我が国の最先端再生医学研究を語る
岡野 光夫 氏

http://www.ips-network.mext.go.jp/column/interview/04/no01.html

インタビュアー:本間 美和子(iPS Trend 監修)、佐藤 勝昭(科学技術振興機構)
掲載日:2009年10月19日

前回、井村先生がインタビューの中で語られた"Regenerative Medicine (再生医療)"は、失われた身体機能を回復するための「夢の医療」として、世界中でしのぎを削る先端研究が進められている。 他種生物由来臓器や他家移植では拒絶の問題があることから、iPS細胞の利用が一気に注目を集めた所以である。
東京女子医大教授・岡野光夫先生グループは、iPS研究が幕開けする以前より、医学と先端工学分野の融合による優れた再生医療技術を次々と開発し、その成果は海外からも「人類の宝」と賞賛を受けている。 学問分野としても高い評価を受けている我が国の再生医学、その現場で生の声をお聞きした。

聞き手:
JSTでは、ホームページに、一般の人にもわかりやすくiPS細胞研究の最新の動きを紹介するコーナー"iPS Trend"を設けています。
このなかで、いろいろな切り口でインタビューを行っています。
今回は、最も医療に近い位置で、iPSに関わっておられる岡野先生にお話しを伺おうということで参りました。よろしくお願いします。

21世紀の医療は、対症療法でなく、根本治療でなければならない。それが再生医療。

岡野:
私は、iPSの研究とは全くちがったアプローチで再生医療に関わってきました。そこからお話しをしましょう。
20世紀は化学工学が発達して製薬産業が花開き発展した時代といえます。さらに、70年代から80年代にかけて細胞工学、遺伝子工学という新しいテクノロ ジーが進展し、ペプチドやホルモンなどを大量に、同じものを何トンでも製造できる時代に突入しました。そして低分子医薬からバイオ医薬の時代に移り、酵素 欠陥の患者もペプチドホルモン治療で治るようになりました。
しかし私は、21世紀の医療は、根本治療を目指すものでなければならないと思っています。現在の医療は対症療法の治療を行っています。血友病で凝固因子 (ファクター8番)欠損の患者が5000名いますが、医療費という観点では、リコンビナントで合成したファクター8のバイオ医薬で200億円かかっていま す。糖尿病もインシュリン注射で治療が行われていますが、これも大変なお金がかかります。小児患者へも、将来ずっとこうした医療を続けさせて良いはずはありません。
21世紀はまさに対症療法から脱却し、細胞・組織を利用する根本治療のために新しい再生医療を打ち立てることこそ、21世紀の医療に必要なことです。

細胞シートの驚くべき効果

聞き手:
先生の開発された細胞シートは、まさにそこをめざしているのですね。

温度応答性表面制御による細胞シートの操作

岡野:
細胞治療は筋芽細胞の細胞浮遊液を心臓に注射するなど以前から行われていましたが、数%以下の移植率なのです。移植した細胞が生着できずに目的部位にとどまらなかったり、死んだりしてしまうのです。
こうした問題を解決する新しい技術として、私たちは自己の身体から採った細胞(自家細胞)をもとに「細胞シート」を作製する技術を開発しました。細胞を シート状に培養すると細胞間結合タンパク質によって細胞同士がインタラクトするのですが、剥がすときにディスパーゼ(タンパク質分解酵素)を使用すると結合タンパク質も破壊され、細胞間の構造的・機能的連結が切れてしまうのです。
そこで、タンパク質分解酵素の代わりに、N-イソプロピルアクリルアミドの高分子(PIPAAm)修飾表面を開発したのです。
この物質表面は、32℃を境に水との親和性が大きく変化するので、PIPAAmを培養皿表面にナノオーダーの均一な厚さで固定すると、細胞の培養に適した 37℃では表面が疎水性になり、細胞が接着・増殖しますが、培養後32℃まで以下に下げると表面は親水性になって、細胞をシートのままきれいに剥がすこと ができるのです。
これは1990年頃パテントを取りました。

