Scientist Library
生命現象の基本にゆらぎを発見
柳田敏雄(大阪大学教授)
1946年 兵庫県生まれ
1969年 大阪大学基礎工学部卒業
1976年 工学博士(大阪大学)取得
1988年 大阪大学基礎工学部教授
1996年 同大学医学部教授
2002年 同大学大学院生命機能研究科教授
同大学院医学研究科教授(兼任)
[ 受賞 ]
1990年 大阪科学賞
1991年 塚原仲晃記念賞
1995年 内藤記念科学振興賞
1998年 学士院賞・恩賜賞
1999年 朝日賞
1,時代の流れで工学部へ
戦後生まれで高度成長期に育った僕らが小さい時に抱いていた夢は、いわゆるいい大学を出て、大きな会社に入りエンジニアになること。欧米のような豊かな生活を夢見ながら、科学技術で産業を興して、なんとか貧乏から抜け出そうと必死な時代でした。実は僕はエンジニアに憧れをながら、一日中ボールをおいかける野球少年でもありました。中学3年生になって、体格に限界を感じて野球はすっぱりやめましたが、他に熱中できることもなく、勉強もあまり頑張らずに漫然と過ごす毎日になってしまいました。生きものが好きというような得意なところもなく、目立つタイプではありませんでした。大学進学の際、どの分野に進もうかと悩んでいたら、数学の先生が数学科や物理学科は食べていくのが大変だろうからと、安定した職を望める工学部の中で新設の大阪大学基礎工学部をすすめてくれたのです。当時はよく遊ぶ子が医学部、変わり者が理学部、まっとうなのが工学部に行くイメージだったのです。その中で、僕は理学部と工学部の間だったのかな。工学部の中でも理学部に近い基礎工学部はいいなと思い、時代の流れに乗って電気工学科に入りました。
2,期待はずれの大学生活と華やかな半導体分野
工学部へ行ったら、電気機器のしくみを学んで、テレビなどの修理が格好良く出来るようになると期待していたんです。でも、学生紛争のためにほとんど授業がありませんでした。根はまじめだったと思うのですが、友人(山下牧:現オムロン専務取締役)の誘いもあってスキー、テニス、麻雀と遊びに遊んで、遊び疲れたからと授業に出ようとしても、教室は封鎖されているんです。こんなことで良いのかと思いましたけれど、しっかり遊んでいた連中は結構出世していますねえ。何かをやり遂げるには遊びの力が役立つのでしょうか。
時々開かれた授業では、それからの時代に大切とされていた情報工学と電子工学(半導体工学)を中心に、量子力学や固体物理など、数学と物理学をたたきこまれました。入学前の予想に反してテレビのテの字も出てきません。大学院に進む時には、太陽電池で有名な浜川圭弘先生の若くてエネルギッシュな人柄に惹かれ、その研究室に入りました。実際やったのは、測定を基本にした泥臭い仕事でしたが、工学部の方から半導体の専門家が次々と基礎工学部に移ってこられて、最先端の研究をしているという気概の感じられる華やかさもありました。
修士課程に入って一年くらいすると就職活動が始まります。これからは半導体やトランジスタの時代だと各メーカーが力を入れていた時ですから、引く手あまたでした。いわゆる金の卵です。色々な会社で話を伺う中で、社会と繋がる魅力を感じ、村田製作所に入社してとにかく企業の空気も吸ってみることにしました。ちょうど、売上げの大半を占めていた半導体のコンデンサーの特許が無効だという申し立てが他社からあり、それに対処するという大役が新入社員の僕にまわってきたのです。大学の先生に相談しながらメカニズムを検証し、他社の申し立てが間違っていることを明らかにしました。それはそれでとてもやりがいがあり楽しかったのですが、やはり自分がやりたいのは基礎研究だという思いを新たにし、一年で大学へ戻ることにしました。
3,ミステリアスな生物学へ
問題は研究分野です。それまで専門としてきた半導体やコンピュータの世界は基本概念は明らかで、技術的な開発が必要という段階にきていました。基本概念が確立されていない本当にミステリアスな分野、謎が残されている分野に挑みたかったので、真剣に悩みました。その結果、面白い現象がたくさんありながら、要素が多すぎてこれまでの手法では計測が難しい生物を相手にしようと決意しました。浜川先生に相談したところ、まさか分野を変えるとは思っていらっしゃらなかったようで、「落ちこぼれるのはいつでもできる。自ら落ちこぼれることはない。」と嘆かれました。今でこそ生物学は科学として認められていますが、当時は道楽の印象があり、浜川先生は半導体の研究者として世界としのぎを削っているというプライドもあって生物学への移行はよしと思われなかったのだと思います。でも、自分の気持ちに正直に生物分野に飛び込むことにしました。
