nippla 日プラ

日プラ

 

日本経済新聞夕刊 2014/9/16〜

水族館に夢詰め込む
 日プラ社長 敷山哲洋さん

米国での受注、世界に名乗り
 巨大水槽で展示に躍動感


巨大なジンベイザメなどが悠々と泳ぐ沖縄県本部町の「沖縄美ら海水族館」。この水族館の水槽用大型アクリルパネルを手掛けたのが香川県三木町の日プラだ。水槽用大型アクリルパネルで世界の約7割のシェアを占める。社長の敷山哲洋さん(81)はアクリルを自在に加工する技術で、水槽の巨大化やチューブ化の道を開き、水生生物本来の躍動的な展示を可能にした。


今春、中国広東省の珠海市に「チャイムロング横琴海洋王国」(Zhuhai Chime-Long Ocean Kingdom) という水族館が開業しました。水槽正面は横39.6メートル、高さ8.3メートル。世界最大のアクリルパネル水槽としてギネス記録に認定されました。
2002年の美ら海水族館(横22.5メートル、高さ8.2メートル)で最初のギネス記録をつくってから、ドバイ(アラブ首長国連邦)の水族館に続き、日プラとして3度目のギネス更新です。チャイムロングでは水族館の総海水量など計5つのギネス認定をいただきました。
来年開業に向けて建設中の別の水族館はチャイムロングよりさらに巨大で、水槽が客に覆いかぶさるように湾曲した形状になります。世界中が驚く水槽になると思います。
今でこそ、グローバルニッチトップ企業と呼ばれますが、ここに至るまでの道は平たんではありませんでした。
当社の転機の一つとなったのは1994年、米モントレーベイ水族館の受注です。大手化学メーカー系列の合成樹脂加工会社でアクリル製品をつくっていた私は、69年に独立して日プラを設立しました。しかし、自分が以前いた会社に知名度などで負け、国内の水族館では契約を取ることができませんでした。
思い切って活路を海外に求めました。モントレーベイ水族館増築の話を聞きつけ、入札に参加。テストピースを送ったところ、水族館館長から呼び出され「検査の結果、あなたの会社の製品が一番優れていた。だが価格が他より1割高い」と言われました。
「このままではまた落とされる」と思った私は「それなら、うちも1割下げます」。もう必死でした。ところが「品質がいいのに、なぜ安くするなどと言うのか。あなたの付けた値で採用する」と。
この水族館長はジュリー・パッカードさん。米国を代表するコンピューター会社、ヒューレット・パッカードの設立者、デビッド・パッカード氏の娘さんです。
ジュリーさんは完成式典の日、集まった世界中の水族館関係者の前で、誰よりも先に私を紹介してくれました。日本の名もないアクリルメーカーが世界に知られるきっかけになった記念すべき日です。
同時にそれは「日プラは品質を追求し、価格競争はしない」という、今日まで生き続ける我が社の「原点」を胸に刻んだ瞬間でもありました。

