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技術創世紀 ―突破口は目の前に

1.植物からプラスチック
  農業と工業が交わる「1.5次産業」。巨大市場が姿を現した


 「サツマイモをつくってくれる農家を募集します」。インドネシアの穀物供給基地であるスマトラ島ランプン州。トヨタ自動車は、今月中にも現地でこんな呼びかけを始める。

 麻からベンツ
 自動車の内外装の材料になるプラスチックを「畑で育ててもらう」ことが狙いだ。トヨタは植物からデンプンをとって乳酸を合成、そこからプラスチックをつくる技術を確立した。すでにデンプン含有率が一般品種より3割高いサツマイモを品種改良で開発、これをスマトラ島の農家に作ってもらう考え。1万ヘクタールの農地でサツマイモを育てるのが目標だ。畑の真ん中に工場を建設し、周辺で取れたサツマイモから、プラスチックを大量生産する。
 サツマイモから生まれたプラスチックは土中に埋めると水と二酸化炭素に分解され、とけてしまう。廃棄物減らしに役立つため、自社の自動車に使うだけでなく、家電製品向けなどに販売していくことを目指す。この計画を担当する松原彰雄取締役は「畑でとれたプラスチックなど植物資源関連事業を年商1兆円以上の規模に育てたい」と言う。
 ダイムラークライスラーも「畑でできたベンツ」の開発を進めている。すでに売れ筋車種のCクラスには、南アフリカなどの農家で作った麻などの天然繊維を補強材として利用した内装部品を採用、小型車では今後外装材としても使う。プラスチックに詳しい京都工芸繊維大学の木村良晴教授は「植物由来のプラスチックが鉄に代わる自動車素材として普及する可能性がある」と指摘する。

 建材を"栽培"
 畑に注目しているのは自動車産業ばかりではない。大成建設は住宅建材を"栽培"する構想を練っている。建物の耐久テストなどを手掛ける横浜市の同社技術センター。その片隅に植物を栽培する温室がある。昨年末、ここでイネの代表的な品種「日本晴」が芽を出した。見た目は一般のイネと同じだが、成長とともにプラスチックを"生産"、葉や茎に蓄える。プラスチックをつくる植物工場だ。
 ペットボトルなどの原料となるポリエステルを合成する能力を持つ微生物から遺伝子を取り出し、イネの遺伝子に移植した。こうしてできるポリエステルは石油産のものと異なり、土中でとけ、ごみにならない。イネを使ったのは遺伝子解析が進み、プラスチックをつくりやすいため。最終的にはユーカリなどの樹木にこの遺伝子を組み込み、そのまま建材に利用するのが狙いだ。プラスチック入りなので強度が高く、しかも廃棄物として残らない建材が自動的にできあがる。

 植物を利用して新たなエネルギー源をつくりだす取り組みも始まっている。
 「ワラを譲ってください」−−。米カリフォルニア州の米作地帯。米バイオ技術企業、BCインターナショナルの担当者が足を棒にして歩き回っている。同社が進めているのは、遺伝子操作した微生物を使い、植物を高速で発酵させて効率的にアルコールをつくるプロジェクトだ。コメの収穫後に不要になったワラを原料に、最終的には自動車の補助燃料となるエタノールや発電所に供給する木質燃料を製造する。2002年から年9千万リットルのアルコール生産を開始する。
 こうした動きを後押しする米政府は自動車燃料の15%以上を二酸化炭素排出量が少ないエタノールに転換する目標を立てている。

 カーギルの挑戦
 工業品メーカーの農業進出に農業の側から立ち向かっているのか、米穀物メジャーのカーギルだ。今年末、年産14万トンの化学プラントを立ち上げ、プラスチック事業に参入する。建設場所は米ネブラスカ州の穀倉地帯。原料は本業として取り扱うトウモロコシだ。農地がエネルギーや素材の供給基地になることができれば、石油資源の枯渇や大量の産業廃棄物に伴う環境汚染など、人類が直面する課題の解決につながる。ニ−ズが大きいだけに、事業機会も限りなく広がる。
 互いに見向きもしなかった工業と農業が歩み寄り、第一次産業と第二次産業が一体化する。「1.5次産業」が、新しい成長産業として姿を現し始めた。

