日本経済新聞夕刊 2003/2/3--

ドキュメント挑戦 「農」は宝の山 中嶋農法

土壌改良、1万軒に指導
 「おかげさまで、よう育っとります」「おお、よかばい」。中嶋常允(とどむ、83)が農家を回ると、日焼けした生産者たちがニコニコと話しかけてくる。家族総出で出迎え、中嶋の手を取って歓迎する高齢者もいる。
 中嶋は熊本市にある農業科学研究所の所長で、「中嶋農法」を提唱、実践している。農地を診断して多すぎる栄養素を減らし、足りないミネラルを加えると、農作物がすくすく元気に育ち、おいしくなる。
 農業の世界では時の人だ。土壌成分を分析して土づくりや営農を指導している農家は全国に約1万軒。ここ数年、ぐんぐん増え、集団で指導を仰ぐ産地も多い。大手スーパーなどが相次いで「中嶋ブランド」の青果物を売り物にし始め、“中嶋野菜”を使うレストランも人気を呼んでいる。
 「特定の栄養素が多すぎ、農地が富栄養化していて、人間で言えば生活習慣病。だから力がなく、不健康な農産物がまん延している」と中嶋は言う。過剰なのは主に窒素、リン酸、カリウム、つまり肥料の三大栄養素だ。肥料は農作物の大事な食料だが、過多になると栄養のバランスが崩れ、病虫害が発生しやすくなる。だから農薬の出番が増え、農地も農作物もさらに不健康になる。
 足りないのはマンガン、鉄、亜鉛、銅などのミネラル分。過剰なら害をもたらすが、ごく微量なら酵素の働きを活発にする元気のもとだ。人体に不可欠な、この「微量栄養素」は、土にも農作物にも活力を与える。
 高精度の分析機器で土壌の成分を16項目に分けて定量分析して、診断グラフを作る。ほとんどが栄養過多だから、肥料の投与を抑え、ミネラルを足した土壌改良材や葉面散布剤といった「ミネラル剤」を与える。
 終戦直後に農業を始め、独自に研究を重ねて、地力とミネラルバランスの大事さに気付く。1959年に農業科学研究所を創設。成果に注目したエ−ザイと組んで、土壌分析とミネラル剤の販売を本格化させた。今では土づくりや営農指導とは別に、土壌分析の依頼も年に約1万件ある。
 一緒に産地を回り、中嶋農法で育った野菜や果物を食べた。イチゴ、ナス、パセリ、トマト……。どれも自然な色で、みずみずしく、甘い。実が詰まり、健康そうだ。
 中嶋農法は魔法の農法ではなく、生産者による丹精が欠かせない。水や太陽にも注意を払い、作物の葉、芽、茎、果実の形態などを観察して、丹念に育てている。「農業は生命産業」という中嶋の持論が実感できる光景だった。

 