1枚のアクリル、視界クリアに
 「美ら海」成功、ゴルフ断ち宣言

瀬戸内海の多島美を望む高松市の景勝地、屋島の山頂に新屋島水族館がある。

瀬戸内海に半島のように突き出した屋島の山に水族館を造る計画が1960年代に持ち上がりました。
当時の水族館の水槽はガラス製でした。今日のような大型水槽では、ガラス製では水圧に耐えられません。割れないように厚みを増すと今度はガラスそのものの自重で壊れます。このため、かつてのガラス水槽はサイズを小さく区切って、それを金属の支柱などで支えていました。そうした水槽は、その外観が似ていたことから「汽車窓型」と呼ばれています。
屋島の水族館でも、設計業者はそうした柱のある水槽を設計して施主に提案しました。直径10メートルの円柱型の水槽です。ところが図面を見た施主は専門家ではないので「柱が目障りだ。外してくれ」と言って聞き入れなかったそうです。大型の水槽に支柱を付けないと、割れて大事故につながりかねません。困り果ててほかの素材を探し、アクリルを手掛ける私に話が持ち込まれました。
ガラスより軽いアクリル板なら、支柱を設けなくても水槽にすることが可能です。とはいえ当時は、アクリル水槽は飲食店の展示のいけす用など小型のものはありましたが、水族館用の大型サイズはありませんでした。
このため、実際の10分の1の模型に、水の10倍以上の比重を持つ水銀を入れ、強度実験を何度も繰り返しました。こうして世界初の回遊型大型
アクリル水槽が完成しました。69年に開業した屋島山上水族館(現新屋島水族館)は我が社の記念碑的な施設です。
その約30年後、沖縄美ら海水族館建設の時は、すでにアクリルの水槽の時代になっていました。しかし、幅22メートルを超える、これまでにない巨大な水槽ではやはりアクリルを支える鉄骨が縦に4本必要だとされ、当初はそう設計されていました。
ただ関係者の中に「できれば正面には柱という障害物がない、1枚の巨大パネルで魚が泳ぐ姿を見てもらいたい」という思いを持つ方がいまし
た。尋ねられたので「私の会社ならできる」と答えました。私にとっても賭ける価値のある大きな挑戦でした。
美ら海水族館開業の翌日、関係者で慰労のゴルフをした時、私は「ゴルフは生涯、今回で最後にする」と宣言しました。周囲は驚いていましたが、私は「この水族館は間違いなく話題になり、忙しくなる。ゴルフをしている時間はなくなる」という確信がありました。
美ら海水族館は多くの観光客が訪れる沖縄の名所の一つとなりました。私の確信も現実になり、あの日から、今日まで一度もゴルフクラブを握っていません。

 

農家の奥さん支援「面白い男」
 知事の電話、香川離れぬ決意

1933年、兵庫県に生まれた。

地元工業高校で有機化学と無機化学を学び、卒業から数年後、番川の会社杜に就職、お盆などの表面を合成樹脂加工していました。
社内事情で会社を一時離れ、無職だった時期がありました。その間にしていたのは、農家の奥さんたちに竹細工など手内職のあっせん。当時、農村の暮らしは楽ではなく、何か支援できれば、と思っていました。無収入でしたが、農家の人がお米や野菜を分けてくれたので、何とか食べていくことができました。
それが当時の香川県知事、金子正則さんの目に止まり「なぜ、そんなことをしているのだ」と聞かれたので、本来は知事であるあなたがすべきことを代わりにやっている」。暮らしぶりを問われ「農家の人がたまにマツタケもくれるので、食べ物は会社勤めの時よりずっと豊かです」。
知事に対して若造が偉そうな物言いだったと思いますが、金子さんは「面白い男だ」と、周囲に呼びかけ、8万円を集めてくれました。
私のために集めた金は生活費に充てろということか、事業化資金にしろということだったのでしようか。ですが、私は農家の人たちを慰労するため、貸し切りバスで観光旅行に出かけ、使い果たしてしまいました。後に金子さんから「そういうことのために集めてやった金じゃない!」と大目玉を食らいましたが。
元の会社に呼び戻された後、その社での私のアクリル加工技術が大手化学メーカーに認められ、合成樹脂の新会社の幹部としてスカウトされました。東京の本社で入社面談をしている、まきにその時に1本の電話がかかってきました。金子知事でした。面談していることをどこで知ったのか「君に香川県を出ていってほしくない」。その電話で私は新会社に入るのをやめ「急用ができました。香川に帰ります」と席を立ちました。
当時、金子知事は、著名な彫刻家など、拠点を県外に移そうとしていた人たちの県内引き留めに積極的でした。私のどこを買ってくれたのか分かりませんが、私もそうした1人になっていたようです。
幸い、面談した大手化学会社は私に配慮してくれ、香川に新会社の本拠を置いたので、幹部として事業に関わることができました。アクリル加工の調度品などを量産していましたが、自分は1つの製品をじっくり仕上げるほうが向いているのでないか、と悩んだうえで独立して日プラの前身となる会社を設立しました。
会社立ち上げからしばらくは、決して楽な経営ではありませんでしたが、周囲の人たちに恵まれたと感謝しています。そもそも金子知事の電話でのあの一言がなければ、香川生まれではない私が、この地に骨を埋める覚悟はできていなかったかもしれません。
 

