茨城日産

 

日本経済新聞 2021年11月23日

受け継がれる実業団の文化 社会人野球・茨城日産の挑戦

会社の景気に左右されるのはやむをえないとはいえ、長年培われた実業団のスポーツ文化が、休廃部で失われるのはもったいないことだ。一度途切れた伝統をつなぎ、発展させていけるのか。そんな点でも注目されるのが、社会人野球に新規参入した茨城日産(水戸市)の挑戦だ。

創業75年記念でチーム立ち上げ

自動車販売などを手掛ける茨城日産自動車は2021年に創業75年を迎える記念として昨年、チームを立ち上げた。監督は社会人野球の雄だった日産自動車で活躍し、ヘッドコーチを務めていた渡辺等氏(57)。渡辺監督を支える中込健司コーチは日産時代の同僚だ。

リーマン・ショックのあおりで、都市対抗2回の優勝、日本選手権でも優勝した日産野球部は09年限りで休部となった。渡辺監督は野球から離れ、本業に専念していた。営業で各地域を回り、茨城日産との付き合いもあった。その縁でまた野球ができるようになったのだから、人生はわからない。

初めて参加した都市対抗予選。茨城県予選を突破し、最終予選となる9月末からの北関東大会にコマを進めた。1回戦でエイジェック(小山市=栃木)に1-3と競り負けたものの、敗者復活1回戦で大勝。2回戦で都市対抗の常連、日本製鉄鹿島(鹿嶋市=茨城)とぶつかった。

茨城日産が先手を取った。初回、5番川崎進也が先制2点打。二回は8番水口皇紀がソロ。実力は相手が上だ。そんな力関係が崩れるとすれば、先行して相手の焦りを誘ったときだ。これしかない、という展開に持ち込んだのだが……。

「いくら打たれてもいいとは言ったんだけど。怖さが出たのかな」と渡辺監督が振り返ったのは4-1で迎えた六回の暗転だ。好投していた先発の左腕、入江空が連打から死球、四球で押し出し。継投に入ったが、この回5失点。逆転を許したあとはもう相手ペースだった。

それでも都市対抗出場を決めたエイジェックに食い下がり、日本製鉄鹿島を追い詰めたあたり、夢が膨らむ戦いぶりだった。

今も生きる日産時代の人脈

北関東大会のパンフレットをみれば、メンバー26人全員の備考欄に○印。新人の印だ。ピカピカの新チームながら、左腕から150キロ前後の球を繰り出す入江ら、有望選手が集まった。

渡辺監督の就任当初、陣容はまだ固まっていなかった。ここで日産時代からの人脈が生きた。中大、星槎道都大、平成国際大や作新学院大の監督らと親しく、渡辺氏なら、と選手を預けてくれた。あえてプロ志望届を出さず、茨城日産を選んだ選手もいる。

新規参入にあたり、渡辺監督がSUBARU(太田市=群馬)の冨村優希監督にあいさつすると、さっそくオープン戦をやろうと言ってくれた。冨村監督の知り合いの子どもたちが日産野球部の野球教室に参加したことがあり、日産に感謝している、とのことだった。休部後も、地域貢献としての野球教室は続いている。

「ありがたかった。車もそうだけど、野球も日産のブランドをつくっていたのかな」と渡辺監督。日産の財産は今も確かにある。

渡辺監督はスポーツで盛り上がる職場の熱気を覚えている。日産に入社したとき、ちょうど創業50年で、都市対抗の優勝指令が下ったという。ところがその年は予選敗退。宿願はその翌年となった。

「負けると、都市対抗も出られんのにボーナスもらいに(会社に)来てるのか、なんて言われて。その代わり、勝つと机にずらっと酒が置いてあった。よくやった、これ飲んでよって」。予選から大勢応援に来てくれた。ミスをするとやじられたが、それは会社の名を背負う選手たちへの期待の裏返しだった。

「昭和34年に創設された硬式野球部は都市対抗野球大会、日本産業対抗野球大会などでめざましい活躍をし……」。1975年発行の日産自動車社史に、誇らしげな記述がある。

目指すは「おじさんがやる高校野球」

バブル崩壊などの荒波を経て、企業スポーツの形も変わりつつある。終身雇用が崩れた今、愛社精神という言葉も死語になりつつあるようだ。

だが、そんな今だからこそ、スポーツで一つに、という挑戦に意味があるのではないか。渡辺監督が日産で果たしてきた社員をつなぐ役目は、茨城日産でも同じだ。

目指すチームカラーは「おじさんがやる高校野球」だという。「高校野球って、一生懸命さが伝わるでしょう。だからみんな応援する。スマートな野球をやってもしょうがない。選手には『負けちゃったけど、また応援に来るから』っていわれるチームになろうと言っています」。日産も、そんな熱い野球をしていた。

