文芸春秋 1998/10月号

ダイオキシン猛毒の虚構   日垣 隆(作家)
 
 母乳が危ない、焚火をやめろ、子どもを産むな。根拠なきアジテーションこそ問題だ

 仮想敵
 東京都大田区にゴミ焼却場が完成したのは1990年12月のことである。家庭から出る一般廃棄物の焼却場としては都内で48番目だった。住民に対する説明会の席上、質問に答える形で都清掃局建設担当課長は、「仮に今後15年間、大田清掃工場が休みなく稼働した場合の有害物質の予測排出量」として、水銀222万グラム、亜鉛700万グラム、カドミウム11万グラム、鉛400万グラム、ダイオキシン2200グラムという数値メモを読み上げている。ポリウレタン系プラスチックの燃焼時に発生する猛毒シアン化水素や、きわめて発癌性の高いビスエーテル等々については触れなかった。

 住民運動のグループは、ダイオキシンという言葉に過敏に反応したようだった。直後に出された街宣チラシには、こう記されている。「たった85グラムで百万人が死ぬというダイオキシンが何と15年で2200グラムも排出される。これは優に2600万人分の致死量であり、都民を2度も殺せるだけの分量なのです」

 誰が都民を2度も殺そうとしている、というのだろうか。その15年のうち半ばが過ぎたが、大田清掃工場から排出されたダイオキシンは、いったい何万人を殺したのか? 死者はもとより、1人の入院患者さえ出ていない。何が間違っていたのだろう。

 98年の正月、どんど焼きが中止される騒ぎが各地で相次いだ。ダイオキシンが発生する、というのがその理由である。焚火も敵視されるようになった。貝が危ない、サバとハマチとマグロが危ない、チーズと牛乳とヨーグルトと卵とバターも、牛肉も豚肉も鳥肉も、ほうれん草も人参もトマトとかぼちゃも、哺乳ビンも危ない。おもちゃも危ない、母乳など最悪、ついては子どもを産むな、という専門家まであらわれた。

 大量に排出された記事は「(比較した湖が他に2つしかないのに)諏訪湖底質ダイオキシン濃度も全国一!」というような告発型、「(食環境もゴミ収集習慣もまったく異なるのに)ドイツでは…」の外圧利用型、「恐怖の日本列島、母乳が危ない?」という不安扇動型の3つに分類できてしまう(調査報道型や徹底検証型の記事がない)。いずれのパターンにせよ、官庁か市民運動か学者先生かを問わず、もらった情報をそのまま流すだけなのである。3つの型を使い分けながら書いているうちに、伝え手がニュースの価値判断をできないまま記事を書き続ける悪循環に陥ってしまう。

 報道に突き動かされた人々が、今度は近くの学校に大挙して押しかけ、教育委員会や文部省までその尻馬に乗るに及んで、今年2月には日本中のすべての公立学校の焼却炉は使用禁止になってしまった。ダイオキシンの発生を防ぎたいのなら、たとえば消しゴムのかすや、箱型ティッシュの取り出し口のビニールなど、発生源となりうるゴミを除外すれば済む。そうした知識を身につけることこそ生きた教育の絶好の機会だったというのに。

 我が家の高一の娘は、愛媛大学農学部・脇本忠明教授が書いた『ダイオキシンの正体と危ない話』を教師に勧められての読後、哀しそうにこういった。「この本を読んだら、怖くて何も食べられなくなっちゃう。わたしはもう大きくなっても、赤ちゃん産みたくないな」。

 私はこれから、ダイオキシンをめぐる日本の「常識」を真っ向から否定しようと思う。 

 第一に、ダイオキシンは人の生命を奪う史上最強の猛毒である、という誤解。

 第二に、母乳の汚染もアトピーも少子化もダイオキシンのせいだ、という誤解。

 第三に、ベトナム戦争の枯葉剤などで深刻な被害が実証されている、という誤解。

 第四に、主な発生源は一般廃棄物焼却場の煙突からだ、という誤解。

 第五に、ダイオキシンを分解してしまうほど高温で焼却すれば安全だ、という誤解。

 第六に、ダイオキシンを完全退治することが環境問題の最優先課題だ、という誤解。

 これらの誤解と、誤解が引き起こしている被害を「ダイオキシン症候群」と呼びたい。いくつかの国のダイオキシン被災地、日本国内の焼却場と埋立地を歩き、ダイオキシンにかかわる膨大な報道と、単行本はもとより学術論文のすべてに目を通すにしたがい、私は「常識」に根源的な疑念を抱くに至った。多くの研究者、市民運動家、環境記者たちにも、それをぶつけてみた。ふいをつかれて驚きはしたものの、みな深刻に考え始めてくれた。結局、大半の同意が得られた。抵抗がなかったわけではない。だが、それもみな「どこかに書いてあった」という根拠以外は提示されなかった。海外の文献や研究者や臨床家にも当たってみることにした。確信は深まった。私たちに伝えられていなかっただけなのだ。

