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11 標的は「頭脳資源」
  革新の原動力は最先端の才能だ。「人材の宝庫を探せ」。国・企業のサバイバル

 「極東ロシアこそ隠れた人材の宝庫」――。日放電子(東京・千代田)の桐畑幸雄社長はおとそ気分も抜けない4日、厳寒のウラジオストク市に飛んだ。経済混乱で就職先の見つからない優秀なロシア人学生を採用するためだ。

 首席級を採用
 日放電子は放送機器などを設計する従業員180人の企業でNECなどを顧客に持つ。桐畑氏は80年代末から人材を求め、10カ国に足を運んだ。現在は100人の技術者のうち20人が外国人。技術陣を束ねる設計課長はフィリピン人だ。
 最近はフィリピン大と密接な関係を築き、理工系で首席級の卒業生を毎年3人は採る。「入社して7カ月間は日本語を徹底的に教える。苦労はあるが、世界から才能を発掘しなければ生き残れない」(桐畑社長)。一見、グローバル化とは縁遠い年商25億円の中堅企業が、人材獲得競争の空白地帯である極東ロシアにまで触手を伸ばす。
 福島県会津若松市の郊外にある県立会津大学。田園に囲まれるキャンパスでは、外国人と学生が英語で談笑する姿が目立つ。約90人いる教員の半分が外国人だからだ。
 会津大は93年にコンピューターの専門大学として誕生。野口正一学長は「激しい技術革新に対応するには、最先端の知識を持つ人材を常に呼び寄せる必要がある」と判断、インターネットで教員を募ってきた。現在は米国、ロシア、中国など10カ国以上から教員が集まる。

 30社超す求人
 ロシアから来たスタニスラフ・セドゥーキン教授は旧ソ連時代には宇宙・軍事技術で世界をリードした科学アカデミーのメンバーだった。93年に故国を離れ、人工衛星で撮影した画像を3次元情報に直すシステムを研究している。「ロシアの大学教授の平均月収は100-150ドル。日本の方が待遇や研究環境が圧倒的に良い」と言う。
 会津大の学生数は約1000人。講義の大半が英語で行われ、留年率は約30%に達するが、その厳しさが企業から評価され、卒業生1人に30社以上の求人が殺到する。野口学長は「今年は公募だけでなく、海外の大学から教員を引き抜く」と宣言し、福島から世界に頭脳獲得の網を広げる。
 19世紀末からの帝国主義時代、欧州列強は天然資源を求め、領土奪取に明け暮れた。それから約1世紀。争奪戦の標的は「頭脳資源」に移った。情報技術(IT)やバイオなど知識集約型産業の重要性が高まれば、優秀な人材をいかに囲い込むかが国や企業の盛衰を左右する。頭脳奪取で出遅れた日本も走り出しつつある。
 中国から日本へ――。最近、日本で中国人系のベンチャー企業が続々と誕生している。日本で学んだ中国人留学生がそのまま日本で創業するケースが多く、中国人系ベンチャーは100社を超えた。東工大の中国人留学生が2年前に設立、急成長するソフトウエア開発のインフォデリバ(東京・渋谷)もその一つ。「日本は世界第2のIT市場。文化的にも地理的にも中国に近く働きやすい。中国人のだれもが米国志向というわけではない」(尚捷社長)

 税優遇で歯止め
 地球規模の頭脳争奪戦は激化するばかりだ。
 世界的な人材供給基地の中国とインドは「頭脳逆流」に動き出した。中国政府は帰国留学生のベンチャー設立を促すため、税制優遇地区「創業園」を約30カ所設置。北京市郊外の「北京市留学人員海淀創業園」には91社が集まる。インド政府は4年後にITを学んだ大学卒業生を現在の約3倍の30万人に拡大する。いずれも国内に優秀な人材を留め置く狙いだ。
 先行する米国勢も手綱を緩める気配はない。米半導体大手テキサス・インスツルメンツは昨年、米国の高校にソフト作成技術の教材を無料配布、今後はアジアや欧州でも配布する。同社の米設計部門は半数以上が外国人技術者。高校からの「青田買い」で人材確保の網を広げる。
 20世紀末、米国には世界から才能が流入、革新を生み出した。背景には資本市場の整備、ストックオプション(株式購入権)制度といった官民一体の仕組み作りがある。「今世紀は環境や食糧問題など幅広い分野で革新が求められ、膨大な頭脳資源が必要になる」(米倉誠一郎一橋大教授)。世界の国・企業・大学が地球規模で才能を奪い合う知の大競争の広がり。その勝敗を決めるのも国や企業の知恵にほかならない。