 景気の先行きが不透明感を増している。米経済の減速など世界的にも閉そく感が出ているが、ほんの少し視点を変えると、次の成長へつながる突破口が目の前にいくらでも開けている。新たな市場を生みつつある技術革新の息吹を追う。 


2.膨大な廃棄物の再利用 「解体は速く安く」。

  循環型社会のフロンティアが見えた   「モノ壊し」に勝機あり


 1918年の創業以来、「モノ作り」にこだわり続けてきた松下電器産業。そんな製造業の申し子が新たなフロンティアを見つけた。「モノ壊し」への挑戦だ。

 素材ごとに分別
 滋賀県野洲町にある松下の開発拠点。フロアには洗濯機のような円筒形の装置が置かれている。古い電子レンジやビデオを放り込んでスイッチを入れるとガーという音を立てて回転を始める。1分後、製品はきれいに解体され、鉄やプラスチックなど6種類の素材に分別されたーー。
松下が家電解体ビジネスに進出する。秘密兵器は、10キロ以下の家電製品なら何でも壊せる万能解体装置。4月から自治体や産廃処理業者などに販売する。「引き合いがあれば海外にも出荷する」(後藤輝夫環境技術開発室長)
 万能解体装置は円筒の底部のプロペラを回転させ、廃家電を側面にぶつけて壊す。解体された部品や素材はベルトコンベヤーに流し磁石などで分別収集する。通常、廃家電の処理に使う大型破砕機は、鋭利な金属の刃で切断・粉砕するため、半導体など各種部品は粉々になり素材も混じり合う。松下の装置は、部品の原型が崩れず、素材の分別と再利用が容易だ。
 家電メーカーに廃家電の引き取りを義務付ける特定家庭用機器再商品化法(家電リサイクル法)が4月に施行される。リサイクル産業の市場規模は2010年に10兆円を突破するとの試算もある。姿を見せ始めた巨大市場に松下は喜々として飛び込む。
 万能解体装置の価格は約1800万円で大型破砕機の10分の1以下。家電量販店の倉庫や自治体の建物にも据え付けられる。「パソコン、ファクシミリ、ビルの配電盤などエレクトロニクス製品ならほぼ何でも壊せる」(後藤室長)。同社はすでに日本、米国、欧州などで装置の特許を出願しており、「モノ壊し技術」で世界市場を狙う。

 車1台を45分で
 20世紀、大量生産技術の飛躍的な進歩により人々は豊かな生活を享受した。だが「消費の世紀」は一方で深刻な環境破壊を引き起こした。「環境規制の強化で廃棄物を捨てられない時代がやってくる。素材の再利用には製品を効率的に壊す技術が欠かせない」(慶応大学の細田衛士教授)。人手に頼りがちだった解体産業が、企業や大学が研究成果を競う技術のフロンティアに変ぼうする。
 福岡県北九州市。西日本オートリサイクルは昨年2月、世界最速の廃車解体ラインを稼働させた。6人の作業員がベルトコンベヤーを流れる廃車からエンジンやシートを猛然と取り外していく。車体が一辺60センチ程度のサイコロ型にプレスされるまで45分。解体能力は1時間で7台と業界平均の10倍以上だ。
 ガラスを数秒で切り取る工具などを自社開発、例のない高速解体ラインを完成させた。リサイクル率も約90%と業界平均の約75%を大幅に上回り、1トンの小型乗用車のうち900キロの部品や素材を再利用できる。そのノウハウを盗もうと国内外の自動車メーカーが見学に殺到している。

 世界標準も可能
 日米欧の年間廃車台数は3千万台強。鉄スクラップや中古部品の価格を1台あたり3万円としても、年1兆円近い市場が広がっている計算だ。同社の和田英二社長は「ここで確立した高速解体技術を首都圏などの巨大市場や海外でも展開し、高収益を狙う」と強調する。トヨタ自動車がカンパン方式で自動車生産に革命を起こしたように、日本から自動車解体の標準技術が生まれる可能性もある。
 大企業が自ら解体業を手掛ける例も出てきた。米IBMはニューヨーク州のコンピューター工場で総延長1.6キロの解体ラインを稼働させている。競合他社のパソコンも解体、中古部品を売却する。解体台数は年1百万台強。「解体技術で主導権を握れば大量の製品が集まり、高収益の中古部品事業で独走できる」(日本IBMの小林光男環境部長)
 大量の製品が生まれ、消えていく現代社会。「解体産業」の役割は高まるばかりだ。循環型社会への転換が無限のビジネスチャンスを生む。 