付加価値、経営にもプラス

 熊本市土河原町の農業、高木宏(55)のパセリは「日本一」と評判だ。卸値が5キロ1万5500円。普通は4、5千円だから、3倍以上の高値が付く。
 ハウス栽培が主力で、1日に200−300キロを出荷する。首都圏からの注文も多く、生産が追いつかないほど。どぎつい青さではなく、ナチュラルな緑色。食べると、えぐみや苦みがなく、ほんのりと甘い。 
 肥料や農薬を減らし、ミネラルの力で農地と作物をよみがえらせるーー。この「中嶋農法」の生みの親、中嶋常允の指導を受けて17年になる。「パセリは飾りで、食べ物ではない」。そんな風評を努力で吹き飛ばした。「スーパーのバイヤーたちは『ミネラルたっぷり』を高く評価してくれる」と高木は言う。
 熊本県宇土市の本田泰博(34)はキュウリ栽培に打ち込む二代目。「マニュアルでやる仕事は嫌だ」と思って農業を継いだ。「腕と知恵と頑張りが反映する職人芸の世界」と考えたからだ。「達人」だった父親の代から中嶋に師事する。
 本田は「収穫量が増えない」と悩んでいる。肥培管理は難しく、土作りに完成はない。だが、本田のキュウリは真っすぐで、太かった。トゲトゲしていて、みずみずしい。「本物のキュウリは曲がっているというのはウソ。栄養のバランスがいいと真っすぐ育つ」。生のまま丸かじりした中嶋は満足そうだった。
 農業を取り巻く環境は厳しさを増している。しかし、中嶋は「土作りから取り組む生産者は、生命とのつながりを実感できるから心が豊か」と話す。「作物に付加価値が付くので経営的にも豊かになる」。60年近く土と向き合って得た結論だ。
 全くの素人だった。明治大学商学部を出てすぐに召集され、大分陸軍少年飛行隊学校の教官に。そして敗戦。両親が満州(中国東北部)にいて戻る場所がない少年飛行兵2人を連れて熊本に戻る。同じような身の上の3人も加わり、5人を養い、学資を稼ぐため、1945年12月に農産物加工の有限会社を起こした。
 独学だった。植物生理、土壌肥料、医学などの貴重な文献を手に入れては読み、現場で実証して、正しいか間違っているかを模索しながら検証し続けた。
 何でもやって、知識を蓄え、学んだ。創業直後に熊本特産のサツマ芋を腐らせる「南風病」が流行、畑に芋が山積みされていた。観察してみると、繊維は腐っていたが、でんぷん質は大丈夫。洗い出して抽出し、すったダイコンを入れると、ジアスターゼという糖化酵素の働きで甘くなる。煮詰めて作った水あめを売った。
 親たちはなかなか引き揚げてこない。作業を終えると、みんなでラジオの「尋ね人」を聴いていた。
 研究と実証を重ね、やがて在野の土壌学者、ミネラル研究家、農業指導者として農家の信頼は徐々に高まった。だが、増産一辺倒の時代に肥料や農薬の投与を抑える「中嶋農法」は役場や農協、農業試験場の専門家からは異端視された。
 「農協から収穫が減ったらどうすると詰め寄られ、『損害は賠償するから』と説いて回った」。それから半世紀。中嶋は賠償金を一銭も払っていない。

土壌学の権威が「お墨付き」

 「出会いに恵まれた」。ミネラル(微量栄養素)を重視した「中嶋農法」を掲げ、全国の農家に土作りや営農を指導している中嶋常允はこう思っている。
 肥料や農薬を減らせ、と説く在野の土壌、農業研究家を信奉する農家は次第に増えてはいたが、農水省や農業試験揚などの目は依然として冷たかった。
 1985年に中嶋が出版した「土を知る」(地湧社)がそんな風潮を変えた。東大農学部教授で土壌学の権威、八幡敏雄が読んで「卓見に満ちている。読むべし」と推奨した。当時の土壌物理学会会長の弁だから、影響力は絶大だった。
 「僕の先生だ」と言いながら、八幡は教え子たちが多い農水省を連れ回してくれた。中嶋は大いに恐縮したが、素人、異端といった見方は薄らいでいった。
 「土を知る」で中嶋は、大地を生命が還(かえ)り、再生する源ととらえ、土と作物の濃密なつながりを説いた。そして「土の素(もと)は岩石」という当時の"常識”に反して、生物の死がいの堆積(たいせき)が土のルーツと唱えた。
 太古、海の生物が陸に上がってきて、藻類は植物に、魚類は動物に進化した。これらの死がいが酸素と微生物の働きで分解され、積み重なって土になったーー。生物のリサイクルが作り上げた「命の財産」である土の実力を忘れ、化学肥料や農薬で栄養過多にして、地力を衰えさせたのだ。
 中嶋の原点になった出会いは、終戦後間もなく訪れた。渋沢栄一翁の孫で、大蔵大臣や日銀総裁などを歴任した敬三の知遇を得た。地力の大事さを説明する中嶋の意見に共感して、「日本の復興は土作りから。全国土壌マップを作りなさい」と励まされた。手探りだった中嶋は勇気百倍、土の研究にのめり込む。
 クスノキとの「出会い」も大きかった。熊本市の花畑公園に、今も市民に親しまれる老木が葉を茂らせている。樹齢七、八百年。73年の夏、突然、葉がはらはらと落ち始めた。
 市の公園課に行き、係員と一緒に木の周りを掘って根を採取、拡大鏡で「発根組織」と呼ぶ根の赤ちゃんを確認した。「枯れない」と思い、ミネラルを含んだ改良剤を与え、市民が踏み固めた土をふかふかと軟らかくして、通風を良くした。クスノキは見事によみがえり、中嶋は名を上げた。
 こうした出会いや経験から、「土の健康は農作物の健康につながり、それを食べた人間を健康にする」と確信し、医療とのかかわりが本格化した。中嶋は今、半世紀以上の歴史を持つNPO法人(特定非営利活動法人)「日本綜合医学会」の理事長でもある。
 東洋医学の振興を目指す団体で、医薬品偏重で合理性重視の西洋医学への反省を踏まえ、「医食同源」や「自然治癒力」などを合言葉に、予防医療の研究や啓発に熱心だ。中嶋農法の野菜を患者に勧める会員の医師も少なくない。
 これまで農学と栄養学と医学はそれぞれの領域に立てこもりがちだった。「土と作物を手がかりに、生命や健康をトータルで考えるべきだ」と言う中嶋の言葉通り、こうした分野の連携が深まれば、農業にも新しい可能性が開けてくる。

