を受けた締約国を援助する。

それにも関わらず、プーチンのウクライナの加盟排除の要求を拒否した。

バイデン米大統領は2022年1月18日、フィンランドのニーニスト大統領とウクライナ情勢について電話協議したが、バイデン大統領は「欧州各国は安全保障体制を独自に決める権利を持っている」と強調、ロシアの隣国フィンランドがNATOに加盟申請する権利を「保証」した。

NATO事務総長は、「同盟国は、NATOへのドアは開かれていることを確認した。どの国も、歩むべき道はその国が選ぶというのは根本的な権利だ」と述べ、ウクライナがNATOに加盟するかしないかを、他国が強制することはできないという点で、欧米は一致したと述べた。

この理由付けはおかしい。ある国が加盟を希望すれが、どんな国でも(例えばNATO加盟国が非難している国)加盟を認めるのか。

しかし、これを受けてロシアがウクライナに軍事侵攻すると、西側はウクライナのNATO加盟を否定した。

ウクライナのゼレンスキー大統領は3月15日、「NATOへの門戸は開かれていると何年も聞いてきたが、加盟できないとも聞いている。これが事実であり、認識しなければならない」と 、不満を表明した。

侵略開始後、ロシアの空爆で市民らの死傷者は増え続けており、ウクライナ政府は同国上空を飛行禁止区域に設定するよう、西側諸国に求めている。しかし、欧米側は、設置すればNATOとロシアの直接的な戦闘が起きかねないとして否定的である。
(NATO加盟を拒否したうえ、ウクライナ上空の飛行禁止区域設定さえも拒否した。)

結局、欧米側はウクライナのNATO加盟を認める気はないのに、加盟があるとの発言を繰り返し、プーチン大統領のウクライナの加盟排除の要求を拒否した。

責められるのは勿論、プーチン大統領であるが、もし欧米側がウクライナをNATOに入れないと明言しておれば、今回のロシアによる侵略はなかったかもしれない。
(その場合でも、ロシア語圏である東部2州への侵略はあったかも分からない。)

ーーー

過去の歴史は次の通り。

1989年のベルリンの壁崩壊から、東欧民主化革命が起こったが、ゴルバチョフ大統領は、この動きを静観した。

さらに1990年になると、「東西ドイツを再統一したい」という動きが加速化した。

米国は、東ドイツの実質的支配国だったソ連の指導者ゴルバチョフに許可を求めた。当時の米大統領はBush (父)であった。

ゴルバチョフは極めて甘く、冷戦終了でNATOは解散するのではと考えたが、それはないため、一つだけ条件をつけた。それは、「NATOを統一ドイツより東に拡大しないこと」で 、米国はこれを約束、1990年10月3日、東西ドイツは統一された。

Baker国務長官が1990年2月9日のフルシチョフとの会談でこれを約束した。
翌日、ドイツの Chancellor Helmut Kohlはフルシチョフに “naturally Nato could not expand its territory to the current territory of the GDR” と述べた。

同年5月17日に Nato secretary generalは演説で、 以下の通り述べた。
"The very fact that we are ready not to deploy NATO troops beyond the territory of the Federal Republic gives the Soviet Union firm security guarantees.",

問題は、これが条約とか覚書ではなく、口頭でなされたことである。Bush大統領はBaker とHelmut Kohl の約束はフルシチョフに甘すぎるとしてこれを無視した。

Clinton大統領時代の1999年3月、チェコ、ポーランド、ハンガリーの旧ソ連圏国がNATOに加わった。

次いでBush(息子)大統領時代の2004年3月には、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニアの旧ソ連圏国に加え、ソ連の一部であったエストニア、ラトビア、リトアニアの3国が加わった。

 

2008年4月のNATO首脳会議で、Bush米大統領はウクライナとグルジア(ジョージア)の加盟を強く推した。しかし、 ドイツとフランスは、ロシアから無用な反発を買うなどの可能性があるとして、旧ソ連のウクライナ、グルジア両国のNATO加盟には反対する姿勢を示した。最終的に、NATO加盟を申請できる資格があるということで合意した。