3.常識を独創のヤスリで磨く 「当たり前」の陰に隠れていた革新が目を覚ます 

   鉄も水も進化する   


 仙台市の東北大学金属材料研究所。大型装置が並ぶ研究所の一角で安彦兼次助教授は金属の塊を取り出した。「これが人類が初めて目にする『純粋な鉄』です」。金属はプラチナのように白い輝きを放っている。

 さびず溶けず
 一般の工業用高純度鉄の純度が99.6%程度なのに対し、同研究所の開発した鉄の純度は99.9995%に達するとみられる。1ポイント未満の差にすぎないが、極限まで純度を高めた鉄は、これまでの鉄とまるで異なる性質を持つ。長期間放置してもさびず、酸に漬けても溶けない。低温でもしなやかで加工もしやすい。年間約1億トンが生産され、最も身近な金属材料が「常識を覆す理想的な金属」(安彦氏)に一変した。
 鉄は不純物が少ないほど粘りが出て加工しやすい。だが、すでに純度は十分高く、これ以上の純化に大きな意味は無いと考えられていた。鉄の純化に20年以上取り組んできた東北大の研究グループは、不純物をほぼ完全に取り除ける真空溶解炉を開発、超高純度鉄の驚くべき性質を目の当たりにした。

 「新しい火」
 製造コストはまだ割高だが、さびと無縁なため海中に立つ橋脚などへ利用できる。これまでにない新合金を生み出す可能性も秘める。超高純度鉄とクロムの合金を試作、三菱重工業で加工したところ、熱に強く欠けにくいためヘリコプダーのエンジン部品などに利用できることがわかった。「当たり前と思われていたものにもイノベーション(革新)の芽は潜んでいる」と安彦助教授は話す。
 「新しい火の仕組みを教えてほしい」――。日本工業炉協会は2月、インドネシアの製鉄会社からファクスを受け取った。1998年に開発された新型工業炉の秘密を何としても知りたいというのだ。
 工業炉は金属などを溶かすのに使われ、アルミ精錬や製鉄に欠かせない。驚異的な省エネ炉である新型炉は、従来の炉と比べ熱効率が40−50%向上、窒素酸化物の発生もおよそ2分の1以下に抑えられる。
 省エネの秘密は、高温・低酸素の空気を炉内に吹き入れて燃やすという新しい燃焼方式。NKKと日本ファーネス工業などが十年前に見つけた。
 数十年来、ほとんど基本構造の変わらなかった工業炉。そこで新たなイノベーションが花開くとはだれも考えていなかった。新型炉は実験段階にもかかわらず、これまでに168の事業所に導入された。現在、国内で消費されるエネルギ−の約4分の1は工業用炉で使われるといわれる。新型炉が普及すれば二酸化房素の大幅な排出削減につたがると期待される。
 花王が99年2月に発売した食用油「健康エコナクッキングオイル」がヒットを続けている。食べても体に脂肪として蓄積されない点が受け、2000年度のり売上高は100億円に達する見通しだ。
 この油は、もとはチョコレートの原料油の開発過程で生まれた余り物だった。試しにネズミに与えたところ、体内ですぐエネルギーとして消費されるため、太りにくいことがわかった。「成熟商品に見える食用油でもまだまだ様々な機能を引き出すことができる」(花
王ヘルスケア第1研究所の安川拓次所長)
 
 有害物質を分解
 どこにでもある物質が突如として進化を始め、新たな地平が開ける。生物の突然変異を思い起こさせる現象は、水の世界でも起きている。荏原と産業技術総合研究所物質工学工業技術研究所(茨城県つくば市)は、ダイオキシンやポリ塩化ビフェニール(PCB)など分解が難しいといわれる有機物を「ただの水」で分解する技術を開発した。水をセ氏約374度、220気圧という特殊条件下に閉じこめると、有機物を分解する超臨界水に変身する。条件が少しでも違うと、こうした性質は生じない。実験プラントでは、ごみ処理施設から発生するダイオキシンをほぼ100%分解できることが分かった。
 鉄、火、油、水――。科学技術の発展を支えてきた身近な物質や現象が、ちょっとした発想の転換で再び姿を変え始めた。「古くからある技術も工夫次第でヒット商品につながる」(米倉誠一郎一橋大イノベーション研究センター長)。独創のヤスリで磨きをかければ、目の前の"成熟"から大きな果実が生まれる。 