 毒性倍率
 これまで日本人が書いた文章のなかで、ダイオキシンの猛毒性を否定したものは、いまのところ一つもない。だが、実際には誰も確証がないまま、ヒトに対する猛毒性を想像してきただけ、という構図が浮かび上がる。少なくともダイオキシン自体による事故死者も癌患者もいまだ確認されていないのだ。

 そのことを承知のうえで、専門家たちは恐怖をあおるためとしか思えぬ高倍率の毒性を掲げてきた。科学技術庁の附属研究所長を務めた藤木良規氏は、ダイオキシンの毒性を「サリンの10倍、青酸カリの1万倍」どする(『猛毒ダイオキシンと廃棄物処理』)。

 青酸カリや自動車の排ガスで自殺をした人は意外に多いが、そのようなことをダイオキシンに期待するわけにはいかない。私たちはサリンを撤かれて無念にも亡くなった人たちの存在を知っている。青酸カリや亜ヒ酸やアジ化ナトリウムが、生命にかかわる猛毒だということは直観的に理解できる。それをはるかに上回る毒性、といわれれば、誰しも恐怖を覚える。

 それをまたジャーナリズムが、受け売りに輸をかける。「特に、四塩基ダイオキシンは、PCBの100万倍の毒性があり、サリドマイドの25万倍の催奇形性があるといいます」(『日本危険白書』)

 「青酸カリの17万倍という急性致死毒性をもち、サリドマイドの100万倍の能力で四肢の発育を阻害する。地球上のどの物質よりも強い発癌性を有し、DNAを損傷して先天異常の奇形を誘発するという」(藤田久美子氏/『バッカス』91年11月号)

 この1年で数百の取材依頼をこなしたはずの摂南大学薬学部の宮田秀明教授は、「ダイオキシン類の急性毒性は青酸カリの1000倍以上、サリンの2倍の強さをもっています」(『食品・母乳のダイオキシン汚染』)と断じたかと思うと、サリンの2倍、というのではまだ物足りなかったのか、“バイブル”と自賛する別の本では、サリンの34倍もの殺傷力をもつ、といっている。

 「その毒性の強さは、モルモットの実験結果にもとづいて計算すると、1グラムで約1万7000人を殺せるほどです。サリンだと、500人を殺せるといわれていますから、これだけでも、ダイオキシンはサリン以上の強烈な猛毒だということがわかります」(『ダイオキシンから身を守る法』)

 どちらが本当なのだろうか。「摂南大学薬学部食品衛生学研究室・宮田秀明教授が言うように、ダイオキシンは青酸カリや農薬のパラチオン、DDTなどに比べても1万倍から数十万倍の致死毒性を有する合成物質なのである」(宮島英紀氏/『現代』96年11月号)

 毒性倍率で脅すのは、もうやめたほうがいい。青酸カリはいうにおよばず、DDTは現実に多くの犠牲者を出し、日本では1971年に使用が禁止されている。その数十万倍(!)で猛威をふるっているはずのダイオキシンとは、いかなる毒性があるというのか。

 数字の罠
 最新の『化学辞典』をひもといてみよう。「(ダイオキシンの)人体被害例としてクロロアクネ(塩素痙瘡)、皮膚の色素沈着、脱毛、多毛、肝機能異常などがある」

 『化学辞典』にあまり縁のない人は、少々驚かれたのではないだろうか。実は、肝機能異常さえ確認されていないという臨床医の声は多いのだ。確実にいえるのは、にきび状の皮膚炎(塩素痙瘡)だけなのである。これは、他の塩素化合物に被曝した場合にもよく見られる症状だ。97年2月に国際癌研究所がダイオキシンの発癌リスクを認めたが、それは日本の水道水の発癌リスク(3万6千人に1人程度)と大差はなく、タバコに比べれば全然危惧すべき数値ではない。

 「史上最強」の毒性の根拠となっているのは、動物実験である。「いろいろな動物に2・3・7・8−ダイオキシンを1回だけ与え、その動物の50%が短期間で死亡する量を調べることで、それぞれの動物のダイオキシン感受性がわかります。最も抵抗力の弱い動物はモルモットで体重1キログラムあたりわずか 0.6〜2マイクログラムで50%が死亡しています。一方、ハムスターは体重1キログラムあたり1000〜5000マイクログラムとモルモットに比べ2000倍以上の量でようやく50%が死亡します。ここで注目すべきなのは、サルの場合は体重1キログラムあたり70マイクログラムと比較的少量で50%が死亡している点です。人間とサルとは、一般に95%以上の遺伝子が共通で、しかも5%の差は主に脳に関する部分です。つまり人間はダイオキシンに対する抵抗力は極めて弱い種であると推定されるのです」(ダイオキシン問題を考える会の前事務局長・高山三平氏『ダイオキシンの恐怖』)

