2020年10月05日
「コロナ禍の株主総会」を振り返る〜株主の権利は守られたのか
企業間で格差。会計監査にも課題
加藤裕則 朝日新聞記者
しかし、ここに来て、株主への情報提供や対話は十分だったのか、との声があがっている。総会の前提となる決算や会計監査についても課題が浮かび上がっている。
三井住友信託銀行の調べでは、今年の株主総会への平均参加人数は33人で、昨年の190人の2割程度だった。時間も昨年は55分だったが、34分になった。
この20年間で株主総会は分散化が進み、株主との対話を重視する傾向が強まっていただけに、新型コロナウイルスの影響の大きさを印象づけた。
一方で、このような総会の運営を認めながらも、総会後の対応に不満を持つ株主がいた。
住友化学OB 株主としての闘い
埼玉県に住む板垣隆夫さんは、住友化学の元内部監査部長で株主でもある。同社のコーポレート・ガバナンスを高めようと8年連続で総会に出席し、質問をしてきた。今年も総会に出るつもりでいたが、会社からの参加自粛の呼びかけに応え、出席を見合わせた。
それでも、例年と同じように事前に質問書を提出。今年は、@本総会にあたっての会社としての基本的な考え方AESG(環境・社会・ガバナンス)とSDGs(国連の持続可能な開発目標)に関する経営についてB有利子負債の大幅な増加の理由と今後の見通し、などを質問項目に入れた。
住友化学の総会は6月24日。総会で会社側は板垣さんの質問にきちんと回答したと関係者から聞いた。しかし、会社のホームページ(HP)にその回答はなく、確かめるすべはなかった。
同社のHPの「株主総会」のコーナーを見ると、議案を含む招集通知や決議の通知が載っている。動画もあるが、報告事項の約20分のみの形式で、議案の説明や株主との質疑応答の部分はない。
板垣さんは、自らの質問と回答について、HPで公開することを求め、会社役員らにメールを送った。「個人的な質問ではなく、広く株主が知るべきこと」と思うからだ。そのうえで「株主総会は、株主と会社側との建設的な対話・コミュニケーションの場。自粛要請に応じた株主に対して説明責任を果たしていない」と指摘する。
これに対し、住友化学コーポレートコミュニケーション部の担当者は、朝日新聞の取材に対し、「本年の株主総会は新型コロナウイルスの影響により、感染防止対策と法定要件の適切な履行を同時に満足させる必要があり、限られた時間、様々な制約がある中での対応とならざるをえませんでした」と回答した。情報提供の意味で、HP上のアナリスト向けの説明会の動画を参考にするよう株主らに呼びかけているという。
また、住友化学は来年の総会での対応については、他社のケースを参考にしながら、検討していく考えを示した。
動画配信はなくていいの?
この2者のやりとりを予想していた専門家がいた。コーポレート・ガバナンスに詳しい山口利昭弁護士だ。
ブログ「ビジネス法務の部屋」(5月25日)では、「緊急事態宣言解除後の6月定時株主総会は(やはり)完全延期すべきである」との表題をつけて書いた。7月3日にも、「やっぱり不思議?( ゚Д゚)コロナ禍における6月定時株主総会には瑕疵があるのではないか?」と題し、論を展開している。
7月3日のブログではこう記した。
たとえば会社の自粛要請に従って、当日に(出席して)質問したいことについて、会社の運営に協力する形で事前質問状を出したとします。会社はこの事前質問に対して、誠意をもって総会当日に回答しました。しかし、質問をした当の本人は会社の要請どおりに出席していないのですから、ライブ中継もしくは録画配信でもなければ、取締役が説明責任を果たしたのかどうかすら確認できません。また、会社の要請に従った株主には、総会招集手続きや総会手続きに問題があったとしても、録画配信でもなければ、これを確認する機会が付与されていないのです。
まさしく板垣さんと住友化学のケースだ。
では、どのくらいの上場企業が、来場を控えた株主のため、総会の録画配信しているのだろうか。
企業の姿勢に格差
3月期に限らないが、記者は、時価総額の大きい企業のHPを見てみた。主要な100社のHPから「株主総会」のコーナーに入り、総会の動画を掲載しているかどうかをチェックした。
動画があったのは約60社。ただ、15分前後の事業報告のみといったケースが目立った。参加した株主との質疑など総会のほぼすべてを掲載したのは25社ほどだった。質疑のところで株主の声を省略して文章で画面に表示するなどした企業もあった。
富士通は総会のすべてを動画で流し、同時に話した内容を文字情報に直して画面に流すなど手厚かった。ソフトバンクグループなど生中継した企業もあったが、これは少数派だった。
質疑を文章に起こして概要をHPに掲載した企業も十数社あった。株主にとっては、きわめて便利な機能だ。
