佐藤一斎の「重職心得箇条」 

日経 2001/11/28   「部下立てよ」 外相に江戸期の訓話

 小泉純一郎首相は27日の閣議終了後、田中真紀子外相に江戸時代の儒学者、佐藤一斎の「重職心得箇条」と題する訓話を手渡した。「部下を引き立てて、気持ち良く積極的に仕事に取り組めるようにして働かせるのが重要な職務である」などと「大臣の心得」を諭した内容で、事務方との確執が続く外相への「説得」に自ら乗り出した。  「心得」は幕府教学の大家であった一斎が郷国美濃岩村藩の要請でつくった憲法。「小さな過失にこだわり、人を容認して用いることが無いならば、使える人はだれ一人としていないようになる」「えり好みをせずに、愛憎などの私心を捨てて、用いるべきである」などと指摘。最後に「平生嫌いな人を良く用いる事こそが腕前である。この工夫がありたいものである」と締めくくっている。


「重職心得箇条」は、江戸時代の陽明学者である佐藤一斎(1772〜1859)が、自藩(美濃岩村藩)の重役たちのために著したものです。藩の重職についての心構えや目の付け所など、実に見事な指摘が十七箇条で構成されています。云うまでもなく聖徳太子の十七条憲法を意識したもので、藩の憲法という意味でもあります。 
http://village.infoweb.ne.jp/~fwgf2942/LectureManager/MG.Jyushoku/MG.Jyushoku0.html   に各条の解説があります)

 第1条:

 重職と申すは、家国の大事を取計べき職にして、此重の字を取失い、軽々しきはあしく候。大事に油断ありては、其職を得ずと申すべく候。先づ挙動言語より重厚にいたし、威厳を養うべし。
 重職は君に代わるべき大臣なれば、大臣重うして百事挙ぐるべく、物を鎮定する所ありて、人心をしつむべし、斯の如くにして重職の名に叶うべし。又小事に区々たれば、大事に手抜あるもの、瑣末を省く時は、自然と大事抜目あるべからず。斯の如くして大臣の名に叶うべし。凡そ政治名を正すより始まる。今先づ重職大臣の名を正すを本始となすのみ。

 第2条:

 大臣の心得は、先づ諸有司の了簡を尽さしめて、是を公平に裁決する所其職なるべし。
 もし有司の了簡より一層能き了簡有りとも、さして害無き事は、有司の議を用いるにしかず。
 有司を引立て、気乗り能き様に駆使する事、要務にて候。又些少の過失に目つきて、人を容れ用る事ならねば、取るべき人は一人も無之様になるべし。功を以て過を補はしむる事可也。又賢才と云う程のものは無くても、其藩だけの相応のものは有るべし。人々に択り嫌いなく、愛憎の私心を去て、用ゆべし。自分流儀のものを取計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌いな人を能く用ると云う事こそ手際なり、此工夫あるべし。

 第3条:

 家々に祖先の法あり、取失うべからず。又仕来仕癖の習あり、是は時に従て変易あるべし。
 兎角目の付け方間違うて、家法を古式と心得て除け置き、仕来仕癖を家法家格などと心得て守株(しゅしゅ)せり。時世に連れて動すべきを動かさざれば、大勢立たぬものなり。

 第4条:

 先格古例に二つあり、家法の例格あり、仕癖の例格あり、先づ今此事を処するに、斯様斯様あるべしと自案を付、時宜を考えて然る後例格を検し、今日に引合すべし。
 仕癖の例格にても、其通りにて能き事は其通りにし、時宜に叶わざる事は拘泥(こうでい)すべからず。自案と云うもの無しに、先づ例格より入るは、当今役人の通病なり。

 第5条:

 応機と云う事あり肝要也。物事何によらず後の機は前に見ゆるもの也。其機の動きを察して、是に従うべし。物に拘りたる時は、後に及んでとんと行き支えて難渋あるものなり。

 第6条:

 公平を失うては、善き事も行なわれず。凡そ物事の内に入ては、大体の中すみ見えず、姑(しばら)く引除て活眼にて惣体の体面を視て中を取るべし。

 第7条:

 衆人の厭服する所を心掛べし、無利押付の事あるべからず。苛察を威厳と認め、又好む所に私するは皆少量の病なり。

 第8条:

 重職たるもの、勤向繁多と云う口上は恥べき事なり。仮令(たとえ)世話敷とも世話敷とは云わぬが能きなり。随分手のすき、心に有余あるに非れば、大事に心付かぬもの也。重職小事を自らし、諸役に任使する事能わざる故に、諸役自然ともたれる所ありて、重職多事になる勢あり。

 第9条:

 刑賞与奪の権は、人主のものにして、大臣是を預るべきなり、倒に有司に授くべからず、斯の如き大事に至ては、厳敷透間あるべからず。

 第10条:

 政事は大小軽重の弁を失うべからず。緩急先後の序を誤るべからず。徐緩にても失し、火急にても過つ也、着眼を高くし、惣体を見廻し、両三年四五年乃至十年の内何々と、意中に成算を立て、手順を逐て施行すべし。

 第11条:

 胸中を豁大寛広にすべし。僅少の事を大造に心得て、狭迫なる振舞あるべからず。
 仮令才ありても其用を果さず。人を容る丶気象と物を蓄る器量こそ誠に大臣の体と云うべし。

 第12条:

 大臣たるもの胸中に定見ありて、見込みたる事を貫き通すべき元より也。然れども又虚懐公平にし人言を採り、沛然と一時に転化すべき事もあり。此虚懐転化なきは我意の弊を免れがたし。能々視察あるべし。

 第13条:

 政事に抑揚の勢を取る事あり。有司上下に釣合を持事あり。能々弁うべし。此所手に入て信を以て貫き義を以て裁する時は、成し難き事はなかるべし。

 第14条:

 政事と云えば、拵(こしら)え事繕い事をする様にのみなるなり。何事も自然の顕れたるままにて参るを実政と云うべし。役人の仕組事皆虚政也。
 老臣なと此風を始むべからず。大抵常事は成べきだけは簡単にすべし。手数を省く事肝要なり。

 第15条:

 風儀は上より起こるもの也。人を猜疑し、蔭事を発(あば)き、たとえば、誰に表向き斯様に申せ共、内心は斯様なりなどと、掘出す習いは甚あしし。上に此風あらば、下必其習となりて、人心に癖を持つ。上下とも表裡両般の心ありて納めにくし。何分此むつかしみを去り、其事の顕れたるままに公平の計いにし、其風へ挽回したきもの也。

 第16条:

 物事を隠す風儀甚あしし。機事は密なるべけれども、打出して能き事迄もつつみ隠す時は却て、衆人に探る心を持たせる様になるもの也。

 第17条:

 人君の初政は、年に春のある如きものなり。先人心を一新して、発揚歓欣の所を持たしむべし。刑賞に至ても明白なるべし。財帑(ざいど)窮迫の処より、徒に剥落厳沍(はくらくげんご)の令のみにては、終始行立ぬ事となるべし。此手心にて取扱あり度ものなり。