 一見すると実証的なようだが、かなり強引な筆運びである。50%致死量に2千倍以上もの差が出たモルモットとハムスターとは、サルとヒト以上に遺伝子が共通しているからだ。ダイオキシンの毒性については、種によって毒性の感受性がまったく異なる、サルの感受性がそのままヒトには遺用できない、ということしか前掲の実験からはいえないはずだ。

 ダイオキシンについて、もうひとつ問題なのは、このような架空の急性毒性ばかりが強調され、逆に、数十年単位で「効き方」を冷静かつ総合的に究明しなければならない遺伝毒性や生殖毒性(次世代や生殖機能などに影響を与える毒性)が無視または軽視されてきたことだ。

 ほんのしばらく化学的記述を我慢していただくとして、そもそも塩化ダイオキシン類には210種もの異性体がある(塩化ジベンゾパラジオキシン75種と塩化ジベンゾフラン135種。これにコプラナーPCBの異性体209種を加える場合もある)。これらのダイオキシン類の毒性を示す場合には、TEQ値という単位が使われる。これはそれぞれのダイオキシン類の急性毒性を、最も急性毒性が高いとされる2・3・7・8―四塩化ダイオキシンに一律換算した数値だ。

 このTEQ値を絶対の基準として見る圧倒的多数の専門家は、TEQ値では下方にランキングされているダイオキシン類(なにしろ5桁も毒性に差があるのだ)を、とるにたらないもののように扱っている。だが、急性毒性は低くても、世代を越えてヒトの免疫系や生殖系に超微量でも強烈に作用することは大いにありうる。遺伝毒性や生殖毒性を疑う場合には、專門家は十年、二十年、あるいは子や孫まで継続的にその可能性を危倶していく必要がある。

 他の多くの内分泌撹乱化学物質(日本では横浜市立大学理学部・井口泰泉教授によって環境ホルモンと命名された)は女性ホルモン作用を通して、遺伝や生殖に影響を及ばす。それらと異なり、スチレンなどと同様、ダイオキシンに女性ホルモン作用はない。ダイオキシンに関して最も期待される研究は、実は(おそらく特殊な)環境ホルモン作用にこそあるといっていい。そして私が「冷静に」と強調するのは、この環境ホルモンさえ、いったい人体にどんな悪影響をもたらすのかも全くわかっていないからだ。

 被災地から
 ダイオキシンの実被害を語るうえで、必ず聖地として引き合いに出されるのが、ベトナムにおける枯葉剤作戦(1962―71年)、北イタリアのセベソにおける農薬工場爆発事件(1976年)、そしてニューヨーク州のラブカナル事件(発覚は1978年)である。私の手元にある七十冊余の「ダイオキシン本」と「環境ホルモン本」のほとんどすべてに、この3つは登場する。だが残念なことに、それらの著者が現地を訪ねた形跡は、2つの例外を除いて見あたらない。あまりに叙述が酷似しているので、飛ばし読みができるというメリットがあるほどだ。セベソの事件に関していえば、日本の報道界が関心すら持てないでいるなかで、月刊『技術と人間』(77年1,5,11月号)に寄せられた、生化学研究者・白鳥潤一郎氏によるレポートが当時唯一の現地報告であり、これが昨今の「ダイオキシン本」のネタ元となっている。

 現地の記録によると、セベソでは、農薬トリクロロフエノールの製造中(この工程でダイオキシンが副産物として発生する)に爆発事故が起き、従業員を含む住民約3万人が被曝した。白鳥氏の現地取材を踏まえて書かれた、最も誠実と思える文章の一つを、あえて断片的に引用してみる。

 「セベソ地域はまさに、ベトナム戦場そのものであり、…[爆発事故3日目の7月13日]草木の縁が異様なチョコレート色と化して枯れ始め、飼い猫が苦しみ出し、多くの豚、兎、牛、山羊などの死体を見たとの噂が乱れ飛んでいた。…夕方には1人の乳児が病院にかつぎ込まれた。子どもたちに皮膚の発疹、吐き気、食欲不振が続出したのは14日以降であった。……27日セベソに住むある1人の女性が急死し、後日、この女性の死は持病のぜんそくのためであったと改められた。…希望によって妊娠中絶を受けた女性は9月末日で20名を数えている。…イタリアの医者の『今、予どもを作るな!』という警告の声は、悲劇的状況を端的に示しているように聞える。…ダイオキシンがひとたび、大気系や水系に放出されて、環境汚染物質化したとき、すべての生きものの生存が危ぶまれる状況を作り出し、現代の科学ではもはや、対応しきれぬほどの破壊を招くことをこの事件ははっきり示している」(綿貫礼子『生命系の危機』)

