化学経済 2006年12月号

Basellの蹉跌と欧米化学企業のゆくえ     産業評論家 永尾経夫


なぜ、注目されるのか

 欧米化学企業の事業再編成のなかでも、その規模の大きさといい、国際的な広がりといい、究極の成功例のようにみなされてきたBase11が売りに出された。買い手に名乗りあげた化学会社はなく、結局2005年8月に買収したのは投資会社であった。あれほど話題を呼んだ国際的な再編成の結末としては、寂蓼たるものがある。なぜ親会社においても市場においても魅力的な結果を生めなかったのか。われわれはここから何を学べるかを考えたい。

世界最大の合成樹脂企業ができるまでの発展の歴史

 Basellの化学事業の国際的な再編成の歴史は華々しい。それはポリプロピレン(PP)、ポリエチレン(PE)の欧米有力企業の大型統合の歴史を代表する空前のものであった。
 まず、1983年に米国のPP大手 HerculesとイタリアのPP大手 Montedisonが、欧米にまたがるPP会社 Himontを発足させた。それに95年 ShellのPP部門が加わるとともに、Shellの1OO% 所有へと切り替わり、PP最大手 Montellへと拡大発展した。一方、BASFが主導して欧州でPPとPE各社の事業統合を進めてPP大手 Targor、PE大手 E1enac を形成していた。2000年、これらのそれぞれの事業統合で規模拡大を遂げた大手3社の Montell、Targor、Elenac がさらに合体してできた会社が Basellである。同社は欧米で数次にわたって各社のPP、PE事業統合を積み上げてできあがった会社だけに、PPでは世界最大であり、PEでは世界で4番目の規模を持つ世界最大のポリオレフィン製造会社である。
 その規模がどれだけ大きいかを数字でみてみよう。Basellの能力はPPが年産500万トン、PEが270万トン、PPとPEの合計能力は770万トンに達する。それに対して日本メーカーの能力はPPが7社合計300万トン、PEが11社合計360万トンで、PPとPEの日本全体の能力は660万トンにとどまる。
 とりわけBasellのPP能力は世界でも突出してナンバーワンであり、日本の石化会社が束になってもBasell 1社にかなわない規模である。同社は欧米だけでなく、日本、韓国、台湾、タイ、インド、豪州などにも事業を持ち、世界17カ国に63工場を持つポリオレフィンの事業では世界断然トップの巨大企業てある。

Basellのどこに問題があったか

 Basellは事業の競争力強化のために統合につぐ統合を行い、生産規模にかけてはこれ以上のものがないところまで完成度をあげた。もし、生産規模=競争力であるとすればBasellは世界随一の競争力を持ったはずだし、最高の収益を上げていたはずである。しかしBasellの収益は低かった。その結果、親会社であるShe11はほかの収益のあがる化学品事業にシフトするとして、子会社のBasellを放出することにした。もう一方の親会社のBASFも同様の経営判断でBasellから撤収することにした。
 Basellのどこに問題があったのか。各社の事業の寄せ集めだったので、統合効果が上がらなかった、また、ShellとBASFの50%ずつの合弁会社では経営はうまくいかなかった、といった統合会社における一般的な問題もあったと思われるが、化学品事業経営の角度から原因を掘り下げてみたい。

