2016/7/27

私の履歴書 タニン・チャラワノン (CP Group 会長)

「伊藤忠となら組める」 初対面の社長に提携申し出

人の和
 天の時、地の利、人の和という言葉がある。CP(チャロン・ポカパン)グループと伊藤忠商事の提携はまさにこの言葉に尽きる。CPは2013年1月、中国の金融グループの平安保険集団の株式約15.6%の取得を決め、やや弱点だった金融分野を補強したところだった。

 そのころCPの中国事業の責任者から「会長に会ってほしい人物がいる」と言われた。それが伊藤忠の岡藤正広社長だった。日本の商社が繊維事業に見切りをつけるなかで、逆に繊維グループの利益を5倍に伸ばしたという経歴に興味を持った。ただ伊藤忠とは深い取引もなく、面会はなかなか実現しなかった。

 半年後、こちら側の強い働きかけで事態は動いた。先方と昼食会を催すため、10月中旬、自家用ジェットで東京に入った。昼食会で岡藤さんと握手をした瞬間、「この人となら組める」という直感がわいた。初対面の相手に私はいきなり「伊藤忠本体の株を1割程度持たせてほしい」と申し出た。

 私からの出資提案に対して岡藤さんは.「伊藤忠もそちらに出資し、しっかり手を組んでいくのなら検討する」という返事が返ってきた。私は日本の商社のトップと長年つきあってきたが、岡藤さんのように初対面からビジネスの話ができる人はいなかった。翌14年7月、CPグループが伊藤忠に4.9%出資し、伊藤忠がCPグループの香港企業、CPポカパンに25%出資する提携が実現した。

 国境をまたぐ資本提携はさらに続いた。日本市場は飽和状態にあり、消費が拡大する余地は大きくない。中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)」の市場の開拓に向け、中国の大手金融グループの中国中信集団(CITIC)に投資しないかと伊藤忠側に提案した。CITICは経済改革が始まった直後に、ケ小平が設立に動いた改革開放政策を象徴する企業だ。
 伊藤忠の岡藤社長は物事を見抜く独特の目を持つとともに、改革に取り組み新事業を生み出す実行力のある人だ。とはいえCITICへの投資は1兆円を超える巨額投資であるだけでなく、中国政府の特別な許可も必要となる。

 CITICの常振明会長が中国政府への説得にあたった。CPグループは外資第1号企業として中国に進出した企業だ。伊藤忠は1972年の日中国交回復前から中国と貿易関係があった企業だ。こうした古くからの友好関係を理由に常振明会長が説得の努力を続けてくれた。

 15年1月、アジア中を驚かせたタイ、日本、中国の大手3社の資本提携が日の目を見た。CPと伊藤忠は日本円で総額約1兆2千億円を投じてCITIC株を10%ずつ、合わせて20%を取得した。

 3社には得意分野がある。伊藤忠は世界的な物流・商流を持ち、人材面で優れている。CPはASEANでは最大級の複合企業グループであり、農業から食卓につながる流通小売業を擁し、豊富な華人人脈がある。CITICは金融と実業を兼ね備えた中国最大級の複合グループであり、そのネットワークは中国全土に張り巡らされている。

 3社の経営資源とネットワークを重ね合わせれば強者連合となる。グローバル市場を見据え、さらに大きなビジネスの舞台をつくりあげられる。

 

交友とビジネス 両輪 ブッシュ米元大統領とも懇意

年齢・国籍超えて
 私はお世話になった方とは長くお付き合いさせていただいている。それがまた次のビジネスを引き寄せることもある。CP(チャロン・ポカパン)グループが日本に足がかりをつかめたのは台湾の友人らのおかげだ。台湾の経営者仲間の蔡添寿さんが翁炳栄さんを紹介してくれた。

 翁さんは歌手ジュディ・オングさんのお父さんだ。私より十数歳も年上だが、気が合った。次兄とも非常に仲がよい。翁さんは日本の知己も多く、日本への冷凍鶏肉の輸出を紹介してくれた。翁さんにはCPの東京代表になってもらった。中国で一緒にテレビ番組「正大綜芸」の制作を始めたのは前に述べた通りだ。

 台湾の友人で忘れられないのは徐偉峰さんだ。1960年代に台湾で第一百貨というデパートを経営していた。おいしいものに目がない徐さんとは食べ歩きを楽しんだ。東京の中華レストラン「楼外楼」を紹介してくれたのも彼だ。翁さんと3人で中華料理に舌鼓を打った。徐さんは残念ながら早くに亡くなった。

 シンガポールではゴー・チェンリャン(呉清亮)さんと親しい。ゴーさんも私たちと同じ潮州系の華人だ。ゴーさんはウットラムという会社を創業し、日本ペイントと合弁でシンガポールやマレーシアでペンキ事業をしている。中華圏では「立邦」のブランドで知られ、中国でこのブランドを知らない人はいない。