運良く大阪大学に筋肉の研究で有名な大沢文夫先生(大阪大学名誉教授、名古屋大学名誉教授)がいらしたので、電話で研究室へ入りたいと伝えると、「えっ?来るの?」とあまりはかばかしくない返事に不安を感じながらも会いに行きました。教授室に入ると机と長椅子だけのがらんとした部屋に、インスタントラーメンをすすっているラフな格好の人が一人。大沢先生に違いないとは思いつつ、これが超切れ者と噂の大沢教授かと驚きを隠せませんでした。背広とネクタイで気合いを入れたのに拍子抜けです。顔もあげずに「どうしたの?」と聞かれたので「研究室に入りたいんですけど。」と伝えると「まあ、入るのは勝手だけど…。」という調子で、「うちは博士号をとっても就職できない人が25人いるから、あなたは26番目ですよ。卒業しても職はないよ。」と告げられてしまいました。多分、華やかな半導体分野を捨てて、こんな所に来るはずはないと思われていたのでしょう。結局、「勝手に入ったら。」の一言で無事入学できました。
4,何を研究するか
大阪大学のできたばかりの研究室で相談にのってくれる先輩もいません。大沢先生は名古屋大学との併任で半分は不在なのです。研究の進め方について教えてくれる教官もまだ決まっておらず、試薬も測定器も無いという状態でした。生物のセの字も知らないのに、先生からの指示がないのですから何をしていいのやらと、一人で悩みました。三ヶ月後、しびれを切らして大沢先生に会いに行くと、「え?君、なにかしたいから来たんじゃないの?」と言われ、自立しないと何もできないと悟り、目が覚める思いでした。そこで、工学での経歴を生かして、レーザーを使った測定をしようと、走り回って集めた借り物の部品を組み合わせて装置をつくりました。
測定する対象は、専門外の僕にも馴染みのあるカニの筋肉を選びました。タンパク質がぎっしりと詰まっている上に、素人も取り出しやすい組織なのが利点です。筋肉細胞の中にはアクチン分子とミオシン分子からなる二種の繊維が交互に並び、この繊維の重なり具合が変化することで筋収縮が起こります。ATP(註
1)の化学エネルギーを力学エネルギーに変える生物機械の代表例です。名古屋大学で筋肉の研究を進めていた先輩たちの助言をもらいながら、少しずつ研究を進めました。実は、ちょうどその頃、神経伝達でノーベル賞を受賞したアンドリュー・ハックスレーが「首振り説」を提案して、筋肉の謎は全て解けたとされていました。筋肉は終わった学問だから首をつっこまない方がいいと先輩たちが口々に言い始め、大沢研の中で筋肉を扱っていた人たちもほとんどがやめていた時だったのです。
皆が謎は解けたと言う「首振り説」は面白いモデルに違いないと期待して、論文を読んでみると、おたまじゃくしの形をしたミオシン分子にATPが結合すると首を振り、その頭がアクチン繊維をたぐり寄せて筋肉が縮むだけなのです。デジタル的な化学反応と力学反応がかっちりと対応したモデルは従来の工学の概念と全く同じです。生物には工学とは全然違うしくみがあるに違いないと思い、その基本概念を解き明かしたいという夢をもってこの分野に入ったのにとがっかりしました。
[註1] ATP
アデノシン三リン酸の略。生きもの、つまり細胞が使えるエネルギーは、光でも、熱でもなく、化学結合に蓄えられたものだけ。ATPの高エネルギーリン酸結合が細胞のエネルギーとして使われている。
5,首は振らない
それまで工学を勉強してきた僕には、生きものが人工機械と同じしくみで働いているとはどうしても思えなかったので、本当にミオシン分子の首振りが起こっているのか、得意な光学測定機器を手作りして、筋肉細胞を観察しました。難しかったのは、ミオシンの一部だけに印をつけるところです。蛍光ATPが筋肉の中ではミオシンにしかつかないことがわかり、動的な姿を測定できるようになりました。ところがいくら測定しても、蛍光ATPは首振りモデルのように動きません。本当に驚きました。今までの研究生活で一番心に残っている瞬間です。心の中で“やった”と飛び上がりながら、一方で誰も信じてくれないだろうなという不安も感じました。
