毎日新聞 2008/10/2

終結迎えた薬害C型肝炎訴訟 
 田辺三菱製薬の謝罪に疑念 原因・責任 明らかに

 「反省を踏まえ、命の尊さを改めて認識することを約束する」。薬害C型肝炎訴訟は9月28日、被告企業「田辺三菱製薬」の葉山夏樹社長が原告にこう謝罪し、集団提訴から丸6年を経て終結を迎えた。和解協議の場となった大阪高裁を担当し、同社の隠ぺい体質や被害者軽視の姿勢を目の当たりにしてきただけに、薬害の発生責任を認め、再発防止を誓う言葉を額面通り受け取っていいのか疑念を抱いている。
 隠ぺい体質の根深さを象徴したのは、感染の疑いのある患者「418人リスト」の放置問題が発覚する発端となった、大阪訴訟「原告番号16番」の40代女性への対応だった。
 リストは、同社(当時は三菱ウェルファーマ)が血液製剤の投与後に急性肝炎を発症した患者の症例を一覧表にまとめ、02年に厚生労働省に提出。記載された投与日などが、女性と医師の記憶に一致することを突き止めた弁護団は07年6月、裁判所を通じて文書を提示するよう要求した。しかし、会社は個人情報保護法に基づかない開示には応じられないと難色を示した。
 文書は4ヵ月後にようやく開示され、投与日「昭和61年12月13日」、投与量「1グラム」、産婦人科名など、女性の証言通りの情報が記載されていた。投与翌年の87年に産婦人科から情報をもらい、長らく投与の事実を裏付ける資料を保有しながら、会社は法廷で「製剤投与の証明がないのは明らか」と争い続けた。開示後の口頭弁論で主張を撤回したものの、謝罪の言葉はなかった。
 女性は86年の出産時に感染した。99年まで肝炎と気付かず、その間、体のだるさで、育児や家事もままならなかった。「お前は何もしない」。夫の理解を得られず離婚し、子ども3人は夫が引き取った。自身の情報が闇に埋もれていた事実に、女性は「子の成長を見守る夢を断たれてしまった。もっと早く肝炎と知らされていれば……」と静かに語った。もし弁護団がリストに気付かなければ、女性の人生が救われることはなかったに違いない。
 怒りを増幅させたのは、昨年10月の記事だった。リスト放置問題で、小峰健嗣副社長が舛添要一厚労相と面談後、報道陣に対し、感染者に告知しなかった理由を「プライバシーへの配慮」と語り、「副作用情報の収集は個人の特定が目的ではない。リスクを負ってまで告知するのが妥当か悩ましいところだ」と漏らした、というのだ。
 「できることなら隠し通したかった」というのが本音ではなかったか。田辺三菱製薬の前身の一つは薬害エイズ訴訟の被告企業「ミドリ十字」。未曽有の薬害を発生させた教訓が生かされているのか疑問に感じた。
 もう一つ指摘したいのは、原告団と国との基本合意が締結された今年1月以降の対応だ。
 原告・弁護団と田辺三菱製薬の和解協議は1月20日から15回に及んだが、大半は合意書に盛り込む「責任と謝罪」の範囲を巡る折衝に費やされた。原告団が重視したのは、被害者救済につながる情報を持ちながら放置し、被害を拡大させた責任だった。だが、会社側は「本来は医師が患者に告知すべきで、責任の範囲に含まれない」と主張。「そこまで認めると、投与証明のない人から賠償請求される」と繰り返し、企業防衛を優先させる姿勢ばかりが目立った。
 集団抗議行動を受けた6月23日、ようやく原告案の受諾を伝えた後も、「1審で敗訴した原告とは和解できない」と言い続けた。「株主の理解が得られない」という理由だった。「行動宣言」として会社のホームページに掲げる@製薬企業としての社会的責任を自覚し、コンプライアンス(法令順守)を推進しますA患者さんをはじめ社会の人々の信頼に応えますは、誰に向けての言葉だろう。
 今回の基本合意により、田辺三菱製薬は原告・弁護団と、被害の実態調査や真相解明についての継続協議に臨むことになる。過去の薬害訴訟で、被害者と製薬会社が継続協議の場を設けたのは74年に和解したサリドマイド薬禍だけで、スモンやエイズ、ヤコブ病などの薬害訴訟では実現しなかった。弁護団の山西美明弁護士は「命を最優先に薬を作る模範企業となるよう見守りたい」と語る。
 同社が協議にどこまで真摯な態度で臨むかは未知数だ。放置した患者の身元特定や、本人への告知もまだ終わっていない。信頼される企業に生まれ変わるには、薬害を発生させた原因を自ら究明し、責任の所在を明らかにすることが大前提となる。社長の謝罪は、そのスタートラインに過ぎない。

