(2006年11月11日 読売新聞)
反公害運動の闘士、宇井純・沖縄大名誉教授が死去
水俣病研究や東京大学での公開自主講座で反公害運動に大きな影響を与えた沖縄大名誉教授(元東大工学部助手)の宇井純(うい・じゅん)さんが11日、胸部大動脈りゅう出血のため死去した。
74歳だった。
告別式は16日午前10時、東京都品川区西五反田5の32の20桐ヶ谷斎場。喪主は妻、紀子さん。
東京都生まれ。東大工学部卒業後、民間企業を経て、1965年に同学部助手に就任。独自に水俣病の原因究明に向け研究を行い、その結果を国際会議で発表。1970年からは、当時「象牙(ぞうげ)の塔」の象徴だった東大で、一般市民を交えて公害問題について学ぶ「公害原論」を、大学非公認の夜間自主公開講座として15年間にわたり主宰した。
企業や行政の側に立つ学者の姿勢を批判し、公害被害者と共に闘う姿勢は、全国の反公害運動に大きな影響を与えた。しかし、東大では昇進の道を閉ざされ、「万年助手」として全国にその名を知られることになった。
1986年、大学側の強い招きで沖縄大教授に就任。ここでも新石垣空港建設反対運動などの環境問題に取り組み、2003年に同大を退職した。
国連環境計画グローバル500賞など数々の賞を受賞。著書に「公害原論」などがある。
胎児性水俣病の研究で知られる熊本学園大教授で同大水俣学研究センター長の原田正純さん(72)は「公害問題について、被害者と研究者が一緒になって問題の解決に当たるという考えを提唱した人だった。(1972年に)ストックホルムで開かれた国連人間環境会議で、水俣病患者が水俣病の悲劇について語ったのも宇井さんのアイデアだった。水俣病問題を世界に広げた人。非常に残念」と悼んだ。
中西準子 雑感366-2006.11.13「宇井さんありがとう −宇井純さんの死を悼む−」
1932年 |
東京に生まれる |
1956年 |
東京大学応用化学科卒業
日本ゼオン(株)に3年間勤務した後、東京大学大学院工学研究科応用化学専門課程に戻り、プラスチック溶融体の流動特性を研究
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1959年 |
水俣病の水銀説を聞き、個人的に調べ始める。大学院博士課程は土木工学科に進む |
1965年 |
新設の東大工学部都市工学科の助手に就職 |
1966年 |
ミュンヘンの国際水質汚濁防止会議で新潟の第2水俣病について発表。翌年から新潟水俣病の被害者が提訴した民事訴訟に弁護団補佐人として加わり、公判廷尋問で活躍 |
1968−69年 |
WHO(世界保健機構)上級研究員としてヨーロッパの公害を調査、オランダでは酸化溝による下水処理を研究 |
1970年 |
水銀問題の紹介によりフィンランド自然保護協会大賞を受賞
同年、東大に帰任してから、公害の研究・調査結果を市民に直接伝える場として、自主講座「公害原論」を開講、以後15年にわたる自主講座で環境問題の市民学習運動を組織し、環境科学研究の促進への強い刺激を与える一方、市民の手による公害監視運動、被害者救済・支援活動、企業の"公害輸出"を阻止するなど全国の公害反対運動に対するサービス・情報ネットワークを築いた。今日、全国の大学が公開講座を催し、市民へのサービスと大学自身の活性化を図ろうとするのは、宇井純自主講座の成果に学ぶものといえる |
1979年 |
アジア環境協会を再組織して会長に就任 |
1982−83年 |
フルブライト研究員として米ミシガン州立大に留学 |
1986年 |
東大助手(21年間)を退職、沖縄大学教授に就任 |
1987年 |
沖縄大学図書館長に就任 |
1990年 |
沖縄大学でも公開講座開講 |
同 年 |
スモン基金奨励賞受賞 |
1991年 |
「UNEPグローバル500賞」受賞 |
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[ 著 書 ] |
=単 著= |
『欧州の公害を追って−宇井純レポート−』
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(1970年/亜紀書房) |
『私の公害闘争15年』
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(1977年/潮出版社) |
『公害の政治学−水俣病を追って−』
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(1972年/三省堂) |
『公害列島70年代』
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(1972年/亜紀書房) |
『公害原論1−3 ・
補巻[1−3]』 |
(1974−80年/亜紀書房) |
『世直し〈 対談
〉』
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(1980年/創樹社) |
『検証 :
ふるさとの水』
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(1983年/亜紀書房) |
『日本の水はよみがえるか』
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(1996年/日本放送出版協会) |
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=共 著= |
『大学解体論[1−3]
』 |
(1975−79年/亜紀書房) |
『プラスチックの総点検−さよなら使い捨て文明』 |
(1982年/日本消費者連盟) |
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=編 著= |
『公害−原点からの告発−』
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(1971年/講談社) |
『中国と公害−「三廃」処理と資源総合利用−』
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(1976年/龍渓書舎) |
『現代科学と公害[正・続]』
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(1976・84年/勁草書房) |
『日本経済と水−慢性的死への警告−』
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(1977年/日本評論社) |
『公害被害者の論理』
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(1977年/勁草書房) |
『現代社会と公害』
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(1978年/勁草書房) |
『キミよ歩いて考えろ』
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(1980年/ポプラ社) |
『技術と産業公害』
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(1985年/国際連合大学[東京大学出版会]) |
『未来産業の構造−先端技術をめぐる対論−』
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(1986年/勁草書房) |
『公害自主講座15年』
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(1991年/亜紀書房) |
『谷中村から水俣・三里塚ヘ−エコロジーの源流−』
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(1991年/社会評論社) |
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