ハックスレーは神経細胞の興奮についての基礎理論をうちたて、証明したことによって、ノーベル賞を受賞したくらいですから、天才的な洞察力がある人です。その人の首振り説に僕のような新人が異論を唱えても、相手にされません。苦労していた時に、大沢先生を訪ねてきたアメリカの有名な研究者の一人が僕のデータを詳細に観て、本当にミオシンの首が動いていないことを認めてくれました。その人が、首振り説に異論を唱えている柳田という若い研究者がいるとアメリカの研究者コミュニティーに伝えてくれたお蔭で、ミネソタ大のデイビッド・トーマスが追試をし、ミオシン分子の首が動かないことを確認してくれました。これで、首振り説が否定され、世界中を驚かせることができたのです。これをきっかけに、筋肉の収縮のしくみを調べ直そうと大勢の研究者が戻ってきたのですから、ちょっとした救世主気分でした。
6,分子を観る
筋肉を観察して、ミオシン分子の首が動かないことを示すのは簡単ですが、ミオシン分子がどう動いているのかは分かりません。そこで、筋肉の中での分子の動きを観るのではなく、分子を取り出してその動きを観る研究を始めました。「分子イメージング」の始まりです。ミオシン分子が観たかったのですが、当時の技術では分子1つをみることが難しくうまくいきません。対象をアクチン分子がらせん状につらなってできているアクチン繊維に変えました。顕微鏡でアクチン繊維を観察するための染色法を探していたところ、運良く大阪大学の浅野朗先生(大阪大学名誉教授)からキノコ毒の一種、ファロイジンを少量譲り受けることができました。細胞中でアクチン分子にだけつくペプチドです。蛍光分子をつけたファロイジンがついたアクチン繊維を1本だけ取り出してみたら、顕微鏡下にゆらゆらとたなびいているのが見えました。ファロイジンはアクチン分子の分解を阻害するので、アクチン繊維がどんどん伸びて細胞は死にますが、アクチン繊維の観察には影響がありません。ただ、天然の試薬は簡単には手に入らず困っていたところ、ドイツのウィーランドが合成していることが分かり、手紙を書きました。ありがたいことに1mg、何千万円にもなる貴重品を送ってくれたのです。実はウィーランドは日本の有機合成の教授がみな留学先に選ぶほどの大御所で、若い研究者が直接手紙を書く相手ではなかったのですね。後からそう言われましたが、何も知らなかったからできたことです。送って頂いた試料でアクチン繊維
1本を観察した論文が『Nature』に載りました。うれしかったですね。後にウィーランドが来日の際に自分の合成物質が面白い研究に使われることはうれしいと言って下さいました。それ以来、クリスマスカードのやりとりを続けました。
首振り説は、ミオシン分子が首を振ってアクチン繊維をたぐり寄せることを前提としているので、アクチン繊維は硬い必要があります。ナノメートル単位の世界なので少しでも柔らかいとふにゃっとしてしまい引っぱれないのです。しかし、顕微鏡下で観たアクチンフィラメントはゆらゆらとして柔らかいものでした。アクチン繊維を1本で観たからこそ証明できたことで、欧米の人にもようやく信じてもらえました。ミオシン分子が首を振っていないことに加え、アクチン繊維が柔らかいという事実が決定打となって、首振り説を否定できました。
7,化学反応と力学反応は一対一か
否定しただけでは話は終わりません。首を振らないのならどうやって動くのかを解かなければならないのです。筋肉が収縮する時に、ATP1個あたりアクチン繊維1本が何nmくらい動くか計測することにしました。意外なことに誰も測定していなかったのです。筋肉のZ膜からアクチン繊維を切り離す作業は難しいのです。なんとか繊維1本にして測定した結果は、1個のATPあたり60nm以上。これこそ、僕らが期待していた数値です。アクチン分子1個が5nmくらいですから、ATP1個で首振りが1回起り、アクチン分子1つ分(5nm)進むのではこの値はでません。そこで、アクチン繊維上のミオシン分子の進み方は、
1歩進むことがあれば、2歩進むときもあり、時には飛ぶように5〜6歩進むこともあると考えました。最終的にはATPが分解されてミオシン分子から離れるのですが、その間の歩数は状況によって変わる、ブラウン運動という「ゆらぎ」を利用し、あいまいで自由度が大きい動きをしていると考えました。これで柔軟な筋肉の動きが説明できます。化学反応と力学反応が一対一に対応しないことを強調しようと大澤先生が他の研究で使っていた「ルースカップリング」と名づけました。成果が『Nature』に掲載されたのが、大好きな阪神が優勝した1985年です。とてもとてもめでたい年でした。首振り説だと化学反応と力学反応は一対一、つまり「タイトカップリング」していることになります。
