2001/1/15 メドジーン バイオサイエンス/第一製薬

メドジーン バイオサイエンス(株)と第一製薬(株)がHGF遺伝子医薬品に関する販売契約を締結

メドジーン バイオサイエンス株式会社(以下メドジーン、社長:冨田 憲介 後、
アンジェスMGと改称)と第一製薬株式会社(社長:森田 清)は、メドジーンが今後の基礎的研究とその後の開発を経て将来治療の場に提供する予定のHGF(Hepatocyte Growth Factor、肝細胞増殖因子)遺伝子医薬品の日本における販売契約に関して、今般、合意に達しましたので、お知らせ致します。

これにより、第一製薬は日本において、HGF遺伝子医薬品を末梢動脈疾患治療薬として独占的に販売する権利を得ました。

HGFは血管新生作用を有するたんぱく質で、本剤はHGFを産生する遺伝子を用いた国産初の遺伝子治療のための遺伝子医薬品です。虚血部位へ投与することにより血管新生を促し、虚血状態を改善することから、末梢動脈疾患(閉塞性動脈硬化症、バージャー病等)などへの効果が期待されます。また、従来の薬物と異なる作用を持ち、既存の薬物療法が不十分な患者、手術が困難な患者においても効果が期待されます。

メドジーンは、遺伝子治療用遺伝子医薬、核酸医薬及び新規ベクター等に関する研究開発を通して、人類の健康に貢献すべく1999年12月に設立されたバイオベンチャーで、
遺伝子医薬の基礎技術を開発した大阪大学と協力してその実用化に取組んでいます。
今回、循環器領域に高い実績を有する第一製薬の販売力に期待し、本剤の日本における販売権を供与することと致しました。

第一製薬は、末梢動脈疾患の分野では塩酸チクロピジン(商品名:パナルジン)、アルガトロバン(商品名:スロンノン)を販売しております。今後循環器領域において、さらに製品群の充実を図るとともに、本剤の販売を足がかりとして、再生医療への第一歩を踏み出します。

平成14年4月

HGF遺伝子治療薬の末梢性血管疾患分野における米国及び欧州、並びに虚血性心疾患分野における日本、米国及び欧州の販売に関し、
第一製薬株式会社と提携

<ご参考>
―HGF遺伝子医薬品の特徴・医療上の意義―

HGFは強い血管新生作用を有することが知られていますが、本剤はHGFを産生する遺伝子を虚血部位に投与することで、局所にHGFたんぱく質を発現させ血管新生を促して虚血状態の改善を図るもので、国産初の遺伝子医薬品です。本剤は、ウイルスベクターを用いないnaked DNAであり、ウイルスベクターに由来する副作用を回避できます。
また、従来の薬物の作用機序と異なり、血管新生により虚血状態を改善するため、既存の治療法が無効な難治性の末梢動脈疾患に効果が期待できる画期的な治療となる可能性があります。

―用語の解説―

1. 遺伝子医薬品(gene medicine)
遺伝子または遺伝子の一部を有効成分とする医薬品。
   
2. 肝細胞増殖因子(hepatocyte growth factor:HGF)
肝細胞から発見された増殖因子で、血管新生作用を有する他、発生過程における器官形成や傷害に伴う組織・器官の再生において重要な役割を担う。
   
3. 末梢動脈疾患(peripheral arterial disease)
四肢の末梢血管が閉塞することにより、筋肉や皮膚組織が虚血状態に陥り、しびれ、冷感、間歇性跛行、安静時疼痛、下肢潰瘍などの症状を示す。閉塞性動脈硬化症やバージャー病等がある。
   
4. naked DNA
遺伝子がうまく働くためには、遺伝子が細胞の中に入る必要があるが、遺伝子はそのまま細胞に近づけても細胞の中に入っていくことはできない。そこで、細胞の膜を突破し、細胞の中に遺伝子を運ぶ役目をする「運び屋」が必要になる。通常、この「運び屋」としてウイルスを改良して使うことや、リポソームに導入遺伝子を封入して細胞内に取り込ませる方法が一般的だが、本HGF遺伝子医薬品では、プラスミドDNAと呼ばれる遺伝子を環状にしたものを使用する(naked DNA法)。プラスミドDNAだけでは、細胞の膜を突破する力は弱いが、筋肉内に注射する場合は遺伝子を発現することができる。この方法は、ウイルスやリポソームの持つ感染性や細胞毒性を心配する必要がなく、安全性の高い方法である。

―会 社 概 要―

メドジーン バイオサイエンス株式会社(MedGene Bioscience, Inc.)
本  社 : 大阪府豊中市上新田1丁目24番C-1101号
取締役社長 : 冨田憲介
設  立 : 1999年12月
資 本 金 : 11百万円(2000年11月末現在)
従業員数 : 12名(2001年1月1日現在)
事業内容 : 遺伝子医薬の研究・開発・製造など
   
第一製薬株式会社(Daiichi Pharmaceutical Co., Ltd.)
本  社 : 東京都中央区日本橋三丁目14番10号
取締役社長 : 森田 清
設  立 : 1918年1月(創業1915年10月)
資 本 金 : 452億46百万円(2000年9月末現在)
従業員数 : 3,894名(2000年9月末現在)
売 上 高 : 2,475億06百万円(2000年3月期)
事業内容 : 医薬品の研究開発、輸入、製造、販売

読売新聞 2002/9/24ー        http://www.yomiuri.co.jp/genki/index.htm

シリーズ元気  医局発ベンチャー

(1)白衣脱げばビジネスマン

 「おばあちゃん、どお? 痛みはないですか」
 窓下に万博公園の緑が広がる大阪大病院(大阪府吹田市)7階の病棟。老年・高血圧内科助教授の森下竜一(40)がニコニコしながら、ベッドの女性患者(70)に軽やかな口調で声をかける。「いいえ、おかげさまで。先生、ありがとうございます」。森下の人懐っこい笑顔に、女性の表情も思わずゆるむ。

 女性は血管を新たに作らせる肝細胞増殖因子(HGF)の遺伝子を足に注射し、血液の流れを良くする遺伝子治療を7月に受けた。足の血管が詰まって血が流れなくなる「閉そく性動脈硬化症」で左足指が壊死、切断しなければならない状態だったが、治療後は症状が進まなくなり、少しずつ歩けるようになった。

 阪大で昨年から始まった遺伝子治療の臨床試験は21人に実施された。「今のところ、8割ほどの患者さんで効果が出ている感じ」と、手応えを語る。

 この病気の患者は国内だけで100万人以上、年間1万人が足を切断するという。有効な治療法がないだけに期待は高い。

 
日本人研究者によって発見されたHGFに血管新生効果があることを見いだし、治療法として応用したのが森下だ。新しい医薬品や医療技術のほとんどが海外から輸入される中で、珍しい“純国産”治療。

 森下に注目が集まる理由は、それだけではない。安全性チェックなど、遺伝子治療を支援する
ベンチャー会社「アンジェスMG」(本社・大阪府豊中市)を自ら設立したのだ。白衣を脱いで大学を一歩出れば、取締役としてビジネスマンに変身する。

 アンジェス社の急成長ぶりがまた、ものすごい。1999年12月の創業時は資本金1100万円、社員数人のちっぽけな会社が、今や資本金7億円、社員約70人の規模に。25日には大学発ベンチャーとして初めて、株式を上場するところまで来た。米国法人を昨年10月に作り、世界戦略も着々と進めている。

 「日本人も世界の医療に貢献できるんだということを実践したい。サムライの心意気です」。170センチ、90キロの丸い体に、いつも笑みが絶えない丸い顔。周りから「竜ちゃん」と呼ばれ、親しまれている。