今年の都市対抗は28日、東京ドームで開幕する。1年目はこの舞台に届かなかったが、日産で育まれた遺伝子が、茨城日産という新たな母体のなかで進化したとき、道は開けるに違いない。


毎日新聞 2021/9/29 

第92回都市対抗野球
2次予選・北関東大会 日立製作所、準決勝へ 茨城日産は初勝利 /茨城

第92回都市対抗野球大会(日本野球連盟、毎日新聞社主催)の2次予選・北関東大会は28日、日立市の日立市民球場で開幕した。3年連続の東京ドームを目指す日立製作所は太田暁工業ク(群馬)を七回コールドで降し、危なげなく準決勝に進んだ。

今季創部の茨城日産は1回戦でエイジェック(栃木)に逆転負けしたが、第2代表決定トーナメント1回戦で太田暁工業クを打ち込み、2次予選初勝利を挙げた。

1回戦 エイジェック(栃木)に逆転負け

先制も及ばず

 エイジェックは三回、無死満塁から高上の中前適時打で2点勝ち越し、金城、竹内の継投で反撃をかわした。茨城日産は一回、伊藤、寺元の連続二塁打で1点先取したが、二回以降は好機にあと一本が出ず、粘る投手陣を援護できなかった。
四回に集中打

 茨城日産は1点リードの四回2死一、三塁から水口の左前打など集中打で一挙6点。その後も川崎のソロなどで着実に加点した。太田暁クは3併殺の拙攻も響き、六回1死二、三塁から連打で2点を返すのが精いっぱいだった。

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第2代表決定トーナメント1回戦で太田暁工業クを打ち込み、2次予選初勝利

冷静さ貫いた巧打者 茨城日産・伊藤秀和外野手(23)

 若いチームにとって初の北関東大会だが、平常心を心がけた。「相手がどこでも、自分のプレーにだけ集中する」。その言葉通り、冷静さを貫いた巧打者のバットから快音が響いた。

 1回戦・エイジェック戦では「チームを勢いづかせたい」との思いを込め、一回2死無走者からの初安打は中越え二塁打。続く寺元の左翼線二塁打で先制のホームを踏んだ。惜しくも逆転負けしたが、続いて行われた第2代表決定トーナメント1回戦・太田暁工業ク戦でも、四回に試合の主導権を握る2点適時打を放った。

 絶好調だった1次予選は、日立製作所戦で4打数4安打を記録するなど活躍。打率6割1分1厘で首位打者賞を獲得した一方で、大会後も「てんぐにならないように」とバットを振り込んだ。

 チームの全体練習が週2回と限られるなか、時間を有効活用し、練習量を落とさないよう意識している。「社会人の高いレベルに対応できるよう日々やっています」と謙遜するが、各チームからのマークはきつくなりそうだ。

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第2代表決定トーナメント2回戦 日本製鉄鹿島に逆転負け

…「ちょっと(勝ちを)意識し始めたんですかね……」。茨城日産の渡辺等監督は先発・入江の突然の乱調を悔やんだ。五回まで最速149キロの速球を主体に相手打線を抑え込んだ。しかし、六回は連打と死球で1死満塁とされ、押し出し四球で1点を奪われたところで降板。救援陣も流れを止められず、一気に試合をひっくり返された。それでも強豪に冷や汗をかかせた。「緊迫感のある試合で、今のうちの力を十分に出した。これが都市対抗だと感じてほしい」。若いチームの成長に期待した。

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毎日新聞 2021/2/26 

新たな風 社会人野球、今季加入 茨城日産自動車(水戸市)

関東の社会人球界に新たに二つの企業チームが加わった。自動車販売会社「茨城日産自動車」と、自動車内装品メーカー「テイ・エステック」(埼玉)。いずれも、かつて名門チームで活躍した実績を持つ指揮官を迎え、都市対抗、日本選手権に向けて走り出した。


名門のノウハウ生かす 茨城日産自動車(水戸市)

 都市対抗優勝経験を持つ名門チーム、日産自動車のノウハウを取り入れた社会人野球チームが誕生した。茨城日産(水戸市)は、元日産野球部の渡辺等氏(56)を監督に迎えて新たに創部し、今季から参戦する。同社は日産自動車とは別資本だが、「名門が社会人野球界に戻ってくる」と周囲の期待も高まっている。