反論もたくさんありました。典型例は、スタンフォード大学のスプーディッチとの「ルースカップリング」対「タイトカップリング」の論争です。分子がブラウン運動を利用することは、ランダムな方向の力、つまりノイズを使って動くことを意味します。科学の先人たちはノイズで動く機械をつくろうと、永久機関(註
2)について検討しましたが、エネルギーを与えずに室温で機械を動かし続けること出来ないことが分かり、熱力学の第二法則が生まれました。つまり、ブラウン運動のようなランダムな運動から一定方向の運動を取り出すためにはエネルギーがいるのです。そういう背景もあって、欧米人は、ブラウン運動でいいかげんに動くという考え方は一般的に嫌いなようです。確かに人工機械は、ランダムな運動をノイズとして排除します。そのためにコンピュータも莫大なエネルギーを使っています。
[註2]永久機関
外部からのエネルギーなしに外へ向かって仕事をし続ける装置のこと。
8,ええ加減さを学ぶ
これらの研究によって国際会議の招待講演の常連になりましたが、40間近になっても研究室での立場は技官のままでした。大沢先生とけんかしているから教授になれないとか、実は大学を出ていないから日本では教授になれないなど、海外で噂が飛び交ったようです。多分、大沢先生は僕が技官であることに気がついていなかったのだと思います。良い意味でのええ加減な人でした。その点はよく学んだと思っています。
大沢先生は退官の時に「柳田君といっぱい話をしたけれど、研究の話をしたのは1時間にもならないだろうね」と言われました。大沢先生は、研究室にいらしても女子学生と話し込んでいて、柳田君は実験が好きだね、良く飽きないねと茶々をいれられるだけだったのです。実験が終わったら宝塚に行き、タカラジェンヌがコーヒーを飲む喫茶店でゆっくりとすごしました。いい思い出です。研究はどうなのという会話も、まぁまぁですねえで終わる。その程度の会話ですべて内容を理解されているようでした。あとは、どのタカラジェンヌが良いかの議論。もう、このような飄々としている教授の存在は許されないような雰囲気になってしまいました。残念です。こうして大沢先生が退官された後、突然隣の研究室の三井利夫教授(大阪大学名誉教授)が教授になりませんかと尋ねられて驚きましたね。まず、技官から教授になれるのかしらと半信半疑でしたし、年功序列の時代に40歳で教授になれるなんて考えてもいませんでしたから。技官から教授になることは、教授会でも認められることになりましたが、ちょっとしたクレームが入って半年助教授をやってから教授になりました。筋肉のカルシウム制御機構を発見された江橋節郎先生(東京大学名誉教授)が、私や大沢先生にはとてもできない、三井先生にしかできない芸当ですねえ、三井先生は本当に大物だ!と感心されていました。
9,一分子を観る
筋肉を分子レベルで調べれば調べるほど分子の動きのあいまいさや自由度が際立ってきます。「ゆらぎ」であり、このいいかげんさこそ生きものならではの基本概念ではないかと思い始めました。筋肉を収縮させる分子が「ゆらぎ」で動くことを証明するには、取り出した分子を水溶液中で観察する必要がありますが、でも、水溶液中では、溶け込んでいる酸素や活発に動きまわる水分子の衝突のために、試料につけた蛍光色素は非常に不安定になり、検出のための蛍光強度がとても弱くなります。でも、「柳田生体運動子プロジェクト」として始めた難しい挑戦に、船津高志(現東京大学教授)、原田慶恵(現京都大学教授)、樋口秀男(現東京大学教授)、石島秋彦(現東北大学教授)、武藤悦子(現理化学研究所チームリーダー)をはじめとする元気のいい仲間が集まってくれたおかげで、道が開けました。光学系を工夫した特別な顕微鏡で、ゴミが星空のように見える視野の中からミオシン1分子を探しだせたのです。一度、ミオシン分子がこれだと分かると次からはすぐにみつかるから不思議なものです。1分子計測技術を使って、喜多村和朗(現東京大学助教)、徳永万喜洋(現東京工業大学教授)、そして岩根敦子(現大阪大学准教授)らが、予想通りミオシン分子は前へ後ろへとふらふらして進むことを示してくれました。ブラウン運動という「ゆらぎ」を利用していたのです。ブラウン運動が仕事(運動)に直接使われていることを証明した極めて重要な一分子実験です。ランダムなブラウン運動からATPのエネルギーを使って一方向の運動だけをミオシン分子が利用すると考え、バイアスブラウン運動説と名づけました。実を言うと、ハックスレーも「ゆらぎ」を考慮していたのですが、デジタル的な首振りモデルで理解されたとされていました。僕らの研究は天才ハックスレーの真意を明確にしたのだと思っています。