4.気持ちを読む家電・ストレスを防ぐ化粧品……「快適商品」が現代人の心を癒す 

  五感を射抜け

 「あなたの心の動きがよく見えますよ」。三洋電機メカトロニクス研究所の源野広和課長はこう言いながら、たばこ箱サイズの装置を取り出した。

 適環境に制御
 手の指を当てると、脈拍、皮膚温、皮膚の電気反応をセンサーで計測し、そのデータから人の快・不快感といった心の状態を客観的に測ることができるという。三洋はこのセンサーをマッサージいすに搭載、利用者それぞれが最も気持ち良いと感じるように動きを制御している。エアコン、照明など家電製品にも相次いで搭載する予定だ。利用者がどう感じているかを家電製品がつかみ取り、それに応じて温度や明るさを最適に制御する。いわば「波長の合う家電」の登場だ。
 自動車部品大手のデンソ−。愛知県日進市にある基礎研究所では、白衣の研究者がパソコン画面に映し出された脳波や心拍数の動きを見入っている。データは自動車の運転席に座った若い女性から測定中。「運転手がリラックスしているか、疲れているか、などを正確につかめます」と研究者がささやく。
 国内カーエアコン市場で5割近いシェアを持つデンソーが力を入れているのが車内の快適性の向上だ。人が最も快適と感じるように車内のにおいや温度などをきめ細かく制御する。人の感情を客観的に測定する新技術を生かし、部品の駆動音の抑制や見やすい車内表示の開発も進める。
 「従来の機能向上に加え、これからはヒトの感情という要素を製品開発に取り入れなければ競争力を保てなくなる」。デンソーの竹内桂三材料技術部長はこう指摘する。

 超音波に着目
 モノが充足し、便利になった現代社会。人々が求めるものはモノの量や性能より、快適さや安心、感動に移りつつある。そうしたニーズにこたえていくことを可能にしているのが、脳の動きを的確にとらえる技術の進歩だ。もともと医療向けに開発された磁気共鳴画像装置(MRI)や陽電子放出断層撮影装置などの脳の観測装置が「快適商品」づくりに役立つことに気づいた企業が、こうした技術をフルに活用し始めた。
 人間の耳には聞こえない周波数20キロヘルツを超える高周波音。千葉工業大の大橋力教授は脳の観測装置を使い、この超音波に「癒し」の効果があることを見いだした。人に高周波音を向けると、脳の視床と呼ばれる知覚をつかさどる部位の血流量が増えることを突き止めた。視床は大脳皮質などよりも古い、脳の原始的な部位。大橋教授は「人間が本能的に超音波を求めている証拠」と説明する。
 超音波は森のざわめきや虫の音など自然界に豊富に含まれる。しかし、コンクリートやアスファルトで覆われた都市にはこの音が届かない。大橋教授は超音波の欠乏が現代人のストレスとなり、生活習慣病の引き金になっていると見る。
 ここに着目したのがソニーだ。99年に発売したスーパーオーディオCD(コンパクトディスク)は、従来のCDが排除していた高周波音まで記録できる。出井伸之会長が「音響機器でもっと感激を与えたい」との強い気持ちを抱いていたことが商品化につながった。

 脳科学のメス
 きゅう覚の世界にも脳科学のメスが入り、その成果を生かした商品が続々と登場している。資生堂が一部専門店で販売しているスキンケア製品。肌につけるのではなく、癒し効果のある香りをかぐ化粧品だ。米ハーバード医科大との共同研究で、皮膚の免疫機能をつかさどる細胞が神経細胞の末端とつながっていることを93年に発見、肌がストレスの影響を強く受けることがわかったのが商品化の背景。乾燥や紫外線など外部要因だけでなく、内面のストレスを香りで防ぐ新世代型化粧品である。
 人間の五感に訴え、現代人の心を満たす技術は、停滞感の強い製品市場の息を吹き返らせる力を秘める。
 経済産業省は「21世紀経済産業政策の課題と展望」とする報告書で、こうした「感性産業」の市場模が1998年の31兆円から2025年には49−73兆円に拡大すると試算した。「技術者もこれからは快適さに目を配らなければいいモノを作れない」と東大工学部の原島博教授は指摘する。技術と感性の融合が新市場を生み出そうとしている。 