事業統合が進むにつれ原料との矛盾が進行

 PPやPE(ポリオレフィンと総称)は、プロピレンやエチレン(オレフィンと総称)を原料にしている。PP、PEはほぼ等量のプロ
ピレンやエチレンを原料として使う。すなわち原単位が1に近い。それがほかのオレフィンの誘導体と違うところである。
 PEやPPはエチレンセンターの有力な誘導品として石油化学のコンプレックスに組み込まれている。具体的にいえば、エチレンプラントにどってはそこで生産されるエチレン、プロピレンの最大の消費先はPE、PPであり、必要不可欠な誘導品である。また逆にPE、PPプラントにとってはエチレン、プロピレンは主要原料として必要不可欠である。
 すなわち、オレフィン(上流部門)とポリオレフィン(下流部門=誘導品)はおたがいに相手方を必要どする密接不可分の関係にある。したがって、石油化学のコンプレックスをつくるときには、オレフィンとポリオレフィンはお互いの生産規模を組み合わせながら最適化を図る。
 ここで問題は、オレフィンをポリオレフィンにトランスファー(移転)する価格である。オレフインとポリオレフインを同一会社が営んでいるとき、すなわち両部門が同一社にintegrate(統合)されているときには問題はさほど難しくはない。会社によっては、オレフィンを原価で移管して、ポリオレフィン部門のところで利益をまとめて表示するところもあるだろうし、あるいは、オレフィンの社内移管価格を設定しつつオレフィン部門としての損益とそのオレフィン移管価格をもとにしてポリオレフィン部門の損益をそれぞれ表示する会社もあるだろう。
 しかし、そのどちらの場合でも、オレフィンとポリオレフィンが同じ会社で運営される限りは、オレフィンとポリオレフィンを合計した収益性に力点が置かれるので両者間のトランスファー価格をめぐる問題は少ない(それでも社内の移管価格をどう設定するかは、オレフィン部門とポリオレフィン部門それぞれの部門の損益に直撃するのでそれぞれの部門長は真剣になるところではある。社内では移管価格の設定をめぐりいつもホットな議論が繰り広げられる)。
 このトランスファー価格の問題が本質的に厳しくなるのは、オレフィン事業とポリオレフィン事業が別会社で行われる場合である。Basellの場合がまさにそれにあたる。
 同社のポリオレフィン事業は統合を繰り返す前は、もともとはBASF、She11、Hoechst、ICI、Montedisonなどオレフィンを持つ各社のポリオレフィン部門であった。しかしポリオレフィン事業の切り売りが繰り返されるに伴って、オレフィンを持つ会社から切り離されていき、ポリオレフィン事業とオレフィン事業が切り離されていった。
 エチレン、プロピレンといったオレフィンは、それほどの数量ではないもののそのほかの誘導品向けに市場で取引されているため、市価がある。ポリオレフィン事業を売却したオレフィンの会社は、ポリオレフィン事業はもはや他社の事業なので、市価より安く売る必然性がないと主張する。Basellの親会社である BASF や She11でも似たような状況があった。
 Basellの資本構成はShe11とBASFの50:50であるが、両者がBasellに供給するオレフィン量は等量ではなかった。そこで、両親会社はオレフィンを原価で売る理由がないだけでなく、市場から市価で購入するオレフィンよりも親会社が安く売る理由はないと主張する状況があった。これらの結果、Basellの購入するオレフィン価格は市価が基準となっていった。

原料価格とポリオレフィン価格の緊張関係

 石油化学のビジネスでは、ポリオレフィンの市価とオレフィンの市価との価格差を「スプレッド」とか「ポリオレフィンのマージン」と呼ぶ。この「スプレッド(マージン)」の範囲内にポリオレフィンのオレフィンコスト以外の加工費(ポリオレフィン工場のオレフィン以外の製造コストや、ポリオレフィン販売にかかわる人件費や配達コストなどを含む)が収まっていれば、オレフィンを市価で購入してもポリオレフィン会社は利益を上げることができるはずである。ところがこれが難しい。簡単に言えば、ポリオレフィンの加工費が「スプレッド」内には収まらないのである。つまり、オレフィンを市価で購入したのではポリオレフィン会社は利益をあげていくのが難しい。
 少し前になるが、インドネシアとフィリッピンのPE工場が操業を休止したこどが報じられた。エチレン市価の値上がりがPE市価の値上がりより大幅で、「スプレッド」がますます縮小してしまい、PE工場を操業するメリットがなくなったので操業を停止したいうのだ。
 これらのPE会社は、エチレンプラントとインテグレートされておらず、エチレンを市価で購入せざるをえないため、もともど収益力がない状況にあったが、さらにオレフィン価格の高騰でつくればつくるほど赤字になって操業休止に追い込まれたのだ。両国のPEは高い関税で守られていて、PEの販売価格は国際価格よりも割高であったが、それでも「スプレッド」が厳しすぎたのだ。
 もう1つのニュースも興味深い。オレフィンもポリオレフィンも両方とも生産しているインテグレートされた会社が、自社のポリオレフィンを減産してその分のオレフィンを外販に振り向けて利益を増やしたという(ExxonMobi1、ChandraAsri、Titanなどの事例)
 これはポリオレフィン価格とオレフィン価格の「スプレッド」が小さいため、自社でポリオレフィンをつくるメリットがない、むしろオレフィンで外販したほうが、ポリオレフィンにして加工度をあげて売るより儲かるというのである。これらの状況は、原油、ナフサの高騰のため、オレフィンの価格がよりシビアにアップし、ポリオレフィン価格との「スプレッド」がさらに縮まったという特別な面があるが、通常時をとってもオレフィンを市価に置いた「スプレッド」ではPE、PPはその加工費をカバーし利益をあげるということができないのである。

