レファレンス2003/9
公共工事と入札・契約の適正化
亀本和彦
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200309_632/063201.pdf
独占禁止法の制定といわゆる大津判決
(1) 独占禁止法の制定と入札談合への影響
第二次世界大戦後、1947年(昭和22年)
に制定された「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」(昭和22年法律第54号。以下「独占禁止法」という。)
によって、カルテル協定や不公正な取引方法への制限が設けられた。
しかし、鈴木満氏の『入札談合の研究』(35頁)
によれば、その運用については、課徴金制度が導入される(1977年12月)
までの約30年間で、入札談合に関する審決は9件にすぎず、また、建設工事の入札談合に関する2件についても、審判手続中に談合団体が解散し、審判手続が打ち切られたため、独占禁止法上の法的措置がとられた事件は1件もなかった。
したがって、この時期、独占禁止法の制定・運用が建設工事の入札談合の状況に大きな影響を与えたとは言えなかった。
(2)
刑法の談合罪の意義と入札談合への影響
(i) 刑法の談合罪の意義と揺れる判例
一方、刑法の談合罪については、判例が必ずしも一定せず(14)、そのため、「良い談合は許される」として、入札談合が公然と行われることとなった。
すなわち、談合罪にいう「公正な価格」の意義については、1944年(昭和19年)
4月28日の大審院判決(15) において「公正ナル自由競争ニ依リテ形成セラルヘキ落札価格」であると判示されて以来、判例の主流はこの見解(競争価格説)
を採用しており、戦後、最高裁も、山口県和木村立中学校新築工事に係る入札談合事件に対する1953年12月10日決定(16)
で同様の見解を示したが、建設入札談合を巡る下級審判決は、これと異なる見解が有力であった。
このような下級審判決としては、@1951年5月4日の岡山地裁判決(岡山県の土木工事に係る入札談合事件)(17)、A1953年7月20日の東京高裁判決(18)
(新潟県の土木工事に係る入札談合事件)、B1968年8月27日の大津地裁判決(滋賀県草津市等の上水道工事に係る入札談合事件)(19)
が有名である。
@の岡山地裁判決では、「公正なる価格を害する目的」で談合したことの立証が不十分であった(検察側は、「公正な価格」を「公正な自由競争によって形成される落札価格」であるとして訴訟を進めたが、裁判所はそれでは不十分とした)
として、全員無罪とした。
Aの東京高裁判決では、前述の大審院判決を勘案しつつも、「工事請負についての入札の実情は、自由競争に任せた場合、常に必ずしも公正な競争が行われるとは限ら」ないとして、「公正な価格」とは「当該入札において公正な自由競争により最も有利な条件を有する者が実費に適正な利潤を加算した額で落札すべかりし価格」との見解(適正利潤価格説)
を採用したうえに、談合金を利潤から捻出することもあり得ること、談合金を出したため粗悪工事になったという証拠がないこと、発注者の予定価格より高額な価格で談合しても規定により最後は予定価格の範囲内の価格で随意契約を締結することになること等から、「公正な価格を害する目的をもって談合したことは認定できない」として、全員無罪とした。
この判決は、その後、1957年7月19日の最高裁判決(20)
において明確に否定されているが、その後も下級審の判決に大きな影響を与え続けた。また、この裁判の原審での新潟県土木部長の「工事が粗悪になる虞があるので、県としては最善をつくして決めた予定価格に対し、それに近い額で落札するのが極く常識的に見てよい。自分は本件談合によって新潟県が迷惑を受けたとは考えていない。」との供述は、当時の発注者側の意識を知るうえで大変参考になる。
Bの大津地裁判決(以下「大津判決」という。)は、Aと同様に適正利潤価格説を採用するとともに、談合金を伴わない談合については「業界においては、通常の利潤を確保し、工事の完全施工を期するとともに、…工事を業者間に適当に配分し、もって企業体としてのかなりの規模の組織を維持している…。してみれば右の如き談合はまさに、公の入札制度に対処し、通常の利潤の確保と業者の共存を図ると同時に完全な工事という入札の最終目的をも満足させようとする経済人的合理主義の所産である」と積極的に評価している。一方、談合金を伴う談合については「特に利潤を削減してその捻出を図る意図であったことが認められるべき格別な事情のない限りは、原則として同条(談合罪の規定)に該当する」との見解を示した。
(ii)大津判決の影響と自主的な受注調整ルールの確立
この「大津判決」は前述の最高裁の判例とは矛盾するにもかかわらず、第1審で確定したこともあって、その後の建設業界に大きな影響を与えたのみならず、検察実務にも大きな影響を与え、談合金を伴わない談合の摘発が困難になったと言われている。
建設業界等では、「大津判決」の影響から「談合金を伴わない談合は合法である」という空気が業界や発注者側にも蔓延し、業界内では、談合金を伴う入札談合は下火になる反面、業者間の利害を調整して工事の発注を配分するための入札談合のルール化が進んだと言われている。
すなわち、1960年代後半から70年代にかけて、中央では日本土木工業協会において前田忠次鹿島建設副会長、植良祐政飛島建設会長等による「長老会議」を頂点とする受注調整の仕組みが、また、各地方では談合で常時顔を合わせている10社〜20社の中から一人が会長という形で選ばれ、会長(=半永久的な行司役、仕切り役、調停役)
を中心とした受注調整の仕組みが構築されていき、さらには、このような仕組みは各都道府県レベルや各工事種別レベル等に及び、「公平」な受注調整・工事配分を進める業界内の自主調整のルールが確立したと言われている。
このようなギルド的な談合組織では、行司役・調停役は自社を含む特定企業の利益に偏せず、各企業で受注調整の仕事をしている「業務屋」と称されるメンバーの意見や各種のデータ等を踏まえ、「公平」な結論が出せるように細心の努力を払ったようである(21)。
また、この頃の談合組織においては、受注予定者(本命業者)
の決定のみを行い、価格調整は本命業者と決定された企業の責任で相指名の(同じ工事で指名を受けた)
他企業と行うのが通例であったようである(22)。