サンケイ 2006/6/29

論文データ捏造疑惑も 研究費不正受給の松本早大教授

 研究費を不正受給していた松本和子早稲田大教授に論文データ捏造疑惑があるとして、早大が調査に乗り出したことが29日分かった。

 早大や関係者によると、疑惑が持たれているのは、中国人研究員との共同研究として、米国の化学誌に平成13年に発表した論文。新しい「金属錯体」と呼ばれる化合物を合成し、生体分子などの試料を高感度に分析するという内容だった。

 論文の成果は「画期的」と評されたが、他の研究者から「分析結果が再現できない」との指摘が相次いだ。早大には4月、研究費不正受給とともに捏造疑惑の内部告発が寄せられたという。

 文部科学省によると、松本教授の錯体に関連した一連の研究には、科学技術振興調整費など約8億7000万円の研究費が配分された。

 早大は事実関係を調査するとともに、再現実験などを検討している。松本教授が所属する日本化学会も、研究者として倫理上問題がなかったか、予備調査を始めることを決定。近く倫理委員会の下に予備調査委を設置し、松本教授にも事情を聴いた上で、問題があるかどうかを判断する。

 早大によると、松本教授は11年度から、勤務実態のない学生のアルバイト代として国の研究費約1472万円を不正受給した。

≪国際化学連合にも辞表≫

 研究費不正受給の松本和子早稲田大教授は29日までに、「国際純正・応用化学連合(IUPAC)」に、1月に就任した副会長職の辞表を提出した。松本教授は副会長を2年務め、平成20年1月から同学会初の女性会長に就任する予定だった。

 日本学術会議などによると、辞表は28日付で、理由は「一身上の都合」。IUPACは化学者らの学術団体が加盟、準加盟する国際的な組織で、日本など65カ国から参加している。

 松本教授は27日に早大に辞表を出している。


文科省のナノテク総合支援プロジェクトセンター

ナノネットインタビュー
http://www.nanonet.go.jp/japanese/mailmag/2003/021a.html

早稲田大学理工学部 教授
松本 和子 氏

次世代バイオテクノロジーを拓く

〜希土類錯体を利用した
蛍光ラベル剤の開発〜

 1ml 中に1ng しか含まれないごく微量の物質を検出する。まるで砂漠の中で1粒の砂を探し出すような、高感度な分析技術が現実のものとなっている。松本氏が開発した「希土類蛍光プローブを使った時間分解蛍光イムノアッセイ法」である。

 時間分解蛍光イムノアッセイ法とは、蛍光物質を結合させた抗体をプローブとして、測定対象物質(抗原)と反応させ、紫外光を当てて励起状態にした後、元の状態に戻るまでに発する蛍光強度の時間推移から物質量を把握する手法だ。従来はこの手法における蛍光プローブとして、おもに有機化合物が利用されていた。しかし、有機化合物プローブは、蛍光寿命が数ナノ秒と短く、そのため感度が低くなるという欠点があった。そこで松本氏は、長寿命で非常に強い蛍光を発する、ユウロピウム(Eu)、テルビウム(Tb)などの希土類イオンの錯体に着目した。

 実際にこの錯体を生体分子の蛍光プローブとして利用するには、いくつものハードルを越えなければならなかった。生体分子に直接標識できること、抗体や抗原と結合できる置換基の導入、水溶液中で安定な錯体を生成できること、強い蛍光をもつこと・・・といった分子設計上の難題をクリアするため、多くの配位子を合成した。このうちBHHCTという配位子を選び出し、Eu(III)錯体の蛍光ラベル剤を開発した。この蛍光ラベル剤は、配位子と希土類原子の間で電子の授受を行うため、1.蛍光寿命が数百マイクロ秒以上と長く、短寿命のバックグラウンド蛍光から時間分解法で容易に信号を分離できる 2.励起光と蛍光の波長差(ストークシフト)が大きく、励起光の影響を受けにくい 3.蛍光発光エネルギーが特定の波長に集中しているため、異なる発光波長を含む競合染色が可能 といった特長をもつ。有機化合物蛍光プローブを用いる方法と比べ、10〜10000倍も高感度の検出能力を得ることができる。

