3-37.雑感(その37 - 1999.3.23)或る小さな農薬メーカーの悲鳴

  SDSバイオテック(以下SDS)という農薬メーカーの経営者の方が、深刻な面もちで大学に来られた。従業員200人弱の小さな農薬会社で、今は昭和電工の子会社だが、これまでには、いろんな化学会社の子会社を経験しているとのことだった。訪問の目的は、ダコニールという名の農薬(殺菌剤)のことだった。

? 私たちの研究室は、農薬中の不純物であるDXN(ダイオキシン)が、歴史的に見れば、日本のDXN汚染の主要な要因であるという研究結果を発表してきた。そして、今年の1月のワークショップで、農薬中のDXNの量を分析し、発表した。その結果は、衝撃的なもので、過去に日本の水田に投入された除草剤PCPとCNPの中の不純物のDXNの量(TEQ)は、米軍がベトナム戦争で枯葉剤として撒いた量(TEQ)より、遙かに多いことを示していた(農家の物置を探せ!を、参照)。
ワークショップで発表された論文には、それ以外にもDXNを微量ながら不純物として含む農薬として、TPNとMCPのデータがあった。このTPNが、実は、ダコニールの原体なのである。これは、今でも使われている農薬だが、その不純物のDXNの量はあまりにも小さいので、何も論じなかったし、気にもしていなかった。
ところが、ダコニールがあたかも、所沢のお茶と関係しているかのような記事が、3月1日発売のAERAに掲載された。根拠は、ワークショップに出した益永教授の論文(この研究の最終責任者は、中西である)であった。
そして、AERA発売直後から、SDSには、「ダコニールは問題だ」という声が寄せられ、売れなくなる危険性が高くなってしまった。ダコニールは、30年前から作っている農薬で、今は、年700トンほど生産しているが、SDSの利益の半分以上が、この農薬の稼ぎだから、ダコニールが生産できなくなれば、会社はつぶれてしまう。「我々にとっては、死活問題。本当に、ダコニールは危険ですか?我々は、いろいろ試算しているけど、危険とは思えない。リスクは極めて小さいように思える。どうか、考えを聞かせて欲しい」ということで、丁度益永さんが、5月までの予定で渡米中なので、私が、話を伺った。

? SDSは、以下のように話している。
?"ダコニールは、日本だけでなく、米国、英国、ドイツ等でも認可されて使われている。米国EPAにもダイオキシン不純物に関するdataを提出しており、その上で認可されている。SDSの分析結果でも、極く微量のDXNは含まれているが、横国が今回出した濃度よりさらに低いし、EPAの基準値より、ずっと低い。
さらに精度を上げた分析を依頼中だが、たとえ我々(横国)の分析結果を認めるとしても、リスクは極めて小さい。そのリスク計算が妥当か否か見て欲しい"というものだった。
その算出経過は、合理的なもので、計算するまでもないのだが、TDI(耐容一日摂取量)などとは比較にはならないほど些細なものだった。
 分かりやすくするために、一番だけ簡単な数値を示そう。
TPNの全生産量700トンの中に含まれるDXNの量(TEQ)は全量で0.3グラムである。今、DXNの日本の年間排出量が、5000グラム程度かと言われているので、それと比較してほしい。そのリスクを論ずる必要もないほど小さいことが分かるだろう。
? ところが、DXNは悪い、どんなに少量でもやめるべきだという、リスクをわきまえない感情論が世間を覆っているから、生産をやめろという圧力が企業にかかり、まさにひとつの企業をつぶそうとしているわけである。
もちろん、ダコニールという農薬の主成分に問題があり、生産をやめなければならないなら、理解できる。また、DXNの不純物が、農業者に大きなリスクとなっていると推定する根拠がある、だから、禁止すべきというなら、理解できる。私は、ダコニールそのものがいいか、悪いか、或いは、それを使っている、農業現場で何がおきているかについては、知らない。
 不純物のDXNが農作物に移り、一般の人の健康に影響を与えるという理由で、また、我々の研究室のdataだけが原因で、ダコニールが生産中止になるのは、理不尽だと言っているのである。こういうことでは、研究結果も含めて情報公開はできなくなる。
 ここで、ダコニールを製造中止にしたら、何が起きるのだろうか?もちろん、別の農薬に替わるだけである。その農薬の方が、ダコニールより、環境や健康にいいという保証は何もない。ダコニールだって、基準値には適合しているのだから。
 DXNの毒性は強いが、それが通常の日本人に与えているリスクは、他のリスクと比較して、それほど大きくはない。今議論されているTDIも、他の物質には適用されていないような厳しさをDXNにのみ、求めているような面がある。当初は、DXNによりがんがおきる、奇形児が生まれるということが散々言われた。しかし、その主張の根拠は、実は薄弱だったこと、そして、それらのリスクは、極めて小さいものだということが分かってきた。今度は、内分泌攪乱性によって、神経系統や免疫能力に悪影響を与えることが問題と言われるようになってきた。それは、DXNの濃度によってはあるかもしれない。しかし、他の化学物質は、そこまで考えて規制していない。だから、今、議論されているDXNのTDIは、他の化学物質に比較して、特別に厳しいものである。
? 何かを槍玉に挙げて、排除する。これが、いつも日本の環境対策である。きちんとリスクを算出して政策が採用されるのではなく、あくまでもムードだから、代替物のリスクより小さいかなど、検討もされない。要するに、ダイオキシンでなければいいというだけである。農薬の場合は、特に“何らかの毒性は必要”だから、代替物の方が、全体としてリスクが小さい保証はない。ダコニールが30年も使われていることは、少なくとも、全体として問題の少ない農薬だということではないのだろうか?