 アンジェス社会長の冨田憲介(53)も、そんな笑顔に魅了されてしまった1人だ。「あの顔で頼まれると、助けてあげたくなってね」。フランスの大手製薬会社副社長の地位を捨てて、経営に参加した。

 アンジェスとはフランス語で「天使」を意味する。天使の志を抱く、サムライたちの足跡を追いかけてみよう。

 

(2)たたき込まれた“米国流”

 医師であり、ベンチャー起業家の森下竜一の原点は米国留学にある。大阪大大学院卒業後の1991年夏から約3年間、当時、米スタンフォード大循環器科主任教授だったビクター・ザウ(56)に師事した。
 そこで徹底的にたたき込まれた“米国流”は、祖父、両親ともに医師の家庭で育ち、幼いころから医の世界に親しんできた森下にとっても、驚かされることの連続だった。

 93年9月のある日、森下はザウの教授室に呼び出された。「リュウイチ、君の特許が売れたよ」

 特許の内容は、血管内の細胞が増え過ぎて詰まる病気を、遺伝子に似せて人工合成した物質を使って防ぐというもの。森下が中心になって開発した最先端の治療法で、研究論文が米国科学アカデミー紀要に掲載されたばかりだった。

 それがベンチャー会社に150万ドル(当時の円換算で約1億5000万円)で売れたのだ。「よくやった」とほめられるのかと思った瞬間、ザウが激しい言葉を浴びせた。「おまえの仕事が遅いせいで、うちのラボ(研究室)は1ケタ損をしたじゃないか」

 同様の治療法を半年早く発表したハーバード大の研究グループは3000万ドルを手にしたという。森下らの方法は2番手扱いされ、評価が下がったわけだ。

 「論文や学会発表の前に、とにかく特許だった。特許が高く売れれば、それだけ研究費を確保できる。日本では考えられなかったから、衝撃を受けたなあ」

 米国では、大学や研究機関の特許取得と民間への技術移転を促進する法律が80年に制定され、基礎研究の成果を産業につなげる動きが活発化した。主役になったのがベンチャー企業だ。将来性のある特許を手に入れて効果や安全性を確認し、販売権などを大手メーカーに売る。あるいは特許の持ち主自身がそれを実行する。森下の留学時には、ベンチャーはごく当たり前になっていた。キャンパス内にはノーベル賞受賞者の会社もあったほどだった。

 どれほど優れた治療法を研究室で生み出しても、実用化され、一般の病院で使えるまでに定着しなければ、病気で苦しむ人たちを救えない。そのために必要なシステムを追求したのが、米国流の臨床研究と応用のあり方だといえる。

 森下をどなりつけたザウだったが、その功績は認め、「研究費をいくら使ってもいい」という特別待遇を与えた。

 森下は94年春に帰国して阪大へ戻り、米国での成果をもとに、遺伝子治療など様々な新治療法の実現に向け活動を始める。だが、日本では足りないものがあまりにも多かった。


(3)苦肉の策「自分で会社を」

 森下竜一が、米国留学から帰国してから5年。1999年2月、冨田憲介が森下の研究室を訪れた。
 冨田は当時、フランスの大手製薬会社ローヌ・プーラン(現・アベンティス社)副社長。同社の医薬品事業部から遺伝子治療などを扱う部門を独立させた「RPRジェンセル」の日本法人社長も兼務しており、訪問は、いわば遺伝子治療の「敵情視察」だった。

 初対面の2人は、冨田が日帰りの予定を変更し、すし屋に場所を移して話し込むほど盛り上がった。

 冨田は森下の寂しげな様子が頭にこびりついている。森下はその前年の10月、所属していた加齢医学と、新設された遺伝子治療学を兼務する助教授に就任。12月には肝細胞増殖因子(HGF)を用いた血管新生遺伝子治療の臨床試験を学内申請するなど、はた目には順調に見えた。

 しかし、話すうちに状況が類推できた。「HGFは世界的に見てもかなり有望だったんですが、理解している人は少なかった。いら立ちがあったんでしょう」

 冨田は岡山大病院と共同で肺がんの遺伝子治療計画を進めており、自前の血管新生遺伝子を開発中だった。「遺伝子治療で最初に産業化されるのは、血管新生。これが我々の世界の常識になっていた」

 冨田がその思いを抱くようになったのは、95年11月。ジェンセルと共同研究していた米タフツ大のジェフリー・イズナー博士(故人)が、血管新生遺伝子治療の動物実験に世界で初めて成功した、と同社の理事会で報告した。血管造影写真では、血流が絶えたはずのウサギの足にくっきりと血管ができていた。「これはいける!」。冨田は身震いした。

 遺伝子治療は90年以降、様々な試みがなされた。最も期待を集めたのはがんだったが、複数の遺伝子が関与し、発病の仕組みも複雑なため、成果が出なかった。血管新生が実現すれば、動脈硬化や心筋こうそくなど、血管の損傷で血流が悪くなって起きる多くの病気に応用できる。行き詰まりつつあった遺伝子治療に、新たな方向が示された。

 イズナーはほどなく独立、自らベンチャー企業を設立し、世界に先駆けて臨床試験を始める。欧米の各社は97年ごろから、血管新生効果のある遺伝子の権利をめぐって争奪戦を繰り広げていた。

 「森下のHGFも、億円単位で買いに来る会社があっても良かった。ところが、全然ないというんだから」

 意外に感じた冨田はほろ酔い気分で森下に切り出した。「こうなったら自分で会社を作ったらどうですか」。「じゃあ、作ってくれない?」。森下の一言で冨田は後に引けなくなった。

 

(4)「薬品製造のプロ」口説く

 森下竜一の会社は冨田憲介の支援を受け急速に具体化した。冨田の人脈で出資者、経営者らが集まり、1999年12月、アンジェスMGの前身「メドジーン」社が産声を上げた。国内の大学から初めて、欧米のような先端医療ベンチャーが生まれたのだ。

 ただし、できたのは会社という器だけ。研究施設・資金もなく、何より人材が足りない。「遺伝子治療用薬の製造ノウハウを知る専門家が必要だ」。森下の脳裏にある人物が浮かんだ。

 その男は黒のサングラスにアタッシェケースといういでたちで関連学会や国際会議に出没。在米20年に及び、日本人らしからぬ風ぼうや言動もあって、関係者の間では“怪しい東洋人”で通っていた。しかし、治療用遺伝子を細胞に入れる技術に最もたけた日本人と、誰もが認める存在。それが、小谷均(50)だった。

 小谷は90年に世界初の遺伝子治療を行ったフレンチ・アンダーソン博士(65)が設立した遺伝子治療専門ベンチャー「ジェネティック・セラピー」社で、開発責任者を務めていた。

 その名が日本で一躍広まったのは、95年に北海道大病院で実施された日本で最初の遺伝子治療。患者は免疫に関する酵素を生まれつき作れないADA欠損症の子どもで、セラピー社が手がけたケースと同じだった。小谷は同じ製法で遺伝子を組み込んだ薬を供給するなど、全面的に支援した。

 「日本では先端医療の第一例目は絶対に失敗できない。いわゆる和田移植でつまずいた心臓移植の二の舞いは避けたいと、多くの人から頼まれて」

 遺伝子治療ではベンチャー企業の影響力が強い。高度な技術、厳密な安全性の確認が要求される反面、実用化の見通しは不透明なため、大企業は手を出しにくい。代わりに小回りの利くベンチャーが活躍する。

 メドジーン設立時、小谷は大手製薬会社に吸収合併されたセラピー社を離れ、フリーだった。森下は毎晩のように自宅に電話をかけ、熱っぽく誘った。

 小谷は迷った。大学院卒業後は一貫して米国でキャリアを積み、家族も米国社会に同化している。だが、森下らのビジネスに限りない可能性と魅力を感じた。これまでの経験を生かし、日本の遺伝子治療に貢献したいという“大和魂”もあった。2000年4月、家族を米国に残し、研究開発本部長として入社、同年11月に副社長に就任する。