ポリオレフィン会社にとって原料とのインテグレーションの問題

 では、ポリオレフィンの会社はオレフィンをどうしてきたのか、一方、そのような高値の市価のオレフィンを誰が買っているのか、まず後者からみてみよう。
 市場において市価で取引されているオレフィンは、塩ビモノマー、スチレンモノマー、エチレングリコールやアクリル酸など、オレフィンの使用原単位が1よりはるかに小さい誘導品向けが中心であり、欧米でもアジアでも取引量はそれほど多くはない。それらの誘導品はオレフィンの原単位が小さいため、高価格のオレフィンでもコストの一部でしかなくコスト吸収力がある。それらのオレフィン原単位の小さい製品向けの需要がオレフィン市価を支えている。
 一方、ポリオレフィンは原単位が1であるから(つまり等量のオレフィンを消費するので)、オレフィンコストはそのままポリオレフィンのコストを直撃する。それでは、ポリオレフィンを生産する会社はオレフィンをどうするか。彼らは@オレフィンを自ら生産する、すなわち両事業を自らインテグレートする、か、Aオレフィン会社と資本関係を構築して、市価ではないオレフィンを購入する仕組み、すなわちインテグレートに近い構造をつくる、ようにしてきた。
 言い換えると、塩ビモノマーなどオレフィン消化の少ない誘導体の会社はオレフィンとのインテグレートの関係を持たなくても存続できるが、オレフィンを等量の規模で大量消費するポリオレフィン会社はインテグレートの関係がないと存続できない。
 インドネシアやフィリッピンなどでPE、PPだけを生産する会社め事業が行き詰まるのはオレフィンを買ってPE、PPをつくるには「スプレッド」が小さすぎ、加工費がカバーできないからだ。PE、PPの国内価格が高関税で守られて国際価格より高く売ることができても、原料のオレフィンとインテグレートされていないとPE、PPの製造会社は存続がむずかしいことを示している。

Basellの低収益が続き投資会社に売却

 Basellは事業規模を大胆に拡大した結果、PE、PPの加工費については低減効果を上げたはずである。しかし、他方でオレフィンとのインテグレートが切れていき、オレフィンを市価べ一スの高い価格で購入することを強いられた。すなわち、加工費のコストダウンはできたがそれ以上に原料オレフィンのコストアップがきつくなっていった可能性がある。
 実際、She11は、Basellは望ましい利益を上げてないが、She11のオレフィン部門は高収益をあげていると説明する。She11はBasell向けにもオレフィンを販売しているので、Basell向けのオレフィンも高収益を上げているのであろう。そもそもShe11にとっては、Basellが高いオレフィン価格であってもやっていけるように、Basellの規模を拡大させていった狙いがあったのかもしれない。しかし、結局、これだけ事業規模を拡大させたBasellは低収益が続き望ましい収益を上げることができなかった。
 Basellを切り離すに至った問題が低収益力の問題であることは親会社の説明するところである。もはやBasellの低収益の問題を解決するため、さらにBasellの規模を拡大させようという方向はない。
 ではどうするのか。両親会社はBasenを第三者に売却するという結論を出した。しかし、Basellにとって問題は続く。国際的な化学会社のプロが経営しても利益があがらない事業を、買った会社がはたして高収益の会社に転換できるのか。買い手として手をあげる化学会社はなく、結局、投資会社が買うことになったが、Basel1の基本的な構造問題である原料オレフィンについては、インテグレートがさらに遠のくことはあっても、近づくことはない。
 BasenはShe11やBASFから工場の管理運営面で恩恵を受けていたであろうが、それも切り離されていくであろう。Basellを買った会社がそれを高収益会社に転換する道は容易ではない。