 日産自動車は、都市対抗で1984年と98年に2度の優勝を果たした名門。しかし、不況の影響を受けて2009年限りで休部となった。当時は存続を求めて署名活動が行われるなど、惜しまれる中での休部だった。

 茨城日産グループは、日産車の新車や中古車販売のほか、高齢者施設を運営する福祉事業などを手がける。今年が創立75年の節目にあたることから、記念事業の一環として野球部を創部。専用グラウンドこそないが、部品工場を改修した室内練習場を持ち、野球部員の寮も新設される。新型コロナウイルスの影響下ではあるが、発起人で元日産野球部の鈴木雅道さん(69)は「ピンチこそチャンスに変えたい」と話す。

 新チームに就任した渡辺監督は、今治西高を卒業後に日産に入社し、94年には三塁手で社会人ベストナインにも選ばれた。32歳で現役を引退し、その後ヘッドコーチに就任。休部後は社業に専念していたが、昨春に監督就任を打診され、「野球ができる環境が減り、野球をしたくてもできない選手がいる。そういった選手の受け皿が増やせる」と快諾した。選手は21年入社の大卒21人、高卒2人に、20年入社の2人を含めた計25人。東京六大学や甲子園出場経験のある選手もいる。入部予定の作新学院大4年、水口皇紀捕手(22)は「北関東は強いチームが多いが、負けたくない。仕事も野球も両立していきたい」と意気込む。

 渡辺監督は自身の経験から「攻撃でガンガンいくより、耐え忍んでいく方が結束力は高まる。バッテリーを中心とした守り重視のチームを作りたい」と掲げる。北関東地区には日立製作所や日本製鉄鹿島など強豪が集うだけに、まずは「都市対抗出場」が目標。新チームは「名門」の期待を背負い、スタートを切った。

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毎日新聞 2020/11/24

月刊アマ野球
水戸に社会人野球チーム「茨城日産」 名門の系譜、ドーム目標 監督、コーチに日産OB /茨城


 
県内に新たな社会人野球チーム「茨城日産」が誕生する。監督に就任する渡辺等氏(56)は23日、水戸市内で記者会見し「日立製作所、日本製鉄鹿島の壁は厚いが、一年でも早く東京ドーム出場を」と都市対抗の本大会出場を誓った。

茨城日産グループは新車・中古車の販売のほか、福祉事業なども手がける。2021年は創業75年の節目に当たり、グループの中核企業「茨城日産自動車」(水戸市)の加藤敏彦社長(55)は「地域社会に満足してもらい、約1900人の社員を盛り上げたい」と、何かできないか検討していたという。

折しも売り手市場が続き、優秀な人材確保が課題となっていた。昨年、やはり社会人野球チームを持つ同業の九州三菱自動車(福岡市)を視察したところ、選手は野球に打ち込みつつ仕事をこなし、営業マンとして高い成績を収めていた。「選手は厳しい練習に耐え、礼儀を身につけている人が多い」と野球部創設を決断した。

茨城日産は日産自動車本体と別資本だが、都市対抗で優勝経験を持ちながら2009年限りで休部した名門・日産自動車のノウハウを取り入れた。渡辺監督は、日産自動車時代の1994年に社会人ベストナイン(三塁手)に選ばれ、引退後は長年ヘッドコーチを務めた実績を持つ。コーチの中込健司氏(56)も日産自動車で主に投手としてプレー。2003〜07年には日産自動車九州で監督を務め、都市対抗出場を果たしている。赤を基調としたユニホームの素案では、胸に「NISSAN」のロゴが躍る。

日産自動車が休部して以来の現場復帰となる渡辺監督は「大好きな野球がまたできる。日産OBも(チーム発足を)喜んでいて『手伝うことがあればいつでも呼んで』との声をもらった」と話す。

選手はすでに入社している4人(うち2人はコーチ兼任)のほか、来春には新卒23人(大卒21人、高卒2人)が加わる予定。東京六大学や甲子園経験者もいるという。営業などの社業に当たりながら、野球に取り組む。水戸市内に室内練習場、寮を設ける予定だ。

渡辺監督は「社員に『我らの野球部』という誇りを持ってもらいたい。バッテリーを中心に守りのチームを目指す。チームの結束は、ピンチを乗り切ることで生まれる」と意気込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

日産自動車 社内報