毎日新聞 2012/5/21

危機の真相 浜 矩子
 さらばユーロの煉獄と地獄

 「救うも地獄、見捨てるも地獄。どっちに転んでも、悲劇的結末が待ち受けている」。ギリシャの債務問題とそこに端を発するユーロ危機について、拙著で上記のように書いたことがある。2010年の春先だった。あれかち2年余り、悲劇の地獄的様相は、終幕に向けて最高潮に達しつつある。
 救うとはどういうことか。要するに、ドイツを筆頭とする統合欧州の仲間たちと欧州中央銀行(ECB)が、よってたかってのギリシャ救援を続けることだ。それはなぜ、地獄につながるか。結局のところ、共倒れの一連托生をもたらすからだ。いずれ、救う方はカネが尽きる。救われる方は、そのために払うべき犠牲が大きすぎて力が尽きる。
 ギリシャだけならまだいい。スペインもポルトガルも、イタリアも、次々と救うことになったらどうするか。そのうち、救う方より救われる方の重みが勝る状態となることは目に見えている。その時、ミイラ取りがミイラとなって、国々の連鎖倒産の嵐が吹き荒れることになる。
 見捨てるとは、統合欧州の仲間たちがギリシャ支援を止めるということだ。そしてギリシャはユーロ圏かち立ち去る。この両者が、必ずしも1対1の対応関係にあるとは限らない。だが、支援を断ち切られながら、ギリシャがなおユーロ圏の統一ルールに従って経済運営を続けることは至難だ。従って、見捨てられれば、ギリシャは我が道を行くことになるだろう。
 そのことは、なぜ地獄につながるか。ギリシャにとっては、突如として命綱を断ち切られるようなものである。まさに地獄だ。ユー口圏は、仲間を救うことのできない非力さが露呈する。存続の危機が訪れるから、やっぱり地獄だ。
 ただ、ここで少し考える余地がある。見捨てる選択は本当に地獄に通じるか。あるいは、「本当の」地獄に通じるか。思えば、この道は、もしかすると地獄ならぬ煉獄に通じる道かもしれない。

 煉獄とは、天国と地獄の中間地点だ。ここでしばらく火に焼かれていると、魂は清められたたき直されて、罪のくびきから解放される。十分に練り清められた魂に対して、天国の門が開かれる。ギリシャがユーロ圏に勘当された場合、あるいは、ギリシャ側が癇癪を起こして親子の縁を切った場合、ひとまずは、それこそ地獄の辛酸をなめることになるだろう。何しろ、債権者たちは押し寄せて来る。支援者は誰もいない。追い詰められることは間違いない。
 だが、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。ひとまず何とか踏ん張れば、自由の身だ。自国の経済運営を、自分で取り仕切ることができる。金融政策も、財政政策も、そして為替政策も。ほかの誰かが決めたルールに振り回されることはなくなる。身を切るようにつらくても、自分で決めて自分でやっていることならば、文句はいえない。文句をいう相手もいない。存外に爽快な痛みであるかもしれない。
 この醍醐味を1990年代にかみ締めたのが英国である。ユーロ圏誕生前の統合欧州には、欧州通貨制度という仕組みがあった。その為替相場メカニズムに、英国は参加したのもつかの間、早々に離脱した。92年のことである。その後の英国は、為替レートを特定水準に固定する義務から解放されたため、実に伸び伸びと成長路線を突っ走った。
 その行き過ぎで、英国はやがてバブル化の墓穴を掘ることになった。自由になり過ぎると、こういう具合に鉄槌を食らう。だが、それは、あくまでも自律的展開の中での失態だ。ほかの誰のせいにもすることはできない。そうであるがゆえに、そこには煉獄の火に通じる浄化効果が潜在している。
 ことここにいたった以上は、ユー口圏全体として煉獄行きを目指してはどうか。要はユーロ圏解体である。誰もがみな、自由度が増して責任感も強まる。責任のなすりつけ合いができなくなる分、誠実な付き合いができるようになるだろう。元来、無理のある欧州通貨統合だった。無理な家族化よりも、無理なきご近所付き合いの方が、むしろ、絆は強まるかもしれない。
 救うは地獄。見捨てるは、実は煉獄。2年前に書いた文章をそう書き改めることとしたい。

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欧州通貨制度 European Monetary System(EMS)

1979年から1999年まで維持された欧州経済共同体の加盟国による地域的半固定為替相場制のシステム。
通貨変動が年±2.25%以内に抑えることを原則として、ユーロ導入までの移行期間的システムで、ヨーロッパの諸通貨の安定を目的とした。

イギリスは1990年から1992年の期間のみ参加。

欧州為替制度は1998年5月にはもはや有効なものではなく、これはユーロ導入を控え、各国が相互の為替相場を固定したためである。欧州通貨制度を引き継いだ形となる欧州為替相場メカニズムが1999年1月1日に始動した。

欧州為替相場メカニズムにおいて欧州通貨単位バスケットは廃止され、新たな単一通貨ユーロが欧州為替相場メカニズムに組み込まれているほかの通貨のアンカーとなった。欧州為替相場メカニズムへの参加は任意であり、為替変動幅は従来の相場メカニズムと同じ15%とされたが、対ユーロに対して個別により狭い変動幅を設定することが可能となった。欧州為替相場メカニズムの始動にあわせてデンマークとギリシャが新たに加わった。
 

1999年1月1日にユーロが決済用仮想通貨として導入された。この時点では現金のユーロは存在しなかった。3年後の2002年1月1日に初めて現金通貨としてのユーロが発足した。この時、導入国の従来の通貨に替わって2002年1月1日ユーロは法定通貨となった。

(1)銀行間取引など非現金取引を対象に、単一通貨ユーロは1999年1月1日から導入された。同時に欧州中央銀行による統一的金融政策が開始され、ユーロ圏各国は独自に金融政策を行う権限を失った。この時からユーロに参加したのはドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、アイルランド、オーストリア、フィンランド、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグの11か国であり、経済収斂基準の達成が間に合わなかったギリシャは2001年1月から遅れてユーロに参加した。一方、これら以外のEU加盟国(英国、デンマーク、スウェーデン)は、国内世論の支持が得られなかったこと等によりユーロへの参加を見送った。

(2)2002年1月1日よりユーロ参加国内において、ユーロ貨幣の流通開始。