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毎日新聞 2008/9/29

クローズアップ2008:薬害C型肝炎訴訟、終結へ 原告、全員救済を優先

 被告の田辺三菱製薬などが28日、和解の基本合意書に調印した薬害C型肝炎訴訟は、原告側のねばり強い交渉により、薬害の発生責任などを明記した 内容を勝ち取る画期的な成果を上げた。1月の国との和解基本合意後、被告企業との和解成立に8カ月も要した背景や、残された肝炎対策の課題を探った。

 ◇損賠一斉放棄 被告の責任明記

 原告と国が和解で基本合意した今年1月以降、原告弁護団は田辺三菱側と計15回にわたり、和解に向けた話し合いを続けた。「株主の理解が得られな い」ことを理由に、同社が抵抗して協議は長期化したが、「薬害を風化させず、一日も早く肝炎患者全員救済への道筋をつけたい」とする原告団が賠償請求の放棄を決断し、ようやく決着した。

 同社は当初、原告側に「国と同じレベルの条件なら和解できる」と伝え、早期和解に意欲を見せていた。しかし、原告団は「薬害の一義的な責任は製薬会社にある」として、国以上に責任を重視。87年に青森県で産婦の集団感染が判明したのに被害調査を怠り、多くの医療機関でカルテ類が廃棄されたことなど を、合意書の「責任と謝罪」の項目に盛り込むよう求めた。

 同社は「感染の告知は本来、医師がすべきこと」などと反論。責任を認めれば、「カルテがない患者が新たに提訴する可能性があり、株主代表訴訟で責任を追及されかねない」というのが理由だった。

 協議が難航した背景には、裁判所がリーダーシップを発揮できなかった点も大きい。今回、大阪高裁は和解案を示したものの、救済範囲を限定した内容だったため原告側が反発、交渉が決裂した。

 最終的に福田康夫前首相の政治決断で立法措置による解決が図られたが、大阪高裁は原告と製薬会社との協議にも関与せず、交渉は当事者同士で行われたため、主張の溝がなかなか埋まらなかった。

 協議を動かしたのは原告のねばり強い活動だった。全国原告団は田辺三菱の株主総会に合わせ、前日の6月23日に本社がある大阪市で大規模な抗議行 動を展開。原告団代表の山口美智子さん(52)らが同社幹部との直接交渉で譲歩の言質を引き出し、その後、同社は原告案を受諾した。

 ところが、同社は、またも株主対策を理由に「敗訴原告とは和解できない」と抵抗。原告から「最後の最後で全員一律の理念が崩されるのは納得いかな い」との反発が出た。しかし、「協議の長期化で問題を風化させるよりも、350万人のウイルス性肝炎患者全員の救済に向け踏み出すべきだ」との意見で一 致。「全員一律救済」の姿勢を貫くため、損害賠償請求権を一斉に放棄することで訴訟を終結させる方法を選んだ。

 賠償金は国が被告企業の負担分も立て替え一括して支払われるため、訴訟をやめても被害救済に大きな影響はない。ただ、原告団には裁判による製薬会 社の責任追及を放棄することに抵抗が強く、苦渋の決断だった。しかし、その引き換えに基本合意書に「責任と謝罪」を明記させ、原告以外の患者の救済に道筋 をつけた。