ロシアの外務次官は「グルジアとウクライナのNATO加盟は、とてつもない戦略的失敗だ。これは、欧州全体の安全保障に深刻な悪影響を及ぼすだろう」と語った。プーチン大統領も「これはロシアに対する直接の脅威だ」と語り、あるロシアの新聞は「プーチン氏はジョージ・W・ブッシュ米大統領に対して 、もしもウクライナがNATOに加われば、国は消えてなくなるだろう、とはっきり示唆した」と報じた。

当時の米国のWilliam Burns駐露大使(現CIA長官)は本国宛て秘密電報で、「露外務省はNATOをウクライナに延長すれば、露の安全保障に影響を与え深刻な政治・軍事的変化をもたらす、ロシアはしかるべき行動をとらざるを得ないとしている」と警告した。ウクライナ問題は非常にSensitiveで あり、ロシアはクリミヤ、ウクライナに手を出すだろうとした。

2022年3月18日 BSフジ  プライムニュースで手嶋龍一(外交ジャーナリスト:当時NHK ワシントン支局長として取材)、畔蒜泰助(笹川平和財団主任研究員)が解説
 William Burnsの著書 The Back Channel: A Memoir of American Diplomacy and the Case for Its Renewal に記載があるとのこと。 

それから4カ月後の2008年8月、ロシアは「市民を保護する」という名目でグルジアに侵攻した。

William Burnsは現在CIA長官である。なぜ、Biden大統領に、ウクライナのNATO加盟はロシアに今回のような行動をとらすと警告しなかったのだろうか。

2014年にクリミア危機・ウクライナ東部紛争が発生した。

1954年2月、ソビエト最高幹部会はクリミアをソビエト連邦内のロシアからウクライナへと移管する命令を下した。ソビエト連邦の枠内でクリミアはウクライナ領となったのである。一説にはウクライナ人でもあるソビエト共産党書記長のフルシチョフが、ウクライナとロシアの統合三百周年の贈り物としてウクライナ共産党幹部の歓心を買うためにクリミアをウクライナに与えたともいわれる。

 ただクリミアが道路、鉄道、水利などでロシアよりもウクライナに結びついていており、こうした実態としての経済的な結びつきに合わせた決定ともいわれている。

ソ連が崩壊してロシア連邦とウクライナ共和国が分離し、クリミア半島がウクライナ領となったことで問題が生じた。セヴァストーポリもウクライナに属し、キエフとともに特別市となったが、ロシアはロシアは海軍の軍港使用を要求、様々な交渉の末、結局ウクライナはロシアに対する負債の一部を免除することを条件に、ロシア海軍のセヴァストーポリ軍港使用を認めた。そのため軍港としてのセヴァストーポリには多くのロシア人が居住している。

97年5月31日、エリツィン大統領がキエフを訪問し、「ウクライナ・ロシア友好・協力・パートナーシップ条約」が調印された。調印に際しヤストルジェムスキー・ロシア大統領報道官が「ウクライナとの関係が近くなればなるほど、我々はNATO問題で頭を悩まさずに済む」と述べたように、ロシア側は、2国間平和条約が両国の関係強化につながり、結果としてウクライナのNATOへの接近を防げると踏んでいたのである(83)。実際、セバストーポリ軍港の賃貸期間は20年と定められており、その間のウクライナのNATO加盟はロシアの賛成なしには有り得なくなった。他方で、ロシア黒海艦隊の基地使用料と黒海艦隊分割に際しての艦艇のロシア譲渡分に対する支払は、ロシアに押し切られた形になり、ウクライナの対露ガス債務と相殺されることになった。また、平和条約内において「両国が条約当事国のどちらかに敵対する行動、条約の締結を差し控え、その安全保障を犠牲にするような領土の利用を許可しない」(第6条)ことも規定されていた。これも、ロシア側がウクライナ側に課した言質と見ることが出来る(84)

ロシアとウクライナは2008年9月下旬、クリミア半島南西部の軍港都市、セバストポリにある黒海艦隊基地の租借期限延長をめぐる交渉に入った。クリミア半島はソ連崩壊後にウクライナ領内の自治共和国になったが、セバストポリ軍港は1997年に成立した合意により、ロシア海軍が2017年まで租借することになった。ロシアは租借延長を求めているが、グルジア紛争で警戒心を強めた親欧米派のユーシェンコ大統領は拒否の姿勢で、黒海艦隊撤退を促している。

