積水化学工業株式会社
3月3日、積水産業株式会社設立
チッソは1906年に初代社長野口遵によって鹿児島県大口市に建設された水力発電所がその第一歩で、1908年に熊本県水俣市でカーバイドの製造を開始、社名を日本窒素肥料とし、石灰窒素や硫安の製造にも着手して、日窒コンツェルンの中心となった。
野口遵は、1906年独立して曾木電気を興すと、鹿児島県川内川に出力880kWの水力発電所を建設した。また熊本県水俣まで送電して、日本カーバイド商会を設立した。野口はこれを石灰窒素肥料の一貫生産とすべく、1908年イタリアで石灰窒素製造特許の保有会社シアナミド社(シーメンスの子会社)から日本国内での製造権を譲り受けた。またベルリンでは発明者のニコデム・カロー博士から種々の伝授を受けた。
特許権を手にした野口は、曾木電気と日本カーバイド商会を合併、日本窒素肥料を設立した。1921年にヨーロッパに赴き、ドイツのグランツシュトフ社のビスコース人造絹糸技術、イタリアで最新のカザレー法アンモニア合成技術の導入を決めた。この二つの技術を実現するために、ベンベルグ絹糸製造の旭絹織物、アンモニア合成の延岡工場が建設された。
水俣工場、延岡工場を拡張しながら、更に朝鮮でも大規模硫安製造業の建設を行った。
http://www.knak.jp/blog/2006-5-1.htm#chisso-konan
財閥解体によって延岡工場(日窒化学工業)は日本窒素肥料から切り離され、旭化成工業として独立していった。輝ける日窒コンツェルンの栄光を担った日本窒素肥料には、結局、破壊し尽くされた水俣工場と、出力合計わずか七万キロワット程度の十一ケ所の小規模な水力発電所が残されただけであった。
そこへ、海外から食うや食わずの引揚げ者たちが続々と戻ってきた。興南からだけでも、約三万人の日本人が、約三年をかけて次々と引揚げてきた。興南工場の運転のため朝鮮側に帰国を引き留められた技術者たちも、ほとんどが無事に帰国している。
中堅〜若手社員たちが引き揚げ後の仕事と就職先を確保するために作った。
「積水」の名は日本窒素が中朝国境に作った「水豊ダム」に「積もる水」に由来。
奈良工場開設
自動射出成形機によるわが国最初のプラスチック自動射出成形事業を開始
社名を積水化学工業株式会社に改称
大阪工場開設
2007年6月14日
積水化学工業株式会社
積水の社名にゆかりのある「孫武」末えいご出席のもと
積水化学創立60周年記念植樹式を開催
積水化学工業株式会社(社長:大久保尚武)は、6月6日、中国・蘇州市にある積水中間膜(蘇州)有限公司にて積水化学創立60周年を記念した植樹式を行いました。式は、中国最古の兵法書「孫子」を著した孫武の第78代の末えいであられる孫浩氏ご夫妻ご出席のもと行いました。
1.創立60周年祝賀式典への招待のお礼として孫浩氏より記念樹を拝領
当社は今年の3月3日に創立60周年を迎えました。3月2日には、積水化学グループの経営幹部が参集して祝賀式典を開催し、ご来賓として孫浩氏ご家族を中国から招待しました。それに対するお礼として、この度孫浩氏より2本のイチョウの木をいただきました。
2.植樹式概要
日にち:6月6日
場所:積水中間膜(蘇州)有限公司(江蘇省蘇州市新区泰山路25號)
出席者:孫浩ご夫妻およびご子息、
積水化学工業株式会社 専務取締役
CSR部長 伊豆侮氈A
積水中間膜(蘇州)有限公司
董事総経理 田中康雅、他
3.植樹式で孫浩氏よりいただいたご祝辞(要約)
積水化学工業株式会社の60年間にわたる化学分野の発展への寄与と、近年の環境保護への貢献に対して、深く敬意を表すとともに、「創立60周年記念式典」へのご招待に深くお礼を申しあげます。
お贈りしたイチョウの木は、孫武の故郷である山東省から取り寄せたものです。イチョウは中国では、長寿、喜ばしいこと、知恵と繁栄などの意味を持っています。
『孫子兵法』の精神が積水化学に永久に受け継がれ、孫武の後えいと積水化学との友好関係が代々伝わっていくことをお祈り申し上げます。
ご参考@
孫浩氏とのご縁
当社は、2004年、蘇州市に積水中間膜(蘇州)有限公司を設立しました。その際、蘇州市在住の孫武の第78代の後えいである孫浩氏の存在を知り、交流が始まりました。
ご参考A
孫浩氏プロフィール
1928年生まれ。中国浙江省嘉善県出身。軍の文官として勤務後は蘇州市に在住。現在は蘇州孫武研究会の常務理事を務める。
ご参考B
『積水』の社名の由来
当社名「積水化学工業株式会社」の『積水』は、中国最古の兵法書である「孫子」の一節から引用した言葉です。
孫子の兵法の第四 軍形篇
勝者之戦民也、若決積水於千仭之谿者、形也
【勝者の民を戦わしむるや、積水を千仞の谿に決するがごときは、形なり】
〜孫子
軍形篇より〜
(意味)勝利者の戦闘というものは、「満々とたたえられた水」(=積水)を深い谷底へ切って落とすような、激しい勢いの得られる形のもとに、一気に決められる。
弊社の起源となった日本窒素肥料は戦前、朝鮮半島の鴨緑江に巨大な水力発電所をいくつも所有していました。1947年の創業の際に「満々と水をたたえるダム」にちなみ社名としたのが由来です。
1931.5 | 延岡アンモニア絹絲設立(当社の設立:昭和6年5月21日資本金1,000万円) アンモニア、硝酸等化成品を製造・販売 |
---|---|
1933.7 | 延岡アンモニア絹絲は、日本ベンベルグ絹絲(キュプラ糸「ベンベルグ」を製造・販売)及び旭絹織(ビスコース・レーヨン糸を製造・販売)を合併し、社名を旭ベンベルグ絹絲と改称(資本金4,600万円) |
1943.4 | 旭ベンベルグ絹絲は、日本窒素火薬(ダイナマイト等を製造・販売)を合併し、社名を日窒化学工業と改称(資本金5,440万円) |
1946.4 | 日窒化学工業は、社名を旭化成工業に |