毎日新聞 2011/10−−

この国と原発 過小評価体質

 「津波の評価を行う際、想定外を考慮することが重要」との書き出しで始まる英文の報告がある。東京電力の原子力部門の技術者らが、2006年7月に米国であった原子力工学の国際会議で発表した内容で全7ページ。福島第1原発の津波リスクが試算され、結果を示す図には想定外の津波に襲れれる確率が年5000分の1程度であることを示す曲線が描かれていた。日常生活に当てはめると、交通事故で死亡するリスク(年1万分の1程度)より高い確率だ。
 原発のリスク評価が専門の平野光将・東京都市大特任教授は「想定をわずかに上回る津波でも、(最終的に原子炉の熱を除去する)海水系が壊れれば、シビアアクシデントに至る可能性がある。対策をしなかったは、安全文化の欠如によるサボタージュではないか。これでは「想定外」の事故とはいえない」と指摘する。
 技術者たちは明治三陸地震(1896年)など大津波を起こした地震に加え、明治三陸規模の地震が福島県沖で起きた場合なども組み合わせ、確率論的安全評価(PSA)と呼ばれる手法で試算した。
 対策に生かさなかった理由を、東電は社内の事故調査委員会に「試行的な解析の域を出ていない」などと説明した。だが、PSAに詳しい蛯澤勝三・原子力安全基盤機構総括参事は「当時の範囲では最適の方法と判断していい」と解説する。
 大地震などによる想定外の事故のリスクが数字で明確に表されるPSA。06年に改定された国の原発耐震設計審査指針の審議では、導入が検討されたが、見送られた。改定を検討した内閣府原子力安全委員会の分科会委員だった入倉孝次郎・京都大名誉教授は「指針でPSAを決めなかったため、過酷事故の確率が表ざたにならなかったという問題はあると思う」と話す。
 なぜ、導入されなかったのか。分科会委員でPSA義務化を求めていた大竹政和・東北大各誉教授は、経済産業省原子力安全・保安院の知人からこう聞かされたという。「指針を近代的なものにしなければならないが、寝た子を起こすことになってしまったら、あぶはち取らずだから」
 大竹名誉教授は解説する。「(国や電力会社は)原子力は安全だと言ってきたのに、リスクがあるということになるとやりにくい。リスクに光を当てることは『禁忌』だった。保安院が規制と原子力行政を進めるには、電力業界の支援なしにはできない。電力には経産省OBも天下り、先輩がいる会社に大きなことは言えない」

耐震指針検討分科会 異例の委員辞任
 断層想定見直し要求 「議論蒸し返し」と拒否

 「社会に対する責任を果たせない」2006年8月28日、原発の耐震設計審査指針の改定を審議してきた、原子力安全委員会耐震指針検討分科会の最終回。神戸大教授(当時)の石橋克彦委員が改定案に同意せず、辞任する異例の幕切れとなった。
 分科会は01年7月から、地震学や地震工学などの専門家十数人で議論。地震と原発事故の複合災害を「原発震災」と名付け、危険性を訴えてきた石橋委員は「外から批判しているだけでは良くない」と判断し、委員就任の要請を受け入れた。
 だが、ある委員から「あなたが思うようには会議は進まない。覚悟しておいてほしい」と言われていた。別の委員から「何でこんな男を委員にしたんだ」と怒鳴られたこともあった。78年の指針制定後、初の本格改定だった分科会終盤の議論を追うと、危険性が過小評価されていく構図が浮かぶ。

第45回(2006/7/19)

石橋委員「状況が大きく変化した。事業者と審査側(国)の活断層調査能力の信頼性が著しく失墜した」

 「宍道断層」を巡り中国電力は98年、3号機を建設予定の島根原発近くで、推定長さ8キロの活断層を確認したと発表した。想定される地震はマグニチュード(M)6級とされ、通商産業省(現経済産業省)資源エネルギー庁の調査団も「余裕をみて最大8キロで妥当」とお墨付きを与えた。
 ところが06年5月、中田高・広島工業大教授(当時)らのグループが、断層の長さはM7級(M6の約30倍)の地震を起こす18キロとの調査結果を発表した。石橋委員は第43回(2006/4/28)でまとめた改定案について、活断層の見落としに対応するため、どの原発でも事実上、M7級の地震を想定するよう見直しを求めた。