プロジェクトを始めてから3年間は論文を書けるような結果が全く出なかったので、みな精神的につらかったと思います。それまでのポストをなげうって、背水の陣で参加した人たちばかりでしたから。原理的に見えないという可能性もあったので、もし、ミオシン分子が見えていなかったらと思うとぞっとします。一度見えてしまえば追随は簡単ですが、最初というのは本当に大変なことです。
10,レバーアーム説とバイアスブラウン運動説
ミオシン分子の頭部全体が首を振るのは否定できましたが、それに替わって、ミオシン頭部の一部が屈曲するというレバーアーム(分子屈曲)説が提唱されました。ATP分解時にミオシン頭部の一部に小さな構造変化が起こることで、首をレバーのように回転させ、大きな運動を起こすというモデルです。これは、
1990年代初頭に、アメリカのレイメントがATPにそっくりな化学構造をした物質と結合したミオシン分子の構造を明らかにし、確かに首に当たるところで変化が起こることを示し、その後1分子計測を使ってレバーアームの回転で予想される程度の運動がみられたことから、レバーアーム説として認められるようになりました。
これは、タイトカップリング説に近い立場で、ルースカップリング説やバイアスブラウン運動説と一見矛盾しするので、激しい議論がなされました。しかし、最近になって筋肉ではなく細胞内で小胞を輸送している他のミオシン分子の1分子計測研究により、そのミオシンはバイアスブラウン運動とレバーアーム回転の両方を使っていることが明らかになりました。レバーアーム説の人はレバーアーム回転で力を発生し、ブラウン運動をバイアスして大きな動きを引き起こす、すなわち、すべてはレバーアームの回転によって引き起こされると主張します。バイスブラウン運動説の人は、ランダムなブラウン運動から前方向の運動だけを選択的に取り出し、レバーの回転はATP分解の終わりに起こるミオシン分子の構造変化である、すなわち、ブラウン運動が主役だと主張します。表現は立場によって異なりますが、多少なりともバイアスブラウン運動が重要な役割を果たしていることは認められたわけです。バイアスブラウン運動をしているミオシン分子が複数つながっていると、あるミオシン分子のATPを使った能動的な運動で他のミオシンのブラウン運動に影響を与えて、1分子のATPで長距離すべることがコンピュータシミュレーションで示されました。
生体の分子機械では、人工機械が無駄だとしているブラウン運動(熱ノイズ)がある役割をしているということについては研究者間ではほぼ同意が得られとても重要な点ですが、一般的にはなかなか分かりにくいので教科書に取りあげられるのはまだ難しいというところです。
11,細胞の情報伝達を観る
その後、医学部へ移り、「ゆらぎ」の研究をさらに発展させようと思い、細胞内の他の分子についての1分子研究を始めました。佐甲靖志さん(現理化学研究所主任研究員)や上田昌広(現大阪大学教授)が細胞の情報伝達に関わる分子の動きをみたところ、外からの刺激にすぐに応答できるような形で細胞自身が動いていることがわかりました。分子はブラウン運動によって勝手に動きますが、細胞は大きいのでブラウン運動だけでは足りません。細胞は自発的に動いてゆらぎをつくりだし、うまく情報処理していたのです。確かに顕微鏡でひとつの細胞を観察すると、じっとその場にとどまり続けることはなく、常に動きながらその形を変えています。いつどこでどの方向からどんなシグナルが来ても、すぐに応答出来るように細胞みずからゆらぎを生みだしているのでしょう。サーブを受けるテニス選手が足を細かく動かして、前後左右どちらからのボールにもすぐ対応できるようにしているのと同じです。
12,ノイズだらけの脳活動
細胞の次は脳に眼を向けました。かけ離れた対象に思われるかもしれませんが、「ゆらぎ」という切り口でしくみを理解できるのではないかと考え、10年くらい前から取り組んできました。コンピュータはノイズから遁れるために、大変なエネルギーを使っています。1ビットに使うエネルギーは熱ノイズの2000万倍です。一方、ヒトの脳の基礎代謝は約20ワット、考えるときも1ワット余分に使うだけです。そんなわずかなエネルギーで動くものがノイズを排除できる訳がありませんから、ここに何かからくりがあるのではないかと考えたのです。村田勉さん(情報通信機構未来ICTセンター)が中心になってよい研究してくれました。ネッカーの立方体(註3)などの多義図形は、視覚的刺激が一つなのに意識にのぼる見え方は2種類あります。