大学スポーツ365日

118年の伝統、Vへ変革 神戸大野球部

 
秋季リーグで5勝を挙げ、優勝に貢献した神戸大の藤原=大阪市南港中央野球場で10月31日、吉見裕都撮影

エース軸に守り勝つ

 甲子園経験者はわずか1人、グラウンドは他部と共用の国立大が今秋、快挙を成し遂げた。近畿学生野球秋季リーグで神戸大が35年ぶりに優勝。3年前、「最強」と呼ばれ、甲子園を春夏制覇することになる大阪桐蔭高から、勝利まであとアウト一つに迫った右腕が原動力になった。しかし、躍進の理由はそれだけではない。四半世紀前、同大野球部の低迷期に所属した記者が訪ねると、変革の波を感じた。

 9月に開幕した秋季リーグ戦。神戸大は3年生エースの藤原涼太(21)を中心に勝ち点を積み重ねた。10月3日の最終節、阪南大との1回戦は八、九回に3点ずつ奪って6―3で逆転勝ちし、藤原は完投勝利を収めた。翌4日の最終戦は0―3の六回途中から藤原が救援すると、打線は七回に1点を返し、九回は4本の長短打で3点を奪って4―3で逆転サヨナラ勝ち。チームは8勝2敗、勝ち点を4として全日程を終えた。

 翌5日、勝ち点で並んでいた和歌山大が敗れて9勝3敗となったために勝率で上回り、1986年春以来9回目のリーグ制覇が決まった。5勝を挙げた藤原は最優秀投手に選ばれた。

 その藤原が一躍、時の人になったのは2018年5月のことだ。寝屋川高3年生だった藤原は春季大阪大会の準々決勝で、春のセンバツを制した大阪桐蔭戦に先発し、変化球を生かした巧みな投球で九回2死まで4―3と好投した。だが、勝利目前で失策で追いつかれ、最後はプロ野球・中日に1位で入団する根尾昂(21)にサヨナラ打を浴びた。大阪桐蔭がその夏の甲子園でも頂点に立ったことで、王者を追い詰めた府立の進学校の奮闘は、いっそう際立った。

 神戸大に進んだ藤原は1年秋から公式戦に出場している。球速は130キロ前後だが制球が良く、落ちる球との緩急で相手を手玉に取る。押しも押されもせぬエースに成長した藤原をどう生かすか。そこに、躍進のカギがあった。

 創部118年と歴史の長い神戸大野球部は近年、強豪私立大などに押され、目立った成績は残せていない。選手主導の伝統があり、記者が在籍した94〜97年はコーチ不在のシーズンも多く、監督は春と秋のリーグ戦だけに参加していた。練習メニューだけでなく、ベンチ入りメンバーも部員たちで決めていたが、リーグ戦は3位がやっとで、優勝よりも「2部落ちしない」が現実的な目標だった。

 所属する近畿学生リーグは現在の名称となった94年以降、私立の奈良学園大、阪南大の「2強時代」が続き、優勝回数は奈良学園大が44回、阪南大が27回を数える。

 だが、その流れを国立の和歌山大と大阪市立大が変えた。和歌山大が17年春に初優勝し、全日本大学選手権で8強入りを果たすと、同年秋には大阪市立大も24年ぶりにリーグ制覇を達成。両校はその後も1度ずつリーグ優勝を飾った。両校と異なり神戸大は特別な入試で有望な選手を集めることはできないが、同じ国公立で練習環境には大差はなく、選手たちは常に「優勝争い」を意識するようになった。

指導者もOBも一丸

 
リーグ優勝が決まり、中井監督を胴上げする神戸大の選手たち=神戸市灘区の神戸大六甲台グラウンドで10月(神戸大提供)

 14年に就任したOBの中井明則監督(51)は、自身の仕事の傍ら週5日、グラウンドに足を運ぶ。大学院生の学生コーチも2人おり、指導体制は以前より整ってきた。上級生ら幹部部員が練習など部全体の方針を決めるのは従来通りだが、近年はメンバー選考に指導者の意見が反映されるようになった。練習での緊張感も増し、中井監督は昨年、春季リーグ戦を前に「選手がそろい、優勝できる」と感じていた。ところが新型コロナウイルスの影響でリーグ戦が中止になり、続く秋季リーグは6勝7敗の3位に終わった。