ソビエト連邦崩壊後のセヴァストポリ軍港にはロシア連邦海軍基地とウクライナ海軍の司令部も置かれている。ソビエト連邦時代はソ連の黒海艦隊の基地であったが、ソ連邦解体後の1997年にロシア・ウクライナ間で締結された協定により、2017年まで租借、また2010年に再締結された協定によりさらに2042年まで駐留が認められることになった。ウクライナが受け取る租借料は年間9800万ドルであり、そのセヴァストポリ軍港租借料はウクライナがロシアへ払うガス料金未納分を考慮して決められている。

2014年2月にヤヌコーヴィチ政権が崩壊し、親欧米派の暫定政権が樹立されたことにロシアは反発。2014年3月11日、ロシア軍の占領下で実施された同月16日の住民投票においてクリミアのロシアへの編入が賛成多数を得た場合、ウクライナよりいったん独立する決議をクリミア自治共和国とともに採択した(クリミア・セヴァストポリ独立宣言[2]。16日の投票では賛成票が全体の9割を超え(2014年クリミア住民投票)、クリミア自治共和国とともに主権宣言した上で(クリミア共和国)、3月18日にロシア連邦に編入される条約をロシア連邦と締結した(ロシアによるクリミアの併合

 

 

2009/1/2 ロシア、ウクライナ向け天然ガス供給停止

ロシアの独占天然ガス会社 Gazprom は1月1日、ウクライナへの天然ガス供給を完全に停止した。

両国は、20億ドル以上とする天然ガス供給の代金未払いや債務、滞納の罰金支払いの調整及び2009年からの価格について年末から協議していたが、31日までの交渉が不調に終わったため、強硬措置に訴えた。同国のパイプラインを通じてガスを輸入する欧州でも懸念が広がっている。

ウクライナのユーシェンコ大統領とティモシェンコ首相は1日、交渉継続を訴える共同声明を発表した。

問題点は2つ。

1)天然ガス代金未払い

ロシア側はウクライナの債務20億ドルが未払いとしている。

ウクライナはこれまで、金融危機の直撃を受けた経済混乱で債務を支払えないなどと主張し、この冬を乗り切るだけのガス備蓄はあるとしてロシアの支払い要求を拒否してきた。

ぎりぎりになって、ウクライナは15億ドルを支払い、完済したと主張しているが、ロシア側は、ウクライナには支払い遅延の罰金など5億ドルの支払い義務があり、債務問題は解決していないとしている。

ウクライナ側には、供給停止は親欧米のユーシェンコ氏に対するロシアの政治的圧力と受け止められ、国際社会の批判の矛先はロシアに向かうとの読みもあったとみられる。

2)2009年のガス価格

2008年のウクライナ向け天然ガス価格は179$/1000m3 だが、両国は今後段階的に引き上げることで合意、ガスプロムは250ドルを提案したが、ウクライナは201ドルを主張してこれを拒否した。

今回、ガスプロムは250ドル案を撤回し、一気に「国際価格」の418ドルに引き上げた。欧州向け価格は418ドル。

付記

ガスプロムは1月4日、価格を450ドルに引き上げると発表した。

この問題の背景には、グルジア紛争の際に、ウクライナのユーシェンコ大統領がグルジアに戦車やミサイルなどを提供したとの疑惑や、ウクライナのNATO加盟問題など、ウクライナとロシアの対立があるとみられる。

 

天然ガスに関しては、ロシアは2005年末にウクライナとの間で欧州各国も巻き込んだ大問題を起こしている。

2005年4月、ガスプロムがウクライナ政府に対し、それまでの1,000立方メートルあたり50ドルから160ドルへの値上げを提示、後に更に230ドルに引き上げた。

2006年に入り、ガスプロムはがウクライナ向けのガス供給を停止した。
(EU向けと同じパイプのため、ウクライナ向け対応の30%を削減した)

しかしウクライナ側は、これを無視してガスの取得を続けたため、パイプライン末端のEU諸国のガス圧が低下し、各国は大混乱となった。
問題が二国間の問題に止まらず国際問題となったため、両者は急速に歩み寄りを見せ、1月4日に期間5年、95ドルで妥協した。

 