12 巨大システム迫る寿命

  原発、超音速旅客機、高速道路。主役を譲りつつある国威競争の申し子の行く末は


 14年前に史上最悪の放射能漏れ事故を起こしたウクライナのチェルノブイリ原子力発電所。昨年12月15日、多数の取材陣が見守る中、最後の原子炉を停止する式典が開かれた。式典終了後、静けさを取り戻した発電所では、普段構内では聞かれない言葉が飛び交い始めた。英語である。

 後始末できず
 米エンジニアリングのベクテル、仏電力のEDF、英国核燃料会社――。廃炉作業のため米欧から100人の技術者が集められた。降りしきる雪の中、地元の作業員に指示を与えていく。
 「ソ連は崩壊し、原子炉を設計したロシア人技術者も去った。我々には技術と資金が不足している」(廃炉作業のウクライナ側責任者、クプニー副所長)。事故を起こした4号炉を封じ込める石棺の強化で7億7000万ドル、発電所全体を除染・解体するための総費用は30億ドルにのぼる。旧ソ連が威信をかけて建造した巨大原発。独立後のウクライナは米欧の力を借りなければ、その後始末をやり遂げることもできない。
 英国が発電と核兵器用プルトニウム生産を目的に、世界初の原発を建設したのは1956年。第一次石油危機後には世界で建設ラッシュが起きたが、チェルノブイリ事故で流れは変わった。欧州で脱原発の動きが広がり、米国も79年のスリーマイル島原発事故後は原発を新設していない。
 主要7カ国の中で唯一、新規原発の計画を持つ日本でも、90年代に東大、東北大、九大の学科名から「原子力」の文字が消えた。ある重電メーカーの原子力技術者は「後継者不足は深刻」と嘆く。人材と資金の先細り懸念が強まる中、既存原発の維持や廃炉という課題が重くのしかかる。

 超大型機に懸念
 「この大プロジェクトはすべての人々の利益になる」。仏独英スペインが出資する航空機メーカー、エアバス・インダストリーが超大型旅客機「A380」の生産を決めた昨年12月19日。仏シラク大統領は満面の笑みを浮かべた。
 A380は555人乗りで総2階建て。"ユーロ連邦"誕生に執念を燃やす仏独両国は「欧州統合の象徴」と位置付ける。だが総開発費は約106億ドルにのぼり、エアバスの負担は重い。英仏が15年をかけて開発したコンコルドの量産機は16機しか製造されなかった。「A380はコンコルドの二の舞いになるのではないか」。国の威信を背負わされた巨大な翼に市場関係者は懸念を強める。
 20世紀は巨大技術の世紀と呼べる。アポロが月面に着陸、超音速旅客機が空を裂き、新幹線が国土を貫いた。国は安全保障と国威のため資金と人材を惜しみなく注ぎ、国民は壮大な挑戦に熱狂した。だが冷戦が終結、「市場の時代」が到来すると、国民は夢から覚め、国も税金を底無しにはつぎ込めなくなった。世界には国威競争が産み落とした"遺産群"が残された。
 東京の大動脈である首都高速道路。今年4月から大規模な延命工事が始まる。首都高1号線(京橋―芝浦間)の開通は62年。東京五輪が開催される64年までに2、3、4号線が造られた。市街地を見下ろすハイウエーは戦後の奇跡的復興を世界に示す象徴だったが、その巨大システムがほころび始めている。

 維持管理重要に
 初期の首都高速は寿命を考慮せずに建設された。「当時は造ることが至上命題。日常の補修を怠らなければ半永久的に使えると信じていた」(佐々木一哉・首都高速道路公団保全技術課課長補佐)。ところが交通量が急拡大、意外に早く寿命を迎える可能性が出てきた。寿命を過ぎて放置すると、鉄やコンクリートが傷み、最悪の場合、崩れ落ちる恐れもある。公団は3年間に150億円を投じ、橋脚や側壁を大改造する。
 東京工業大学の小林英男教授は「第二次大戦後に建造された巨大システムは寿命がほとんど考えられていない」と警告する。高層ビル、地下鉄、高速鉄道といった高度成長の申し子は、今世紀初頭に次々と寿命を迎える。「今後は余命を見極め、維持延命する技術が重要になる」(小林教授)
 20世紀後半に最先端領域として脚光を浴びた巨大技術が主役の座を明け渡し、今では情報技術やバイオにスポットライトが当たる。逆風が強まる中、これからもインフラとして生き続ける巨大技術の寿命をどう把握し、事故をどう防いでいくか。新設競争から維持管理へ――。巨大技術の行く末に20世紀とは異質な挑戦が待ち受ける。