この2つの見え方の切り替えパターンを調べたところ、ゆらぎの式と同じになりました。あれかな、これかなと思いながら意識にのぼる過程でゆらぎ探索をしているのです。また、隠し絵の認知でもゆらぎ探索が使われていることがわかりました。ブラウン運動は温度が高いほど激しくなり、それで駆動される反応も早くなります。脳には「知覚温度」があり、それが高いほど脳の状態がゆらぐことで、ゆらぎ探索が速くなり、隠し絵をより早く当てることができると考えています。知覚温度が低いと脳の状態がゆらぎにくいので見破りにくいのです。知覚温度は個人によって異なり、高い人は、どんな隠し絵でもはやく当てることができました。今、知覚温度とは具体的にはどんな状態かを探っているところです。
脳の124箇所の磁場変化を測定できる機能MECを用いて、脳活動がどのようにゆらいでいるか調べる研究を始めました。検出できるのはノイズばかりでさっぱり意味がわかりませんが、ミオシン分子の場合も最初はノイズとしか思えなかったものがふらふら動いていくことが分かったのですから、脳も同じだと思っています。通常は解析による平均化や、ノイズのレベルを下げることで、なんとかシグナルを見出そうとするのですが、ノイズありきで、それにちょっと変調がかかっているだけというのが実際のはたらきであり、ノイズばかりのざわざわした状態そのものがシグナルなのだろうと思っています。意識にのぼる前とのぼった瞬間との間にどういうノイズの差があるか、きちんと測定する必要があります。最終的にはそれを電子回路で再現しようという壮大な計画です。脳のような複雑なシステムはいくら調べてもそのしくみは分からないでしょう。つくってみてその機能を再現できたら理解が深まると期待しています。
[註3]ネッカーの立方体
1832年、スイスの鉱物学者、ネッカーが紹介した線で描かれた立方体の図。上から眺めているように見えたり、下から眺めているように見えたりと、奥行きが反転する。
13,筋肉をつくる
若い頃お世話になった村田製作所と一緒にゆらぎを取り入れた人工筋肉を作ろうと試みています。ブラウン運動を利用すると、分子の動きそのものが確率的になります。間違える上に曖昧にもなるので、ノイズと同様にネガティブな面をもっているのですが、そこに生物システムの柔軟性や融通性など、生きものらしい性質を生み出す源があると考えています。僕は筋肉がすべるということに興味があるわけではなく、筋肉がどうしてこう柔軟に動けるのかを証明したいのです。
ロボットにとってはコップを手で持ち上げるという行動も難しい。人工機械は一つ一つの要素を完璧に制御して全体を動かそうとするので、複雑すぎて破綻してしまうのです。生きものはどうして筋肉をさっと動かせるのか。その自律性にはゆらぎが効いていると思っています。ふらふらした分子を適当に結びつけておくと協同性が生まれ、自律的に非常に面白い動きをするようになることがコンピュータシュミレーションで分かりました。ふらふらしていることは相手の影響を受けることを意味します。優柔不断はネガティブなイメージに使われますが、相手の言うことを聞くということですから、全体として動くことができるのです。
14,ゆらぎで階層を超えた研究をする
ゆらぎは、外国に比べて日本の方が馴染みやすい考え方でしょう。相手の力をうまく利用するところは柔道にも通じると思いますし、お釈迦さまも因縁と言って、結果は必ずしも原因に一対一に対応するわけではなく、色々な状況に応じて変わるとおっしゃっています。日本には八百万の神がいます。日本人には自然の中に人がいるイメージがあるのです。
生物が人工機械のように決定論的に正確に働くのなら、ATPのリン酸結合ではなく、生物に多く含まれる炭素結合などのもっと高いエネルギーを利用した方が適しています。ATPのエネルギーは熱ノイズとあまり変わらないので生体分子はよく間違います。コンピュータのように高いエネルギーをつぎ込んでおけば、決して間違わないようにはなるでしょうが、「ゆらぎ」による試行錯誤が出来なくなってしまいます。試行錯誤は外界の影響を受けながら、よい環境にあるかどうか確かめるのに必要であり、発生過程や種が生まれるときなどさまざまなところで試行錯誤が起きているはずです。生物は、正確さを犠牲にして、省エネで柔軟に自律的に働くメカニズムを獲得したのでしょう。