しかし、この温度応答性高分子(PIPAAm)が均一な厚みとしてナノレベルのオーダーで表面固定されないと、細胞を培養することができないのです。
どこまで薄くすればよいか。20nmくらいまで薄くすると、これによって初めて細胞がうまく接着し温度変化により、またうまくはがれることがわかったのです。
細胞自身が発現する接着タンパクのファイブロネクチンを保持したまま剥離できるため、この細胞シートはまさにスコッチテープのような細胞です。

聞き手:
たしか、1990年頃お聞きしたときは、もっとPIPAAm層が厚かったような気がしましたが。

岡野:
そうです。20nmということを正確に言えるようになったのは、表面解析技術が進んだ2000年すぎになってです。
表面を少しずつ蒸散させながらTOF-SIMSで見る解析方法を開発したことにより、経験的な「薄さ」が正確な数値としてわかるようになりました。

聞き手:
先生は、ずいぶんいろいろのファンディングを受けておられましたね。

岡野:
1995年頃、未来開拓で毎年1億5千万を5年間いただきました。
そのあと、ハイテクリサーチ、COE、CREST・・などがあって、今は振興調整費「先端融合」を毎年7億、7年もらうプロジェクトが進行しています。
ずっと続いていただいたおかげで、かなり設備も充実しました。

聞き手:
先生は化学のご出身で、このような医療への貢献を進めるようになったのはどういうきっかけがあったのですか。

岡野:
私は、40くらいまでサイエンス、ネーチャーに論文を書くことだけが目的で研究を進めていました。
Utah大学から帰ってきて、東京女子医大に勤めるようになって、本気でやり方を変えなければだめだと思いました。
Utahから帰ってその意欲を新たにして、医学と工学を融合した「先端生命医科学専攻」の大学院を作ったのですが、当時、医者は工学者に何か役に立つもの を作ってくれるだろうと期待、一方、工学者は良いテクニックや良いプロダクトは医者が使用法を考え使ってくれるだろうと勝手に期待していました。
私は、工学部を卒業して医学部の助手となったのですが、当時は領域の重要性が必ずしも理解されずに30代は苦労しました。 「医工の連携は自分の頭と体でやり抜く」ことが必要だと思い、アメリカに飛び出し、そして帰ってきました。それで、患者を治すことを目的とした細胞シート工学研究を始めたのです。

細胞シートは臓器のパーツを作れる

聞き手:
細胞シートを使うと何ができるのですか。

岡野:
細胞シートは培養表面との間にファイブロネクチンやラミニン5を中心とする接着タンパクを分泌します。
細胞表面にファイブロネクチンやラミニン5を作ります。この片面がのりとなった細胞シートはまるでスコッチテープのような接着性を示します。
それまでは、ディスパーゼ(タンパク質分解酵素)を使っていたので接着タンパクを分解し、細胞シート化を操作することが出来なかったのです。
私の細胞シートでは、あらゆる上皮系のシートを中心に種々のものが作れます。

2001年から2003年に阪大医学部眼科の西田講師(現東北大教授)と共同で細胞シートを使って角膜上皮細胞シート移植再生治療を行い成功しました。
わずか2mm四方の患者本人の口腔粘膜細胞から培養される細胞シートは、接着タンパク質をもっていて、温度変化により剥離、移植できるため移植時に縫合の必要がなく、10分程度で角膜実質に接着するのです。現在まで30例が成功しています。