 ◇遠い全面解決 対策法進まず

 薬害C型肝炎訴訟の原告は28日現在で1060人に達し、1月の国との和解基本合意時の207人から5倍以上に増えた。それでも推定被害者数(1 万人以上)の約1割に過ぎず、背後には、約350万人に上るウイルス性肝炎感染者がいる。肝炎問題全体で見れば全面解決にはほど遠い。

 原告・弁護団の基本的なスタンスは「被害者を一人でも多く見つけて被告側が補償し、それでも救済されない感染者のために、一般的な肝炎対策を拡充する」というものだ。

 しかし被害者の掘り起こしは、カルテなどの記録が保存されていないために、本人からの申告も、医療機関による告知も、限界が近付いている。カルテ がない患者が、ウイルスの遺伝子型を根拠に救済を求めた訴訟も新潟地裁で起こされ、補償対象を巡る争いが再燃する可能性もある。

 一般対策は(1)肝炎対策基本法の制定(2)医療の充実(3)患者の生活支援−−が柱。現在、実現しているのは(2)のインターフェロン治療費助 成だけだが、月1万〜5万円の自己負担の重さなどから、申請の出足は鈍い。原告側が最重要と位置付ける(1)は、国の責任や立法趣旨を巡って与野党の一本 化協議が決裂したまま。舛添要一厚生労働相は「議員立法がふさわしい」と国会に丸投げしているが、この状態が続けば患者の反発が強まるのは必至だ。

 再発防止については、原告も加わった「医薬品行政の在り方検討委員会」が5月に設置され、薬の安全にかかわる職員の大幅増を提言した。今後、厚労省医薬食品局と独立行政法人・医薬品医療機器総合機構を統合した「医薬品庁」構想も踏まえた議論が本格化するとみられる。


2008年9月19日 田辺三菱製薬

HCV集団訴訟に関する全国原告団との基本合意書締結についてのお知らせ

 当社および当社子会社である株式会社ベネシスは、当社前身会社の一つである旧ミドリ十字が製造販売したフィブリノゲン製剤および血液凝固第\因子 製剤クリスマシンの投与により、HCV(C型肝炎ウイルス)に感染したとする方々より、損害賠償請求訴訟の提起を受けておりましたが、当社取締役会におい て、全国原告団・弁護団との間で、訴訟を解決するための「基本合意書」を締結することが承認されましたのでお知らせいたします。「基本合意書」の締結は、 来る9月28日を予定しております。
 現在、各高裁および各地裁に係属中の本訴訟は、「基本合意書」締結後、原告側が順次、当社および株式会社ベネシスへの損害賠償請求を放棄することによって終結することとなります。

 なお、2008年1月16日には、「特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固第\因子製剤によるC型肝炎感染被害者を救済するための給付金の支給に関す る特別措置法」が公布・施行されておりますが、当該給付金支給等業務に要する費用の負担の方法およびその負担割合については、同特別措置法第16条(厚生 労働大臣と製造業者等との協議)の規定により、今後、厚生労働大臣と当社との間で協議の上、決定されることになります。
 当社は、2008年5月7日に公表の通り、本訴訟に関する将来の損失に備えるため、2008年3月期決算において「HCV訴訟損失引当金」として 11,200百万円を計上しておりますが、今後の協議の結果により、あるいは給付金支給対象者数の増減等により、当社負担額が変動する可能性があります。

朝日新聞

 合意書では「薬害の発生と拡大を防げなかった責任」を認めたうえでの謝罪が盛り込まれ、被害を放置した事実も明記されている。28日に原告団との間で合意書を締結し、葉山夏樹社長が原告患者らに直接謝罪する。