大竹政和委員「周知の問題で、念頭に置いて検討してきた。蒸し返す必要はない」
衣笠善博委員「新指針が早く日の目を見ることが重要」

 実は大竹委員は、中国電力からの3号機設置許可申請を審査した安全委の原子炉安全専門審査会で、地震想定などを審査するCグルーブの主査を務め、05年2月に宍道断層の長さを10キロとした同社の報告を妥当と結論。国は同4月に設置を許可していた。分科会委員には、Cグループのメンバー4人と、エネ庁調査団顧問だった衣笠委員がいた。

第46回(2006/8/8)

小島圭二委員「(中田グループの)調査結果は仮説の段階」
衣笠委員「時間を費やしてコンセンサスを得た。議論の蒸し返しだ」
大竹委員「個別の問題。新指針は健全で、修正の必要はない」

 小島委員は地質工学が専門で、建設省土木研究所研究員、東京大教授などを歴任。Cグループのメンバーでもあり、「今も中国電力が過小評価したとは思っていない。18キロでも安全性は変わらない」と話す。
 衣笠委員は地震地質学が専門。通産省地質調査所首席研究員、東京工業大教授などを歴任した。取材には「マスコミに申し上げるつもりはない」とノーコメントを貫いた。
 一方、大竹委員は後悔の念を抱く。建設省建築研究所主任研究員、東北大教授、日本地震学会長などを歴任。「(改定案を)練り直そうというのが本心だった。ただ、それでは改定が半年や1年先になった」と話した。
 石橋委員「不適切なやり方をしてきたため、(宍道断層の)間違いが起きた。そのことを深刻に理解しないと、今に本当に大変なことになる」

 結局、中国電力は08年、宍道断層の長さを最大22キロに変更した。
 過小評価は宍道断層だけでない。分科会の非公式会合で、どんな活断層を原発の耐震性評価の対象とするかを巡り、一部委員の間で激論になったという。旧指針は過去5万年間に活動した断層が対象で、ある委員は「安全リスクからすれば10万年くらいは見た方がいい」と主張。だが、別の委員は「5万年でいい」と反論し、指を折りながら指摘した。「そんなこと言っていいのか。10万年にしたら、もたない(想定地震が大きくなって運転できなくなる)原発がこんなにある」

◆第47回(2006/8/22)

鈴木篤之・原子力安全委員長「改定指針による耐震安全の審査や確認が早期に可能になるようにしていただきたい」

 なぜ事務局は改定を急いだのか。北陸電力志賀原発2号機を巡り金沢地裁は06年3月、旧指針の不備を指摘して運転差し止め請求を認めた。他の原発へ波及する恐れがあり、安全委職員は「拙速にしたつもりはないが、既存の原発の耐震性を早く再評価する必要があり、まとめなければならないという意識はあった」と認める。
 改定案にはパブリックコメントが多数寄せられ、石橋委員はそれに基づく再検討も求めた。

衣笠委員「パプコメには分科会で議論したことが書かれているだけ」
大竹委員「(パプコメの内容は)極めて当然の話。(改定案に)わざわざ書くまでもないと思っていた」
石橋委員「この状況は、一流のオーケストラの演奏も録音盤も聴かず、偏つた解説だけ聞いて管弦楽がわかった気になっていたようなものだ」
衣笠委員「(石橋委員と)紳士的な議論をするのは困難と言わざるを得ない」

 議論が行き詰まる中、京都大名誉教授の入倉孝次郎委員が「委員から全く異なる見解がされていて、まとめるといってもむちゃな話だ」と発言。待ち構えていたかのように鈴木委員長が告げた。「必要最小限の修正にとどめていただければ大変ありがたい」