13 eワークで自分探し

  情報革命が働き方を変える。使い方次第で新たなやりがいが見つかる


 情報サービス会社勤務の林雄司さん(29)は夢を忘れかけていた。

 「夢」を仕事に
 出版業界にあこがれ、大学卒業時に出版社の入社試験を受けたが不合格。出版界を断念し、現在勤める富士通系の会社ではオンラインショッピング事業を担当している。仕事のかたわら、趣味で「泥酔して寝ている人」の写真を撮影。プライバシーに配慮した上で、1996年に身の回りの出来事を軽妙に描写したコラムと共にインターネット上で公開したところ、1日に1万人以上の閲覧者が集まるようになった。目をつけた出版社がこのコラムを単行本化。林さんは今では「プレイボーイ」など週刊誌3誌に記事を連載する人気コラムニストになった。
 「ネットのおかげで、出版社でやりたかったこと以上の"仕事"ができるようになった」。昨年12月末には東京・新宿で開かれたトークショーに出演、120人の若者が詰めかけた。埋もれていた才能にネットがスポットを当て、夢を実現する。会社側の理解もあり、林さんは会社員兼コラムニストの多忙な日々を楽しんでいる。
 時間と空間を飛び越えるインターネットは企業経営だけでなく、企業を構成する個人の働き方も変える。うまく使いこなした個人は組織から解き放たれ、新たな生きがいをつかむ。

 大手運送会社の営業課長、水倉道夫さん(仮名、36)は不安だった。

 副業では役員に
 都心の客先を回る毎日。営業マンとしての評価は高く、部長昇格も見えてきた。年収は1000万円強。仕事や待遇に不満があるわけではないが、将来への不安が心に引っ掛かっていた。
 大学卒業後は営業一本やり。それ以外の経験や知識がまるでない。「世間から取り残されているのでは」「今の会社がリストラを始めたら」――。不安は募るが、住宅ローンと妻子を持つ身。今の地位を捨てるリスクは取りにくい。
 「当社の仕事を手伝ってくれないか」。顧客であるCD―ROM製作のベンチャーが声を掛けてきたのはそんな時だった。運送会社に籍を置いたまま、経営を支援してほしいという。昨年8月、ベンチャーの役員に就任した。

 「副業役員」を可能にしたのはネット。運送会社は営業マンにノート型パソコンを支給しており、営業報告は外からネットで送ればいい。成績さえあげれば空いた時間は自由に使える。
 水倉さんは経営に参画する喜びを覚え、休日をベンチャーの仕事に充てることが増えてきた。成果主義を標ぼうする運送会社での営業成績も順調。ベンチャーからの収入はほんのわずかだが、「不安は消え、新しい意欲が芽生えてきた」。

 日本アイ・ビー・エムの田端義彦さん(仮名、50)は退社寸前だった。

 仕事と介護両立
 一昨年に夫人が脳こうそくで倒れて左手足がマヒ、田端さんの助けなしには食事もとれない。情報システムのコスト算出の仕事は好きだったが、会社勤めの限界を感じていた。
 田端さんを救ったのは、同社が99年に導入した在宅勤務制度。育児・介護のためならネットを使った在宅勤務が認められる。田端さんは午前中だけ出社、午後は自宅でパソコンに向かい、仕事と介護を両立させる。「在宅勤務があるため会社を辞めずにすんだ」
 ネットは埋没しがちだった個人の希望や才能に光を当てる。しかし新しい光は新しい影を落とす。

 大手機械メーカーを退職した山本美孝さん(40)は人恋しさを覚えるようになった。

 「独り」が怖い
 98年に退職、現在は自作のパソコン用ソフトをネット上で販売し、約1000万円の年収を稼ぎ出している。趣味が高じた仕事に不満はないが、作業は常に独り。人との接触が極端に少ないことが怖くなってきた。「ネット上の友達はいても、隣で息をしている人がいない」。山本さんは過度のネット依存を避けようと、会社勤めの再開も考え始めている。
18世紀末に英国で起こった産業革命は人々を農地から解放する一方、個人を工業化社会へ組み込んだ。農業革命、産業革命に次ぐ情報革命も新たな「解放と従属」を生む。ネットが仕事に欠かせない道具になり、個人の働き方を変質させる「eワーク」のうねり。第三の革命の波を巧みにとらえた時、1人ひとりに新たな可能性の扉が開く。