 この文章を読むかぎり、ダイオキシンによる人間への具体的な被害は「皮膚の発疹、吐き気、食欲不振」だけだ。命を落としたのは、ダイオキシンの恐怖に怯えた中絶による胎児だけである。ダイオキシンによる被害というより、ダイオキシン症候群による被害といった方が適切だろう。綿貫氏という良質の書き手をもってすら、提示されたファクトと、アジテーションとの間にあまりにも大きなギャップがある。

 セベソに住む19歳以下の1万9637人を対象に、すべての死亡、事故、入院、癌について10年間にわたる追跡調査の結果、事故直後の皮膚炎以外には何一つ全国平均値との有意差は見られなかった(「International Journal of Epidemiology」92年2月号)。塩素系毒性物質(これは主にダイオキシンと見てよいだろう)による痙瘡を患ったのは被曝3万人のうち152人である(「Neuroepidemiopogy」88年7月号)。事故後5年間に出生した15,291人についても、奇形などの有意差はなかった(「JAMA」88年3月号)。 

 超有毒な農薬を大量に製造している工場が爆発したのだから、哺乳類へのダメージが発生するのは当然だろう。しかし飛散した化合物だけで四百種以上もあるのに、被害をすべてダイオキシンのせいにするのは、あまりにも乱暴すぎる。このとき、飛散したダイオキシン量についての諸試算を見ると、最低600グラム(セベソ市)から最高130キログラム(リー博士)という記録がある。“定説”にしたがい1グラムで1万7千人の致死量とすれば、最低1020万人から最高22億1千万人の致死量という驚くべき数字になってしまう。むしろ、これほどの致死量が3万人に降り注いだのに、死者が1人も出なかったのはなぜか、と問うべきではないだろうか。

 ニューヨーク州のラブカナルも、ダイオキシンの大被災地として専門家や運動家に著名な場所だ。フッカー社が化学廃棄物の捨て場として利用してきた土地を、1953年に教育委員会にただ同然の1ドルで譲渡した。そこが、のちに学校を囲むような形で住宅地に発展したのである。78年になって1軒の住居地下に汚濁水が染みだしたことに端を発し、全米のダイオキシン騒動の火つけ役となった。環境問題への熱意を掲げる民主党のカーター政権が2500人の一時的移転を勧告し、その費用を特別予算によって計上してみせた(この構図はイタリア政界でも酷似している)。

 ごく一部地域のある一定の時期に、奇形児や流産死産が頻出したとの報告も18年前にはある   (「Science」80年8月15日号)けれど、ファクトに誠実であろうとすればするほど、皮膚炎と疎開者の出現以外をダイオキシンとの因果で主張するのは困難になる。有毒化学廃棄物が長期間にわたって廃棄され埋め立てられた場所は、ラブカナルに限らず日本にも多数ある。ここラブカナルで当時検出されたのは、トルエン、キシレン、ヒ素、鉛、アンチモン、カドミウム、水銀、ジクロロメタン、ジクロロエチレン、クロロホルム、ヘキサクロロベンゼン、ジベンゾフラン(ダイオキシン類)等々だった。ダイオキシンだけを「犯人」と仕立てるのは相当に無理があったといわねばならない。

 現在、ラブカナルの過半は相変わらずゴーストタウンだが、次第に土地が売れ、居住地に変わりつつあった。あのパニックは、いったい何だったのだろう。机上の正義感が強い人にありがちなことだが、何か悲劇的な事象を伝え聞いたときに、被害者への義憤にかられるあまりか、その被害実態ができるだけ大きいものであったほうが糾弾しやすいとでもいうような願望癖が、しばしば過敏に発揮されてしまうケースが多々ある。

 ベトナム戦争における枯葉剤は、どうだったのだろう。これこそ、ダイオキシンがいかに悪魔的かの証明ではないのか。四半世紀におよぶ研究に基づき、ダイオキシンの「史上最強の毒物」ぶりを訴え続けてきた九州大学医療短期大学部の長山淳哉助教授でさえ、実はこう書いている。

 「ベトちゃんドクちゃんのような奇形が、ダイオキシンによって発生するか否かはさておき、ダイオキシンは史上最強の毒物としての地位を確立してしまったのです」(『しのびよるダイオキシン汚染』) 否かはさておき? 「ダイオキシン類によって、ベトナムのベトちゃん、ドクちゃんのような奇形が発生するかというと、疑問視する学者が多いようです」(長山氏) 