 社外から支援するつもりだった冨田も、日本で前例のない挑戦に参加したい気持ちが高まって6月、社長に就任。ここに最強の布陣がそろった。


(5)職人芸よりも使える技術

 冨田憲介と小谷均が加わったことで、開店休業状態が続いていたメドジーン社(現・アンジェスMG)は息を吹き返した。
 創業者の森下竜一は経営に直接かかわる気はなかった。「僕はあくまで医者で研究者、会社経営は素人だからね。そのために最も適した人材をポジションごとに招いたんだよ」。会社設立翌年の2000年4月から、国立大学教官が民間企業役員を兼業できるようになったが、森下は顧問の肩書で通す。取締役になるのは同年11月からだ。

 小谷は帰国3日後から、提携先や出資先を探すために企業回りを始める。説明資料を作ろうとパソコンに向かった時、日本を離れて久しいことを改めて実感した。「『メ』って字はどう打つんだっけ?」。英語だけの生活をしていたので、日本語のかな変換がわからなかったのだ。

 「一字ずつ入力方法を電話で聞いたりして、3行書くのに2時間ぐらいかかった。実際の説明でも半分以上は英語になってしまい、相手も困ったでしょう。最初の半年は苦労しました」

 それでも業界における小谷の知名度は高く、メドジーン社の信頼度は上がった。

 研究成果を産業に結びつけるノウハウを知る小谷は、研究室で半ば眠っていた技術をよみがえらせる。

 森下の所属する大阪大遺伝子治療学の教授、金田安史(48)が開発した、ウイルスの機能の一部を利用し、細胞内に遺伝子を入れる方法だ。高度な技術を持った一部の研究者にしか作ることができず、品質もばらばらになりがちだった。このため、実験用として重宝されたものの、人を対象とした臨床試験に使われるまではいかなかった。

 小谷はこれに目を付けた。「全くの独自技術だけに、うまくいけば社の主力商品にできる」。金田と共同研究を始め、数か月後には単純な工程で製造できる方法を確立した。

 小谷との作業は金田に大きな刺激を与えた。

 「昔は製造や品質管理なんて、興味を持つ研究者はいなかった。とにかくいいものを作りたいだけだった。でも、それでは一般に広まらないと悟った。シンプルで高品質なものを作らないと、企業は関心を持ってくれないし、治療にも使ってもらえない」

 職人芸よりも、誰にでもできる技術こそが重要――。ベンチャーとの共同作業が、日本の研究者の意識を変えていく。

 その年の8月、化学メーカーの
石原産業(本社・大阪市)が、この遺伝子導入技術の製造・販売権を得る代わりに、開発費を支払うという契約をメドジーン社と結んだ。森下らにとって、最初の到達点になった。


(6)“幽霊屋敷”研究室に化けた

 石原産業との提携が決まったころ、研究開発を売り物にするベンチャー企業の要の研究施設が、大阪府池田市の大阪工業技術研究所(現・産業技術総合研究所関西センター)内で整備されていた。
 「えっ、ここが?」と思うくらい古ぼけた、小さな2階建てビル。中に入ると最新機器を収めた研究室、無菌室が姿を現す。研究者の退職後1年半ほど放置され、幽霊屋敷のようになっていた建物を借り受け、内部を改装した。「入れ物に見えを張っても仕方がない」と森下竜一が笑うように、翌年同じ敷地内にできた第2研究棟に至っては取り壊し寸前の工場跡だった。

 いずれも格安の賃貸料で、当初は部屋代、電気代ともタダ。同技術研の有機機能材料部長だった田口隆久(49)と共同研究する契約だったからだ。

 田口は当時、森下が研究施設の入居先を探して相談に訪れた近畿バイオインダストリー振興会議の幹事。同会議は関西の産官学による団体で、バイオベンチャー育成に力を注いでいた。

 森下と会った田口は「このベンチャーはちょっと違うな」と感じた。「目標や時期などの事業計画がしっかりしていた。これなら手伝えるし、意義も大きい」

 資金面でも、経済産業省の関係団体が公募する研究開発費を得て、「人・場所・金」がそろった。

 しかし、すべてが順調だったわけではない。

 肝心の肝細胞増殖因子(HGF)遺伝子治療計画は、学内承認後の99年11月、国に申請したが、専門委員会の審議に時間がかかり、認可の見通しは立っていなかった。

 がんを促進する危険性や効果そのものに対する疑問などが出され、森下らはそのつど回答したが、要は欧米での臨床データの全くないHGFに信用がなかったといえよう。

 突出した活動を続ける森下にも何かと風当たりが強かった。当時、ベンチャー起業は「大学教官が金もうけに走っている」と見られがちで、何度か中傷文書が出回ることも。

 「社会への還元という観点で、もっと評価されていいと思っていたけれどね。ただ、“上の人”が支えてくれたので、心強かった」

 その一人が大阪大加齢医学教授の荻原俊男(58)。森下の活動に余計な口出しはしなかった。「彼のバイタリティーならできると思ったから、大いにやんなさいと」。荻原の研究室はかつて「第4内科」と呼ばれた。言葉は悪いが医学部の本流でないところが、若手の自由な活動を生む土壌となったかも知れない。

 一方で、森下らの事業を大きく飛躍させる契約交渉が進んでいた。


(7)上場へ外部から社長招く

 森下竜一たちのメドジーン社は、提携する製薬会社探しに奔走した。肝細胞増殖因子(HGF)の遺伝子治療薬の販売権を売り、研究開発費を得るのだ。
 だが、難航した。交渉役の冨田憲介は製薬会社の担当者から同じ質問をされるたびに、うんざりした。

 「遺伝子治療って、薬じゃないでしょ。何を売れというんですか」

 遺伝子の異常で起きる病気に対し、正常に働く遺伝子を入れて機能を修復するのが遺伝子治療と思われがちだが、森下たちのように、遺伝子を細胞内に入れて病気の治療に役立つ物質を作らせるタイプもある。化学物質の代わりに遺伝子を投与するのだから、従来より一歩進んだ「薬」だ。

 ほとんどの製薬会社が関心を示さない中、素早く反応したのが
第一製薬(東京都中央区)だった。

 数か月の交渉を経て2001年1月、合意に達した。第一製薬が国内販売権を独占する代わりに、実用化までの費用をすべて負担する。森下たちにとっては、破格の内容だ。

 窓口となった、当時の第一製薬研究開発戦略部長・采孟(うねつとむ)(54)は、米国に赴任していた時に、留学中の森下と知り合った。笑顔で「采さん、助けてよ」と頼まれたこともあるが、ビジネスとしての冷静な計算も働いた。

 「新分野に参入する魅力を感じた。自社で開発するリスクも避けられる」

 メドジーンの経営は一気に安定した。冨田は達成感と共に、ある決意を固める。「次の人にバトンを渡す時期だ」。外資系製薬会社幹部の地位を捨て、1年近く無給で働き続けたが、創業の荒波を乗り切る役割は十分に果たした。


 冨田の意向を汲(く)み取った森下はその年の3月、これまでとは異色の人物を社長に招いた。外資系証券会社を渡り歩き、ベンチャー企業への出資会社も経営する
村山正憲(42)だ。