 

シェフの人生観変えた野菜

 店の名は「泥武士」という。熊本市の繁華街、水道町にある有機レストランで、50ある席は毎日ほぼ満員になり、週末は予約が取りにくい。若い女性のグループやカップル、背広姿の人も家族連れもいる。
 メニューの主役は野菜料理で、中嶋常允が指導する「中嶋農法」で育てた野菜がほとんどだ。オーナーシェフの境眞佐夫(52)は「中嶋農法のホウレンソウを食べて人生観が変わった」と語す。10年前の出来事だった。
 境はイタリア料理を修業してきた。得意なのは、本人も大好きな肉や魚を使ったメニュー。野菜は嫌いだった。何を食べても苦いと感じたからだ。当時、グルメブームのらん熟期で、熊本にもレストランが乱立、競争が厳しくなった。
 「個性を出さないと生き残れない。パンチのある売り物はないか」と知恵を絞っていたある日、中嶋の講演会にぶらっと出かけた。「野菜がまずいのは化学肥料のやりすぎ」「肥料や農薬をやめ、ミネラル(微量栄養素)を与えればうまくなる」「農政は生産効率の向上と増産ばかりを追いかけ、おいしさや健康の追求を忘れている」−−。
 辛口の農業批判がずばずば飛び出した。口の悪いじいさんだ、と思ったが、強く引きつけられた。中嶋を訪ね、ホウレンソウを食べてみて驚いた。生のままで口に入れたが、苦みやえぐみがなく、甘かった。ほかの野菜も果物もうまい。
 「野菜が生きている」というのが実感で、売り物にしようと決めた。「微妙で優しい味、そして甘さやコクを生かすには今の調味料では駄目」と天然素材を探し回った。肉や魚は「履歴」にこだわり、コメや酒も有機を使うようになった。
 初めにオーガニック(有機)ありきではなかったが、「おいしさプラス健康」を模索した結果、そこに行き着き、話題の繁盛店になっていた。食の安全神話を揺るがす事件が続発して、最近一段と客が増えた。
 料理は野菜を主役にシンプル。例えば、人気の野菜のしゃぶしゃぶ。昆布だしにニンジン、レタス、春菊、ネギ、シイタケを入れて煮るだけ。野菜たちは香りが強く、味は甘くて濃厚だ。
 年に200日も通ってきた中年男性は「『要注意』だった肝臓も腎臓も含めてオールAになったよ」と人間ドツクの“成績表”を見せてくれた。「野菜嫌いの子供がもりもり食べる」と喜ぶ母親もいる。「ダイエットでき、元気になった」という若いOLも多い。
 「中嶋農法」との連携はビジネスチャンスを広げた。モスフードサービスの子会社「四季菜」と連携して、東京の自由が丘に4年前、有機レストラン「AEN」を出した。ここでも中嶋野菜がメーンだ。その後、新宿店もできた。
 AENはミネラルの代表選手、亜鉛のことで、鉄や銅と同じく、体内の酵素を活性化する。細胞分裂を助ける働きもある。両店とも繁盛している。そして今年4月、東京・銀座に「泥武士」の直営店が開店する。
 熊本の2倍近い94席の店だ。「本物の野菜が主役の時代がやってきた」と境は意気込む。「舌で味わうより、体が欲する材料を出す」と言う境は勝算あり、と自信を見せる。