日本経済新聞 2011/8/12

コマツ 坂根正弘会長

ー 日本でも大型再編の機運が高まってきた。

「雇用を守るために一度始めた事業をやめるわけにはいかない」という経営者がいるが、本当に雇用を大事にしているのか。
そんな企業同士が一緒になっても成果が出ず、結局は雇用を失う。
当社は事業をかなり整理し、子会社も減らした。犠牲にすべきところを犠牲にしない限り国際競争力はつかない。これまでの日本人の特性も変わらざるを得ない。

日本経済新聞 2011/10 

コマツ 針路を探る

新興国専用機は不要 世界で柔軟生産 景気変動に強く

コマツの収益が拡大を続けている。2012年3月期の連結営業利益は従来予想より伸びが鈍るとはいえ、前期比26%増の2800億円前後を確保する見通しだ。売上高の8割強を海外で稼ぎながら、国内でのもの作り死守を宣言する独自の事業モデル。主戦場の中国を含め世界景気の減速懸念が広がる中、その強さにどう磨きをかけるか。次の一手を探る。
今月15日。土曜の早朝にもかかわらず、コマツの粟津工場(石川県小松市)に外国人が続々と集まってきた。溶接や塗装などで腕自慢が競う「オ一ルコマツ技能競技大会」。参加した193人のうち外国人は9カ国から45人と過去最多だ。
設計図は1枚
 「社内で世界大会を開く会社なんて聞いたことがないよ」。米国チャタヌガ工場(テネシー州)の溶接工、グレッグ・クックストン(48)は熱気に驚く。技能向上を狙っ.た社内イベントだが、実.はここにこそコマツの素早いグローバル展開を支える原動力がある。
 コマツが主力とする20トン級油圧ショベル。工場は国内外に8カ所あるが、設計図は世界に1枚しかない。部品の仕様書も共通。新興国需要が急増しても、コマツは「新興国専用モデル」を造らない。自動車や家電では機能を絞り込んだ低価格機種で新興国を攻めるのが一般的だが、これに背を向け世界1モデルを貫く。どの国の技能者も同じ土俵で競うことができるのはこのためだ。
 設計も部品の仕様も世界共通なら開発や部品調達のコストを大幅に低減できる。理由はもう一つ。国・地域ごとの需要や為替、ライバルの動向などをにらんで出荷先を自在に変える「クロスソーシング(相互供給)」を可能にするためだ。
 金融危機後に見舞われた北米市場の需要激減。コマツは米工場の操業率を思い切って引き下げ、その代わりにタイ工場に増産の指示を飛ばした。そこそこの操業率を維持したまま中途半端に固定費を減らしても世界最大手の米キャタピラーに対抗できない。アジアでの集中生産でコスト競争力を高め、それを北米に持ち込むことで金融危機後も黒字を確保した。
 コマツ社長の野路国夫(64)は「一つの市場のために開発すると生産のぶれを吸収できない」と説明する。欧州の債務危機などリスクは先鋭化する。どう回避するか。備えの質が問われる。ユーロ安が進むと、コマツの英国工場から数多くの油圧ショベルが北米に渡るようになった。

部品は国内で
 クロスソーシングは部品の国内生産を支える役割も果たす。金融引き締めで中国工場が減産を迫られるのと裏腹にインドネシアや洪水被害を免れたタイ工場が増産に動く。中国工場向けに国内かち出荷されていたエンジンなど基幹部品がそのまま東南アジアで安定供給先を確保する。
 基幹部品の中でも「Aユンポ」と位置付けるエンジン、油圧機器、コントローラーを国内で造り続ける方針は揺るがない、会長の坂根正弘(70)は「あらゆる部品・素材を国内で調達できる産業集積が日本にはある」と強調する。コマツは国内の建機大手で唯一、エンジンを自社生産する。建機の世界生産量が大きく変動しない仕組みができているから、長期的な投資で部品の生産技術を磨き上げられる。
 新興国市場の拡大とともに収益を伸ばすコマツ。世界を俯瞰し、国境を越えて最適な生産・供給体制を即座に組む力が真骨頂だ。最大市場に育った中国市場減速の影響は大きく、同国最大手のコマツの株価の下げもきつい。野路は「3年後には需要が回復する」と冷静だが、その裏で需要変動リスクに備える仕組み作りも着々と進んでいる。

中国で部品会社育成 10年先にらみ技術磨く

 9月8日、中国江蘇省にあるコマツの建設機械工場に部品メーカーのトップがずらりと並んだ。部品調達先で組織する「小松中国みどり会」の発足だ。挨拶に立った中国副総代表の梶谷鉄朗(61)は「中国の『みどり会』を世界最強に育ててほしい」と訴えた。
 建機の世界最大市場の中国でコマツは首位を維持してさたが、今年7月以降は台数で現地の三一重工に抜かれた。1990年代から地元有力者と協力し、どぶ板を踏むように販売代理店網を築いてきたコマツ。部品メーカーとも先を見据えた関係を築き、円高下の競争を勝ち抜く考えだ。