5.ハイテク介護施設 

  舌で動く車いす。類を見ぬ高齢化社会は創造の「揺りかご」だ 「老い」は起爆剤


 大阪府門真市にハイテク商品を次々と生み出している老人ホームがある。松下電工グループが2年半前に開設した介護専用施設「ナイス・ケア大和田」だ。

 人の動きを分析
 約60人が入居する四階建ての施設には最新技術がさりげなくちりばめられている。その1つが、監視カメラを使わずに入居者の個室での振る舞いを把握し、別の部屋にいる介護スタッフに文字情報として知らせるシステム。介護者がつきっきりにならず、入居者も「見張られている」という感覚をほとんど持たずに済む。
 天井の小さなセンサーが入居者の動きをとらえ、情報をコンピューターに送る。コンピューターには入居者の普段の行動パターンが記録してある。2つを突き合わせ、いつもと異なる動きが見つかると「ベッド上動作」「長時間離床」などの言葉がスタッフの簡易型携帯電話に表示される。
 松下電工の情報機器部門は本人や家族の了承を得て、入居者の行動データをつきっきりで集めた。「夜間の行動を把握するため何日も徹夜した」(金沢祐一・新事業推進部課長)結果、精度が大幅に高まった。同社はシステムの外販を始めており、5月にも他の介護施設に設置される。
 この技術を応用すれば、コンサートホールで客の数や動きをとらえ、熱気で室温が上昇する前に冷房を自動作動させることも可能になる。メーカー直営の異色介護施設が、幅広い商品を生み出す「開発拠点」になろうとしている。
 日本の全人口に占める65歳以上の割合は2010年に現在より5ポイント高い22%に達する見通し。急速な高齢化は経済の活力をそぐと見られがちだが、高齢者向けの製品・サービス市場は、技術革新の「揺りかご」の役割を果たす。急成長する高齢者市場に無数の企業が参入、そこではぐくまれた技術が周囲の市場に流れ込み、さらに進化する。

 合成音声も可能
 前進、後進、右回り、左回り。手足は一切使わないのに、電動車いすが自由自在に動き回っている。速度も好きなように変えられるーー。
 このハイテク車いすは舌で操縦する。歯の内側につけた直径3ミリメートルの圧力センサーが操縦かん。舌先で軽く触れ、微妙な圧力の変化で車いすを思いのままに操る。たとえ手足が不自由な高齢者でも、家の中や近所を移動できるようになる。官民共同の研究機関である国際電気通信研究所が試作、4月から実用化研究に取り組む。
 「この技術の応用範囲はかなり広い」と同研究所の本多清志第四研究室長。電池寿命の問題を解決できれば、舌先でパソコンやテレビも操作できるようになる。将来は舌の動きから人間の声のような音声を合成することも可能という。

 宇宙船から転用
 高齢者市場を舞台にした巨大技術の民需転換も進み始めた。日立製作所の機械研究所は足の不自由な人のため、電動歩行支援装置を開発した。車輪のついた装置の前に立ち、胸の位置にある天板に上半身をあずけるとゆっくりと車輪が回り出し、歩くのを助ける。体を傾けると、行きたい方向に連れていってくれる。
 歩行支援装置には宇宙・原子力関連の先端技術がふんだんに盛り込まれている。利用者の体重や力のかけ具合は千差万別。日立は力のかけ具合を正確にとらえるため、宇宙船が船外で構造物を組み立てるのに使うセンサーを利用。転倒を防ぐ狙いで、原子力発電所の炉内で作業する四足歩行ロボットの制御技術を活用した。宇宙・原子力技術の転用で「機械が高齢者の感覚に追い付いた」(藤江正克主管研究長)。
 もとは軍事技術だったインターネットは、企業活動や個人生活に入り込んだ途端、コストが急低下して一気に普及、技術革新のペースも飛躍的に高まった。21世紀の巨大マーケットである高齢者市場も、20世紀の巨大先端技術である宇宙・原子力技術を磁石のように引き付け始めた。

 先端技術が奔流のように流れ込み、進化を遂げ、外部へ還流する。高齢者市場を媒介にした新たな技術革新のパターンが姿を現した。「老い」が革新の起爆剤になる。