 森下には次の大きな目標に取り組んでくれる人材が必要だった。大学発ベンチャー初の株式上場だ。

 「社内には対応できる人材がいなかったので、外部から招いた。身軽なベンチャーならではだね」

 世界に通用するバイオ企業を育てたいと考えていた村山も、以前から森下らに注目していた。「何か支援できないかと思っていたが、まさか社長になるとは……」

 新たなリーダーを得て、森下らは株式上場に向けて走り出した。審査に時間がかかった遺伝子治療の臨床試験も3月に認可され、6月からスタートした。

 10月には米国法人を設立、社名を「アンジェスMG」と改めた。ドイツに似た名前の会社があるとわかったからだ。ベンチャーは次の段階に入った。

 

(8)社運賭けて米国進出へ

 東京証券取引所に高らかな鐘の音が響き渡る。アンジェスMGは先月25日、新興企業向け市場「マザーズ」へ株式を上場した。新規上場企業を迎える恒例セレモニーで、森下竜一ら5人の取締役は順に木づちを握り、重さ80キロの鐘を力いっぱい打ち鳴らした。
 「大学発ベンチャーの一つの例を示すことができた。感無量だね」。森下は晴れやかに笑った。

 初日の取引では売り出し価格の22万円に対し35万円と、まずまずの値を付けて終了。その直後、森下らは記者会見に臨んだ。この日の立役者は村山正憲だが、村山は上場3週間前に社長を山田英(えい)(52)に引き継いでいた。

 山田はアンジェス社の中で最も肝細胞増殖因子(HGF)を知る、“ミスター・HGF”だ。

 HGFは1980年代後半に発見され、90年代前半はその名が示す通り、肝臓病治療への応用が研究の中心だった。山田はそのころ大手化学会社の医薬部門に勤務、HGFの共同研究や特許業務を担った。その後、医薬品の権利関係を扱う会社に移り、そこでもHGFを担当する。森下の誘いで昨年5月に入社、実用化推進の指揮を執る。

 会社設立、株式上場、実用化……節目ごとに専門家を社長に起用する。森下の戦略だ。

 山田は会見で「製品化の目標は2005年。国産の遺伝子医薬を世界に広げたい」と言い切った。

 その第一歩は米国進出。上場6日前、森下たちは、社の命運を賭けて、米国立衛生研究所の委員会に臨んだ。HGF遺伝子治療の臨床試験を米国で実施するための計画を提出していた。

 委員会は、遺伝子治療や遺伝子組み換え技術の安全性や倫理問題を審査する。認可権は米政府にあり、委員会は計画が妥当かどうかを検討するだけだが、その意見は強い力を持つ。

 医学者、法律家、倫理専門家などの委員から、質問を次々と浴びせられた。2時間の審査後、賛否が問われると、二十数人の委員全員の手がすっと挙がった。

 「おめでとう」。傍聴席にいた米国の遺伝子治療研究者らが次々と握手を求めてきた。日本発の遺伝子治療が認められたのだ。


 森下たちは、大きな山を越えた。実用化に向けての試練はこれからも続くが、大学や研究者の姿を大きく変える引き金になろうとしている。
 森下は上場で得た収益をもとにバイオベンチャー支援の基金を設立する予定だ。「もっとこの動きを広げたい。まだまだ、これから」。いつもの笑顔を見せた。

 



http://dnd.rieti.go.jp/habatake/001.html 

 
HGFは、大阪大学の中村敏一教授ら日本の研究者が80年代後半に発見した、日本由来の遺伝子である。森下氏は、この遺伝子に血管を新たに作り出す性質があることを見つけた。動脈硬化によって詰まった血管にHGFを投与すると、新たに血管が作り出され血の流れを回復させることができる。
 この画期的な
治療方法の特許をまず米国で申請、取得した。多くの動脈硬化の患者を抱えている米国は市場性が高いと踏んだからだ。その後、森下助教授はHGF遺伝子自体の特許を持つ三菱東京製薬(現三菱ウェルファーマ)の冨沢龍一社長(当時)と直談判、富沢社長は森下氏の熱意に打たれてその特許の使用を承諾した。
 
HGF遺伝子とこれを用いた治療法の二つの特許を両方押さえたことで、第三者が入り込む余地がなくなり、全世界で独占的に事業展開できる礎を築いた。山田社長は「森下先生の高邁な精神と先見性のあるビジネスマインドがこのVBを生んだ」と語る。
 一方、事業化のパートナーについては国内の大手医薬品メーカーを中心に行脚し、その志に賛同した第一製薬の森田清社長と意気投合。第一製薬では、動脈硬化や心筋梗塞などに対する有効な治療法がバイオVBによって確立されれば、いずれ大きなメリットがあると踏み、2001年1月にアンジェスMGと業務提携し共同戦線を張った。これで数百億円以上かかるという膨大な治療薬開発費のめどがついた。


2002/12/12 ユニチカ

ハナビラタケの事業化決定について

 当社は、生活健康事業を成長事業として主要ドメインに位置付け、従来事業で培ったバイオ技術、繊維技術などを使った様々な商品の事業化を進めています。
 この度、機能性食品としてアガリクス茸の3 〜4倍のβ―グルカンを含有するハナビラタケ(ハナビラタケ科・Sparassis crispa )の生産・販売について事業化を決定いたしましたのでお知らせいたします。
 ハナビラタケは、標高1 千メートル以上のカラマツ等の針葉樹に特異的に発生する茸で、キノコ愛好家でさえ目にすることは希であり、その希少性から幻の茸といわれていました。また、ハナビラタケにはその希少性ばかりでなく、アガリクス茸の3 〜4 倍のβ―グルカンを含有することが確認されておりましたが、その人工栽培は困難なものとされてきました。
 当社は、抗潰瘍活性が高いβ―グルカン(グルカンはグルコースが集まったポリマー多糖体)を豊富に含有するハナビラタケについて、大阪大学、岩手医科大学と共同研究を進めてまいりました。マウス実験の結果、Th1 細胞を活性化し、細胞傷害性反応やマクロファージの活性化を誘導する一方で、Th2 細胞を抑制し、IgE の発生を抑制し、アトピー症状を軽減するという免疫調整作用を確認しました。
 さらに、血糖値抑制効果や、高コレステロール改善効果も見出しており、機能性の高い食用キノコとして健康食品や食材として利用が期待できます。
 このほど当社では、栽培方法等の改良により、β―グルカンを40 %以上含有するハナビラタケの人工栽培に成功し、量産が可能と判断するに至りましたので、生産・販売の事業化を決定いたしました。
 現在、アガリクス茸をはじめとする健康機能性食品の市場規模は約300 億円と言われており、今後も成長が期待できる分野であると注目されています。当社は抗潰瘍活性が高いβ―グルカンを豊富に含むこのハナビラタケが、健康機能性食品の市場ニーズにマッチした素材であると確信し積極的に市場参入を図っていきます。
 
1 .生産販売計画
 ハナビラタケの研究・試験生産については、これまで当社中央研究所(京都府宇治市)において実施してまいりました。事業化決定に伴い、平成15 年1 月に当社豊橋事業所(愛知県豊橋市)内に、専用工場の建設に着手(4 月完成予定、設備投資金額5 億円)します。

 1 )生産量   生産能力200トン/年
 2 )販売計画   初年度(平成15 年度)  5 億円
5 年後(平成20 年度) 50 億円

2 .ハナビラタケの特長

  1 ) 学名Sparassis crispa 、ヨーロッパではカリフラワー・マッシュルームと呼ばれている
  2 ) 色のキノコで、直径20 〜40cm の葉ぼたん状に成長する。
  3 ) ナビラタケに含まれるβグルカンは、主としてβ1 ,3D −グルカンであり、抗潰瘍活性が強い。
  4 ) 抗潰瘍活性が高いβグルカンの含有量が豊富であり、キノコ類の中でも突出している。
(アガリクス茸の3 〜4 倍)
  5 ) 和・洋・中いずれの食材としても、美味で、独特の歯ごたえがある。

 


