高濃度乳房問題を解決して次世代の乳がん検診を実現 神戸大学広報紙 2019/12
世界初の「マイクロ波マンモグラフィ」開発
女性の死因の上位を占める乳がん。世界中で毎年160万人以上が乳がんを患い、うち50万人以上が死亡で、日本でも毎年約7.8万人が乳がんに罹患し、1.4万人以上が命を落としている。一方。乳がんは早期発見で9割以上が治るといわれており、厚生労働省は40歳以上の女性を対象に、2年に1回の乳がん検診を推奨しているが、受診率はわずか45%にとどまる。高濃度乳房、X線マンモグラフィの問題点を解消し、検査制度を飛躍的に高めた「マイクロ波マンモグラフィ」を神戸大学 数理・データサイエンスセンターの木村健次郎教授が開発、自ら創立したスタートアップ企業を通じて全世界に普及させ、乳がんによる死亡者ゼロを目指す事業に乗り出している。
散乱したマイクロ波から乳房内のがん組織を瞬時に3次元映像化
マイクロ波マンモグラフィ開発の背景には、木村教授が応用数学史上の未解決問題だった「波動散乱の逆問題」を世界で初めて解析的に解き、この「多重経路散乱場理論」を実用的な応用につなげるというブレークスルーがあっあった。その応用分野は急速に広がりを見せ、巨大なビジネスに発展しようとしている。
乳がんを超高精度に検知し、早期発見・治癒を促進
ー 現行の乳がん検査に使われるX線マンモグラフィの重大な課題、高濃度乳房とは?
現行の世界標準として広く普及しているX線マンモグラフィは、50歳以下のアジア人の79%、欧米人の61%、黒人の57%、ヒスパニックの55%を占める高濃度乳房を持つ女性には適用できないのです。コラーゲン繊維が豊富に含まれる高濃度乳房の場合、X線がうまく通らず、乳房全体が白く写ってしまい、同様に白く写るがん組織との区別がつきません。また、しばしば併用される超音波(エコー)も、乳房内での減衰が大きく、深くまで届かないうえ、再現性に問題があります。その結果、コントラスト比が低く、AIなどを用いても正しい判定は原理的に不可能でしょう。いずれも、検査精度が十分ではないわけです。一方、マイクロ波は、ほぼ絶縁体である乳房をよく通り、深部に到達し、がんによく跳ね返ります。乳房正常組織は比誘電率が低く、乳がん組織は、細胞および血管に含まれる水分子のため比誘電率が高いためです。
散乱したマイクロ波から、前記の多重経路散乱場理論を用いて3次元構造を画像化すると、乳房内のがん組織だけをはっきり描出することができる。すなわち非常に高いコントラスト比の画像が得られるので、がんの見落としがなくなります。
ー どのような仕組みで検査を?
マイクロ波は、携帯電話やWi-Fiで利用されている電磁波です。微弱なマイクロ波を出す発信器で、乳房の表面を軽くなぞるようにスキャンし、乳房表面の各点から内部に向かってマイクロ波を放射状に照射します。乳がん組織には正常な脂肪組織に比べてより多くの水分子が存在しているので、両組織の境目でマイクロ波が強く散乱します。あらゆる箇所から跳ね返った全データを計測し、それを用いて多重経路散乱場理論、数学的に3次元画像を生成し、リアルタイムで明瞭にがん組織を写し出します。高濃度乳房の原因物質は絶縁性であるので、高濃度乳房であってもそうでなくても明瞭に乳がんを捉えることができます。また、我々が開発したマイクロ波マンモグラフィは、画像計測にとって最も大切な、高い再現性があります。つまり、異なる時間に異なる観測者が測定したときにまったく同一の画像を出すことができます。残念ながら、従来の乳がん画像診断装置でこれが可能なものは存在しません。
検査を受ける人にとっては、X線マンモグラフィの検査時のように乳房を板で挟み込む必要がないので、痛みが伴わないこと、0.5ミリ程度の小さいがんや、深い位置、わきの下にあるがんも発見できること、X線による被ばくリスクがないので、妊娠中でも受診できることなどのメリットがあります。また、医師にとっても、がん組織の変化をモニターして抗がん剤などの治療効果を追えること、がんの進行度がわかるので治療方針を判断・決定しやすいことなどのメリットがあります。さらに、マイクロ波マンモグラフィのスキャニングは簡単なので、誰が使っても同じ画像を出せます。
世界で初めて「波動散乱の逆問題」を解決
ー なぜこれまで、乳がん検査にマイクロ波は使われなかった?
マイクロ波を乳がん検査に使うためには、「波動散乱の逆問題」という応用数学史上の未解決問題を解く必要がありました。これは、対象物にぶつかって散乱した波から、対象物の位置や大きさ、形を求める問題です。例えば、湖のどこかに塔が立っているけれど、濃霧で見えない場合に、湖岸のどこかで水面を揺らして湖全体に波を送るど、塔に到達した波はいろいろな方向に散乱します。そうして戻ってきた波を湖岸のあらゆる場所で計測し、それらのデータを解析することで、見えない塔の位置、大きさ、形状を理論的に決定する、これが「波動散乱の逆問題」です。
私は20代の頃からこの間題に取り組み10年がかりで解析的に解くことができました。
ー 先生が世界で初めて解かれた?
