2011/8/29 化学工業日報

欧米の化学産業の変遷
 ドラスティックな「選択と集中」

 産業革命以降、世界の化学産業を牽引した欧米の化学産業は、20世紀後半から大きくその姿を変えた。合成染料、電解ソーダに始まり合成樹脂、合成繊維、合成ゴムの3大分野を中心に、石油化学で数々の技術を開発した欧米化学産業は、20世紀の大半を世界の化学産業の主役として君臨してきた。いまも売り上げ世界1、2位は欧米化学企業だ。しかし、この四半期で産業構造は大きな変化を遂げた。キーワードは「選択と集中」。企業活動の戦略を示すこの言葉が、産業構造自体に反映されたのが欧米化学だ。そして、これが大きなうねりとなり、世界の化学産業はいまも変化を続けている。新興市場の急成長、石油化学における中東諸国の台頭も変化の促進要因だ。市場のボーダーレス化が一段と進むなかメガ競争と呼べる状況にあり、さらなる変化へとつながることは確実だ。


構造的問題と2度の石油危機 問われる“総合”化学

大型再編の始まり
 欧米化学産業の構造変化には複数の要因がある。1つが医薬品や農薬など収益の高い事業と景気循環に左右される化学品を同じ会社に抱えるという構造問題だ。総合化学企業と呼ばれたこうした企業は、医薬品で専門企業と競争する一方、石油化学などの景気循環に対応しなければならないという問題に直面していた。有機合成をキ―ワードに有機化学から農薬、医薬品事業を有し、多様性と事業規模で圧倒してきた欧米化学企業は、総合の意味を問われることになった。
 再編のもう1つの要因は2度にわたるオイルショック。70年代前半、中東紛争をきっかけに一気に4倍の値段に上がった原油は、イラン・イラク戦争で再び上昇、これが北米での化学産業再編の契機となり、欧州に広がっていった。

石油化学の主役交代
 1985年、米モンサントが「これからの石油化学は産油国および石油メジャーが主役となる」として石油化学からの撤退を宣言、同事業に代わる柱としてバイオテクノロジーを選択、農業関連企業としての道をひた走ることになる。同社は石油化学事業の主力だったスチレン事業を独バイエルに売却、ナイロン樹脂などの化学品事業をソルーシアとして分離独立させる一方、種子事業やバイオテクノロジーでM&Aを展開、現在では米国最大の種子、農薬企業としてのポジションを構築している。
 米国は同年を境に化学産業の再編に突入、ストウファ一、ペンウォルト、ダイヤモンドシャムロック、オーリンなどの名門化学企業が次々と再編に巻き込まれた。エポックメーキングとなったのがダウ・ケミカルとユニオンカーバイドの合併、さらにダウ・ケミカルによるローム・アンド・ハースの買収だ。汎用化学品では、オキシラン法で一気に酸化プロピレン産業の最大手の1つに躍り出たアーコ・ケミカルがラインデルに買収された。
 モンサントの予言は21世紀になって完全に現実のものとなり、大型の石油化学プラントを建設する主役は、アジアやそのほかの新興国の一部を除いてサウジアラビア、カタール、クウェート、UAEの国営企業と欧米メジャーが組む構図に移った。また日本との合弁事業「IJPC」を通じて石油化学技術を習得したイランも、その豊富な原油・天然ガスを使って大型石油化学プラントを相次いで建設、稼働させている。

欧州企業にも飛び火
 米国で始まった化学産業の再編は90年代に入って欧州に飛び火する。スタートは英語圏として米国の影響ををいち早く受けた英国。高圧法低密度ポリエチレンを開発し欧州を代表するICIは93年、株式買い占めに危機を抱いた経営陣が、収益性の高い医薬品、農薬、スペシャリティ化学品からなるセネカと化学・樹脂を中心とするICIに企業分割を発表、欧州はその後、ドミノ現象のように化学企業の再編が押し寄せる。BASF、バイエルとともに旧IGファルベンの1社として世界の化学企業を代表していた独ヘキストが、米ダウ・ケミカルから医薬品のマリオンメレルダウを買収したのをきっかけに、同じく買収したルセル・ユクラフとヘキスト自身の医薬品事業を統合し、ヘキスト・マリオン・ルセル(HMR)を設立、一方で化学事業の売却に乗り出した。酢酸チェーンとボリアセタールなどエンジニアリングプラスチックを軸とするセラニーズを分離、炭素事業のSGLカーボン、塗料事業のハーバーツなどを次々と売却、ここで得た資金を医薬・農薬事業の拡大につぎ込んだ。ヘキストの再編はさらに進み、医薬品・農薬を中心とする事業体が仏ローヌ・プーランの同事業群と統合、アベンティスとして発足した。アベンティスはその後、医薬品は仏サノフィに買収され、農薬はバイエルが買収、欧州の名門ヘキスト、ローヌ・プーランは消減した。こうした過程で多くの欧州化学企業がその名を消す。ポリプロピレン(PP)を開発した伊モンテジソンはENLの化学部門と合体、その後複数事業・会社に分かれ、PP事業は幾多の変遷を経てバセルに統合、現在ではライオンデルバセルとなっている。
 バセルは欧州の石油化学産業の再編を凝縮している。同社は最終的にシェルのポリオレフィンとBASFの同事業が合体したものだが、モンテジソンのほか、ヘキストの同事業、ICIの同事業などが統合されている。
 製薬・農薬産業での勝ち残りを目指した化学産業の再編はスイスでも起こり、チバ・カイギーとサンドのライフサイエンス事業が合体してノバルティスとして発足。その後、農薬事業がゼネカの同事業と統合され、世界最大の農薬会社であるシンジェンタとなっている。またサンドの化学品部門は、ヘキストのスペシャリティケミカルと合休しクラリアントとなって、現在も欧州を代表するスペシャリティケミカルメーカーとなっている。