昨年、環境ホルモンだということで、ビスフェノールAや、スチレンダイマーが問題になった時に、これは、使い捨て思想の変形だなという思いをもった。何か問題があるという噂が広がる、やめてしまえとなる、新しい商品を求めるという連鎖だ。これまで使っていた製品を作るまでにどれだけエネルギーと知恵を使ったかを、考えず、とりあえず、新しい商品に乗り換える。別の意味の、使い捨てだ。それができるのは、いくらでも代替物があると考えるからである。
もう少し、ゆっくり考えてみよう。そして、環境問題は、ハザード管理ではなく、リスク管理が必要なんだということを、くりかえしだけど、訴えたい。
SDSの方の話を聞いていて、そのうしろに、従業員の人たちの悲鳴が聞こえるように思った。だから、これをホームページに書くことにした。

 


3-40.雑感(その40 -1999.4.13)A教授の憂鬱
 

 私たちの研究室は、今年の1月に開かれたワークショップで、日本でかつて大量に使われた水田除草剤、PCPとCNPにダイオキシン類の2378体(注1)が、含まれていたと発表した。しかも、それらの毒性換算量(TEQ)は、総量でベトナムで散布された枯葉剤の量を超え、わが国で都市ごみ焼却炉から排出されていると推定される量と比較して10倍程度高いという推定を出した。この結果は、都市ごみ焼却炉だけを目の敵にしたような論調や行政の政策の変更を求める、歴史的な研究だと自負している。
 しかし、と言うべきか、だからと言うべきか分からないが、朝日新聞を除くジャーナリスムは、これを完全に無視し、相変らずベトナムの写真を流し、焼却炉だけおいかけている。表面での無視とは裏腹に、水面下で我々の研究グループにかけられている圧力と誹謗中傷、直接的な脅しは、背筋が寒くなるほど厳しい。これについては、もう少し事情を調べてから、また書くとして、ここでは、ダイオキシンを長く研究してこられたA教授が、ジャーナリストに語った、我々に対する非難を紹介し、それに対する私の考えを書きたい。
 A教授は、1時間にわたって我々の研究を非難し、「あれは科学ではない、でたらめだ、科学以前の人間性の問題だ」と断じたとのことである。と言っても、これは私が直接聞いた訳ではない。聞かされた人からの伝聞である。だから、少しニュアンスが違っているかもしれない。その意味では、virtual worldのA教授とした方がいいだろう。

A教授の主張

1. 我々も何回もCNPを調べたが、2378体は一度も検出されていない。あんな結果が信用できるか?人騒がせである。
2. コンタミである。農家の物置にあった古いものがどうして信用できるか?実験管理が悪いにすぎない。
3. 反応工程から考えて、2378体ができる筈がない。
4. 8塩素化物ができるなんて、常識以前の問題である。

中西の意見

1. (CNPに2378体はない)について

 A教授は、何年製造のCNP含有農薬を調べたのか、その検出限界はどの程度か教えてほしい。我々の今回の結果でも、1984年以後の製造(と推定される)のCNP中のDXN(ダイオキシン類、TEQで表示)は、5ppb以下である。高いのは、それ以前の農薬である。
 ここで、思い出すのだが、私は1971年、東京都の浮間下水処理場から、水銀が毎日88kg、鉛が1370kg、隅田川に放流されている事実を発表した時のことである。そのことが報道された新聞で、東京都下水道局は、「水銀は流入水も放流水もゼロ」「水銀は分析が難しいから」測定値は信用できないというコメントを出した。そして、関係者に、中西のデータは信用できないという大キャンペーンを展開した。我々の測定結果は、放流水中の水銀が0.52ppmで、それに水量をかけると、88kgになるのだった。東京都下水道局の主張にも拘わらず、浮間下水処理場は、1973年廃止になった。後で分かったことだが、東京都下水道局の測定結果は、0.49ppmであったが、彼らは、0.5ppm以下をゼロとすると決めていたのだった。それでも、最初のキャンペーンでは、データがちがうと言って反論するのである。
A教授だけでなく、今回多くの方が反論を展開しているが、不思議と、CNPのことだけである。TEQの量としては、PCPの方が大きい。しかも、わが国では、今まで、PCPについてもCNPについても、2378体がないという報告はあるが、2378体があるという報告はいままでに一つもない。PCPだけ考えても、農薬中のDXNはもちろん問題である。にも拘わらず、全く報告がない。何故だろう?しかも、今回もPCPについては反論もない。外国で測定例があるからだろうか?
 PCPについては、外国で5の測定例があり、今回我々の測定数4を合わせ、9の測定データを用いて、我々は推定した。今回の4つの値は、外国で発表されている5つの測定結果の範囲に入る。
 もし、CNPの測定がおかしいというなら、何故、PCPもおかしいと言わないのだろう?コンタミがあるとすれば、同じである筈だ。
 それから、我々の測定数が少ないともA教授は言っているようだ。しかし、今まで、世界中で議論されているPCPも5測定例しかない。そのデータで、どこでも推定を行っている。これに、我々は4例を加えた。随分大きな貢献だし、他より精度が高くなっていると思うのだが、違うだろうか?
 CNPは、今まで公式に発表されているのが、2例、私信を加えて3例で、いずれもゼロ。今回の測定が、5例。これを用いて推定することが、それほどいけないことだろうか?
 「これは、代表値ではない。確率だ」とA教授は言ったそうだ。そのとおり。だから、私たちの示した値より高いこともあるし、低いこともある。ただ、測定値が他になければ、これを用いて推定するしかない。今まで、0という推定をしてきた。我々の推定にも不確かさはあるが、ゼロという推定よりは確かだということははっきりしている。