14 経済政策、視界不良に

  ネットが生み出す「新通貨」。ITが乱す統計。いまをつかむ物差しが崩れる

 東京都内の情報関連企業に勤務する新堀倫子さん(29)は昨年12月、インターネット上に新しい「口座」を開いた。そこに振り込まれるのは円でもドルでもない。目には見えない「ポイント」だ。


 ポイント「入金」
 指定されたいくつかの企業のホームページのサイトをのぞくと10ポイント、友人を紹介して100ポイント――。1単位が約1円に相当するポイントが次々と「入金」される。ポイント数に応じて小売店や旅行会社の商品券などと交換することができる。
 「おカネをかけずに旅行に行きたい」。新堀さんはパソコンに向かいながら、期待を膨らませる。
 「ポイント口座」を運営しているのは大日本印刷と米マイポインツ・ドット・コム社の合弁会社。マイポインツ社は全米で同じ業務を展開、1600万人の会員を擁している。
 ネット上を行き交うポイントが果たす機能はおカネに近い。参加者が増え、購入できる商品が広がれば、既存の通貨と同じ感覚で流通してもおかしくない。
 同様のサービスを昨年6月から日本で展開しているビーンズ・ドット・コム・ジャパンの坪田実マーケティング・ディレクターは「円やドルのようにポイントを流通させたい」と語る。同社の「ビーンズ」を使えば、海外の商品をビーンズ建てで買うのも可能。為替相場を気にせずに外国製品を手にすることができる。
 通貨は国の信用力の裏付けがなければ流通しない。そんな常識を情報技術(IT)が崩そうとしている。人や企業を瞬時に結ぶネットを武器に、様々な「新通貨」が誕生する兆しが出始めた。

 日銀幹部が関心
 ソニーコンピュータサイエンス研究所の高安秀樹シニアリサーチャー(42)が打ち出したのは「ソニー通貨」の発行構想。昨年1月にこのアイデアを特許申請した。ソニーのようなブランド力のある多国籍企業が為替変動にほんろうされるのは理不尽と考えたのがきっかけだ。
 ソニー通貨の価値はソニーが保有する金融資産の通貨構成比を基にはじき出す。取引先などを中心にこの通貨を共有する企業連合を形成、ネット上での決済などに使う。
 ソニー通貨にいち早く反応したのは「通貨の番人」である日本銀行だ。ある日銀幹部は高安氏に面会を申し入れ、「為替リスクを除けるのは興味深い」と感想を漏らした。日銀が関心を寄せるのは、企業通貨も可能にするような電子決済技術の発達が、金融政策にどんな影響を及ぼすかを見極めようとしているからだ。
 日銀は昨年11月にまとめた研究会の報告書の中で、電子商取引の普及に伴い疑似通貨が登場したり、外貨決済が増加したりする可能性を踏まえて、「技術革新が金融政策の有効性を低下させる可能性もある」と指摘した。円を直接利用しない取引の比重が増せば、円金利の操作などを通じて効果を発揮する金融政策の影響力が鈍りかねないという認識だ。
 研究会のメンバーでもあった伊藤元重東大教授は「日銀には、これまでの延長線上で金融政策を運営していくと、失敗しかねないという危機感がある」と3年越しの議論を振り返る。

 物価指数やり玉
 技術革新が揺さぶるのは金融政策だけではない。
 昨年9月。政府の統計審議会で、卸売物価指数がやり玉に挙がった。
 ある委員が、目まぐるしいコンピューターの技術革新に統計が追いついていないのでは、と疑問を呈したのだ。今年度の経済白書も「日米のパソコン価格を比べると、米国の低下幅が統計上、かなり大きい」と指摘、指数の改善を促した。
 マクロ経済政策を運営する当局にとって、物価上昇率は極めて重要な物差しになる。景気判断の際に注目される実質国内総生産(GDP)成長率を測る上でも大きな役割を果たすからだ。実質GDPは名目のGDPから物価変動分を除いてはじき出す。物価の下落が技術革新によるのかどうか、などを見極められなければ、政策判断を大きく誤る可能性も出てくる。
戦後、14の経済計画を世に送り出した経済審議会。昨年末に半世紀の歴史に幕を閉じ、その間の活動を総括した。この中で、バブル経済と並んで率直に反省を加えたのがITの重要性に関する認識の遅れだった。「最先端の科学技術の経済社会への影響を的確に把握することが肝要」。経済審が21世紀の政策当局に自戒を込めて書き送った"遺言"である。


