ソーダ灰=NaCO(炭酸ナトリウム)

ソーダ灰はガラス原料、石鹸、鉄鋼、無機化学向け原料、あるい は食品添加物用途など幅広い分野で利用されている。

   2NaOH+CO→NaCO+HO 

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ソーダ工業の発展(ルブラン法)

 ソーダの利用の歴史は古く、古代エジプトではミイラの保存用に天然ソーダが用いられたという記録が残っている。その後18世紀ごろまでは石鹸の製造など に木草灰,海藻灰などが用いられていた。


 1736年にデュアメルがソーダと食塩が共通する塩基を持つことを証明していたため、ソーダ探求の目標は食塩となった。

 1775年、フランスの学士院は食塩から人工的に安価にソーダを取り出す方法を懸賞募集した。それに応じて様々な方法が提案され、そしてついに 1789年、フランスのオレルアン公の侍医を務めていたルブランが見事これに当選した。

 ルブラン法とは、まず食塩と硫酸から硫酸ソーダを造る。(多量の塩酸ガスが副生する。)
  2NaCl+H
SO  → NaSO+2HCl

 次に得られた硫酸ソーダに石灰石とコークスを混合し、灼熱融解させ、黒灰と呼ばれる溶融塊を造る。この黒灰を水で抽出した後、硫化カルシウムを分離し、得 られる炭酸ナトリウム水溶液を濃縮し、これを焼いてソーダ灰(炭酸ナトリウム)を得た。
  Na
SO+CaCO+2C   → 〔NaCO(炭酸ナトリウム)+CaS(硫化カルシウム)〕(黒灰)+2CO

酸ナトリウムは水に溶け、硫化カルシウムは水に溶けないので、黒灰を洗浄することによって炭酸ナトリウム(ソーダ灰)は分別される。その後、固体の炭酸ナトリウムを得るために洗浄水を脱水する。

 その後ルブラン法は、巨大な資本をもつイギリスに渡り、1823年にマスプラットがリヴァプールにイギリス最初のソーダ工場を造った。

 ルブラン法はNaClのNaだけを必要としたため残されたClは、非常に厄介で害を及ぼす 塩酸ガスとなって副生される。

 1836年にゴッセージが有害な塩酸ガスを吸収する塔を発明した。また回収された塩酸は、晒粉の原料となる塩素を含んでいたため、逆に有用な副産物となる。そして、この化学的に結合している塩素を塩酸から分離するための2つの方法が考案された。ウェルドン法とディーコン法である。
ウェルドンは、二酸化マンガンによって塩酸を酸化して塩素に変える方法を完成させ、ディーコンは、塩化第二銅を触媒として塩酸を接触酸化する方法を発明し た。その後技術的に前者の方が優れていたため、ほとんどの工場でウェルドン法が使われるようになった。こうして塩素は容易に得られるようになり、その多く が晒粉として利用された。しかし、塩素の市場規模はそれほど大きくなく、1867年にはイギリスのソーダ工場はまだ副生する塩酸ガスの45%を大気中に放 出していた。

アンモニアソーダ法
 このような中、ルブラン法に強敵が現れた。アンモニアソーダ法である。この方法の基礎反応は、炭酸水素アンモニウムと食塩を反応させると炭酸水素ナトリ ウムが発生し、それから炭酸ソーダを得ることであり、すでに1811年にフレネルにより発見されていた。

 1830年代後半以降になると石炭乾留工業からのアンモニアの供給が容易となったため、多くの工業家がこの反応を利用してソーダの生産を試みたが、非常 に揮発しやすいアンモニアの損失を抑えることができずにすべて失敗に終わった。

 ところが、1861年にベルギー人のソルベーがアンモニアソーダ法の特許の取得に成功する。
  NaCl+NH
+CO+HO   →NaHCO+NHCl(塩化アンモニウム)
  2NaHCO
→NaCO+HO

この方法は、ルブラン法に比べて製品純度が優れ、コストも安く、エネルギ消費が少なかった。またClは最終的に塩酸ガスではなく塩化アンモニウムとなり、窒素肥料(塩安)、マンガン乾電池の材料として使用される。