注1:2378の位置に塩素を有するダイオキシンとフランの17の異性体の総称。ダイオキシン類は210の異性体からなるが、この17種だけが有害とされている:正確には異性体とは言わないが、なじみのある言葉の方がいいと考えて、ここでは敢えて使う

2. (コンタミ説)について

 コンタミは、二つの点で言われている。一つは、農家の物置にあったものが信用できるかということ、もう一つは、実験過程でのコンタミである。後者は、どこにでもあるミスの一つだが、同時にこれだけの数を分析し、ひらきのある値が出ている。そして、ここで問題になるのは、低い値のサンプルではないから、それほど大きな問題にはならないと思う。
 最初の問題について考えよう。農家の物置においてあるものを探した。これが、我々のポイントである。つまり、古いものが問題だという発想である。だから、時間の経過で反応を受けることもあろう。紙袋に入っているのもあるから、空気は入るし、一定の湿気は入る。しかし、そういうことで、ダイオキシンが生成するだろうか?或いは、微量ながら、分解はするかもしれない。しかし、物置での放置で、濃度が高くなるなんて考えられない。もし、そういうことがあるなら、水田に散布されたDXNは、環境中で増えることもあるのだろうか?
 我々は、最終的に環境中の濃度を問題にしている。だから、環境中でおきるかもしれない類似の変化なら、保存中の農薬におきても構わないのである。しかし、DXNの性質から考えて、そのようなことがおきるとは考えにくい。
 コンタミは、通常それよりDXN濃度が高いものが近くにあることによって起きる。しかし、そんなものが身近にない。たとえ、農薬がふたもない容器に入れられて10年も放置されても、DXNの濃度はそれほど高くはならない。DXNとは、濃度の高いものがない、不純物でしか存在しない物質なのである。それを、忘れて、コンタミという。もう少し考えてほしい。何が、ありうるコンタミの原因物質か?繰り返しになるが、低い値については、コンタミのことも慎重に考えた方がいい。しかし、高い値の方は、コンタミが原因とは考えにくい。
 もし、PCPとCNPについて、今回我々が発表したような高い値がなかったとしよう。そうすると、水田の土壌中のDXNの濃度が高いことが説明できない。
 我々は、約590kgのDXNが日本の水田に散布されたと推定した。これを、日本中の水田に平均すると、水田の土壌1グラム当たり、70pgくらいになる。かなりの部分が流出しているから、現状では20?30pg/gと推定される。松山平野での測定値は、4.5?226pg/gであるという(Wakimoto)から、いい一致である。
 この総量は、PCPだけが原因だとしても説明できる。しかし、それでは、水田土壌中のDXNの異性体分布が説明できない。農薬中のDXNを否定して、水田土壌中のDXNの存在を、どう説明するのだろうか?水田が、最後の証明をしてくれるだろう。

3. (反応工程)について

 私は、この反論に驚いた。なぜなら、大学教授が、不純物ができないということを保証するほど、工場の工程や、原料の純度について、知っている筈がないからである。
 しかも、今回の不純物は、CNPについての最高値でも、TEQ総量で7.1ppmである。ひとつひとつの異性体では、さらに低い。そういう不純物が全くできないということを、どうして証明できるのだろうか?それが、不思議でならない。
たとえ、企業だとしても、そのような微量の不純物ができないと保証できるのだろうか?もし、CNPが反応工程から否定されるなら、PCP中のDXNは、企業は知っていてその工程や原料を採用したということだろうか?

4.(8塩素化物)について

 我々は、異性体組成を発表していない。

5.最後の感想

 このA教授の怒りを聞かされて、私は最初は、何を怒っているのか分からなかった。考えているうちに、この怒りは、憂鬱からきていると思うようになった。