 「ベトナムで、多くの奇形児発生や妊娠異常の事実があってもなお、それらがダイオキシンを含む枯葉剤の使用に由来するとは断定しえない」と全米科学アカデミー『南ベトナムにおける枯葉剤の影響』は結論づけている。

 共産党系の病院に勤務する小児科医が、枯葉剤とダイオキシン災害にかかわる世界各国でなされた45の研究成果を、すべて徹底検証したその結果―「疫学的調査結果から現時点で否定し得ないのは皮膚のクロルアクネと呼ばれる難治性のにきびのみとも言えるのが実状のようである」(京都民医連中央病院・尾崎望氏/「障害者問題研究」92年2月号)

 ところでなぜ、枯葉剤被害がダイオキシンとの因果で語られるようになってしまったのか。そのルーツを米国で追っていくと、78年3月3日に放映されたCBSドキュメント「枯葉剤退役軍人を襲った死の霧」に行き当たる。シカゴの退役軍人事務所のカウンセラーにかかってきた一本の電話が、すべての始まりだった。もうすぐ癌で夫が死にそうだという女性が、「夫の癌の原因はダイオキシンのせいに決まっている」と泣いたのである。ドキュメントが放映された直後から、全米各地の退役軍人事務所はパニックに陥り、なにもかもが枯葉剤のダイオキシンのせいにされていった。不運なことに、同じ年の8月、ニューヨーク州ラブカナルで例の騒動が起きた。いやがうえにも「ダイオキシン」への敵愾心があおりたてられていったのである。

 米国では、すでに80年代に報道が暴走してダイオキシンヘの「有罪判決」を書きたて、さすがに90年代に入ってから、ようやく静かにその極端さを恥じ始めている。私たちが米国から教訓とすべきは、信用すべき知識に裏打ちされた冷静さを取り戻すことだろう。ダイオキシンによる被害より、ダイオキシン症候群による実害のほうが、それこそ「1万倍」も大きいのだから。

 母乳報道
 ダイオキシン症候群による実害の典型例が、一連の出産や母乳に関する報道だ。宮田秀明教授のアジテーションを聞こう。「子どもがほしいと思っているのに、なかなか赤ちゃんができない夫婦がいます。最近そういう人たちが以前より増えているような感じを受けますが、もしかしたらダイオキシンのせいかもしれません。[中略]もちろんダイオキシンは、産まれる前の、お母さんのおなかのなかにいる赤ちゃんの脳に影響を与えるだけではありません。産まれてからの赤ちゃんの脳だって、正常に発達しません。つまり、知能が低くなってしまうのです。[中略]わたしたちのまわりにあるダイオキシンで、子宮内膜症は起きるのだとじゅうぶん考えられませんか?」(『ダイオキシンから身を守る法』)  

 これが科学者の責任ある言論であろうか。まるで新興宗教家のようだ。宮田教授の学術論文はすべて実証的データに誠実なものばかりであり、当然、こうした記述は全く見られない。残念ながら、一般書籍やマスコミ取材になると途端にノストラダムス化してしまうのだ。

 そのような影響下で新聞は一面トップ記事の第1行目から、こんなふうに書き始めてしまう。「ダイオキシンは、がんや奇形、子宮内膜症の原因になることがわかっている猛毒……」(「朝日新聞」97年4月12日)。さらには、「ダイオキシンが子宮を滅ばす」(「アエラ」97年1月20日号)というタイトルに至っては、書き手は何を期待しているのだ、といいたくなる。

 実は宮田教授(農学榑士)もご存じのとおり、これらの何一つとしてダイオキシンとの因果は検証されていない。常識的に推測できることは、少子化現象や不妊の増加や知能低下といった問題は、一つだけの原因によって起きているのではない、ということぐらいではないだろうか。子宮内膜症の多発について、産婦人科医や研究者は、ダイオキシンも1%くらいは影響があるかもしれないが、大半はライフスタイルの変化や過剰ストレスによると見ている(東京大学医学部・武谷雄二教授などによる)。

 97年になると、女性週刊誌やワイド番組がさかんに「母乳が危ない!?」キャンペーンを張り、少なからぬ若い思親をノイローゼに陥れた。同年4月、厚生省母子保健課は都道府県や各学会あてに一通の文書を送付している。そのなかの「乳児に与える母乳中に一定程度のダイオキシンが含まれているものの、その効果及び安全性の観点から今後とも母乳栄養を進めていくべきである」という文言は、醜悪な失策を繰り返してきた厚生省としては、迅速かつ的確な判断であった。

