水俣病問題への取り組みについて   チッソ梶@2008年

水俣病問題は、当社が起こしました極めて残念な、不本意な事件であり、これにより認定患者の方々はもとより、地域社会に対しましても大変なご迷惑をおかけしており、衷心よりお詫び申し上げます。

水俣病の問題につきまして、当社はこれまで認定患者の方々に対しましては、1973年の協定により継続的に補償を実行しており、非認定者(公的機関により水俣病患者ではないとされた方及び審査の結論が出ていない方)の方々に対しては、1996年の全面解決策による和解にて解決を図りました。しかし、その後2004年10月の関西訴訟最高裁判決の後、新たな訴訟や水俣病の認定申請者が急増するなど水俣病紛争が再燃し、混迷の度を深めております。昨年にはこの紛争の解決を図るため、与党水俣病問題に関するプロジェクトチームによる新たな救済案(以下PT案と称します)が示されました。

当社といたしましては、これまでも自らその責任を重く受け止め、被害者の方への補償と地域貢献を会社の最重要課題として取組んでまいりましたし、今後もこの方針は変わりません。しかしながら、現状ではPT案を受入れることは難しい状況にあることも事実であります。

今般これに対する会社の対処とその考え方についてご説明させていただく前に、これまで当社が、水俣病問題にいかに真剣に取組んで来たかをご承知いただきたいと思いますので、このことについての説明から始めさせていただきます。

1.これまでの経緯について

1)補償協定の成立

当社は、これまでに2,268名の認定者の方々に対し、合計1,390億円(一人平均6,100万円)をお支払いしています。

この補償は、1973年7月に、患者各派との間に締結された協定(派に属さない方とは個人契約)に基づいて行われてきたものです。その成立過程においては、一部の派との間に極めて苛烈な交渉が行われました。それは、多数の暴力的支援者の座り込みによる会場封鎖の下で、威圧的言動や行動により応諾を迫られ、果ては社長以下の会社代表が88時間にわたり監禁状態に置かれるなど、交渉と言うにはほど遠いものでありました。そればかりか、多くの社員が警備中や出勤途上でしばしば暴行を受け、けが人が絶えない有様でした。協定は、事態を憂慮された三木武夫衆院議員(当時環境庁長官)、沢田一精熊本県知事ほかのご仲介で、交渉の中味を成文化したもので、その内容は、表(1)のとおり、極めて幅広いものとなっています。

補償協定の概要
項目 内容                                  
一時金 Aランク 1,800万円/人+近親者慰謝料(最高1,900万円)
B     1,700      +近親者慰謝料(最高1,270万円)
C     1,600 
年金 170〜67千円/人・月
医療費 患者医療費全額を支払い
その他
継続補償
医療手当、介護費、温泉治療費、針灸、葬祭費
患者医療生活基金(チッソが7億円拠出)からの支給
            年間補償金支払額 約27億円

2)県債方式による公的融資の開始

この結果、会社の支出は、年々莫大な額に上るところとなったため、1978年度に入る頃には、あらゆる資産(生産に直接係わらない、土地、社宅、有価証券等、有力子会社を含む)を売却し、金融機関からも特別支援を受けるなど、資金捻出のすべての手段を打ち尽した状況に陥りました。一方の患者認定と補償金支払いは益々増大の一途で、通常であれば倒産しかあり得ない状況でした。しかしながら当社は、たとえ困難な状況にあってもあくまで責任を果たすため、最後の努力として政府支援を要請しました。

政府は要請を受入れ、6月、閣議了解により熊本県債発行を基軸とする公的融資を行うことが決定されました。目的は、患者補償の遂行と水俣市を中心とする地域経済の維持でありました。

支援方針に基づき関係省庁間で決められた具体策により、補償金の支払いは可能となりましたが、総額約700億円(含金利)に上る水俣湾浚渫事業負担金注)1への手当はなく、設備投資資金の出処もありません(後に主要子会社への政府系金融機関と民間金融機関による協調融資が認められました)。それでも当社は、必死に頑張り、異例の資金対策も講じながら資金繰りをつけましたが、当然財務内容は、惨澹たるものとなりました。このようにして、当社は何とか補償責任を果たしてまいりました。会社が補償金以外も含め水俣病に関連し、支出した総額を表(2)に示します。  

水俣病関連損失累計(2007/9/30現在、億円
項目 既支払額
補償金   1,393
公害防止事業     310
解決一時金    317
債務免除    -270
漁業補償等      62
県債金利   1,028
合計   2,840

