湯川秀樹が、戦後まもない昭和23年(1948年)に出版した『原子と人間』という書籍に載っている「原子と人間」と題した詩文

 

原子と人間

人間はまだこの世に生まれていなかった
アミーバもまだ見えなかった
原子はしかし既にそこにあった
水素原子もあった
ウラン原子もあった
原子はいつできたのか
どこでどうしてできたのか
誰も知らない
兎に角そこには原子があった

原子は絶えず動き回っていた
長い長い時間が経過していった
水素原子と酸素原子がぶつかって水ができた
岩ができた
土ができた
原子が沢山集まって複雑な分子ができた
いつのまにかアミーバが動きだした
しまいには人間さえも生れてきた
原子はその間も絶えず活動していた
水の中でも土の中でも
アミーバの中でも
そして人間の身体の中でも
人間はしかしまだ原子を知らなかった
人間の目には見えなかったからである

また長い時間が経過した
人間はゆっくりゆっくりと未開時代から脱却しつつあった
はっきりとした「思想」を持つ人々が現れてきた
ある少数の天才の頭の中に「原子」の姿が浮んだ
人々が原子について想像を逞しくした時代があった
原子の姿が見失われようとする時代もあった
人々が錬金術にうき身をやつす時代もあった
そうこうする中にまた二千年に近い歳月が流れた
「科学者」と呼ばれる人達が次々と登場してきた
原子の姿が急にはっきりしてきた
それがどんなに小さなものであるか
それがどんなに早く動き回っているか
どれだけ違った顔の原子があるか
科学者の答は段々細かくなってきた
彼らは次第に自信を増していった
彼らは断言した
「錬金術は痴人の夢だ
原子は永遠にその姿を変えないものだ
そしてそれは分割できないものだ」

かくて十九世紀も終ろうとしていた
この時科学者は誤りに気付いた
ウラン原子が徐々に壊れつつあることを知ったのだ
人間のいなかった昔から少しづつ壊れつづけていたのだ
壊れたウランからラヂウムができたのだ
崩壊の最後の残骸が鉛となって堆積しているのだ
原子はさらに分割できることを知ったのだ
電子と原子核に再分割できるのだ

やがて二十世紀が訪ずれた
科学者は何度も驚かねばならなかった
何度も反省せねばならなかった
原子の本当の姿は人間の心に描かれていたのとはすっかり違っていた
科学者の努力はしかし無駄ではなかった
「原子とは何か」という問に今度こそ間違いのない答ができるようになった
「原子核は更に分割できるか
それが人間の力でできるか」
これが残された問題であった

この最後の問に対する答は何であったか
「しかり」と科学者が答える時がきた
実験室の片隅で原子核が破壊されただけではなかった
遂に原子爆弾が炸裂したのだ
遂に原子と人間とが直面することになったのだ
巨大な原子力が人間の手に入ったのだ
原子炉の中では新しい原子が絶えず作り出されていた
川の水で始終冷していなければならない程多量の熱が発生していた
人間が近よれば直ぐ死んでしまうほど多量の放射線が発生していた
石炭の代りにウランを燃料とする発電所
もう直にそれができるであろう
錬金術は夢ではなかった
人工ラヂウムは天然ラヂウムを遙かに追越してしまった
原子時代が到来した
人々は輝しい未来を望んだ
人間は遂に原子を征服したのか
いやいやまだ安心はできない
人間が「火」を見つけだしたのは遠い遠い昔である
人間は火をあらゆる方向に駆使してきた
しかし火の危険性は今日でもまだ残っている
火の用心は大切だ
放火犯人が一人もないとはいえない
原子の力はもっと大きい
原子はもっと危険なものだ
原子を征服できたと安心してはならない
人間同志の和解が大切だ
人間自身の向上が必要だ

世界は原子と人間からなる
人間は原子を知った
そこから大きな希望が湧いてきた
そこにはしかし大きな危険もひかえていた
私どもは希望を持とう
そして皆で力をあわせて
危険を避けながら
どこまでも進んでゆこう