ソ連崩壊後、ウクライナは数年間は汚職や経営管理の誤り、経済成長の停滞、フリヴニャの平価切り下げや公的市場からの資金調達という様々な問題を抱えていた[42][43][44]。

2000年代には欧州連合(EU)との良好関係を築こうと模索し[45][46]、実際にEUと連合協定を結ぶ協議を行なっていた[47]。当初、ヤヌコーヴィチ大統領はこの協定に署名する意思を示したが、最終的には署名を拒否した[48]。この背景には前述の経済難があり、EU統合はひとまず先送りして、目先の「冬を越す」ために、やむをえずロシアとの接近を図った格好だった。

なぜヤヌコーヴィチ大統領が署名作業を中断したのかが翌月判明しました。それは、彼が12月17日にプーチンとモスクワで会談した結果、150億ドルの融資とガス価格の減額をオファーされ、結果署名作業を中断しろとなり、EU側に近づくことを一旦ペンディングにしたということです。

 

 

しかしこれがユーロマイダンにつながる反政府デモを引き起こした[49](このデモの間、ヤヌコーヴィチ大統領はロシアと数十億ドルに及ぶ融資・協定について締結している(2013年12月17日のウクライナ–ロシア間協定(英語版))[49])。

ウクライナの治安部隊はデモ活動の鎮圧に努めたが、デモ活動は高まるばかりでキーウの通りで激しい衝突が起こった[50]。2014年2月21日にヤヌコーヴィチ大統領と野党リーダーらが危機回避の文書に署名し、政権側は憲法改正、大統領選の早期実施などの譲歩を行った。しかし身の危険を感じたのか、ヤヌコーヴィチ大統領は首都キーウを離れて、東ウクライナに脱出、憲法改正法への署名を拒否した[51]。

最高会議はこれを職務放棄と見なして大統領の失職を宣言した。代わりに議会議長のトゥルチノフ氏が、大統領代行を兼務することになった。大統領選は5月25日に投票が行われることが決まった[51]。新たに発足した暫定政権はEU協定の署名と国の司法制度・政治・財政・経済政策の改革に合意し、国際通貨基金は前述の改革の実行を条件に180億ドル以上の融資を約束した[52]。

一方で暫定政権の発足に否定的であったロシアは、ヤヌコーヴィチ政権の崩壊をクーデターによるものと位置付け[53]、ウクライナへの軍事介入を行なった[54][55]。

 

 

ロシアによるクリミア侵攻が新政権発足のちょうど2日前から始まって、空港や議会、セヴァストポリの港を占拠し、3月11日にはクリミア自治共和国最高会議で独立宣言がなされました。これも武力による強制下でおこなわれたと推察されます。

3月16日にはクリミアでの住民投票をやり、ロシアは85%がロシア編入に賛成したといっています。

 

歴代大統領の一覧

氏名 所属政党 在任期間
1 レオニード・クラフチュク
Леонід Макарович Кравчук
Leonid Makarovych Kravchuk
Leonid Kravchuk.jpg 無所属
ウクライナ独立後は、クラフチュク積極的なウクライナ化政策とロシア離れ政策を推進するが、経済危機に対処できず支持は失墜、1994年の大統領選挙でレオニード・クチマ首相に敗北した
1 1991年12月5日
- 1994年7月19日
2 レオニード・クチマ
Леонід Данилович Кучма
Leonid Danylovych Kuchma
Leonid Kuchma 2002-03-01.jpg 1994年7月無所属 クチマ
EUNATOに加盟を表明し、さらに中・東欧非核化地域構想の提唱や、「クチマ・ゴア委員会」の設置に見られる対米関係を強化、ロシアを牽制するとともに、西側諸国から多額の支援を引き出すことに成功した。また、ロシアへの核兵器の完全移送や、チェルノブイリ原子力発電所の閉鎖なども実施した。その一方で、クチマは、経済改革に伴い誕生した新興財閥と癒着し、次第に強権化、集権化を強めていった
2 1994年7月19日
- 1999年11月14日
3 1999年11月14日
- 2005年1月23日
3 ヴィクトル・ユシチェンコ
Віктор Андрійович Ющенко
Viktor Andriyovych Yushchenko
Wiktor Juschtschenko, Präsident der Ukraine, in der Universität Zürich.jpg 我らのウクライナ
 