生きものは分子の世界でゆらぎをうまく使えたので、それをどんどん高次へ広げ、脳にまでも拡張したという印象です。「ゆらぎ」という基本概念で分子から細胞、脳まで階層を超えた研究ができたわけで、生物分野に飛び込んで本当に良かったと満足しています。普通は、分子なら分子、細胞なら細胞と対象を絞って研究するのが一般的ですから、分子から脳まで広く研究している私は節操のないやつと思われているかもしれません。しかし、私はゆらぎというコンセプト(基本概念)に焦点を当てて生命現象を研究しているので、対象は分子から脳まで広くなっても当然だと思っています。研究方向はゆらぐことなく焦点を絞っているつもりです。「ゆらぎ」はあいまいなものだけに、サイエンスにするのが難しく、苦労しましたが、1分子計測から、いい加減さにこそ生きものの魅力がつまっているということを示すことができ、その気持ちはますます強くなっており、これからもこの考え方で進めて行きたいと思っています。ええ加減な自分の性格を正当化するために研究していると思われているかもしれませんが。
2010年11月24日 WEDGE2010年12月号
ふらふらしている人がいい仕事をする
大阪大学生命機能研究科特任教授 柳田敏雄
人生も仕事も、この道を行きなさい、こうやって歩きなさいと、決めてもらうのが当たり前。だから、「最近の人は『こうしなさい』と言ってあげないと不安がる」との声は方々で聞こえるし、逆に言えば、定められたレールの上を踏み外さずに進むのが優等生ということだ。うまくいかなければ、悪いのは指示を与えた人か突発的な環境変化であり、自分自身が問われる部分は棚上げにされることが罷り通っている。
それじゃ人間は機械と同じじゃないか
指示や環境が悪いからなんて、人間ではなくロボットの話のようだ。生物物理学者の柳田敏雄も、そんな単線的な生き方は人間らしくないと笑う。その考え方には、生物の分子を観測してきた柳田ならではの説得力がある。筋肉の収縮を担う分子は、脳から一挙手一投足を指示されて動くのではなく、どこへ向かえばいいかを自分でふらふら動いて探すというのだ。ふらふらしながら自ら進む道を見いだすことにこそ生物の本質があるというのが柳田の持論だ。
柳田は電気工学を修めてエンジニアになったが、謎が多くて新しい概念をつくれる分野に挑みたいと大学に戻り、生物の研究室に入った。
「生物の中で一番なじみ深い器官が筋肉です。だから筋収縮の研究をやろうと思った矢先、ノーベル賞学者が新しいモデルを提唱して、謎は解けたとされてしまった。そのモデルでは、分子がコンピュータのように0か1かのデジタルで動くことで筋肉が収縮するという。それじゃ人間は機械と同じじゃないか、いくら偉い人が言っても、それはいかんと思いました」
筋肉の収縮は、アクチンとミオシンという2種類のタンパク質分子が担う。レール役のアクチン繊維の上をモーター役のミオシンが動くと力が発生し、筋収縮が起きる。では、どうやって動くのか。柳田が研究を始めた頃、ノーベル賞受賞者らが提唱した「首振り説」は、ATPというエネルギー物質1つにつき、四分音符のような形をしたミオシンが首を1回振り、ミオシンの頭が歯車のようにアクチン繊維の上を動くというものだった。生物は機械とはまったく違う仕組みで動いているとしか思えなかった柳田は、首振り説を否定しようと試みる。
「10ナノ(1億分の1メートル)の大きさのタンパク質分子を動く状態で見ることは原理的に不可能と言われていたので、それまでの人は、分子が何千兆個も含まれている細胞の動きを見て、分子の動きを推定していました。僕は、分子を直接見ないといかんと思っていましたから、レーザーを使って、何千兆個のいくつかをサンプリングして見ることに成功しました」
こう書くとあっさりしているが、ここまでに柳田は10年弱を費やしている。しかし、それでミオシンが0か1かの動きはしていないと否定しても、名もなき研究者の声は無視された。たまたま柳田の指導教授のもとを訪れ、実験装置や結果を見た米国人学者が支持を表明したことが契機となり、世界中が大騒ぎになった。
次いで柳田は、レーザーや高感度カメラを駆使してアクチンの観測に成功。ミオシンが歯車のように動くなら、レール役のアクチンは固いはずだが、撮影したアクチンは風になびく草のように揺れていた。定説を次々と覆す柳田は、この頃から国際会議に引っ張りだことなる。
では、柔らかいレールの上をミオシンが動くメカニズムとは何か。柳田はアクチンより小さなミオシンを1個ずつ見ることに挑み、1995年に世界で初めて溶液中で動いている状態のミオシンを観測。柳田が首振り説に疑問を抱いてから四半世紀を経て、筋収縮の謎の解明は大きく前進した。
ミオシンはどんな動きをしていたのですか?