 だが報道でこの文書を知って、「人殺し!」などと怒鳴る厚生省への電話は400件を超えた。直後の女性誌や健康雑誌の文中でも、ヒステリックな糾弾口調が主流となる。私たちの体内にも、残念ながら育児中の母乳にも、ディルドリンやクロルデンなど無数の有害物質が含まれている。また母乳は従来から、ダイオキシン以上に人的被害が大きいDDTやPCBに汚染されてきた。しかし、この25年ほどで確実にDDTやPCBの体内濃度は減少しており、総体としてみれば、ダイオキシンを含めても授乳のリスクは低下傾向にある。授乳のリスク、というけれど、病気感染を防ぎ自然な栄養を胎児の延長で与えられるなど母乳の多彩なメリットを捨てるというリスクのほうが、はるかに大きい(横浜国立大学環境科学研究センター・中西準子教授などによる)。

 だが、「ダイオキシン問題に弾しい」として頻繁にマスコミに登場するようになったごく一部の大学教授が、学会誌や紀要には決して書かないはずの論理と数値によって、リスクのある授乳を控えるようインタビュアーに向かって何十回も話してしまった。あるいは、比喩表現を聞き手が短絡させたのかもしれない。

 母乳のメリットが大きければ大きいほど、それを捨てるリスクは大きくなるのである。母乳が、ヒトを哺乳(!)類たらしめている第一の前提なのだという事実を、私たちは失念してはいけない。


 焼却灰
 ダイオキシンは全然危険ではない、といっているのではない。その急性毒性は日常生活で耐えうる範囲内であり、近所の焚火を怖れたり、ましてや母乳をやめるべきだなどという、とんでもないストレスを抱えるほうがよほどの毒である。私たちは、リスクとベネフィットを斟酌して、どこかで折り合い(基準値)をつけて暮らしていかざるをえないのである。この原則を無視して撲滅運動を進めるとファシズムに行き着かざるをえない。実際、ダイオキシン類よりも危険かつ有害なものはほかにもある。たとえば自動車だ。車内に引き込めば15分で自殺できる排ガス、廃車後のシュレッダーがもたらす環境破壊と生命体への危害、環境ホルモンの排出、日本だけで毎年1万人が死ぬ交通事故…。またダイオキシンがゴルフ場と田畑とグラウンドに大量散布される殺虫剤や除草剤(環境ホルモン排出、吸引毒性、生態系破壊、鳥獣虫の消滅)より危険かつ有害だ、などと堂々と主張できる科学者はおそらくいないだろう。ダイオキシンに「耐えうる」といったのは、私たちが普段、自動車の排ガスや農薬に耐えている以上のレベルでは断じてない、という意味だ。

 「川崎市幸区南幸町にある民家の井戸から、発がん性の疑いのある化学物質テトラクロロエチレンが、環境基準値の6900倍を超える濃度で検出されたことが25日、市の調査で明らかになった。近くにあったクリーニング店の洗剤が原因とみられる」(「朝日新聞」98年8月26日)

 私には、たとえば基準値を下回るダイオキシンより、6900倍のテトラクロロエチレンのほうが怖い。基準値以下のヒ素より、致死量のクレゾール液のほうが怖いのと同様だ。身の回りには、塩素系の洗剤、漂白剤、殺菌剤、塗料、燃料、難燃剤、可塑剤、医薬品、電池、蛍光薬、感染物、防腐剤、殺虫剤、除草剤、ワックス、化粧品、消臭剤、そして大量の農薬などなどが溢れている。たとえば家具材の防腐加工には例の亜ヒ酸や、亜鉛、鉛、シアン、ペンクロロフェノールその他が含まれており、印刷物のインクの顔料としても水銀、カドミウム、クロム、塩素、あるいは有機ハロゲン系の殺虫剤その他が含まれている。  

 ダイオキシンのみを悪役に祭り上げるダイオキシン症候群は、これら大量の低毒性化学物質群をも免罪してしまう。他の毒性物質と異なり、ダイオキシンそのものを製造している企業は皆無だから、ダイオキシンをいくら攻撃しても誰も困らないのだ。ダイオキシン総量はすでに減量し始めており、今後の製造企業および消費者の努力によって明らかにもっと減じていける。

 本当に恐ろしいのは、廃棄物処理場の現実であり、ダイオキシン撲滅を旗印として進められている一般廃棄物焼却炉の大規模高温化だ。

 今年の夏、私はたくさんの人から話を聞き、全国各地の焼却施設と埋立地を見て歩いた。

 焼却残灰(ゴミを燃やしたあとに残る灰)の埋立地のほとんどは、山の中にあった。静岡県沼津市には、たった一つの山に16カ所もの産業廃棄物処分場があった。紛争地の取材体験もある40年近い私の生涯を通じて、これまで嗅いだことのない強烈な化学臭に、命の危機を感じた。唱歌「ふるさと」発祥の地、長野県豊田村では、千曲川に汚水が無造作に流れこみ、川下にはそれを水道水源にする幾多の住民がいた。周辺の木々は死に直面している。大規模な立ち枯れが、何度も背筋を寒くさせた。ほかの府県でも事態は深刻だった。半径1キロ以内の草花には、顕微鏡で見ると飛散灰が必ず付着しているのだった。しばしば追いかけてきては闖入者を怒鳴りつける、そこで働く人々の健康も懸念せざるをえない。