与党の推す親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ首相との決選投票が行われた。しかし、ヤヌコーヴィチ首相が勝利したという投票結果を巡り、ウクライナを東西に二分する大混乱(オレンジ革命)を引き起こし、最高裁判所の裁定により再選挙を実施することになった。

12月26日に実施された再選挙では、ユシチェンコが52.12%、ヤヌコーヴィチが44.09%を得票し、ユシチェンコが当選した。

4 2005年1月23日
- 2010年2月25日
4 ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ
Віктор Федорович Янукович
Viktor Fedorovych Yanukovych
Viktor Yanukovych 2011-06-17.jpg 無所属
(地域党が事実上の与党)

ウクライナ東部出身であり、自身も親ロシア派 ヤヌコーヴィチ

2022年5月23日、ウクライナ検事総長事務所はヤヌコーヴィチが2010年にロシアに対してセヴァストポリにおける黒海艦隊の駐留を2025年にまで延長することを認めたのは反逆罪に当たるとして逮捕状を発付したことを発表した[

5 2010年2月25日
- 2014年2月22日
(反政府デモより亡命)

オレクサンドル・トゥルチノフ
Олександр Валентинович Турчинов
Oleksandr Valentynovych Turchynov
Oleksandr Turchynov March 2014 (cropped).jpg 全ウクライナ連合
「祖国」
2014年2月23日
- 2014年6月7日
5 ペトロ・ポロシェンコ
Петро Олексійович Порошенко
Petro Oleksiyovych Poroshenko
Petro Porochenko par Claude Truong-Ngoc juin 2014 cropped.jpg 無所属
(UDARペトロ・
ポロシェンコ・ブロック

が事実上の与党)

「チョコレート王」
2014年にヤヌコーヴィチ政権を崩壊させたウクライナ反政府デモでは、デモを財政面で支援したとも

 

6 2014年6月7日
- 2019年5月20日
6 ウォロディミル・ゼレンスキー
Володимир Олександрович Зеленський
Volodymyr Oleksandrovych Zelensky
Volodymyr Zelensky, 31 March 2019.jpg 国民の僕
自身がウクライナ大統領を演じたテレビドラマ国民の僕』であった。同ドラマは2015年から2019年にかけて放送された
7 2019年5月20日
-(在任中)

 

 

 

 

2013年の暮れに親露派のヤヌコーヴィッチ政権の反欧政策に対し、抗議デモ激化した。

Mearsheimer教授は、米国の陰謀としている。

アメリカのVictoria Nuland国務次官補(女性)とGeoff Pyatt駐ウクライナ・アメリカ特命全権大使が、ヤヌコーヴィチ政権崩壊後の新政権人事の協議をしていたとする2014128日の電話会談が暴露され、ウクライナの反政府デモを主導したのはアメリカ合衆国であったとの指摘もある。

Victoria Nuland国務次官補は、国連の潘基文事務総長がオランダのRobert Serry元駐ウクライナ大使を国連特使としてウクライナへ派遣する意向だと聞いたと明かし、「そうなれば素晴らしい。このばらばらな状態を国連が手堅くまとめてくれるだろう。fuck EU」と、ウクライナ情勢をめぐり対応を異にし、自分の意に沿わないEUへの不満をぶちまけている。

 

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2014年に親ロシアのヤヌコビッチ大統領が追放されると(マイダン革命)、反ロ親米政権が発足して、「国家言語政策基本法」の廃止を決定しました。ウクライナ憲法では公用語はウクライナ語と決まっていますが、日常的にロシア語を使う住民が多く住む地域では、ロシア語を第2公用語としてよいという法律ですね。

この法律が廃止されれば、ロシア語しか話せない公務員や国営企業の幹部は職を失ってしまうのではないかとの反発が起き、市庁舎を占拠するなど暴動が起こりました。ウクライナ政府は法律を廃止しないと弁明しましたが、ロシアの支援を受けた武装勢力がドンバス地方を占拠するきっかけとなりました。

ゼレンスキー政権の前、ポロシェンコ大統領の2017年、初等教育における非ウクライナ語教育が禁止され、その後、プライベートな会話ならびにミサなどの宗教上での会話以外は、ウクライナ語が強制される法案が成立しました。