結果的にそうなりましたが、意識していませんでした。この「多重経路散乱場理論」と、DCから20GHzの超広帯域の電磁波を発生させて観測する世界最高性能の信号発生技術、アンテナ技術の開発に成功し、2015年に日本医療研究開発機構
(AMED)
の事業に採択、マイクロ波マンモグラフィの原型機を開発、兵庫県立がんセンター、神鋼記念病院、神戸大学医学部附属病院、岡本クリニツクなど複数の医療機関の協力を得て患者ら約400人に臨床研究を実施した結果、超高感度で乳がん検出が可能であることが実証されました。
ー 普及への道筋は?
2020年度中に国内薬事承認を得るための治験に入ります。通常、国の認可を得るには数年かかりますが、2019年4月に厚生労働省の「先駆け審査指定制度」の対象品目に指定されたので、審査期間が大幅に短縮される見込みです。
2019年9月には、神戸大学発のスタートアツプ企業株式会社 Integral Geometry Science (IGS)において、マイクロ波マンモグラフィの実用化と普及を進めるため、協力企業10社と資本提携(総額約20億円)を行いました。
IGS社は研究成果を世に問うために私が創業した会社で、「マイクロ波マンモグラフィ」関連特許を世界26か国で権利化しています。治験を経て、2021年には検査機器の販売を開始し、10年以内にマイクロ波マンモグラフィを使う乳がん検診センターを全世界に立ち上げ、年間
1億人の乳がん検診を実施する計画です。
防犯セキュソティから遺跡探査まで多重経路散乱場理論に基づく透視技術の可能性
マイクロ波マンモクラフィは Interal Geometry Science 社を兆円企業にする
ー「多重経路散乱場理論」は他の分野にも応用できる?
そもそも、我々が導いた多重経路散乱場理論に基づく画像診断技術が最初に実用化されたのは、インフラ構造物の非接触検査の分野でした。コンクリート資材の劣化を検知する装置で、検査装置を搭載した機器を時速数十キロで走らせながら、リアルタイムで壁の中を立体的に画像化できる性能が高く評価されました。
現在、IGS社の売上の柱になっているのは蓄電池内部の非破壊画像診断技術です。近年、スマートフォンなどに使用されているリチウムイオン電池の爆発事故が多発していますが、私たちはリチウムイオン電池内部の異常電流密度分布を検知する電流経路映像化装置を実用化し、スマートフォンや電気自動車の分野など、多くの企業にご採用いただいております。IGS社は設立以来7年間、赤字を出したことがありません。
ー 次はマンモグラフィが売上の柱に?
そうですね。2028年までに世界中に乳がん検診センターおよび機器販売サービス拠点を作ろうと思っているので、その時点で年間売上目標を6300億円に設定し、うちマンモグラフィで3960億円を目標にしています。1年問で1億人を検査する計画です。この時にはIGS社は兆円企業となっています。
ー ほかに有望な応用分野は?
この新しい画像を作り出す数学は、波動の散乱の問題に普遍的に適用されるので、物体の存在を検出する、物体の内部を透視する、このキーワードすべてあてはまる計測に、革新がもたらされます。防犯、自動運転、資源探査、遺跡探査、工場生産物の異物探知など、あらゆる仕事の依頼が世界中から届いています。
ー 今後、先生の研究が向かう方向は?
化学反応の理論計算に興味があります。例えば、酸素と水素を反応させれば水ができますが、そうした化学反応をコンピュータの中で完全に予測する数学ですね。いわば、あらゆる実験をコンピュータの中でできるようにするわけです。医薬品の合成においては「物質Aと物質Bを混ぜ反応させたらどうなるか」という研究を、狙いを定めながらも網羅的に行っています。こういった実験結果を理論的にかなり正確に予測出来たら素晴らしいと思いませんか。
ー 既に行われているAI (人口知能)による予測とは違う?
遠くの箱にボールを投げていれることができるロボットを作るときに、ニュートンの運動方程式をインプットしなくても、ボールを投げた結果の膨大なデータを学習させて、適切な初速度と角度をAIが決定する。私が興味があるのは、こういったことではなく、第一原理的というか、理論的に完全に有限温度の問題を数理物理学の方法により解析して、中間体、反応経路などを理論的に完全に決定する数学に興味があります。夢というと恥ずかしいですが、もし、システムが完成したら、砂漠に工場を作りたいですね。世界中の研究者にソフトウェアを渡して、物質を選んでクリックすれば、自動的にコンピュータの中で化学反応が起こる、そして、実際にその工場で生産する、そんな事業をIGS社で実現してみたいですね。