Shell、BASFにとっての新たな問題

 一方、She11やBASFにどっては別の問題がある。Basellを切り離したあとにBasellの低収益が続く場合、Basell向けにオレフィンを販売して儲けるどいう現在の構造を維持できるのかどうか。Basellを買った会社が不採算のPE、PP工場を止めていくかもしれない。また、どこか別なオレフィン会社からオレフィンを買うかもしれない。また、Basellが自分でオレフィン工場を持つことがありうる。Basel1にとっては自分でオレフィン工場を保有することは夢であったからだ。
 She11やBASFにとってはオレフィンの販売で儲けるこどができるので、下流のポリオレフィン事業は不要、というのは近視眼的な対応であろう。
 さらに、She11やBASFにとってはBasellの切り離しは今後の両社の事業展開に大きな影響を与える。She11やBASFがオレフィンプラントを新設しようとするとき、いままではオレフィン誘導品のPE、PPは自分の関連会社であったから上流のオレフィンと下流の誘導品をセットにして最適計画をつくれたが、これからは有力な誘導品をもはや自社グループに持たないことになる。オレフィンの外販のほうが儲かるからそれを中心にオレフィンプラントをつくれるか、というとオレフィン外販の市場規模は小さいため、オレフィンプラントの規模を競争力ある国際規模に組み立てることができない。
 オレフィンに特化して儲けるという戦略は限界があり、そうなると、有力な誘導品を持たないことはShellやBASFにとって将来の事業展開を制約することになっていく可能性がある。
 このようなBasell的な生き方、またShe11やBASFのような生き方、つまりポリオレンはポリオレフィンだけで生きていく、あるいはオレフィンはオレフィンだけで生きていく戦略をどの会社も取っているのではない。オレフィンとその誘導品のインテグレートを重視する会社としては、ExxonMobi1があり、日本の多くの化学会社がそうである。これらの会社はオレフィンとPE、PPのインテグレーションを競争力の特徴としている。長期的な事業展開力という点で、インテグレートされた会社およびそのコンプレックスの強さ、したたかさがこれからさらに明確になっていく可能性がある。
 ではなぜ、このような分かりやすい罠に欧米の会社が陥りやすいのか、が問題となる。短期の利益重視思考が強まってきていることがあげられる。儲からない事業は切り売りすろのが当たり前のプラクティスになった。この思考回路にはいると上流、下流に密接な依存関係があっても、悪い(儲からない)下流を切り離す選択の必然性が高まる。上流にたとえ悪影響が出ても、それは下流を切り離さない理由にはならない。そういう選択しか取りえないほど欧米の会社の資本の論理は強くなっている。

Basellおよび欧米化学会社から学ぶべき重要な課題

 このところ従来の通説が通用しないことが増えている。 
 従来の通説では、「日本の化学会社は規模が小さく、欧米の化学会社は規模が大きい。だから欧米の化学会社は競争力がある。日本の化学会社には競争力がない。しかも欧米ではさらに事業統合が進んでいる。欧米の化学会社はますます強くなり、日本の会社はますます離されていく。」と言われていた。
 Basellの成立はその事業統合の巨大さと華々しさから、欧米の成功例であり、日本の遅れの象徴であるど通説ではいわれてきた。しかし、実態はうらやましい展開をたどってはいない。
 また、その規模の大きさからもてはやされたドイツの旧IG 3社の1社のHoechstは消えてしまい、その後の展開にも存在感がない。多くの欧米の化学会社は再編成のなかで、いろいろを事業を切り離していった。低収益を理由に切り出された事業会社は、その後困難に遭っている会社が多い。
 米国化学企業21社を対象にした調査(2004年2月7日 Chemica1 & Engineering News)は、売上高に対する研究投資の比率はこの10年で最低の3.8%になり、99年の最高値 4.5%を大幅に下回る状態になっているといっている。欧米の化学会社の中には、極端に足元のキャッシュフローを重視する経営になった会社が出てきている。長期的なことより今の足元のキャッシュフローを増やすことが最重要の戦略・戦術となるので、利益の上がらない事業の切り離しや研究費の削減が進行する。
Basellを巡る問題に限らず、どうすればよいかというこどを本当は企業経営者は分かっているが、それを選択できなくなっていることが本質的な問題ではなかろうか。わが国も資本の論理が強まってきている。欧米で進行していることはひとごとではない。Basellの事例は欧米化学会社の再編成の蹉跌の事例としてわれわれにいろいろと考えさせる。