 代替わりしたチームも状況が上向かず、今年の春季リーグ戦は不戦勝の2勝を含めて4勝4敗の5位(新型コロナの影響で打ち切り)と苦しんだ。3年時からレギュラーで今秋まで主将を務めた4年生、伊藤太造(22)は「選手中心に準備してきた『やりたい野球』と試合での指導者の采配がズレている」と感じ、中井監督らに助言を求めた。「監督、コーチは『学生のやりたいように』と考え、言いたいことを我慢している。でも、それを聞き出さないと一体になれない」との危機感があった。

 中井監督らはそれまで選手主導の方針を尊重していたが、相談を受けて幹部部員のミーティングに加わった。選手と指導陣が腹を割って話し合い、一つの方針を打ち出した。藤原を軸とした「終盤勝負」だ。中井監督自身の信条は「守り勝つ野球」。ミーティングでは、対戦相手の投手は先発完投型が多く、新型コロナの影響で実戦不足があるとの分析を披露。できるだけ多く球数を投げさせることで終盤に勝機が得られると考えた。

 打たせて取る投球が身上の藤原を軸にした戦い方で大事な要素となったのは、守備力の強化だった。それを培う土壌が近年、整っていた。神戸市灘区にある練習拠点の神戸大六甲台グラウンドはホッケー部やサッカー部と共用で、硬い部分もあれば、軟らかくて掘れてしまう場所もあり、守備のノックではイレギュラーバウンドに悩むことが多かった。

 だが17年冬、グラウンドの内野部分に、保水性も排水性もあり、適度に弾む軟らかな黒土が導入された。その年の夏に台風被害があり、グラウンド修復が必要になる中、野球部のOB会が会員に支援を呼び掛け、240万円以上を集めたことで整備が進んだ。私立大と比べれば恵まれた環境とはいえないが、OB会の活動が活発になり、野球部を支える体制が強化されてきた。OB会の渡辺文明会長(69)は「神戸大の強みは選手、指導者、マネジャー、OB、大学関係者の総合力」と胸を張り、今後も設備面などでのサポートを進めていくという。

 
六甲山のふもとにある神戸大六甲台グラウンド。2017年冬から内野部分が黒土に入れ替わった=神戸市灘区で10月、吉見裕都撮影

 黒土導入により、以前より守備練習がしっかりできるようになったという中井監督は今秋のリーグ戦を振り返り、「しょうもないタイムリーエラーや、ミスで負けるストレスがなくなった」とOB会の支援に感謝する。指導者たちと歩調を合わせた終盤勝負で結果を出したことに、伊藤は「首脳陣と選手の壁が消えて一丸で戦えた」と語った。

 10月31日、大阪市南港中央野球場は熱気に包まれていた。関西5リーグの優勝校が明治神宮大会への2枠を争った関西地区大学選手権の1回戦、阪神大学リーグ優勝の天理大戦。一塁側の神戸大応援席には約300人が集まり、その中で後輩の活躍を喜ぶ100人を超すOBたちには笑顔があふれていた。

 先発した藤原は九回1死まで投げたが、チームは3―5で敗れた。翌日の敗者復活1回戦、関西学生リーグ優勝の関大戦。0―5の四回から救援した藤原は6回1失点と粘ったが、チームは1―6で敗退した。それでも相手の関大・早瀬万豊(かずとよ)監督(63)が「うちにも藤原君くらいタフなピッチャーが出てきてほしい」と賛辞を贈るほどの好投だった。

 神戸大は、大学野球の聖地・神宮球場などで開催される全日本選手権と明治神宮大会にはこれまで出場経験がない。秋季リーグは制したものの、目標に掲げてきた「神宮で1勝」には届かなかった。それでも前主将の伊藤は「野球も勉強もやってきた部員が集まり、何とか力を合わせて私立などの強豪大に挑む面白さがある」と神戸大で野球をする魅力を語る。その思いを、エース藤原が最終学年となる来季へと託した。【吉見裕都】(部員は敬称略)


神戸大野球部

 前身の神戸高商が創立された翌年の1903(明治36)年創部。31年の旧・関西六大学連盟には発足時から加盟した。神戸商大、神戸経大を経て、49年の学制改革で神戸大に。リーグ再編に伴い82年から近畿学生連盟に所属し、今秋を含めて9回優勝。京大との神京戦、一橋大、大阪市立大との三商大戦の定期戦がある。OBにプロ野球・阪神の三好一彦・元球団社長ら。現在の部員は67人(1〜3年生、マネジャー7人を含む)。