ウクライナで2020/1/16日、ウクライナ語以外で書かれた広告を禁じる法が施行された。出版物やテレビ番組、ネットサイトから街の手書き看板などすべてが対象。ロシア語の影響力を排除する狙いだが、国民の三割はロシア語を母語としており、一部から反発が強まる恐れがある。

商品・サービス情報をウクライナ語で記さない場合、最高六千八百フリブナ(約三万一千円)の罰金が科される。ただ欧州連合(EU)の公用語を使うメディアは外国語広告を認める。

ウクライナでは国民の七割がウクライナ語を母語とする一方、バイリンガルを含めてロシア語を母語とする人も三割いる。歴史的にポーランドなどの影響下にあった西部はウクライナ語、東部や南部はロシア語が優勢だ。東部では親ロシア派勢力が一部地域を一四年から実効支配し、政府軍とにらみ合いが続く。今回の法改正が、ロシア系住民の反発を招く可能性がある。ウクライナ語とロシア語は文法や語彙(ごい)に共通点が多く、ウクライナを支配したロシア帝国や旧ソ連によってウクライナ語の発展が妨げられたとの主張もある。

ウクライナ国営通信などによると、同国の最高会議(議会)は日、ロシアの書籍輸入禁止と、ロシア音楽の公共の場での演奏を制限する法案を相次いで可決した。国内の反露感情を反映した排除の動きで、一部にはロシアのプロパガンダ流入を遮断する狙いもありそうだ。「露系住民への迫害」を侵攻の口実としてきたロシアが、その主張をさらに強める恐れがある。

 


 


2014年2月、大統領はキエフを脱出、ロシア軍はクリミヤに侵攻した。3月に地域独立・ロシア併合の住民投票を行い、約9割の支持でロシアが併合した。

同年6月に親欧派のポロシェンコ政権が発足、東部2州の親露派勢力と対立した。

ドネツク州の親ロシア派は、「ドネツク人民共和国」の建国を宣言(ドネツク州460万人中、約230万人が住む)、ルガンスク州の親ロシア派も「ルガンスク人民共和国」の建国宣言を行った(240万人中、約150万人が住む)

ロシアは2022年2月21日、「ルガンスク人民共和国」「ドネツク人民共和国」の独立を承認した。

なお、ウクライナ最高会議は1990年7月に「主権宣言」を採択したが、「対外安全保障」の項は次の通りである。

「将来において恒久的に中立国家となり、軍事ブロックに加わらず、非核三原則――核兵器を受け入れず、使用せず、保持しないという自らの意向を厳に宣言する」。

2019年2月、ウクライナ最高会議は、ポロシェンコ大統領が提出したEUとNATOへのウクライナの加盟路線をウクライナ憲法に明記する憲法改正法案を可決した。

 ウクライナでは2019年1月に、当時のポロシェンコ大統領が再選出馬を正式に表明した。その際の演説でポロシェンコは、ウクライナは2024年にEUへの加盟申請を提出し、またNATOの「加盟のための行動計画」を受け取って履行し始めると宣言した。

 そして、同年2月7日、ウクライナの議会に当たる最高会議は、EUおよびNATO加盟路線を憲法に明記する大統領提出の憲法改正法案を可決した。なお、ウクライナ憲法は総議員数(450)の3分の2となる300以上の賛成で改正できる軟性憲法であり、この時は賛成334で可決された。

 この結果、憲法序文には、ウクライナ民族の欧州アイデンティティと、EU・NATO加盟路線の不可逆性に関する文言が加筆された。また、第102条には、「ウクライナ大統領は、ウクライナのEUとNATOへの完全な加盟に向けた国家の戦略的方針の実現を保証する者である」との文言が追加された。

2019年3、4月に実施された大統領選では、政治経験のないゼレンスキーがポロシェンコに対し地滑り的勝利を収め、同年5月20日に第6代ウクライナ大統領に就任した。なお、EU・NATO加盟路線が憲法に明記された状態は、ポロシェンコからゼレンスキーに政権交代しても、変わることはなかった 。
 

 

 

 

ウクライナのゼレンスキー大統領は2022年2月28日、EUに正式に加盟申請した。通常手続きでなく、「新たな特別手続きによる即時加盟を求める」と訴えた。NATO加盟は当面、諦めた。