 いま、日本の廃棄物処理場では、無数の有毒物質や環境ホルモンを大気中に放出し、多くは焼却残灰を不法に埋め立て、地層を通じて水道水源に垂れ流している。そこにはダイオキシン以上に急性毒性の強い70種を下らない化学物質と、現在判明しているものだけで80種にもおよぶ環境ホルモンが含まれる。焼却時にはもとより地中や水中での化学変化によって、新たな化合物が出来あがる可能性も見過ごせない。無機水銀と水俣病との因果が否定されていたため、水中の微生物によって無機水銀がメチル水銀に化学変化することが長く見過ごされてしまった経験が、我が国にはある。これらは全国民の生命にかかわる緊急課題なのだ。それにこそ公的資金(税金)投入を惜しむべきではない。

 幾多の廃棄物処理現場を日本で最も継続的に観察してきた研究者の関口鉄夫氏によれば、焼却灰の埋立地は全国で20万カ所はあるという。豊島や所沢や日の出町は、そのごく一部にすぎない。1971年9月24日に初めて法(廃棄物の処理及び清掃に関する法律)が施行されるまで、廃棄物処理は文字通り無法状態だったのだ(当時は今よりもゴミも少なかったが)。

 全国20万カ所といっても、至近の住民を除いて同じ町村内の人々さえ知らない、という場所が圧倒的だった。案内人なしに、そのような埋立地を見学することはまず不可能である。ただし、各地の高速道路の出口で5分も待てば必ず10トントラックがやってくる。この後についていけば、効率的に各地の「産廃銀座」にたどりつくことができるのだった。明らかに、大都会から高速で1時間以内の、バブル時代の遺産たるゴルフ場やリゾート開発地近辺が、産廃処理場の好立地になっている。

 ダイオキシンと焼却場の関係を日本で初めて報じたのは、1983年11月19日の「朝日新聞」である。「毒性強いダイオキシン ごみ焼却場から検出 愛媛大分析結果 プラスチック生焼け時に化学反応」(首都圏版では一面トップ、地方版では一面左上)

 それまでダイオキシンの知名度は、現在のトリフェニルスズとかクロルデン並みだった。日本では、すべてはこの日から始まった、といっていい。だが当時、この分析を発表した愛媛大学農学部の立川涼教授(現在は高知大学学長)はこうも発言していたのである。「日本におけるダイオキシン・ジベンゾフラン汚染の現状がヒトに差し迫った危機とは考えがたい」(「朝日新聞」83年12月6日「論壇」)と。だが、ダイオキシン症候群はすでに始動しており、その声はかき消されてしまう。

 そしてスケープゴートとなったのは、家庭ゴミの焼却炉だった。いまも各省庁がよってたつ唯一の数値(京都大学名誉教授・平岡正勝氏/「廃棄物学会誌」90年第1号)によれば、ダイオキシン類の全発生量の8割がたは家庭ゴミの焼却炉から発生すると試算されている。産廃ゴミの処理からはダイオキシンは発生しない(有害・医療ゴミからは1割ほどは発生する)と主張されているのだ。

 だが一般廃棄物(年間5千万トン)にかかわる焼却施設(全国1887カ所)がダイオキシン発生源の8割も占め、産業廃棄物(年間4億トン)にかかわる焼却施設(許可されたものだけで3376カ所、届け出のないものを含めれば約9万5千カ所と厚生省自身も推計している)が発生源の1割だけ、などという話が信じられる説だろうか。この割合数値を試算した京都大学名誉教授氏は、米国のデータをそのまま日本に当てはめた、つまり机上で夢想したデータであることを「認めます」という。米国では、産業廃棄物焼却時のダイオキシン排出規制がきわめて厳格に行なわれており、日本とはまったく実情を異にする。にもかかわらず、日本ではいまも「主犯」は一般廃棄物焼却炉なのである。

 学者が無責任に与えたお墨付きによって厚生省が驀進してしまった、という構図がここにも見え隠れする。各地の現場を歩いてみればすぐにわかることだが、産業廃棄物は燃やし放題・埋め立て放題。有毒物質を撒き散らし放題なのだ。

 その結果、厚生省も環境庁も通産省その他も、ただひたすらダイオキシン問題を地方自治体による焼却場問題にすりかえた。産業廃棄物についてはまともに実態さえ把握していない。