時事通信

 合意書案は、製薬企業が薬害の発生と拡大を防げなかったことの責任を認め謝罪するほか、青森県で集団感染が判明した1987年以降、被害実態調査を怠ったため医療記録が廃棄された事実や、薬害の可能性がある患者418人の症例リストを放置した事実などを踏まえ、企業が再発防止を誓う内容。
 また、企業は被害の実態調査や情報開示、新薬の開発などに努め、患者側との継続的な協議の場も設ける、としている。

 

2008/9/19

薬害肝炎の福田衣里子さん出馬  長崎2区、民主党公認で

  薬害肝炎訴訟原告の福田衣里子さん(27)=長崎市=は18日、次期衆院選長崎2区に民主党公認として立候補することを表明した。同日午前、長崎市内のホ テルで同党の小沢一郎代表と会談し、出馬要請に応じる考えを正式に伝えた。午後には小沢代表とともに記者会見する予定。

 福田さんは1980年、出生直後に血液製剤を投与されC型肝炎に感染。2004年、薬害肝炎訴訟で実名を公表した。

 長崎2区では、元防衛相の自民現職久間章生氏(67)と、諫早市議の相浦喜代子氏(44)、会社員の山崎寿郎氏(28)=いずれも無所属新人=が立候補を表明している。


毎日新聞 2008/9/18

薬害肝炎訴訟:田辺三菱製薬と和解 大阪地裁

 薬害C型肝炎訴訟の原告の一人で大阪市の森上悦子さん(59)が製薬会社「田辺三菱製薬」(旧ミドリ十字、本社・大阪市)に損害賠償を求めた訴訟 は17日、大阪地裁(深見敏正裁判長)で和解が成立した。同社が今後、治療薬開発に最大限の努力をするという内容。森上さんは全国原告団を離れ、早期解決 を目指して和解交渉を進めていた。原告側代理人によると、C型肝炎訴訟での製薬会社との和解は初めて。

 森上さんは長男出産時、血液製剤「フィブリノゲン」を投与され、C型肝炎を発症して肝がんになり、04年に原告団の一人として国と製薬会社を相手 に損賠訴訟を起こした。森上さんは会見で「和解は心からうれしい。C型肝炎がなくなるよう薬の開発に全力を注いでほしい」と訴えた。

原告側が賠償請求を放棄し、田辺三菱側がC型肝炎患者救済のため、治療薬の開発に最大限努力することが条件

森上さんは当初、同社に対し、夫の操さん(60)が理事長を務めるNPO「肝炎家族の会」との間で協議会を設置することや新薬の開発などを求める内容で交渉していた。しかし同社側が協議会の設置については難色を示したため森上さん側が協議会設置を条項から外し、「肝炎患者の救済を図るため治療薬の開発に最大限の努力を傾注する」との条件で合意した。

04年に集団訴訟に加わったが、方針の違いから昨年6月に離脱。国とは今年2月に和解し、薬害肝炎救済法に基づく給付金4千万円を受け取った。

 一方、全国原告団は今月末にも被害への責任や謝罪を記した基本合意書を同社と締結し、事実上の和解をする。その後、損害賠償の請求権を放棄し、訴訟を終結させる方針。

一方、田辺三菱は集団訴訟の全国原告団(約千人)との和解交渉で、薬害の発生と拡大を防げなかった責任を認めての謝罪や被害を放置した事実の明記など、今回の和解条項より踏み込んだ内容の合意書を交わすことでほぼ同意。
ただ、これまでの判決で血液製剤投与が確認されなかった原告との訴訟上の和解は困難との姿勢を崩していないため、「一律解決」を目指す原告団は全員が訴訟を取り下げ、解決させる方針だ。

▽田辺三菱製薬広報部の話 C型肝炎治療薬の開発に最大限の努力を傾注する。

ーーー


 

〈1〉青森県での集団感染発生以降、多くの医療機関でカルテなどが廃棄された〈2〉同社は418人の症例リストなど感染者情報を厚生労働省に報告しただけで、感染を知らないまま病状が進行した人がいる――という2点の責任を巡って交渉が難航していた。