「なぜ、どうして」が技術の源
  海の中と錯覚 空間創り出す

モナコ海洋博物館では、乱獲されるサメを保護するため、浴槽のような水槽に入ったサメに触れることができる「タッチングプール」の製作に関わった。

巨大アクリル水槽は、1枚にみえても、実は横3.5メートル、縦8.5メートル、厚さ4センチ程度のアクリル原板を何枚も張り合わせています。厚さ60センチのアクリル板を横からみると、4センチの板が接着剤で何枚も重ね合わせているのがはっきり分かります。ところが正面からみると、張り合わせた部分も透けて、高い透明度で水槽を見ることができます。そのカギは透明度を損なわず、さらにそこから剥離が起きないような強度と粘着度のある接着剤。接着剤はアクリルからできていて、いわばアクリルでアクリル同士をくっつけているわけです。独自開発の接着剤は、日プラの強みの一つでもあります。
アクリルパネル事業での自分の着想の原点は、いつも「なぜ、どうして」と考える好奇心だと思っています。
例えば、ある時、うどん店で床に讃岐うどんの切れ端を落としてしまい、拾おうとしたら靴底の溝に挟まり、取れなくなりました。張り付いた讃岐うどんに感じた「なぜ」が、アクリル板を接着する際に、溶液の流れをせき止める技術に結びついています。
電車に乗ると、レールのつなぎ目でゴトンゴトンという音がするのに新幹線ではしません。レールの熱収縮・膨張をどうやって吸収しているかという「なぜ」も、アクリルパネル設置の際の膨張対策でヒントにさせてもらっています。

水族館にアクリルパネルを買ってもらうために、ある時期から、水処理やコンクリートの防水など周辺技術力も高めていきました。発注者の希望に沿う水槽を造るために、展示する魚の生態なども研究してきました。
また、技術者には潜水士の資格も取らせています。水槽内側のアクリル板のキズを水を抜かずに補修できるようにするためです。そうした技術や経験の蓄積で、アクリル板の納入だけでなく水族館建設に企画段階から関わらせてもらえるようになりました。
アクリルは水槽の大型化に道を付けましたが、巨大化を進めることだけが目的ではありません。旭山動物園(北海道旭川市)では、チューブ状の通路の周りをペンギンが泳ぎ回る形状を提案させてもらいました。ペンギン本来の生き生きとした動きを見てもらうにはどうしたらいいかを一番に考えなくてはいけないと思っています。
魚にとってストレスのない生活環境であり、見る側の人間にとっても快適な水族館。
それをアクリル加工技術でどこまで表現できるかが自分たちの役割だと思っています。

現在大型の水槽パネルを製作しているのは アメリカのレイノルズ社、四国高松の日プラ社と 菱晃−三菱レイヨン−シンシ の3グループ

敷山哲洋

1933年兵庫県生まれ。

地元の工業高校を卒業し、高松市の高周波発信機メーカーに就職
69年に同僚とともに現在の会社の前身である日プラ化工を設立する。
69年から水族館の水槽用アクリル板生産をスタート。
94年にアメリカの水族館の水槽を受注し海外進出を果たす。

日プラ

主要株主:敷山哲洋、住友化学、桑田硝子

 

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シンシ

1952年11月伸始工業株式会社として設立
アクリルなどの合成樹脂の加工販売
業界ではアクリル加工の草分けと評された
長年に亘って「三菱レイヨン(菱晃)」と連携して国内をはじめ世界中の水族館向けアクリルパネルを製作