 もうひとつのすりかえは飛散灰(煙突から出る灰)に含まれるダイオキシンだけを問題にしていることだ。実はダイオキシン含有量は、飛散灰よりも焼却残灰のほうがはるかに多い(約4倍)。前述したように、そうした焼却残灰は山中深く埋め立てられているのである。また「有罪」扱いは塩素化ダイオキシン類(実際にはそのうちの一種のみ)だけであって、4900種もある臭素化ダイオキシン類は「ない」ものとして誰も対策を考えていない。そうした構図のうえで、マスコミや地方行政は踊らされている。

 

 大型高温化
 厚生省は97年1月、一般廃棄物にかかわる中小型焼却炉にかえて(産業廃棄物は相変わらず無法状態のまま)、大型焼却炉にだけ巨額の補助金を出すことを決め、通産省と大手鉄鋼メーカーを喜ばせた。これは不況対策とはいえても、断じてゴミに関連した有害物質を減らすことにはならないばかりか、ダイオキシン対策ですらない。

 物質工学工業技術研究所(通産省)の元主任研究員で『「お役所」からダイオキシン』の著者である上田壽氏はこう分析する。「研究管理を的確に行なえず、目標数値達成だけに秀でた官僚たちが仕切っているいまの状況では、ダイオキシン発生のメカニズムなどはどうでもよく、お役所に都合のいい研究にだけ予算がついてしまう。その結果、とにかく大型炉にして高温焼却してしまえば、鉄鋼業界も喜ぶし学者への面目もたち官僚としての自分の責任も免れることができる、というおかしな結論がまかりとおってしまうのです」

 こうして、1日300トン(最低でも100トン)をめざす(!)焼却炉の大型化と、ゴミ処理の広域化は昨年来、早くも既定路線となって動きだしてしまったのだ。新聞はほとんど例外なく、この官僚作のシナリオに声援を送るばかりである。「ダイオキシンを減らすためには、焼却炉を高温で連続運転させることが効果的だ」(山梨中央新報・社説)、「抜本策は、施設の改善しかないのだろう」(福井新聞・社説)、「24時間稼働する焼却炉が望ましい」(北日本新聞・社説)、「ダイオキシンが最も発生しにくいとされる24時間稼働の全連続炉[中略]、広域化しかないという点をもっと強調し、[鳥取]県にはむしろ積極的に広域化の前倒しに関与してもらわなければならない」(日本海新聞・社説)云々。

 厚生省が公表した資料(全国施設別排ガス中のダイオキシン類排出濃度一覧)によっても、大型高温焼却炉より中小型焼却炉のほうが(臨機応変に操縦して不完全燃焼を防ぐことができるなどのためか)ダイオキシン排出量は低いのに、である。

 しかも、大型焼却炉を効率よく稼働させるため毎日300トンのゴミを集めよ!という発想がいかに本末転倒かは、誰にだって理解できそうなものだ。たとえば、北日本新聞のエリアである富山県砺波広域圏ブロックでは、一日70トンしかゴミが出ていない。それが悪いことなのか? 

 基本中の基本だが、焼却炉とは有害化学物質巨大合成プラント以外の何物でもない。現実には8万種近い化学物質が、燃焼という巨大合成プラントによって想像もつかない「出会い」をしてしまう場所なのだ。800度以上だとダイオキシンが分解されるのは事実だとしても(大型ゆえに炉内各所で不完全燃焼が頻発してしまう可能性も高い)、その目的のためだけに800度から1200度にも炉の温度を上げてしまうということは、たとえば重金属に限ってさえ、とんでもないものを気化させることになる。亜鉛(沸点は摂氏907度)、カドミウム(767度)、水銀(366度)、セレン(736度)、テルル(1087度)、マグネシウム(1107度)などだ。アンチモン(1380度)だって危ない。有機化合物に関しては、専門家でも想像を絶するほかない未知の世界だ。

 ダイオキシン症候群という、ほとんど狼少年状態にある風潮のおかげで、これから起きようとしていることは、誠に恐るべき事態ではないだろうか。

 パイロットの世界に、引き返し不能地点という言葉がある。滑走を始めてから異常に気づいて離陸を中止すべきという判断は、ある一点を越えて引き返しができなくなるその以前に行なわねばならない。その一点を越えると大事故につながってしまう。私は、ダイオキシン症候群についても、そして最も懸念すべき水質・大気・土壌の汚染についても、まだ引き返し不能地点には、かろうじて立ち至っていないと判断している。

 ロシアの巨大タンカーからの重油流出量故で、250キロもの海岸線が延々どす黒く汚染した福井の海が、97年1月から1年半で、見事に復元しているのを見ても、そう思う。だが同時に、海や大気や農地の復元治癒能力が明らかに低下してきていると日々実感せざるをえない。冷静な危機感をもつべきときだ。