これまでの協議では、被害放置の「責任」をめぐり、田辺三菱側は、薬害肝炎救済法に基づく給付金の負担割合が増えることへの懸念などから難色を示してきたとされる。このため原告側は、法的責任の範囲を「薬害の発生と拡大を防げなかった責任」にとどめる合意書案を22日の総会で最終決定していた。

関係者によると、これまでの協議で、田辺三菱側は(1)薬害の発生、被害の拡大を防止できなかった責任を認め、謝罪する(2)フィブリノゲンの納入実績や副作用データを開示する―などについては受け入れる姿勢を見せている。

 しかし、血液製剤フィブリノゲンを投与され、C型肝炎ウイルスに感染した418人の患者リストが放置されていた問題でも、原告側は田辺三菱側に謝罪を求めているが、同社は拒否。協議が難航しているという。

 

原告団の案は、同社が血液製剤により薬害が発生し被害の拡大を防げなかった責任を認め謝罪するほか、同社案になかった「命の尊さを再認識し、製薬会社として薬害や医薬品による健康被害の再発防止に最善かつ最大の努力を行うことを誓う」との文言を盛り込んだ。また恒久対策として、被害の実態調査や新薬の開発、原告・弁護団との継続協議を明記した。

田辺三菱製薬の葉山社長は6月24日の株主総会で原告側との和解に向けた交渉について「全面的解決に向けて誠意をもって対応し、医薬品による健康被害の再発防止に最善の努力を払う」と述べた。

 

薬害C型肝炎問題で、県内の女性患者が血液製剤投与を示すカルテの代わりに肝炎ウイルスの遺伝子型を証拠として、国を相手に被害者としての認定と給付金支払いを求める訴訟を7月4日に新潟地裁に提訴する。

 原告団によると、ウイルスの遺伝子型を血液製剤投与の証拠に挙げて訴訟を起こすのは国内初という。

 訴状によると、女性は県内の病院で出産した際、血液製剤「フィブリノゲン」を投与された。約1か月後に肝炎ウイルスに感染していると診断され、現在は慢性C型肝炎になっている。女性のウイルス遺伝子は「1a型」で、原告側は、このタイプは「ほとんど大部分が米国から輸入された血液製剤による感染である」と主張している。

 「カルテのない薬害C型肝炎の全員救済を求める新潟の会」によると、薬害肝炎の被害者でカルテが残っている例は少なく、患者らは投薬を示す手術・入院記録や医師の証明書を探し回っているという。


ところで、1998年4月に吉富製薬がミドリ十字と合併し、2001年10月に更に三菱東京製薬と合併したが、吉富製薬や三菱化学は薬害肝炎問題をどう見ていたのであろうか。当時の記事を調べてみた。

   企業  薬害エイズ  薬害肝炎
1976 ミドリ十字   フィブリノゲン製造承認
1980   ↓   米国で同製剤の承認取り消し
1985   ↓ 厚生省専門家会議で
初のエイズ認定
不活化処理方法の変更
(危険性を一層高めた)
1988   ↓   返品要請(以後、販売数量激減)
1989   ↓ 損害賠償請求訴訟  
1996/3   ↓ 和解  
1997/2 吉富製薬/ミドリ十字 合併発表     
1998/4 合併→吉富製薬    
2000/4 社名変更→ウェルファイド    
2000/11 ウェルファイド/三菱東京製薬 合併発表    
2001/10 合併→三菱ウェルファイド    
2002/10     提訴
2007/10 三菱ウェルファイド/田辺製薬合併
  →田辺三菱製薬
   
2008/1     薬害肝炎救済法成立

薬害患者による提訴こそ、両合併の後の2002年10月であるが、両合併のはるか以前に大問題になっている。
1988年にミドリ十字は緊急安全性情報を配布し返品を要請している。