 EUは特別手続きによる即時加盟には否定的である。

2022/3/7    ウクライナ、EU加盟申請書に署名 、即時加盟を求める

バイデン米大統領は2021年9月1日、ウクライナのゼレンスキー大統領と会談し、ロシアの侵略に直面するウクライナ支援を明言した。会談冒頭で「ウクライナの主権と領土保全への責務を堅持し続ける」と重ねて表明 した。

ゼレンスキー氏は会談後、記者団に、バイデン氏はウクライナのNATO加盟承認について、個人的見解として支持したと主張した。 しかし、米国はウクライナのNATO加盟には慎重な立場を崩しておらず、サキ大統領報道官は、法の支配の促進や経済成長などを挙げ、「ウクライナが取らねばならない段階がある」と指摘 、加盟は時期尚早との見解を示した。

ウクライナ国防省は2021年11月2日、「ロシアは11月初めの時点で、国境付近とロシアが一時的に占領する地域に総勢9万人を集結させている」と発表した。

ロシア軍が大規模演習を実施後、ウクライナとの国境から約260キロ離れたロシア西部スモレンスク州に部隊を残しているとも指摘。「ロシアは地域の緊張と周辺国への政治的圧力を維持するため、定期的に軍部隊の移動と集結を行っている」と強調した。

12月7日の米ロ首脳協議では、撤退を求めるバイデン米大統領に対し、ロシアの プーチン大統領は自国に対するNATOの脅威を主張、ロシアの安全をめぐる「信頼できる法的な保証」を求めた。

プーチン大統領は11月13日、ロシアが7年前併合したウクライナ南部のクリミアに面した黒海で、アメリカなどNATO加盟国が「計画外の軍事演習を行っている」と非難した。

ロシアは12月17日、NATOに対し、東欧とウクライナでの軍事活動を放棄するとの法的拘束力のある保証を要求すると発表した。「米国とNATOの同盟国は、予定外の演習など、わが国に対する敵対行為を直ちに中止し、ウクライナ領土での軍備増強を即時中止すべきだ」と強調した。

ロシア外務省は2021年12月17日、米露首脳会談でプーチン大統領が提案していた新しい安全保障条約の草案内容を公開した。

NATOに対してウクライナの加盟を拒否、1997年5月以降にNATOに加盟した旧ソ連圏諸国に他のNATO加盟国から兵力や装備を派遣して駐留することを制限するよう求めている。

2021/12/22 ロシアの安全保障条約草案

プーチン大統領は12月23日、年末恒例の記者会見を開き、北大西洋条約機構(NATO)が東方拡大でロシアに与えてきた脅威を強く批判した。NATO側が1990年代の約束に反して東方拡大を続け、ロシアを「騙した」と非難し、ロシアは米国の周辺で軍事的脅威をつくり出していないと訴えた。

2022/1/2   プーチン大統領の怒り

しかし、バイデン大統領は2022年1月18日、フィンランドのニーニスト大統領とウクライナ情勢について電話協議したが、バイデン大統領は「欧州各国は安全保障体制を独自に決める権利を持っている」と強調、ロシアの隣国フィンランドがNATOに加盟申請する権利を「保証」した。

NATO事務総長は、「同盟国は、NATOへのドアは開かれていることを確認した。どの国も、歩むべき道はその国が選ぶというのは根本的な権利だ」と述べ、ウクライナがNATOに加盟するかしないかを、他国が強制することはできないという点で、欧米は一致したと述べた。

ロシアは2月24日、ウクライナに対する軍事侵攻に踏み切った。プーチン大統領は「ほかに選択肢はなかった」と述べ、軍事侵攻を正当化した。

 

なお、ウクライナのNATO加盟要請をNATO側の理由(集団防衛義務→ロシアとの戦争の可能性)で拒否されたことになる。これはウクライナがロシアに隣接していることによる悲劇である。
ウクライナの希望に反し、中立国にならざるを得ない。


2022/3/11  現代ビジネス

プーチンのウクライナ侵攻、実は25年前から「予言」されていた…!