 松本氏の希土類蛍光プローブ法はすでに医療分野で利用され、大きな成果を得ている。京都大学医学部の本庶佑教授らは、松本氏の方法に注目し、直ちにHIV感染者の血清中にあるSDF-1(ストロマ細胞由来因子-1)の測定に応用した。SDF-1とは、細胞の受容体へのエイズウイルスの侵入を妨げると考えられているタンパク質だ。血漿1ml中に1ng程度しか含まれないため、従来の手法では精密な濃度測定が困難だった。本庶教授らは、松本氏との共同研究の成果である高感度イムノアッセイ法を用いて、HIV感染者の血漿中のSDF-1値が、健常者の3〜10倍に上昇していることを世界で初めて示した。これはAIDS発症機構の解明、SDF-1を用いた発症予防法開発への展望を拓くものだ。

 希土類蛍光プローブ法を利用して、尿中のIV型コラーゲンを検出するキットも間もなく製品化される。IV型コラーゲンは、糖尿病の初期の段階で尿中に現れるタンパク質で、従来の手法よりも高感度な手法を用いることで、糖尿病のより早期での発見が期待される。

 松本氏の時間分解希土類蛍光プローブ法による高感度分析技術は、近未来の医療の姿を大きく変える可能性を秘めている。たとえば現在、病院で採取された血液は、検査センターに送られ、分析後、翌朝その結果をコンピューターで送り返している。高感度で手軽な検査キットを開発できれば、一刻を争う医療現場で、より迅速に診断を下すことができる。分析の高感度化は、分析のための試料の要求量も激減させることができ、マイクロキャピラリーを用いた分析チップや蛍光センシング装置の小型化も可能だ。現在、本方式を用いて大量のゲノム情報の高精度かつ迅速な分析を可能にする「次世代DNAマイクロアレイシステムの開発」に関する研究が、松本氏を中心に進められている。「5年後か10年後には、手の上に乗るような、小さな分析装置が開発されているでしょう」とベッドサイド医療への展開を語る。さらには、環境問題への貢献も考えられる。河川の水質調査の場合、微量にしか存在しない環境ホルモンは、検査場に持ち込まれる前に容器へ吸着してしまい、正しい測定ができないことがある。高精度で手軽な手法を用い、その場で採取した水を分析すれば、より正確な調査が可能になる。

 蛍光ラベル剤の開発とならんで、松本氏が力を注いでいる研究テーマが、ナノサイズの新規白金1次元錯体の合成だ。「金属結合のナノワイヤーは、どんなメタルを使ってもまだできていないんです」。『金属錯体屋』を自認する視点から、錯体を利用してこそ「未踏の金属ナノワイヤーを作製できるのでは」と熱意を傾ける。通常、白金はII価の状態で存在し、異常酸化状態であるIII価の状態では不安定で存在しない。そこで配位子を用いて状態の安定化を図った。現在、ピバリン酸アミド架橋白金(III)二核錯体を合成し、その構造と化学的性質を調べている。「まだおもしろいと思われる局面まで物性が出ていない」としながらも、「III価の白金は不対電子を持っているものですから、これが伝導性に関与したら、超伝導特性などが出るかもしれない」と期待をおりまぜながら、研究の現況を語る。

 松本氏は、自身を「錯体のプロ」、「金属錯体屋」と表現する。「プロになるには、地味でつまらないことを毎日毎日繰り返す時代がどうしてもあるものです」。こうした地道な鍛錬によって身に付くのは、確固とした基礎力だ。その基礎力こそが応用力を生むという。「論文を読んで、『ちょっとここをこう変えてみよう』という研究のスタートもあるけれども、『ちょっとここを変えてみましょう』ぐらいの発想では、大きなジャンプをして新しい局面を作ることはできないと思います」。松本氏の蛍光ラベル剤は、医学をはじめとする他分野との共同研究により花開いた。共同研究で成果を得るためにも、自らの核となる学問分野を確立すべきと主張する。「学際分野が大事だと言いますけれども、『自分は医学を中心にした学際だ』、『自分は化学中心の学際だ』、という核のある人間を目指して欲しいと思っています。ちょうど錯体のように」。

図1. 時間分解蛍光法の原理
励起後数百マイクロ秒から測定を開始することで減衰が早いバックグラウンドの
蛍光を無視でき、高感度に希土類の蛍光シグナルを観測できる

松本 和子(まつもと かずこ)氏

1977   東京大学理学系研究科 化学専攻 博士課程中退
理学博士   
東京大学理学部助手
1984   早稲田大学理工学部 助教授
1989   早稲田大学理工学 部教授
現在   早稲田大学理工学部教授
総合科学技術会議 議員
 
1984   日本分析化学会奨励賞
1989   日本化学会学術賞
2000   市村賞