注)1 水俣湾浚渫事業負担金

熊本県が事業主体となり実施された公害防止、環境復元事業。1975年基本計画が策定され、水俣湾内の堆積汚泥中、水銀濃度25PPM以上の水域について、浚渫、埋立が行われた。最終的に総費用478億円(内チッソ負担約64%、304億円)

3)1996年最終的全面的解決までの経緯

当社の財政状態は、1993年ごろには、増え続ける県債の借入などにより、公的融資元利金を約定どおりに返済することは不可能となっていました。そのため、政府にお願いして、緊急措置を講じていただきましたが、新たな有利子の貸付により不足分を賄ったために、さらに負債は膨れあがっていきました。

この頃には、認定患者は、出尽くした状勢となり、残された会社の責任は、生存者に対する継続補償と公的融資の返済に絞られる筈でした。しかしながら、当社には、第三次訴訟という大きな問題が残されていました。

第三次訴訟は、棄却者等認定されない人によって提起された訴訟で、原告は、全国公害被害者・弁護団連絡会議(全国連)として組織され、その数は、2,000人に及び、さらに増勢が見込まれました。被告は、チッソのほか、国と熊本県、つまり、国と県の責任が争われた点でそれ以前の訴訟と異なる性格を有しました。同様の訴訟が、1995年には全国の三つの高裁と五つの地裁で係属していましたが、この中で審理が最も進んでいた福岡高裁において、裁判所の勧告に従い和解協議が行われており、関係者の注目を集めていました。原告側は、熱心に和解を求めていましたが、国の不参加(県は和解賛成)のため、結審後三年を費やして、進展がみられない状況でした。

こうした時、自民、社会、さきがけの三党連立の村山内閣が成立しました。そしてこの政情の中で、訴訟上の和解問題の解決に止まらず、水俣病に係わる紛争を将来に向かって全面的に解決しようという潮流が生まれました。その結実が同年6月のいわゆる「三党(合意)の解決案」です。その内容は、訴訟上の争点である四肢末端優位の感覚障害注)2を有する人に対し、チッソが一時金260万円を、国、県が医療費(本人負担分)等を支給することを主とするものであり、その基本には紛争の最終的、全面的解決という方針があり、全当事者がこれを了解することが求められていました。対象者グループ及び熊本県は早くから受入れを表明、国も受入れに転じました。会社としては、因果関係が立証されていない、しかも、どれ程多数に上るかわからない対象者に対する支払いを約束することは、本来できるものではないと考えていましたが、もし、この機会に水俣病補償の問題が本当に全面的に解決するならば、それは何よりも有難いことであり、この機を逸しては再びチャンスが訪れるかどうか分らないと考え、思い切ってこの解決案を受入れる決断をしました。

三党合意解決策の実施に当たっては、行政当局と一緒になって住民の皆様に呼びかけた結果、一時金対象者は10,305名(認定患者数の4.4倍)に上り、団体加算金と併せ、実に317億円を負担しました。こうして40年に亘った水俣病補償の長い道程も漸く結着したかに見えました。事実、その後数年は、新たな認定申請もなく、平穏に推移したのです。当時の認定申請者及び未処分者の推移を図(1)に示します。

図(1)

なお、このとき、当社が引続き補償責任を果たし、かつ、全面解決の一翼を担って行くためには、公的融資の返済条件の抜本的緩和が必要であることを訴えたところ、政府の理解を得ることができ、これがいわゆる「抜本策」となって実現し、2000年より現在の公的債務の返済ルールがスタートしました。なお、現在の公的負債残高は表(3)のとおりです。

公的負債残高('07/9末現在、億円)
  県債
(水俣病県債等)
公害防止
事業費
負債 元本  1,163  297
金利   830  389
既返済   698  420
残高  1,295  266
*この外、民間金融機関からの借入れ408億円

   注)2 四肢末端優位の感覚障害

四肢末端、つまり両手首、両足首より先端(手袋靴下型)に強く現れるしびれなどの感覚障害。水俣病にも典型的に見られる症状の一つ

2000/1 チッソ再生計画発表

4)残念な紛争再燃

現在、再び混迷状態が生まれています。その発端は、2004年10月の最高裁判決でした。96年「全面解決」時に、只一つ受入れを拒んだのが、関西訴訟(原告58名)のグループでした。このことは、当時、関係者の全員が十分認識した上で、この少数グループのみは例外として、他はすべて、「最終全面解決」を図ったのでした。従って、最高裁判決を以って、この裁判が終れば、当時の関係者(各対象グループ、国、県、及びチッソ)は、新たな紛争につながるような行動をなすべきでなかったと考えます。確かに最高裁判決は国及び熊本県の責任を認めています。しかし、その責任の中味としては、「賠償額の4分の1について、チッソと連帯して支払え」と言っているのであって、96年の全面解決を否定するようなことは何ら言われていないのです。それにもかかわらず、この合意の基本を無視したような関係者の言動があり、新たな訴訟が提起されるなど、今日の混乱に結びついていることは残念でなりません。

