米国が、レーガン大統領時代以降、特許関係専門の裁判所であるCAFCを設立するなどして”プロパテント”政策を採り、産業界の建て直しを図ったことが良く知られている。
米国経済が1980年代前半までの不振から再生した最大の要因の一つは、プロパテント政策にあります。1985年9月、レーガン大統領は通商政策のアクションプログラムを発表し、知的財産権の保護強化の必要性を訴えました。この背景には、米国が独創的な研究を常にリードしてきたにも関わらず、その成果たる発明に対し十分な保護が与えられてなかったとの苛立ちがありました。産業競争力を強化するためには、研究段階で生まれる知的創作物を保護する知的財産権を強化するのが有効であると判断したのです。
この方針を受け、対外的には、まず通商法301条、スペシャル301条、関税法337条等を利用した2国間交渉を、次いで、GATT(関税と貿易に関する一般協定)の場における多国間交渉を強力に推進し、各国に知的財産権保護のレベルアップを求めました。
知的財産権を重視する米国の政策は、国内では、制度の整備に向けられました。重要なのは、特許商標庁(USPTO)の審決に対する不服申立てと地裁の知的財産権事件に対する控訴を統一して判断する「連邦巡回控訴裁判所(CAFC; Court of Appeals for the Federal Circuit)」の創設です(前身は「関税特許控訴裁判所;Court of Custom and Patent Appeals」)。知的財産権事件に関する解釈を統一し法的安定性を図ることを目的として1982年に創設され、今では、米国のプロパテント政策の象徴的存在とも言われています。また、特許商標庁の審査官を増員し審査体制の強化も図りました。更には、大学を知的創造の典型的現場と位置付け、研究成果の特許化を奨励すると共に、大学に特許収入を還元させる知的創造のサイクルを形成するための技術移転制度を定着させることにも努めました。
このようなプロパテント政策が米国の産業競争力の復活、ひいては、経済再生に大きく貢献したのです。
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米国におけるプロパテント・ビッグバンは、1982年にはじまったといってよい。米国司法省が、13年かかってやってきたIBM相手の反トラスト訴訟をとりさげた。そのIBMが、日の丸コンピューター3社に対してトレード・シークレットと著作権による法的攻勢をかけた。なによりも重要なのは、1982年10月、連邦巡回区控訴裁判所(CAFC)が創設されたことである。こと特許に関するかぎり、これ以後15年の歴史はCAFCの歴史だったといってもいい。
1983年、パソコンOSの著作物性を否定したアップル対フランクリン地裁判決が巡回裁でくつがえされた。
1984年、半導体チップ保護法が成立した。IBM事件に反発した日本のプログラム権法構想に対して、米国官民による総攻撃が展開された。これを契機に、知的財産権保護不十分を通商法301条の措置対象とする1984年通商関税法が成立した(これは、1988年包括通商競争力法によっていわゆるスペシャル301条に進化する)。
1985年レーガン大統領が招集したいわゆるヤング委員会が、米国産業競争力回復のキメ手とし、知的財産権の国際的保護を提唱した。
1986年、TIが日本半導体メーカー各社をITCに提訴、和解金で10億ドルちかく稼いだといわれる。プログラムの手順・構造・組織を著作権で保護するウエラン対ジャスロウ巡回裁判決が言い渡された。知的財産権の国際的保護強化を新分野としてふくむGATTウルグアイ・ラウンドがはじまった。
1988年、司法省国際事業反トラスト・ガイドラインは、「当然違法」アプローチのナイン・ノー・ノーズを、よりプロパテントな「合理の原則」アプローチに置きかえた。与党議員が特許権濫用法理を廃止する法案を上程、これはいったん両院協議会で姿を消したものの、形を変えて再上程され、ライセンス拒否と抱き合わせを特許権濫用事由からはずす現特許法271条(d)(4)、(5)項が成立した(後述)。包括通商競争力法によって成立した同271条(g)は、米国特許の方法を外国で実施した製品に対して米国での権利行使を許すものだが、これによって、いわゆるサブマリン特許として有名なレメルソン特許(画像処理による製品位置検出法)が和解金で5億ドル稼いだといわれる。
90年代にはいると超高額判決が新聞をにぎわせるようになる。1990年ポラロイド対コダック(M$873)、1992年ハネウエル対ミノルタ(M$166)、1993年レメルソン対マッテル(M$87)−−CAFCで逆転、1994年リットン対ハネウエル(3倍賠償としてB$3.6)−−JMOLで逆転、1994年アルペックス対任天堂(M$250)−−CAFCで逆転−−(いずれも後述)などなど。
米国にはじまり、いま世界をゆるがしているプロパテントの潮流は、そのとどまるところを知らぬかにみえる。本稿は、その成分ベクトルを、主として司法判例のミクロな観察によって探ることを試みる。
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均等論(きんとうろん doctrine of equivalents)は特許法において一定の要件のもとで特許発明の技術的範囲(特許権の効力が及ぶ範囲)を拡張することを認める理論。特許法に明文の規定はないが、判例によって認められている。
均等論はボールスプライン事件の最高裁判決(最高裁平成10年2月24日第三小法廷判決)において初めて認められた。以後、これを踏襲した判決が多数繰り返されており、解釈として確立した。この判決において最高裁は、「特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等(引用者注:特許侵害を疑われている製品等)と異なる部分が存する場合であっても」以下の5つの要件を満たす場合には「右対象製品等は、特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技術的範囲に属するものと解するのが相当である。」と判示した。
上記の5つの要件のうち、一つでも満たさない場合には均等は成立しない。