 父の代からお付き合いしているのが香港企業「大地農業」を経営する黄烱南さんだ。私の父と同業である野菜の種の販売をなりわいとしている。父の採取した種も販売してもらった。

 中国からの石炭輸出の商談が縁でオランダの複合会社、SHVのオーナー一族と知り合った。トップだったパウル・ファン・フリシンゲンさんと懇意になり、SHV傘下の会員制卸売店のマクロをタイに導入した。彼は2006年に亡くなったが、家族との交友関係が続いている。

 1990年代後半のアジア通貨危機でマクロの株をSHVに一度は売却したものの、13年に買い戻した。その際に買い戻さないかと声をかけてきたのが、パウルさんのお兄さんの娘さんだ。20年以上も家族との付き合いが続き、ビジネスにつながるのはまれだろう。

 米国のロックフェラー家との交友関係もずっと続いてきた。米国の養鶏業を紹介してくれたデビッド・ロックフェラーさんとはかつて毎年一回はお目にかかっていた。いまは100歳を超えられ、面会もかなわなくなった。

 米国ではジョージ・H・W・ブッシュ(父)元大統領とも懇意にしている。米企業とタイで通信事業を始めたときに、テープカットをしていただいたのが父ブッシユ氏だ。それ以来、1、2年ごとにお会いしている。1年ほど前にも米国でブッシュ夫妻にお目にかかった。90歳を超えて車いすの生活だが、お元気のようだった。

 中国では電子商取引(EC)最大手のアリババ集団を創業したジャック・マー(馬雲)さんを師として仰いでいる。私よりずっとお若いが、IT(情報技術)産業の企業経営では傑出した能力を持ち、学ぶべきところは多い。今の時代、交友に年齢は関係がない。
 

工場自動化、夢への一歩 卵1日で240万個・農家が株主

豊かな理想社会

 私の夢を実現する試みが中国・北京の郊外で始まった。北京の北東に位置する農村、平谷に2012年4月、鶏卵生産工場を稼働させた。工場という言葉を使ったのは飼料配合から出荷まで機械で自動的に運営しているからだ。1日に300万羽の鶏から240万個の卵を採取する。

 伝染病を予防するために工場は外部と完全に遮断し、密封している。飼料はタンクからパイプラインを通じて鶏舎に運び、鶏に与える。産み落とされた卵もベルトコンベヤーで集荷場所に運ぶ。自動車工場のようなロボットのアームが卵を荷台に積んでいく。すべてをコンピューターで自動制御している。

 300万羽の鶏から出るフンは有機肥料として周辺に広がる果物畑にまいている。年老いて卵を産めなくなった鶏は食用に加工するほか、ワニを養殖するえさとして利用している。資源の再利用で周辺環境を保全すると同時に運営コストを引き下げた。

あたりは農村で働き手はいっぱいいるのだが、工場内では数十人も働いていない。実は周辺の約5千人の農家には工場を運営する企業体の株主になってもらった。工場の利益を株主農家に分配する仕組みをつくり、工場の黒字、赤字にかかわらず株主に一定額の配当を保証している。

 CP(チャロン・ポカパン)グループは鶏卵工場そのものではもうからなくてもよいと考えている。グループ内の飼料、種鶏、食品加工など別部門で利益を確保でき、川下の小売りでも利益を上げられるからだ。20年後には工場の所有権も農民らで構成する企業体に移譲する。

 労働力があふれる中国の農村部にオートメーション工場をわざわざつくる意味がどこにあるのか。いぶかしく思われるかもしれない。この方式は第一に農村の所得向上につながる。農家を労働者としてのみ雇用するのではなく、株主にした。株主農家は配当収入だけでなく、別の仕事をすればそこからも収入が得られる。単なる工場労働者ではそれほどの収入は得られない。

 第二にこれから始まる中国の少子高齢化の備えになる。中国は昨年まで続いた一人っ子政策の影響で農村部ですら若い働き手が少なくなっている。日本を先頭にアジア各国で少子高齢化が進んでおり、アジアでもオートメーション工場は不可欠だ。機械に生産を任せれば、素人の労働者による効率性や安全性を損なう行為もなくなる。

 私はロボット、さらにロボットを動かす人工知能(AI)の技術に注目している。人類は道具を使いこなすほどに生産力を増してきた。私の父は1週間の7日間を休まず働き続けたが、私は日曜日に休む制度を導入し、ついで週休2日制に改めた。休日を実現できたのは機械を使って生産性を引き上げたからだ。ロボットの利用がますます増えれば週休3日制を実現できる。

 21世紀はロボットが人類に代わって働き、労働の苦しみから我々を解放してくれる時代だ。ロボットを使って生産すれば物質はありあまるようになる。共産主義や社会主義は理想だが、物質が足りないなかでは実現に困難を伴う。物質がありあまるようになって初めて人類は理想社会を実現できる。私はビジネスという手段で理想社会を追い求めていきたい。