日本経済新聞 2002/12/14

エーザイが米工場増設 医薬品の現地需要拡大

 エ−ザイは来年10月をめどに米ノースカロライナ州の医薬品工場を7割強増設する。米国内で主力品の需要が伸び、既存設備では供給が追いつかなくなったため。収益環境の悪化で投資を控える製薬会社が多い中、海外事業拡大のための設備投資を加速する。
 同州のハイテク産業集積地、リサーチ・トライアングル・パークにある製剤・こん包設備の増設に着手した。延べ床面積を約1万100平方メートルから約1万7500平方メートルに増やす。投資額は約1300万ドル。アルツハイマー型痴ほう薬「アリセプト」と抗かいよう剤「アシフェックス」の2品で年間10億−13億錠を生産できるようにする。従業員も現状の200人から30−40人増やす。
 アリセプトとアシフェックスはそれぞれ世界で1千億円以上を販売する同社の主力品。


日本経済新聞夕刊 2002/12/26

大学発バイオVBに投資 阪大助教授らが基金

 大阪大学医学系研究科の
森下竜一助教授らは26日、バイオベンチャー企業支援のための投資ファンド(基金)を運営する新会社を設立したと発表した。二十億円規模のファンドを新設し、大学発のバイオベンチャーに資金を供給する。経営手法のアドバイスなども手掛け、大学の研究成果を産業に結びつける仕組みを作る。
 新会社は「バイオ・サイト・キャピタル」(大阪市、谷正之社長)。資本金1800万円を森下助教授のほか研究者ら計15人が出資した。運営するファンドは総額20億−25億円の予定。そのうち数億円を遺伝子治療薬開発の
アンジェスエムジーの創業者である森下氏ら4人が出資する。同社が上場した際に得たキャピタルゲインをあてる。
 設立間もない大学発バイオベンチャーを中心に、今後1年間で10社程度に投資する。1社当たりの投資額は3千万−5千万円。
 投資先のバイオ技術の評価は、阪大教官らで構成する「サイエンス・アドバイザリー・ボード」が担当する。


2002/9/25 アンジェスエムジー

上場のご挨拶

 アンジェス MGは、2002年9月25日に東京証券取引所マザーズに上場致しました。これは、ひとえに投資家の皆様を始め、関係者の方々のお陰であると心より感謝致しております。

 弊社は、1999年12月にHGF遺伝子治療薬の事業化を目指し、大阪大学の森下助教授が中心となり設立した会社です。遺伝子医薬はこれまでの薬とは違う全く新しいタイプの医薬品です。大きな治療効果が期待される半面、開発のリスクが高いため既存の製薬会社がなかなか手をつけられない分野です。我々はこの遺伝子医薬の領域に特化して開発を行い、根本的な治療法のない病気に対する革新的な薬をできるだけ早く患者さんにお届けすることを使命としています。

我々が取り組んでいるHGF遺伝子には血管を再生し血液の流れを改善する作用があります。例えば、足の血管が詰まり下肢の切断を余儀なくされるような重症の虚血性疾患の症状を和らげ、切断を回避できる可能性があります。この他にも、遺伝子の作用を抑えることで炎症性疾患を治療するNF-κBデコイオリゴ、遺伝子機能解析や患部への薬物送達手段として用いるHVJエンベロープベクターなど、画期的な技術の実用化に取り組んでいます。

 一般に医薬品の開発には、多額のコストと長い期間が必要となり、しかも全てが順調に進むとは限りません。このようなハイリスクの事業に対し、ベンチャー企業である弊社は、製薬企業との提携を最重点の戦略と位置づけています。こうした提携を通し、開発コストに対する援助を頂くのとあわせ、上市(発売)後にはロイヤリティを頂くというビジネスモデルを採用し、収益の安定化を目指しています。今回の上場により、財務基盤が安定すると同時に、弊社の生命線である研究開発に、より積極的に取り組む環境が整いました。

 弊社は、開発段階においては財務上のリスク低減に努め、2005年を目標としている医薬品発売後に収益拡大が図れるよう努力してまいります。また、弊社が手がける技術、事業内容をできるだけわかりやすく投資家および一般の皆様にご理解いただけるよう、情報発信、情報開示を積極的に進めていきます。今回の上場をひとつのステップとし、弊社は今後、新薬を待ち望んでおられる患者さん、株主・投資家の皆様のご期待に添えるよう邁進していく所存です。今後とも格別のご支援を賜りますようお願い申し上げます。


2003/1/21 呉羽化学工業/三共

免疫賦活性健康食品の販売提携契約締結について

 呉羽化学工業株式会社(本社 東京:社長 天野 宏)と、三共株式会社(本社 東京:社長 高籐 鉄雄)は、呉羽化学工業鰍ェ開発した、マツタケ菌糸体由来「クレハM6271株(菌株名)」の販売提携に合意し契約を締結しましたので、お知らせいたします。
マツタケ菌糸体とは、京都原産本マツタケの菌糸体を培養したものであります。
 呉羽化学工業(株)はこの
マツタケ菌糸体の糖タンパク複合体(α-プロテオ・グリカン)が抗腫瘍性、抗ストレス性、感染症の予防など高い免疫賦活性を示すことに着目し、研究を行なってまいりましたが、その活性効果の極めて高い菌株である「クレハM6271株」を発見し、その安定的な工業生産に成功しました。

 「クレハM6271株」を用いた健康食品は、高い免疫賦活性の期待できる健康食品として、ストレスの早期回復や感染症などに有効であると考えております。
 セルフケア時代に向け、免疫力向上に関心の高い生活者の皆様に多くご支持をいただけるものと確信しております。

 両社はすでに、抗悪性腫瘍剤「クレスチン」、慢性腎不全治療剤「クレメジン」で事業提携して販売している一方で、抗HIV剤(CXCR4ブロッカー)の共同研究開発も行っております。今回の新たな提携によって、共同で健康食品市場へ参入するものであります。
 なお、当面の販売提携の範囲としては、呉羽化学工業鰍ェマツタケ菌糸体の培養と製剤の製造を行い、三共鰍ェ国内の薬系店舗ルートで販売いたします。


2003/1/23 三菱化学

臨床検査薬事業会社3社の統合について

 三菱化学株式会社(本社:東京都千代田区、社長:冨澤 龍一)は、当社グループの臨床検査薬会社である
三菱化学メディカル株式会社(本社:茨城県稲敷郡阿見町、社長:盛中 泰洋)、株式会社ヤトロン(本社:東京都千代田区、社長:内藤 修)及び株式会社ダイアヤトロン(本社:東京都千代田区、社長:内藤 修)の3社を平成15年7月1日付で統合し、製造、開発及び販売を一体化した臨床検査薬事業新社を発足することといたしました。

 当社は、臨床検査薬事業において、昭和56年8月、国内業界最老舗のヤトロン社との間で、折半出資の国内共同販売会社であるダイアヤトロン社を設立し、これまで開発・製造分野においても緊密に連携しながら同事業の強化、拡充に努めてまいりました。

 しかしながら、近年の臨床検査薬事業を取り巻く諸環境は、医薬事業と同様、国の医療費増加抑制政策や海外からの攻勢等により一段と厳しさが増しており、勝ち残りのためには一定の事業規模の確保と一層の効率化の推進が求められています。
 また、一方ではゲノム関連分野の技術進歩により、同事業は、将来テーラーメイド医療、予防医療への展開が期待され、今後、市場が大きく変化、拡大していくことが見込まれることからも、事業基盤の強化、拡大は喫緊の課題となっております。