2.PT案についての当社の立場

さて、現在、この混乱を収拾するために、与党PTが、新たな解決案を示し、各関係者に投げかけています。内容は、96年と同様の対象者に対し、チッソが一時金150万円を支払い、国、県が医療給付を行うというものであり、一応は今回も訴訟を含めての全面解決が方針とされています。当社にとって極めて重要な事柄ですから、早くから経営レベルの議論を尽し、その結果、今回の問題に対処する方針として「再び前回同様の和解は行わない」ことを決定し、PT案に対しても、これを「受入れかねる」旨を関係先にお伝えしてきました。その理由はおよそ次の通りです。

(1)解決への展望が持てない

現状では、約1,500人に及ぶ方から新たな訴訟が提起されております。今後も訴訟は継続することが見込まれており、これらを含めた全面解決の展望が今のところ持てない状況にあります。

また、96年の全面解決が、関係者によるあれだけの努力の結実であったにも拘わらず、再びこうした事態に至った経緯に鑑みますと、将来、再び同じことが生ずる懸念もあります。

(2)訴訟上の主張と矛盾する

当社は、現在継続中の裁判において、確かな診断に基づく個々人毎の明確な立証を求めており、裁判所もこれを認めています。さらに、時効や除斥、暴露条件(最高裁判例の立場では、メチル水銀の暴露から4年離れれば、その影響は絶たれるとされる)、病像論などの法的、実体的主張をしております。従いまして、訴訟の外でPT救済策を受入れることが訴訟にマイナスの影響を及ぼすことになります。

(3)支払能力上の問題

今回、新たな救済の対象者がどれ程になり、その結果、PT案に基づく新たな負担の総額がどれ程の規模に達するのか、現状では見当がつきかねる状況にあります。

当社は、多額の資金を借入れることにより補償金などの資金を確保してまいりました。これらの公的借入をすべて返済するには、現在の利益水準をもっても70〜80年を要する見込みです。今回、更なる多額の借入による対応をすることになれば、後の世代に現状以上の負担を残すこととなり、当社の今後の展望が描けなくなります。

(4)株主をはじめ従業員や金融機関などに説明ができない

会社は株主のものであり、経営は、善良な管理者の注意をもってなさねばなりません。さらに、金融機関あるいは取引先の皆様のご支援により当社の今日があり、これら関係者の皆様のご尽力やご支援に背くことがないように十分に意を用いなければなりません。また、長年にわたる苦境を乗り越えて事業を育ててきた従業員の理解を得ると共に、高いモラールを維持していくことも大変重要な要素であります。

会社はこのような多くの外部の協力と内部努力によって成り立っているのであって、PT案の受入れについて、これらの理解が得られなければ破綻が生じることとなります。

当社のPT案に対する姿勢につきまして、現時点での当社の見解をきちんとご説明するために、2007年11月19日に記者会見を行い、上記の主旨のご説明を申し上げております。また、12月3日には熊本県議会、12月17日には水俣市議会においても同様のご説明を行い、ご理解をお願いいたしました。

会社のこのような考え方には、「原因者としてもっと積極的に解決努力をすべきだ」、「チッソは、株主や従業員のことばかりを考えている」、「チッソの言い分は企業の論理だ」とのご指摘やご批判もあります。一方ではマスコミは取り上げることはありませんが、多くの隠れた支持もあります。既に述べましたように、当社は株主をはじめとする利害関係者の理解と協力があって初めて存立できる存在です。この土台の上に立って努力し、収益を上げることでしか原因者としての責任は果たせません。

当社は、これまで半世紀を越える長期間、必死に、誠実に補償責任を果たし、96年には水俣病問題の早期解決、最終的全面的解決のために思い切った解決努力を払いました。こうした経緯の上に立った現在、水俣病発生の「原因者だから」といった単純な理由だけで、この種の支出に応じることはできないことをご理解いただきたいと思います。