「ミオシンは、アクチンの上をきちっと動くのではなく、前後左右にふらふらとしながら、よく見ればある方向に進んでいるとわかるという動きをしていた。脳は、例えば『コップをつかめ』というミッションを送るだけで、各分子に『君は右にどれだけ進め』なんて言いません。ミッションに基づいて、自分でどう進めばいいかを確かめなきゃいかんとなったら、ミオシンはふらふら歩いて、いろいろな可能性の中でいい方向を探すしかない。コップがつかめない時も脳は『ダメだ』と言うだけ。それで分子は『あかんらしいぞ』と、また探すんです」
複雑なシステムを頭脳で全部コントロールするには膨大なエネルギーを要するし、環境変化のたびに条件を設定しなければならない。コンピュータがそうだ。人間は、脳に過度な依存をせず、末端の分子という個々がふらふらしながら処し方を探すことで自律的に全体が機能するシステムを、進化の中で獲得してきたのだ。
これからは混沌の中からいい方向を見つけるのが必要
「世の中も同じです。何が正しいかわからない混沌、しかも状況が突然変わる環境では、杓子定規な秀才よりも、いろんなことを経験して一見ふらふらしている人のほうが、いい方法を決定できる可能性がある。でも、揺らぎにはミッションがないといかん。方向性を極めたリーダーのもとでやらなきゃいかんのは確かです」
柳田もふらふらしてきた。「自ら落ちこぼれるやつがあるか」とこきおろされながら、花形の半導体分野を去ったことが、まずそうだ。
生物に移って師事した大沢文夫教授も、柳田に言わせれば「“いいかげん”の極みみたいな、すばらしい先生でした」という人物だった。「『いい仕事をすればいい』しか言わず、あとはタカラジェンヌの話ばかりで、個々の研究結果は『すごいね。それで?』で終わり。でも、自由度もあったから責任もありました」。
柳田は研究室に入って数カ月後、何も指示しない大沢に「何をやったらいいのか」と尋ねた際、「えっ、君、何かしたいから来たんじゃないの?」と言われて目が覚めたと振り返る。大沢は「謎を解明するという『いい仕事』こそがミッション、あとは自分で考えろ」と伝えたかったのかもしれない。不可能と言われながら柳田が見えない出口に至れたのは、視野を広げて試行錯誤をし続けてきた研究スタイルゆえだろうし、それはミッションだけを与えて口も手も出さない大沢のもとで養われたのだろう。
ふらふらすべしとの持論について、「自分を正当化するために言ってると、みんな言う」とは冗談だろうが、柳田の飄々とした雰囲気、笑いを誘う語り口には、幅のない生き方をしてきた人にはない人間くささがある。研究室を率いる立場としても、「やったらしまいや」─自分で思うことをやってみれば、何とかなるものさ─と背中を押してきた。研究室の人によれば、悩みを抱えて柳田の部屋を訪れた人は、たいてい笑顔になって出てくるそうだ。その人柄や実績があるから、柳田にミッションと自由を与えられた研究者たちは意気に感じるし、柳田も求心力を持つのだろう。いい人材が集い、目標に向かってそれぞれが頑張るのも頷ける。
とはいえ、今は何かにつけて、拙速に成果を求める。ふらふらするのを認めるには、時間軸が障害になるのではないだろうか。
「シンプルな世界では、試行錯誤をコンピュータが計算したほうが圧倒的に速いから、それでうまくいってきました。これからは混沌の中からいい方向を見つけるのが必要で、それは人間の時間内でやればいいこと。10のマイナス9乗なんて時間でやる必要はありません」
「生物は、誰もデザインしていないのに40億年の試行錯誤でここまで来た。こんなに複雑なものが自律的に動くって、たいへんです。コンピュータではできないことを僕らはやっているんだから、ふらふらも認めようや。40億年かけて僕らは完成しているから、1年あればかなりやれる。自信を持ってふらふら探せ」
これが幸せだとみんなが信じていた、わかりやすい生き方は行き詰まり、時代の閉塞感をもたらしている。なのに「こうやって生きなさい」と言われ続けてきた多くの人は自分で打破する術を持たず、「夢を見させてくれない親が悪い、政府が悪い」と言う始末。でも、ふらふらしながら自分で進む道を探してこそ人間だ。固定観念を捨て、それこそ分子にどうしたいかを聞いたらいい。自分の体の中の本性に耳をすませば、出口も自分で探せるはずだ。