 このような状況の中、当社は、ヘルスケアセグメントをコアと位置付け、事業の伸長、拡充を検討する中で、総合化学で培った各種基盤技術をもとに研究開発力を強化し、臨床検査薬事業を医薬事業に次ぐ第2の柱とすべく強化、育成していくことといたしました。
 こうした方針の下、昨年7月末には、従来
提携関係にあったヤトロン社へ資本参加を行い、同社も当社グループ会社に加わったことに伴い、今回の臨床検査薬3社の統合を行うことにいたしました。

 今後は、本統合により、各社が培ってきた技術開発力及び営業力をさらに高めることで競争力の強化、経営の合理化・効率化を図り、直面する内外の厳しい事業環境に対応するとともに、今後発展が期待されるゲノム関連診断事業にも積極的に対応する体制を整え、臨床検査薬事業のさらなる拡充に取り組んでまいります。

 なお、合併新社及び統合する3社の概要は、次の通りです。

1.統合新社の概要
(1)商号   未定
(2)存続会社   株式会社ヤトロン
(3)合併予定期日   平成15年7月1日
(4)事業内容   体外診断用医薬品、体外診断用機器、試薬等の開発、製造、輸入及び販売
(5)本社   東京都千代田区東神田一丁目11番4号
   その他拠点   営業所…東京、大阪、名古屋他
工  場…八千代(千葉県)、成田(千葉県)、筑波(茨城県)
(6)資本金   3億円
(7)総資産   約130億円
(8)株主構成   三菱化学社77.2%、 その他22.8%
(9)社長   未定
(11)従業員数   約422名
(12)業績予想  
           (単位:億円)
   2003年  2004年  2005年  2006年
売上高   140   145   165   190
経常利益     5    11    17    21
        (2003年は12ヶ月換算)
     
2. ヤトロン社、ダイアヤトロン社及び三菱化学メディカル社の概要 
(株式会社ヤトロン)
(1)事業内容   体外診断用医薬品等の開発、製造、輸入及び販売
(2)本社所在地   東京都千代田区東神田一丁目11番4号
(3)資本金   5千万円
(4)株主構成   三菱化学53.6%  その他46.4%
(5)売上高   75億円
(6)従業員数   約190名
     
(株式会社ダイアヤトロン)
(1)事業内容   体外診断用医薬品等の販売
(2)本社所在地   東京都千代田区東神田二丁目5番12号
(3)資本金   1億円
(4)株主構成   三菱化学50%  ヤトロン社50%
(5)売上高   100億円
(6)従業員   約170名
     
(三菱化学メディカル株式会社)
(1)事業内容   体外診断用医薬品及び体外診断用機器等の開発、製造、輸入、及び販売
(2)本社所在地   茨城県稲敷郡阿見町中央八丁目5番1号
(3)資本金   2億円
(4)株主構成   三菱化学100%
(5)売上高   46億円
(6)従業員   65名

 


日本経済新聞 2003/1/25

主力の大宮工場 日研化学が閉鎖 2006年末までに

 中堅製薬会社の日研化学は主力生産拠点の大宮工場(さいたま市)を2006年末までに閉鎖する。生産を真岡工揚(栃木県真岡市)に集約し、コストを年間10億円程度圧縮する。医療費抑制による薬価(薬の公定価格)切り下げで経営環境が厳しくなっており、老朽化した大宮工場の閉鎖で生産効率化を図る。
 大宮工場は内服液と点滴に使う輸液、注射剤を生産しており、生産額は年間120億円と同社全体の6割を占める。内服液は真岡工場に設備を新設して移管し、利益率の低い輸液は外部に生産委託する。注射剤も外部委託する方向だ。
 同工場の従業員は昨年9月末時点で137人。真岡工場などに配置換えするほか、一部は生産委託先に出向・転籍する。早期退職優遇制度も活用する。
 同じ敷地内にある大宮研究所は移転する。移転地を検討中で、同103人の研究所員は基本的に新研究所に移る。
 大宮工場は同社創業の1947年に抗生物質のペニシリン培養で操業を始めた。設備が古くなっているうえ周辺に住宅地が多く、さいたま市の再開発計画の対象にもなっていた。工場の跡地利用は売却を含め検討する。


日研化学 http://www.nikken-chemicals.co.jp/

 当社は、昭和22年(1947年)に抗生物質の専門メーカーとして創業し、その後昭和30年代からは、国民皆保険制度の実施に伴う医療機関向け薬剤の需要に応えるため、各種医療用医薬品分野へシフトする一方、ソルビトールをはじめとする糖アルコールを中心とする化成品事業分野へも進出いたしました。爾来、「社会の厚生福祉の向上に寄与する」という経営理念のもと、各種医療用医薬品、食品・食品添加物の供給を通じて、みなさまの健やかで豊かな暮らしの実現に貢献してまいりました。
 21世紀を迎えた今日、人口の高齢化をにらんだ医療政策の転換を始め、当社を取り巻く環境は急速な変化を遂げており、これらに迅速かつ的確に対応していくことが当社の喫緊の課題であります。
 こうした中、当社では、経営構造改革策の一環として化成品事業を分離独立させ、医薬品事業に経営資源を集中することを目的として、平成14年10月1日をもって当社
化成品事業を日研化成株式会社に営業譲渡するとともに、平成15年3月末日までに、当社の保有する日研化成株式を三井物産株式会社へ譲渡することといたしました。

 この度の化成品事業部門の分離独立スキームの実施により、当社は医薬品専業企業となり、これを機会に更なる選択と集中を押し進め、特徴ある医薬品の提供を通じて国民の皆様の健康な生活にますます貢献し得るものと確信しております。


2002/7/29 日研化学

当社化成品事業部門の営業譲渡および日研化成(株)の株式譲渡に関するお知らせ

 当社は、当社化成品事業に関する営業を譲渡すること、ならびに当社保有の日研化成(株)の株式を譲渡することにつき、当社取締役会決議を経て平成14 年7 月29 日付で各々当事会社間において契約書を締結いたしました。
 これにより、当社は
医薬事業に特化し、より一層の経営改善を推進して行きたいと考えております。

1.当社化成品事業の営業譲渡について
(1)譲渡先   日研化成株式会社
(2)譲渡内容
 @譲渡事業の内容
            食品および食品添加物の製造・販売に関する事業(化成品事業)
     
 A譲渡事業の経営成績
   
(単位: 百万円) H13/3 期 H14/3 期
売上高 7,297 (12.7%) 7,154 (13.0%)
売上総利益  782 ( 3.3%)  778 ( 3.5%)
営業利益  113 ( 4.7%)   94 ( 7.4%)

(注)上記のカッコ内の数値は、当社の経営成績に占める割合であります。

 B譲渡対象資産
    ・化成品事業に係る商標及び特許権等
・その他棚卸資産等
(3)譲渡先の概要
  【日研化成(株)】
   
・代表者   取締役社長 内山 孝作
・所在地   愛知県知多市北浜町24 番12
・設立   昭和44 年
・事業内容   ソルビトールその他糖アルコール類の製造販売
・従業員数   104 名(平成14 年7 月1 日現在)
・資本金   25,000 万円
・株主   日研化学48%
三井物産40%
明治製菓12%
・最近の業績 (単位: 百万円)
   
  H13/3 期 H14/3 期

売上高

6,843

5,981

経常利益

131

98

当期利益

58

51

総資産

6,184

5,513

株主資本

2,483

2,502

(4)譲渡日程
   
平成14年7月29日   当社取締役会
平成14年7月29日   営業譲渡契約書締結
平成14年9月27日(予定)   営業譲渡承認株主総会
平成14年10月1日(予定)   営業譲渡期日
     
2.日研化成(株)株式の譲渡
(1)譲渡先
   
商号   三井物産株式会社
代表者   代表取締役社長 清水愼次郎
本店所在地   東京都千代田区大手町一丁目2番1号
主な事業内容        鉄鋼、非鉄金属、機械、化学品、石油・ガス、食料、繊維、物資など国内販売及び輸出入業(外国間取引を含む)に加え、情報産業関連業、サービス業など
当社との関係   日研化成鰍合弁で経営
     