◆第48回(2006/8/28)

 石橋委員の辞任には伏線があった。メールで事前に回された事務局作成の改定案。妥協して合意したはずの事柄まで消されていた。「これでは『おまえはやめろ』と言われているに等しいと思った」と振り返る。
石橋委員「分科会の正体がよく分かった。原子力安全行政がどういうものかも改めてよく分かった。私が辞めれば分科会の性格がすっきり単純なものになる。あとは粛々と審議を進め、合意されたらと思う」

◇原発の耐震設計審査指針を巡る主な動き
1978年  9月   原子力委員会が耐震設計審査指針(旧指針)を決定
95年  1月   阪神大震災(M7.3)が発生 
9月   同震災を受けた原子力安全委の検討会が耐震指針は「妥当」と結論
2000年10月   活断層未発見の地域で鳥取県西部地震(M7.3)が発生
01年  3月   耐震指針を一部改定
7月   原子力安全委の耐震指針検討分科会が第1回会合
 12月   石橋克彦委員が耐震指針検討分科会に参加
05年  2月   島根原発3号機の設置許可を審査した原子力安全委の原子炉安全専門審査会が
 「宍道断層の長さは10キロ」とした中国電力の報告を「妥当」と結論
4月   国が中国電力島根原発3号機の設置を許可
8月   宮城県沖の地震(M7.2)で東北電力女川原発で想定を超える揺れ
06年  3月   金沢地裁が北陸電力志賀原発2号機の運転差し止め請求認める
 5月   広島工業大などのグループが「宍道断層の長さは18キロ」と発表
耐震指針検討分科会が耐震指針改定案のパブリックコメントを開始
8月   耐震指針検討分科会の最終回。石橋委員が辞任
9月   原子力安全委が耐震指針を改定
08年  3月   中国電力が宍道断層の長さを最大22キロと評価
11年  3月   東日本大震災(M9.0)が発生

    
  
阪神大震災でも「妥当」 改定 やっと06年

 06年の耐震指針本格改定が28年ぶりとなったのは、地震学が進歩する中、必要な見直しをしてこなかったことの裏返しでもある。
 「阪神大震災(95年1月、M7.3)直後に見直さなかったのは異常だ。制定から17年たっており、見直せばよかった」。 原子力安全委員会の職員ですら批判する。
 安全委は阪神大震災の2日後に検討会を設置。旧指針は未知の活断層に備え、M6.5の地震に耐えられる設計を求めており、これをM7級に引き上げるかも課題だった。だが検討会は95年9月、震災を起こしたのは既知の活断層で、既知なら建設時に考慮するなどとして、「指針は妥当」との結論をまとめた。震災を受け、道路や鉄道などの耐震指針は軒並み見直されたが、原発は違った。
 ようやく見直しに入ったのは、00年に活断層未発見の地域で、鳥取県西部地震(M7.3)が発生したためだった。ただ、業界団体「日本電気教会」の専門部会は分科会に先行して議論し、「詳細に調査すれば事前に震源や地震の規模は特定できた」と結論。活断層未発見の場所で起きた84年の長野県西部地震(M6.8)などを基に、未知の活断層への傭えをM6.8程度とする考え方を示して指針に反映され、M7への引き上げを求める意見は退けられた。実は、分科会委員の過半数は同専門部会の委員を兼任していた。
 一方、指針改定案には、679件のパブリックコメントが寄せられた。津波対策が不十分とする意見も相次いだが、ほどんど反映されなかった。
 「津波で全電源喪失に陥り、冷却用の海水取水設備も使用不能になる恐れがある」。福島第1原発事故を予言するような意見を送った東京都目黒区のNPO副代表、山崎久隆さん(52)は「津波は地震のおまけとして扱われ、津波対策はおざなりにされてきた。国は対策の枠組みを作る義務があるのに怠った」と批判する