今年より来年
 加入した59社のうち中国企業は30社近い。会長の坂根正弘(70)は「4,5年前は無理だと思っていた部品も簡単に造ってくる」という。手応えを感じたコマツは現地調達の拡大に動き出した。
 日本で69年に設立された「みどり会」には現在163社が加入する、社数では、コマツの取引先の14%だが、調達量は8割近い。コマツの成長を支え、日本最強の中小企業集団とされる。
 その姿は完成品大手と下請けで構成する従来型のケイレツとは大きく異なる。「理由のない値下げ要請はしない」「注文のキャンセルは禁止」。コマツはこんな鉄則を自らに課してきた。目指すのは「農耕民族型」の部品調達だ。資本関係のないコマツと部品メーカーが知恵を出し合い、今年より来年と収穫を増やすことを理念とする。
 「1社たりともつぶさない」。2008年の金融危機後、社長の野路国夫(64)はみどり会企業の経営者に宣言した。専門部署を置いて二人三脚で生産改善に取り組み、遊休設備をコマツが買い取ったうえでリースした。資金繰りに苦しむ企業ではコマツの部長が銀行まで付き添った。
 油圧ショベルの足回り部品を生産する長津工業(京都市)。社長で、みどり会会長も務める津田繁男(65)は「コマツは材料価格上昇分の価格転嫁を認めてくれる。だから頼まれれば嫌とはいえない」と話す。コマツの求めに応じて海外工場に積極投資する。
 建機の運転席を生産する大京(石川県小松市)の本社には営業担当者がいない。塗装などの品質には定評があるが、他社とは取引しない。社長の二宮吉男(65)は「コマツとは文化まで共有している」と言い切る。
数社競わせる
 アメを与えるだけではない。優先発注する代わりにコマツヘの優先供給を求める。モデルチェンジでは部品ごとに必ず2〜3社を競わせる。世界で戦うために部品メーカーの技術とアイデアを眠らせずに総動員する。
 ある部品メーカーの幹部は「90年代までは値下げ要請も結構厳しかった」と証言する。社内外には「01年の大規模リストラがコマツを変えた」という指摘がある。
 02年3月期に最終赤字を計上したコマツ。01年に社長に就任した坂根は人員削減に踏み切ると同時に、持続成長に必要な要件を探った。痛みの代償で得た答えが人材や取引先の力の結集だ。
 01年からの10年間、期間従業員を正社員に登用し続けた。その数は累計で1300人。07年には全寮制の企業内学校がほぼ20年ぶりに復活。金融危機後も人材投資を緩めず、その後の需要急増をうまく成長につなげた。10年先の仕事を創出する地道な取り組みが中国を皮切りに新興国でも本格化する。

在庫削り市場先読み 増・減産、いち早く判断 
コマツ社長の野路国夫(64)は最近、石川県への本杜移転の可能性を口にするようになった。創業の地、小松市にあった本社を東京都内に移してから今年で60年。「土地も空けてある」」と半ば真顔だ。主要な国際会議は既に小松市の工場跡地に置いた人材教育拠点で開いている。野路の言葉の裏には、中枢機能が東京になくてもさして困らない仕組みを築き上げたという自負がある。

GPSで管理
 「どうも中国はおかしいぞ」、今年4月上旬、コマツの取締役生産本部長、大橋徹二(57)は好調だった中国市場に広がり始めた小さなほころびに目をとめた。現地の販売代理店に詳しく聞くと、販売が決まったのに実際に動き出さない油圧ショベルの台数が急増していた。許可が下りた工事でも、金融機関が必要な資金の供給を止めているという。大橋はすぐに営業担当副社長の駒村義範(63)と連絡を取り減産を決めた。
 中国の業界団体によると、3月の油圧ショベル販売台数は前年同月比44%増。空前の伸びが明らかになったばかりの時期に、コマツは「小手先の対応ではとても無理」と判断し動いていた。
 大橋が日本にいながら、中国市場の変調を察知できたのは、販売した建機の稼働状況を常に把握できているためだ。どこで、いつ、何台が、どんな燃料で動いているか。「コムトラックス」と呼ぶ全地球測位システム(GPS)を使った稼働管理システムを通じ情報が舞い込む。2001年から20トン級油圧ショベルに標準搭載を始めた。中国全土で50万台余りとされるショベルの2割弱の動きがリアルタイムでパソコン上に表示される。
 「増産・減産の判断は他社より1カ月、ひょっとしたら2ヵ月早いかもしれない」。部品メーカーの幹部はコマツの高い機動力を評価する。
 支えるのはIT(情報技術)だけではない。中国大手の三一重工も日本企業からスカウトした人材を中心に同様のシステムを作った。だが幹部は「集めたデータの生かし方が難しい」とこぼす。先行するコマツは市場の声に耳を傾けようと組織のあり方も変える。

営業・生産一緒に
 野路は社長就任前、当時の社長の坂根正弘(70、現会長)の辞令に絶句した。「生産担当の私が営業担当を兼ねるんですか」。企業の中で生産と営業の言い分が対立する場面は少なくない。「一緒に物事を考えるようになれば会社は変わる」。坂根の組織論は明快だ。
 36億円を投じ、今年4月に大阪工場(大阪府枚方市)敷地内に開いた「グローバル販生オペレーションセンター」。世界から生産ラインの稼働データや販売情報が刻々と集まる。市場に連動した最適の生産計画を策定して世界に発信する。
 狙いは在庫の極限まで圧縮だ。08年の金融危機直後に1万8000台に達していた主要7建機の在庫は10年に7600台に縮小。販売拡大で在庫台数そのものはやや膨らんできた。だが在庫が何か月かけて売れるかを示す「在庫回転月数」は11年4〜6月期で2.1カ月と、金融危機直後のほぼ半分になった。
 在庫がだぶつけば、潮目が変わった時の増減産の決断がどうしても遅れる。できる限り顧客の近くへと、資本関係のない販売店の店頭在庫にまで神経を配る。市場を起点にコマツは経営革新の感度を磨く。