(2)譲渡日程
 @平成14年10月1日(予定)
    当社所有株式120,000 株のうち45,000 株、および明治製菓株式会社所有株式30,000 株
のうち30,000 株、合計75,000 株を譲渡する。
その結果、日研化成(株)株主の持株数および持株比率は、三井物産株式会社175,000 株(70%)、当社75,000 株(30%)となる。
 A平成15年3月31日(予定)
    当社所有株式75,000 株の譲渡により、日研化成(株)は三井物産株式会社の100%子会社となる。
3.今後の見通し
      営業譲渡後の事業年度における個別業績見通し 
  第60 期
(平成14年4月1日〜平成15年3月31日)
売上高  50,100 百万円( △4,700 百万円)
経常利益   1,300 百万円( △300 百万円)
特別利益    500 百万円( 900 百万円)
当期純利益    900 百万円( 400 百万円)
1 株当たり配当金   3 円
 (注) カッコ内は営業の譲渡による影響額を示します。なお、当社の連結対象子会社は日研化成鰍P社であり、同社株式譲渡後の平成14年10月1日以降は、連結対象子会社がなくなりますので、個別業績の見通しのみを開示しております。

日本経済新聞 2003/2/16

製薬中堅、受託生産を拡大
 
 中堅製薬各社が相次ぎ医薬品の受託生産を拡大する。日本化薬は受託専用の設備を今夏に設置、持田製薬は新型注射剤設備を稼働させ受託を増やす。先端医薬品の開発コスト負担が重い大手製薬会社は米国などのように製造を外部委託し始めている。
薬事法の改正による規制緩和でこうした動きが加速する見込み。国内製薬会社の機能分化が進めば、業界全体の国際競争力向上につながる。


2003/02/17 協和醗酵

抗体医薬ビジネス会社を米国に設立
   次世代抗体技術の戦略的事業化を推進

 協和発酵(社長:平田 正)は、このほど、独自に開発・確立した「抗体依存性細胞障害活性(ADCC活性)
*1の極めて高い抗体を実生産レベルで作成できる技術」(高ADCC活性抗体作製技術、POTELLIGENTTM、ポテリジェント)を戦略的に且つ早期に事業化するため、米国に、抗体医薬ビジネス会社「バイオワ株式会社(BioWa,Inc.)」を設立致しました。

 抗体医薬の最大市場であり、また抗体技術などのニューバイオテクノロジーを早期に且つ効率良く事業化する上で最適の条件を整えている米国に、事業化戦略拠点をおき、他の有力抗体技術や開発中の抗体医薬を有している企業との戦略的アライアンスを推進しながら、抗体医薬ビジネスをスピーディーに展開し、事業価値の最大化を図ってまいります。

 抗体医薬市場は、近年急速に伸長しており、現在数1000億円規模のものが、2010年には数兆円規模になると期待されています。

 このような環境下、協和発酵は、悪性黒色腫(メラノーマ)を対象疾患に米国で臨床第I相・前期第II相試験を進めているモノクローナル抗体KW−2871を筆頭に、抗体医薬の研究開発を進める一方、他の有力抗体技術や開発中の抗体医薬の性能を飛躍的に向上させうる競争優位性のある基盤技術として、高ADCC活性抗体作製技術(POTELLIGENTTM)の戦略的事業化に取組んでいくこととしました。

 ADCC活性は、すでに上市されている抗体医薬のうち、ハーセプチン(Herceptin:転移性乳がん治療薬)やリツキサン(Rituxan:非ホジキンリンパ腫治療薬)の主要な抗腫瘍メカニズムのひとつであり、この活性を高めることは次世代抗体技術として世界的に注目されています。

 当社は、抗体が保有する糖鎖のうちフコースという糖の量に着目し、これを低減させることによってそのADCC活性が顕著に向上することを見出し、高ADCC活性抗体作製技術(POTELLIGENTTM)を確立致しました。当社では、これまでに本技術を応用した抗体(POTELLIGENTTM抗体)が、従来の抗体に比べ100倍以上高い抗腫瘍効果を示すことを確認しております。


 本技術を利用することにより、抗体医薬の薬効が飛躍的に増すことが期待できると共に、低用量での治療も可能にすることからコストダウン効果や副作用低減などの大きなメリットも合わせて期待できます。

 なお、当社の技術は、GMP生産
*2に広く用いられているCHO細胞(チャイニーズ・ハムスター卵巣細胞)*3を用いて高ADCC活性抗体を生産できることも、一つの大きな特徴です。

 協和発酵は、臨床試験中のKW−2871のほか、前臨床段階に複数の抗体医薬の開発候補化合物を保有しており、今後、抗体医薬の創出・開発を進めると共に、本技術を始めとする競争優位性のある独自のニューバイオテクノロジーの戦略的事業化を強力に推進してまいります。

◆バイオワ社の概要
会社名 BioWa,Inc.    http://www.biowa.com
設立 2003年2月1日
所在地 米国ニュージャージー州プリンストン
資本金 5百万USドル(協和アメリカ株式会社100%出資)
社長 花井陳雄
事業内容 抗体技術の事業化、抗体医薬のライセンス・開発
従業員数 約5名(設立当初)

 

*1 ADCC活性(抗体依存性細胞障害活性)とは、ヒトが持っている免疫機能のひとつで、ナチュラルキラー細胞や単球などの白血球が、抗体を介して癌細胞などの標的細胞を殺傷する活性のことです。
     
*2 GMP:Good Manufacturing Practice、医薬品の製造管理及び品質管理に関する規則
   
*3 CHO細胞:チャイニーズ・ハムスター卵巣組織から樹立された細胞株で、エリスロポエチンなどのヒト由来の生理活性物質の工業生産などに使われています。

 


日本経済新聞夕刊 2003/2/17

新薬に欠かせぬたんぱく質 特許成立の条件厳しく
 米社などの独占防ぐ

 特許庁は医薬品開発に役立つたんぱく質について、立体構造が判明しただけでは特許として認めない方針を決めた。たんぱく質を純粋な結晶として取り出すことを特許成立の条件とする。米欧の特許当局も同様の審査基準を採用する見通し。米バイオ企業などに立体構造データでたんばく質特許を押さえようという動きが出ているが、成立条件が厳しくなることで日本企業に巻き返しの機会が増えそうだ。
 たんばく質は人間の体を作る基本的な物質。ひもを折り畳んだような複雑な立体構造をしている。特許庁はたんぱく質の立体構造の解明は自然の観察で得た情報を示したにすぎず、発明にはあたらないと判断した。立体構造を示した文書や、フロッピーディスクなどの媒体に記録したデータの出願があっても、特許として認めない。
 生物からたんぱく質を取り出して精製して結晶にした場合に限り、物質特許として認める。特許庁は17日午後に公表する特許要件に関する事例集でこうした方針を明らかにする。
 米バイオ企業は最近、コンピューターを駆使して病気に関連が深いとされるたんぱく質の構造を推定、その結果を出願する例が増えていた。米バーテックス・ファーマシューティカルズ(マサチュセッツ州)など複数の米バイオ企業が、コンピューターがはじき出した数値データを「構造」「構造特定方法」などとして日本の特許庁にも出願済みだ。
 武田薬品工業や三菱ウェルファーマなど日本の製薬大手はゲノム関連特許の大量出願がコストがかかる割に開発に役立たっていない反省もあり、たんぱく質については機能や構造を十分に解明後、出願する姿勢が強い。このため特許庁の新方針で出願が大きく制約されることはない見通しだ。
 たんぱく質の特許基準が厳しくなると米社による特許の囲い込みの懸念は薄れる。ただ日本や欧州の製薬大手も特許利用などを目的に米バイオ企業と提携しており、各社の提携戦略に狂いが生じる可能性もある。
 遺伝子に関する特許は、その働きを特定すれば取得できる。たんぱく質については、特許を安易に成立させると「自然界にあるたんぱく質の権利の独占につながる恐れがある」(特許庁)との判断から、より厳しい審査基準を採用することにした。