今年はコロナ対策として、東京証券取引所や経団連、日本公認会計士協会らが「新型コロナウイルス感染症の影響を踏まえた企業決算・監査等への対応に係る連絡協議会」を設置し、継続会や延期の必要性を訴えてきた。
三井住友信託銀行の調べによると、継続会の実施は35社、基準日をずらして開催を遅らせたのが56社で、計91社が抜本的な対応をとった。協議会の呼びかけの割には少なく、3月末日を基準とした配当の支払いが遅れることを機関投資家がいやがり、それに会社側も考慮したとみられる。会計士協会などが強く検討を促したが、結果的には約2300社の大多数が従来通りのスケジュールで実施した。
山口弁護士はブログでこう書いた。
この6月総会で最大の問題は、会計監査人と経営者、監査役、もしくは経理責任者との間で、この『不正の芽をつぶしていくためのコミュニケーションの時間』がとれなかった、不十分であった、という点ではないかと
もっと多くの企業が総会の延期や分割を検討すべきだった
9月28日にあった日本公認会計士協会の手塚正彦会長の記者会見で、記者はあらためて今年の株主総会と会計監査について聞いてみた。
手塚会長は、総会の延期や継続会という手法をとった企業が91社だったことにふれ、「私の感覚では、100社に満たない会社しか、です」と言った。もっと多くの企業が総会の延期や分割を検討すべきだったとの思いだ。
「それでもなんとか企業側と監査人が協力して(会計監査や株主総会を)乗り切ったが、だからといってこれで良いのか。緊急対応でなんとかしたのであって、やはり、株主が議決権を行使する期間を確保すること(が大事)だ」と訴えた。
そのうえで、三井住友信託銀行やみずほ信託銀行で発覚した議決権集計のミスについて言及。「非常に逼迫したスケジュールでやっていたことが明らかになった。総会の議決権の行使に問題があった。株主総会の分散化をもっと進めるべきだ」と指摘し、決算や開示手続きで煩雑さの要因になっている会社法と金融商品取引法と2本立てに法体系にも疑問を投げかけ、「新しい法律を作って改善していくべきだ」とした。
会計監査についても「リモート環境(での監査)だったので、例年とは別の手法で代替した。デジタル(PDF)化して企業と監査人が共有したが、時期を見て現物を確認している」と述べた。協会としてデジタル化に対応した新たな指針を検討中という。
改革の機会を逸したのか
今夏、ウェブ上の講演で同じような問題意識に出会った。
産業経理協会の研究会での講演で、講師は清原健弁護士。金融庁の審議会の委員のほか、国際的な規制当局の集まりである監査監督機関国際フォーラム(IFIAR)のアドバイザリー・グループの委員をも務めており、会計監査の分野に造詣が深い。
清原弁護士は、コロナ影響下の2020年3月期の決算で監査法人が出す監査意見についての問題提起をした。
「なぜ、無限定の適正意見でないといけないのか。制度は無限定適正意見至上主義、適正意見の呪縛下にある。今回、監査範囲にかかる限定付きの適正意見を認める時限的な法務省令の改正があってもよかったのではないか」
日本の上場企業では監査法人の監査が義務づけられ、そのほとんどが無限定適正意見のお墨付きが与えられている。このため「監査が形骸化しているのでは」との指摘は根強くある。
新型コロナウイルスの影響で、海外子会社の監査が十分にできずに、株主総会の継続会を開催する企業や、株主総会の開催時期を延期して7月以降になった企業もあった。
清原弁護士は「監査範囲の制約があったとしても何ら不自然ではない状況であり、それを正面から認めた監査意見が無限定適正と同列に扱われるような制度改正があってもよかった。そうすれば監査報告書の透明性も高まったし、継続会や延期もなく、6月中の定時株主総会での決算報告ができた会社が多かったはずだ」と言う。
コロナ禍でも無限定適正意見ばかりの状態について「100社すべが本当にそうだったのか」「何としても『無限定適正意見』を、という異常なプレッシャーが(監査法人や会社に)かかった例があったのでは」。
東証は3月31日、「新型コロナウイルス感染症の影響を踏まえた上場制度上の対応について」を公表。この中で、上場申請をする会社を対象に、「限定付適正意見」であっても上場基準を満たすという考えを明らかにしていた。限定付きを許容する動きだ。
「無限定適正意見の至上主義を再考する良い機会だった」という清原弁護士の言葉や、山口弁護士のブログを受けて考えた。
無限定の適正意見ばかりで、それも定型の監査報告ばかり出していては、監査法人はいつまでも信頼されない。投資家にも社会にもそっぽを向かれる。今回のコロナ禍は、それを脱する絶好のチャンスだったのかもしれない。株主総会でも、予定通り終わらせることを重視するあまり、一定の時間をとって、株主や投資家と対話する多様な方法を考える機会を、私たちはみすみす逃してしまったのではないか。