15 対話が育む革新の土壌

    変化の波はあらゆる人に押し寄せる。専門家任せではいられない


 「恐ろしい」。米ペンシルベニア州ランカスター郡で配管業を営むサム・ストルツファスさん(30)は帰宅するなりため息をついた。「私たちアーミッシュの平穏な暮らしをインターネットが壊してしまうのではないか」

 200年の掟に試練
 アーミッシュは18世紀以降、欧州から米国に移住したキリスト教の一派。技術文明をおう歌する超大国にあって、新技術の利用を原則禁止する独特の掟(おきて)を実践してきた。
 自動車の運転、公共電力や都市ガスの利用、室内の電話、パソコン、テレビ、写真撮影はいずれも「禁じ手」。移動には馬車を、明かりには石油灯を用いる。
 だが、情報通信革命の嵐は、200年余り続く静かな生活をも揺さぶり始めた。
 ストルツファスさんが心配そうに指し示したのは1枚の紙。地元紙のネット版に載った記事で、友人がパソコン画面を印刷してくれたものだという。近所で起きた火事について、アーミッシュがよく使う薪(まき)ストーブが原因と書かれている。そんな情報がアーミッシュに興味を持つ世界の人々に瞬時に伝わる。
 これまで外界からの影響をなるべく避けて暮らしてきた。だが、ネットはその生活に遠慮なく入り込んでくる。アーミッシュはネットを使わないものの、地元の人たちと共同で経営する企業にはパソコンがあり、ネットが活用されている。「いくら内輪でパソコンを禁じても、ネットの影響力から逃れられそうにない」(ストルツファスさん)
 技術との「幸せな距離」を保ってきたアーミッシュ。予想を超えた情報技術の進展は、孤高の田園生活に試練をもたらしている。

 専門家と議論
 クローン技術、情報革命――。とめどなく進む技術革新の波から、だれ1人として無縁ではいられない。とすれば、技術をどのような形で受け入れるかを社会全体で考えていくしかない。
 「全面禁止にすべきだ」
 「それでは食べ物の値段が大幅に上昇しかねない」
 埼玉県川口市に住む会社員で2児の母、新田典子さん(37、仮名)は昨秋、学者の呼び掛けで開かれた遺伝子組み換え作物に関する「コンセンサス会議」に参加した。18人の枠に400人を超す応募があったが、運よく当選した。
 コンセンサス会議は1980年代後半にデンマークで始まった市民による技術評価の仕組み。市民の代表が特定の技術について専門家から実情や意見を聴取。その技術をどう使うべきかなどについて意見をまとめ、発表する。今では欧米10カ国以上に広がっている。
 元祖のデンマークでは、議会が食品への放射線照射を規制する立法に動く契機を作った実績がある。
 新田さんの参加した会議にも、遺伝子工学、農学、医学などの学者、官僚、薬品メーカーと多様な立場の専門家がやって来た。最初に説明を受けてからどんな質問をするかを話し合い、専門家にぶつける。その後、市民同士で議論を重ね、課題や対策について結論をまとめた。「何度も目からうろこが落ちた。こうした話し合いの場を増やしてほしい」と新田さんは言う。

 市民の情報武装
 コンセンサス会議に自らかかわる若松征男・東京電機大学教授は「専門家や議会任せでは、技術について真の合意は得られない。市民の情報武装と発言の場が不可欠」と語る。
 技術の担い手と市民の距離を縮め、合意を形成していく方が、長い目で見れば技術進歩を促す土壌を育(はぐく)みやすい。
 英国では、企業が遺伝子組み換え技術の研究拠点を続々と海外に移している。遺伝子組み換え作物の農地が荒らされるなど、反対運動が激化しているためだ。その背景には双方の対話不足がある。

 20世紀初頭、核エネルギーを発見したアインシュタインは、40年後に原子爆弾で数十万人の犠牲者が出るとは夢にも思わなかった。技術は使い方次第で、幸せも悲劇ももたらす。それを分ける決め手は技術ではなく、使い手である人の側にある。

 疾走する技術革新の行方に目を向け、それをどう生かすかを1人ひとりが考える。そんな時代が到来しつつある。