両合併に際して、薬害エイズ問題は懸念されているが、肝炎問題は一切表面に出ていない。新聞記事も触れていない。

吉富製薬の場合は厚生省などからの要請もあったと思われるが、三菱の場合は成長戦略による判断のようだ。

ミドリ十字が薬害エイズ被害者への和解金支払いや不買運動の影響などで業績が悪化し、自主再建を断念したのは明らかであったが、肝炎問題について同じようなことになるとの懸念を持たなかったのであろうか。

ーーー   

1997年2月、ミドリ十字と吉富製薬は同年10月1日付で合併すると発表した。(手続面で1998年4月1日に延期された)
ミドリ十字
は約240億円に上る薬害エイズ被害者への和解金支払いや不買運動の影響などで業績が悪化し、96年9月中間期に71億円の最終損失を計上していた。自主再建を断念し、吉富に事実上の救済合併を仰ぐ。

吉富製薬は1940年に武田長兵衛商店(武田薬品工業)と日本化成工業三菱化学によ武田化成として設立され、1946年に吉富製薬と改称した。東証1部上場。

両社トップは「独自の判断」を強調するものの、突然の合併劇の背景には厚生省の後押しがあったとみられた。
厚生省は、
ミドリ十字が経営悪化によって薬害エイズ問題の責任を全うできなくなる事態を最も心配していたため、合併による経営基盤の強化は患者の将来への不安解消にもつながるとの薬務局長談話を発表した。
「厚生省が間に入り、吉富の大株主である武田に救済を依頼した」との観測は根強かった。

吉富製薬は以下のように述べた。

合併は中長期的にみて吉富にとってもプラスであり、あくまで吉富とミドリの自主的な判断。

ミドリは企業イメージこそ失墜したが、生物学的製剤技術や国際展開で独自の強みを持つ。
同社が開発中の遺伝子組み換え型アルブミンは将来300億円規模の市場との予測もある。
エイズの遺伝子治療薬も開発中で、米国子会社Alpha Therapeutic も持つ。

吉富は企業規模こそミドリよりも大きいが国際化は遅れている。
医療費抑制策進行で規模拡大の必要性が高まっている。

ミドリの和解金240億円の残額は101億円だが、両社合計の株主資本は1,287億円と余裕があり、ミドリの業績が回復していることから心配はしていない。

あくまで「自主判断」としているが、ミドリ十字の救済であることを匂わしている。

HIV訴訟はミドリにとって大変な問題だが、二度と薬害を起さないように社内体制を充実しており、信頼できると思う。
ミドリは血液製剤で大きなシェアを持っており、もし生産中止になれぱ医療面で大きな影響を与えることになる。

武田薬品は「一部上場企業の吉富製薬が決定することであり、当社は吉富の経営判断を尊重する」とのコメントを出した。

日本経済新聞は、「新会社はミドリから和解金だけでなく、企業の社会的責任をすべて引き継ぐ。血友病患者以外のHIV感染者との和解交渉もある。ミドリは歴代3社長の逮捕・起訴で厳しく問われた企業倫理に対し社会的に十分こたえたとはまだ言い難い。新会社が新たに抱えた課題は極めて大きい」としている。

ーーー

その後、ウェルファイドは危機に陥った。

米国の血液製剤子会社Alpha Therapeutic が2000年7月に米食品医薬品局から製造設備の無菌性試験のやり方などについてクレームを受け、再試験と製造・出荷の停止を命じられた。
この結果、Alpha Therapeutic の2000年12月期は180億円の最終赤字に陥り、ウェルファイド本体も初の連結赤字が避けられない見通しとなった。
同社の株価は1,700円台から瞬く間に800円を割り込んだ。
最安値で算出した時価総額は約2千億円で、海外の製薬企業からTOBをかけられかねないとの懸念が出た。

ミドリ十字はAlpha Therapeutic を Abbott から買収した。
ミドリ十字の血液製剤は
Alphaから輸入していた原料血漿にHIVが混入していた