 


化学工業日報 2003/2/18

東洋紡−ニチレイ、今秋にアジア最大の抗体医薬設備が完成

 アジアで最大規模となる抗体医薬の製造・開発受託専用設備を有する会社が今秋から本格的に立ち上がる。東洋紡とニチレイの共同出資会社、
パシフィックバイオロジックス(PBI、本社・大阪市北区、川村良久社長)が建設を進めていた4000リットルの培養・精製設備がこのほど完成、各種バリデーション作業を経て、今年10月から動物細胞培養技術を利用した医療用医薬品原体の製造・開発受託を開始する。


2001/10/25 東洋紡/ニチレイ

抗体医薬の製造・開発受託会社 (株)パシフィックバイオロジックス (略称PBI)設立
                             URL :
http://www.pacbiologics.com/

 東洋紡績(株)(所在地:大阪市北区、社長:津村準二)と(株)ニチレイ(所在地:東京都中央区、社長:浦野光人)は、このほど抗体医薬の製造・開発の 受託会社、「(株)パシフィックバイオロジックス(略称PBI)」を共同で設立することを決定いたしましたのでお知らせします。
 抗体医薬の治験薬製造受託が主たる業務となりますが、このような会社は日本では初めての設立となります。

1.新会社設立の背景
(1) 世界のバイオ医薬は、数年ほど前から注目されてきたヒト型モノクローナル抗体(抗体医薬)の開発が中心となっており、わが国でも、臨床試験の段階に入ってきています。
(2) しかしながら日本でこうした医薬品を開発している会社の多くは、治験薬をつくる大型の細胞培養設備を持っておりませんので、その製造の多くを海外の細胞培養会社に委託しており、かつ海外の受託会社の対応能力も限界に近づいている状況にあります。
(3) 東洋紡は、600リットルの培養設備を大津医薬工場(所在地:滋賀県大津市)に備え、バイオ医薬品の製造・開発の受託を行っておりますが、現在の設備能力は小規模なために、これまでは抗体医薬メーカーの製造委託ニーズには十分対応しきれませんでした。
(4) ニチレイは、細胞培養用培地の輸入販売を行っており、近年の抗体医薬開発ブームの中で、国内医薬メーカーへの販売を強化してきましたが、営業活動の過程で医薬メーカーの旺盛な委託ニーズと国内、海外における治験薬製造設備の供給不足を実感しておりました。
(5) こうした経緯から、それぞれの保有する製造設備と優れた技術、国内医薬メーカーへのマーケティング力を活かした抗体医薬の製造・開発受託事業を新たなビジネスチャンスとして捉えるに至りました。
(6) 両社は、東洋紡大津医薬工場内にFDA(米国食品医薬品局)のcGMP(医薬品の製造に関わる基準)に対応できる4000リットルの培養・精製設備を新設し、今後さらなる増加が予想される抗体医薬の治験薬製造に応えるため、共同で新会社を設立することに合意しました。
   
2.新会社の概要
(1) 会社名 株式会社パシフィックバイオロジックス(略称:PBI)
(2) 本社所在地 大阪市北区堂島浜2−2−8(東洋紡内)
(3) 資本金 4億9千5百万円(出資比率:東洋紡51%、ニチレイ49%)
(4) 代表者 取締役社長 愛水重典(えみしげのり:東洋紡メディカル事業部長と兼務)
(5) 役員 取締役6名(東洋紡3名、ニチレイ3名)
(6) 従業員 28名(東洋紡より27名、ニチレイより1名出向)
(7) 事業内容     動物細胞培養技術を利用した、医療用医薬品原体(抗体医薬)の製造・開発の受託
(8)新規製造設備 4000リットルの細胞培養設備(本体設備投資額25億円、03年秋稼動予定)
(9) 設立時期 2001年11月15日(予定)

3.売上高予想
  2005年度30億円

【用語解説】

抗体医薬
ヒト型モノクローナル抗体を有効成分とする医薬品のことであり、ヒト型モノクローナル抗体とは、特定のヒトの生体成分を認識、結合しうる抗体で、認識、結合部位を除きヒトの抗体と同じアミノ酸配列を持つ抗体とのこと。

治験薬
疾患に対する有効性および副作用の有無を確認するために、限られた人数の人に対しておこなわれる臨床試験に用いられる「薬」のこと。

cGMP(Current Good Manufacturing Practice Issues on Human Use Pharmaceuticals)
医薬品の製造方法に関わる基準で、これをクリアすることは安全性、有効性といった品質を保証する重要な手段である。


日本経済新聞 2003/2/19

大学発VBの素顔 日本ボロン 超小型カプセルを製造

 日本ボロンは東京理科大学の阿部正彦教授が中心となり設立し、新素材の開発を目指している。人体の特定の場所に薬物を入れて運ぶ薬物送達システムに利用する超小型カプセル(リポソーム)製造装置や高機能性セラミックスの開発・製造に取り組んでいる。
 阿部教授の專門は応用界面化学。すべての物質には気体と接する表面と、物体と物体の境界である界面が存在する。この界面と表面を精密に制御することで、新しい物質の創出やこれまでにない性質を物質に付加する研究をしている。
 同教授は、医療や環境分野などに貢献できる物質の創出を目指して起業した。「3年をメドに経営を軌道に乗せたい」と話す。同教授は副社長として研究開発を担当、社長には粉体機器メーカーOBの武林敬氏が就任した。
 このほどリポソーム製造装置が完成。二酸化炭素に圧力と熱を加え続けてできる、気体と液体の中間物質である超臨界二酸化炭素を使用することで、安全で簡単にリポソームを製造できる。
 20ナノ(ナノは10億分の1)メートル程度の大きさのカプセルに、従来の6倍の薬物を封入できるため薬効を高められる。製薬会社などから引き合いがあるという。
 設立して半年で、受託研究などで6千万円程度を売り上げた。2004年5月期には2億円の売り上げを目指す。

▽本杜   千葉県野田市
▽設立   2002年7月
▽社長   武林敬氏
▽従業員   7人
▽売上高   1億円(2003年5月期見通し)
▽電話   04・7123・6851
     

 


日本経済新聞 2003/6/2

村山前アンジェス社長 がん抗体開発へ3億円超を調達
 慶大などから 2008年にも販売

 抗体医薬品開発のワイズセラピューティックス(東京、
村山正憲社長)は、慶応義塾大学と個人投資家を対象に3億3千万円の第三者割当増資を実施した。同社は遺伝子治療薬開発のアンジェスエムジー前社長、村山氏が今年3月に設立。がん細胞の増殖に関与するたんぱく質を抑制する抗体を製品化、2008年にも販売する。
 共同研究契約を結ぶ慶大のほか、上場企業の社長経験者など22人が出資した。資本金は2億円弱となった。まず白血病や肝臓がんを対象とし、年内にも製薬会社に国内の販売権を供与したい考え。その後、ベンチャーキャピタルなどを引き受け手として10億円規模の増資を計画する。
 製品化を狙う抗体は「1F7」と呼ばれるたんぱく質。東大の森本幾夫教授らがマウス実験で発見した。ただ製品化には遺伝子組み換えなどで人体向けの抗体に作り替える必要がある。今回の調達資金は、海外企業に支払う抗体改変の委託費用などに充てる。