ロシアは、なぜウクライナに侵攻したのか。「北大西洋条約機構(NATO)が東に拡大して、ロシアを脅かしたからだ」と答えれば、多くの人が「それは、ロシアの言い分」と思うだろう。その通りなのだが、実は、米国有数の識者たちが長年、唱えてきた分析でもあった。その代表的論者は、かつての米ソ冷戦で「ソ連封じ込め政策」を立案した米国の伝説的な外交官、故・ジョージ・ケナンである。今日のロシアとの対立の原点とも言える、米国の対ソ戦略をデザインした当の本人が「NATOは東に拡大すべきではない」と主張していたのだ。

致命的な失敗」と題された論考は、1997年2月5日付のニューヨーク・タイムズに掲載され、NATOの拡大方針を、次のように厳しく批判した。

〈NATO拡大は冷戦終結後の米政策で、もっとも致命的な誤りだ。この決定はロシア世論にナショナリスティックで、反西側の軍事的風潮を燃え上がらせ、ロシアの民主主義発展には逆効果になる。東西冷戦の空気を呼び戻し、ロシアの外交政策を、我々が望まぬ方向に追いやる結果になる〉

 〈冷戦終結が大きな希望をもたらしたときに、なぜ、どの国がどの国と同盟を結び、どの国と対決するか、というような事柄が、東西関係の中心的な課題になるのか。それは、どこか空想的で、まったく予知不可能な、ありえない未来の軍事的対決の話ではないか〉

 〈ロシアは「NATO拡大に敵対的意図はない」という米国の保障を真面目に受け止めないだろう。彼らは(ロシア人の心理で、もっとも重要な)自分たちの名誉と安全保障が傷つけられたと思うはずだ。彼らは「西側に拒絶された」とみなして、どこか別の場所に自分たちの安全保障と未来を求めていくだろう〉

〈最終決定を下す前に、まだ時間はある。すでにロシアの世論に与えた不幸な効果を和らげるために、拡大方針を見直すべきだ〉

1997年と言えば、第2次世界大戦終了後の49年に12カ国で創設されたNATOが、その後の冷戦中に16カ国に拡大した後、さらにチェコ、ハンガリー、スロバキアの3カ国を加えて、19カ国に拡大しようとしていた時期だ。ケナンは拡大が最終決定される前に、反対の論陣を張って、食い止めようとしていたのである。  この論考をいま読めば、ケナンの懸念が的中したことに、あらためて驚かされる。ケナンは25年前に、まさに「今回の戦争を予言していた」と言っても過言ではない。

 

ケナンだけではない。ケナンが2005年に101歳で亡くなった後、その主張を受け継いだのは、シカゴ大学の現実主義政治学者であるJohn Mearsheimer教授である。  ミアシャイマー氏は2014年に外交誌「フォーリン・アフェアーズ」に発表した論文で、同年2月に起きた、ロシアによるウクライナ東部のクリミア侵攻について「米国と欧州の同盟国に危機の大きな責任がある」と指摘したうえで、次のように主張した。

〈ウクライナの広大な平原は、ナポレオンやドイツ帝国、ナチスの時代から、ロシア侵攻の舞台になってきた。ロシアにとって、ウクライナは戦略的に非常に重要な緩衝国だった。(そんなウクライナが)つい最近までロシアの敵だった国と軍事同盟を結ぶのは、どんなロシアの指導者も認めないだろう。そればかりか、西側が自分たちとの統合を目指す政府の樹立を画策しているとき、ぼんやり何もせず、見ているはずがない〉

〈強大国は、自分たちの領土近くに迫る潜在的な脅威には、いつもセンシティブである。これは地政学の基本だ。たとえば、中国がカナダやメキシコと軍事同盟を結ぼうとしたときの、ワシントンの怒りを想像してみればいい〉

 〈ロシアの指導者は繰り返し「NATOをグルジアとウクライナに拡大して、ロシアに敵対させるのは、けっして容認できない」と西側に明言してきた。このメッセージは、2008年のロシア・グルジア戦争(クリミア侵攻)で完全に明確(crystal clear)になったはずだ〉

 〈冷戦時代に、キューバはソ連と軍事同盟を結ぶ権利があったか。米国は明らかに、そうは考えなかった。ロシアもウクライナの西側参加には、同じように考えている。もしも、ウクライナに欧州連合(EU)とNATOへの参加を申請する権利があったとしても、米国と欧州の同盟国に要求を拒絶する権利がある事実は変わらない〉