三菱ウェルファイドは2003年にAlpha Therapeutic の血漿採漿部門をBaxter Healthcare に、血漿分画事業をProbitas Pharma に譲渡し、米国における血漿分画事業から撤退した。

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2000年11月、ウェルファイドと三菱東京製薬の合併が発表された。

合併は三菱化学が主導したと言われる。

三菱化学は主力の石油化学事業の収益が厳しく、収益牲が高い医薬品事業を21世紀のグループの大きな柱に据えた。
三菱化学は1999年10月に東京田辺製薬を吸収合併し、医薬部門を分離して三菱東京製薬を設立したが、売上高は900億円に過ぎなかった。(ウェルファーマは1,991億円)

東京田辺製薬と田辺製薬はともに田邊五衛商店から出ているが、資本関係は無かった。
東京田辺製薬は1900年代初頭に田邊五兵衛商店から田邊元三郎商店として独立し、その後東京田辺製薬と改組した。
一時期、田辺−東京田辺間で東日本・西日本の営業地域分けを行っていたこともある。

外資が対日攻勢をかける中で、医藥品事業を国内大手の一角まで押し上げることが必要であった。
当時の三菱東京製薬の富沢社長は「国内で5位以内でなければ、存在感をもって生き残るのは難しい」と危機感を募らせていた。
「海外製薬会社との連携は必要だが、国内5位の基盤ができれば、海外の大手とも一方的な強者・弱者の関係でなく、話ができるようになる」としている。

ウェルファイドとは前身の吉富製薬の発足時からつながりは深かった。
また、三菱にとって、「ほかの選択肢はあまり無かった。」

ウェルファイドも「世界的に存在感のある企業にしたいが、今の規模では力不足」としており、上記のように海外企業からの買収懸念もあり、両社の思惑が一致した。

ウェルファイド側は「国内勢との合併による規模の拡大→経営の独立性を保ちながら欧米企業と提携」という構想を述べているが、三菱化学が合併会社・三菱ウェルファーマの筆頭株主となり、更に田辺製薬との合併で田辺三菱製薬となって三菱ケミカルホールディングスの三本柱(三菱化学、三菱樹脂、田辺三菱製薬)の一つとなり、上場はしているが、完全に三菱ケミカルの一員となっている。

医薬品メーカー 売上高ランキング 単位:億円
     
 2000年3月期連結売上高    参考 2008年3月期(中外は12月決算)
1 武田薬品工業  9,231
2 三共  5,897
3 山之内製薬  4,336
4 塩野義製薬  4,002
5 エーザイ  3,024
6 第一製薬  3,005
7 藤沢薬品工業  2,891
  三菱ウェルファーマ  
8 大正製薬  2,752
9 ファイザー製薬  2,061
10 ウェルファイド  1,991
11 中外製薬  1,955
  三菱東京製薬   900
 :
1 武田薬品工業   13,748
2 アステラス製薬   9,726
3 第一三共   8,801
4 エーザイ   7,343
  田辺三菱製薬(実質)   4,094
5 中外製薬   3,448
6 田辺三菱製薬   3,156
7 塩野義製薬   2,143
8 大日本住友製薬   2,640
9 大正製薬   2,497

注. 田辺三菱製薬(2008/10誕生)の2008年3月期売上高の上期は三菱ウェルファーマ分のみ。
   田辺製薬の上期分を加算すると4,094億円となり、念願の国内5位となった。

 

富沢社長の当時のインタビューでも、ウェルファイドの米国血液製剤事業については触れているが(「海外血液事業に魅力はない」)、ミドリ十字時代の肝炎問題については全く触れておらず、懸念していないように思われる。

薬害エイズ問題が解決を迎え、肝炎問題についてはある程度のリスクは認識していても、他に代替案がないなかで、一気に大手の一角に躍進できることを重視したのかもしれない。

この問題は今後も拡大する可能性があり、三菱ケミカルホールディングスの三本柱の一つとした以上、逃げるわけにも、チッソのように国に頼るわけにもいかず、同社にとって大きな負担となりそうだ。