BASFとバイエル-
 こうした統合の嵐のなかで生き残ったのが独RASFとバイエル。独BASFは医薬品部門を売却、ポリオレフィン事業をバセルとして分離する一方で、ロシアのガス事業に投資。安定性の高いエネルギ一事業を構築するなか独メルクの電子化学品、デグサの建設用化学品を買収。さらにエンゲルハードの買収で触媒事業を強化するなど、得意とする化学品を軸に事業構造の転換を進める一方、中国など新興国での投資を拡大、事業、地域の多様性を実現して世界最大の化学企業に躍り出ている。
 バイエルは化学品事業をランクセスとして分離、素材科学としてポリカーボネート(PC)樹脂、ポリウレタン事業に集中、さらに農薬関連、医薬品を軸とするヘルスケアの3本柱に絞り込み、景気循環に強い企業体質を確立している。

スペシャリティの台頭
 製薬や農薬事業で生き残りをかけるM&Aが続いた結果、化学領域では「スペシャリティケミカル」に軸足を置いた企業が誕生した。代表の1社は97年にノバルティスから分離・独立したチバ・スペシャルティ・ケミカルズだ。98年11月にはクラリアントとの合併を表明したが、その1カ月後にはこれを撤回、翌年早々にポリマー添加剤、イメージングコーティング添加剤、家庭用品およびパーソナルケア製品向け特殊化学品、顔料、水処理剤を成長事業に位置付ける方針を明らかにした。エポキシ樹脂や衣料用染料事業などを売却して事業の再構築を進める一方、プラスチック添加剤、コーティング関連、ウオーター&ぺーパートリートメント、繊維関連、ホーム&パーソナルケアといった需要産業に対応した組織を導入するなど、スペシャリティケミカル産業のビジネスモデルをつくり上げた。しかし、買収効果が見通しを下回り、原料高騰に耐える企業体質を確立できず、業績が十分に改善しないままBASFが2009年に同社を買収し、その幕を閉じた。
 1990年代後半はスペシャリティケミカルが景気変動に左右されにくい産業とされ、株式市場からの評価も高かったが、原料が高騰するなかで、自社製品の販売価格を思ったように引き上げることができなくなり、業績が悪化する企業も少なくなかった。同時に、買収に巨額を投じたばかりに、多大な負債を抱えて経営難に陥る企業も出始めた。ICIはその典型で、97年にユニリーバの特殊化学品を買収し、汎用化学品事業からの撤退を決めた。ユニリーバの事業の買収額は当時の為替レートで1兆円に達し、買収によって生じた負債が常に経営の足かせになっていた。株価も低迷し、08年にアクゾノーベルが同社を買収してその姿を消した。

戦略転換で勝ち残り
 スペシャリティケミカルメー力ーが明確なポジションを確立できないなか、DSMは15年をかけて事業転換を成し遂げた。5年ごとに経営計画を策定し、具体化してきた。計画をスタートする前年の下期に内容を固めて公表、計画期間中に目標を達成することで株主や従業員など多くのステークホルダーから高い信頼を得た。05年までの計画では石油化学事業から撤退、ロシュのビタミンとファインケミカル事業などを買収しライフサイエンス、パフォーマンスマテリアル、工業用化学品などに事業を絞り込んだ。10年までの計画ではエラストマー、肥料、メラミンなどの非戦略的事業から撤退、化粧品やバイオメディカルなどの事業を強化するための買収や三菱化学との事業交換によってアジア地域を中心とするボリアミド事業を強化している。こうした計画を通じてニュートリションや食品関連製品、医薬品関連などのライフサイエンスと、エンプラや高機能材料などのマテリアルサイエンスを主力事業にする体制をつくり上げ、11〜15年の計画では成長に主眼を置く。
 DSMの戦略転換に対応して、同社の石油化学事業を買収したのはサウジ基礎産業公社(SABIC)。この買収で欧州に生産拠点を確保した。07年にはGEプラスチックを買収、エンプラ市場の主役に躍り出た。同社は炭素繊維事業への進出を決めており、事業の多角化を積極的に進めている。


M&Aが再び活発化
 金融危機を契機に下火になった化学企業の買収・合併は、今年に入り再び活発化している。7月にはロンザがアーチ・ケミカルスを14億ドルで買収することを発表した。製薬企業などからの受託合成を主力事業にするロンザは、防腐剤をはじめとする製品群を手掛けるマイクロビアルコントロール事業を持っている。バイオサイド(防菌防カビ剤)大手のアーチ・ケミカルズの買収によってこの事業を強化する。5月末にはアシュラントが約32億ドルでインターナショナル・スペシャルティ・プロダクツ(ISP)を買収することを決めた。また2月にクラリアントがズード・ケミーを、3月にはソルベイがローディアを買収することで合意しており、再編劇は続いている。