聞き手:
臨床治験をやるのは大変でしょう。

岡野:
臨床試験で効果を確認し日本で治験をやろうと思うと、安全面と効果について大変な量のデータと文書が必要です。

海外でも注目される細胞シートを使った角膜移植

岡野:
私が海外で学会発表の折、フランスのオディーダモール教授が聞いていて下さり、強力なバックアップをして下さっています。私たちが刊行したNew England Journal of Medicineの論文を読んでくれて、私が日本で作ったセルシードというベンチャーがフランスで行う治験を一緒にやろうということになり、共同治験をス ターとしました。
口の中の粘膜の細胞を2mm角ほど取って培養して角膜上皮の治療用細胞シートとして移植します。
2007.9〜2009.7の間に26例の治験を実施し、いま1年間のフォローアップに入っています。
来年6月以降に申請を行い、認可されればヨーロッパで治療が始まるようになります。
日本の従来の角膜移植法では治癒しなかった例も成功例があります。フランスの医師達からは、「これは人類の宝だ」と言われ強力な支援を頂いています。

細胞シートを使って心筋症や食道癌の再生医療にも効果

聞き手:
最近、岡野先生のグループで心筋症の治療に細胞シートを使って成功したと聞きました。

岡野:
阪大の澤先生と共同でやっています。医師法によって、女子医大で作った細胞シートを女子医大の患者に使うのは倫理委員会の承認の下でOKなのですが、阪大 に持って行くには治験が必要となります。だから澤先生のグループの医師達に来てもらって細胞シートの作り方をお教えし、長い共同研究の基盤の上で、阪大で 臨床試験をスタートしました。
澤先生のところに拡張型心筋症の患者が入り、この患者は左心補助心臓を付けて心臓移植の順番を1年半も待っていました。日本では心臓移植のドナーを見つけるのが極めて困難で待ち続けなければなりません。
私たちは、足の筋肉から筋芽細胞を採って細胞シートを作り心臓に貼り付けたのです。
すると細胞シートが血管誘導因子を出し続けることによって、3ヶ月で補助心臓を取りのぞき、7ヶ月後には退院するまでになりました。
また、食道癌の手術は通常、首、胸部、腹部、の3カ所を切開するのですが、内視鏡手術により食道上皮組織ガンを切除した後に口の粘膜細胞シートを使うことによって、侵襲性も低く癌除去後の狭窄も防ぐことが出来、数日中に退院できました。

このように、私たちは世界に先がけて、角膜、心筋、食道の細胞シート治療に成功しました。私たちの使う細胞シートというのは、移植部位でVEGF、 HGF など増殖因子や血管を誘導するサイトカインを分泌することで、移植部位に適する生着が出来るのです。細胞を100%貼り付け移植することができます。
細胞をあらかじめばらばらにする方法では、周囲の組織とコミュニケートしながら生着することはできません。これが大きな特徴で、夢の再生医療といわれる所以です。

聞き手:
他臓器の細胞を使っているのにどうして移植した後の臓器の一部になれるのですか。

岡野:
角膜を例に取りますと、移植した口腔粘膜細胞シートは周りとコミュニケーティブな環境をつくることにより、角膜の上皮に「分化する」、すなわち透明性を維持した上皮組織をつくるのです。
心筋の場合も、貼り付けた細胞シートと心筋の間に30分でギャップジャンクション(細胞間の接着)が出来ます。心筋細胞はコネクシン43を発現するので、 それから構成されるコネクソン・ヘキサマーが働き細胞間が連結した結果、電気的な信号に同期するような「拍動」を開始します。

ミリの厚さの心筋細胞シートも作れる

岡野:
細胞シートは幾重にも積層すると、酸素と栄養分が中心部まで十分に供給されず壊死してしまいます。
100〜200μmの厚さの組織までなら拡散で酸素とグルコースを供給することができます。
しかしそれ以上厚い組織では、毛細血管による酸素や栄養の補給が必須となります。
100μmの細胞シートを数層重ねた組織を作る際に血管の内皮細胞を5-10%程度入れておくと培養している間に毛細胞血管網様の構造ができてきます。こ の100μmの組織を皮下に移植すると10時間以内にホストの血管網と移植組織の血管網が結合し、組織内に血液が流れはじめ、組織は安定に生着します。
10時間ごとにこの移植を積層化させたミリオーダー厚さの組織を作り出すことに成功しています。