毎日新聞 2003/3/20 東京高裁
「文春差し止め」取消し
「文春」差し止め異議却下
◇週刊文春の販売差し止めをめぐる経緯◇
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「侵害後は回復不能」 決定の主な内容
1 被保全権利に関する問題について | |
(1) | 本決定における問題点 |
プライバシー権は他人に知られたくない私的事項をみだりに公表されない権利を含むもので、極めて重大な保護法益であり、その侵害行為の差し止めを求めることができるものと解するのが相当である。しかし、プライバシー権が絶対的な権利でないことはいうまでもない。 表現の自由、とりわけ公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならない。しかしながら、あらゆる表現の自由が無制限に保障されているのではない。 |
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(2) | 出版物の販売等の事前差し止めの要件 |
ア | 最高裁86年判決(「北方ジャーナル」訴訟) 事前差し止めは原則として許されず、「その表現内容が真実でないか、または専ら公益を図る目的のものでないことが明白であって」かつ「被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるとき」に限り例外的に許される。 86年判決は名誉権に基づく事案だったのに対し、本件はプライバシー権に基づく事案である。名誉はいったん侵害されても謝罪広告その他の方法により回復を図る余地が残されているが、プライバシーは他人に広く知られるという形で侵害されてしまった後では、それ自体を回復することは不可能となる。プライバシー保護のため侵害行為を事前に差し止めることは、他の方法をもって代替することができない救済方法であるという側面がある。本件は事前差し止めを認めない限り救済方法がないという特質を有する。プライバシーについては、表現内容が真実であることは表現行為を許容する方向に働く要素とはなり得ない。 本件は発行部数70万部を超える全国誌の販売等の差し止めを求める事件で、差し止めをより慎重にすべき事情ともいえないではない。半面、販売等によって債権者が受ける損害の重大性も発行部数が大きくなれば増大することが明らかである。 |
イ | 最高裁02年判決(柳美里さんの小説「石に泳ぐ魚」訴訟) 同判決は「公共の利益にかかわらない被上告人のプライバシーにわたる事項」を表現内容に含む小説の差し止めを認めた。 |
(3) | 本件における差し止めの可否 |
ア | 本件においては、債権者らの私事に関する事柄が「公共の利益に関する事項」に当たるとはいえない。債務者は、債権者が2代にわたる著名な政治家の家庭の娘であることをもって、債権者らは常に政治家となる可能性を秘めているという。しかし、著名な政治家の家系に生まれた者であっても、政治とは無縁の一生を終わる者も少なくないのであり、そのような者の私事が公共の利害に関する事項でないことは明らかである。 |
イ | 本件記事を「専ら公益を図る目的のもの」とみることはできないといわざるを得ない。本件記事を熟読しても、私人の私事に関する事項であっても特別に専ら公益を図る目的で書かれたものであると認めることはできない。 |
ウ | 他人に知られたくないということに関しては個人差が大きく、出版物の販売等の事前差し止めが表現の自由の制約を伴うことにかんがみれば、単に当事者が他人に知られたくないと感じているというだけでは足りず、問題となる私的事項が、一般人を基準にして、客観的に他人に知られたくないと感じることがもっともであるような保護に値する情報である必要がある。 この点、(本件記事の)事実は純然たる私事に属することであって、一般に他人に知られたくないと感じることがもっともであり、保護に値する情報であるというべきである。本件記事は、政治家の親族であることを前提とした活動もしておらず、純然たる私人として生活してきた債権者らの私的事項について、毎週数十万部が発行されている著名な全国誌を媒体として暴露するものである。全くの私人の立場に立って考えれば、私的事項を広く公衆に暴露されることにより債権者らが重大な精神的衝撃を受けるおそれがあるということができる。 |
2 保全の必要性に関する問題について | |
本件雑誌として印刷された約77万部のうち約74万部は既に債務者の占有を離れ、約74万部のうち一部は既に一般購読者に販充されているものの、残りは取次業者または小売店等の占有下にある。 原決定は現時点において、債務者の占有下にあ約3万部について、取次業者その他の者への販売、無償配布または引き渡しを差し止める限度において、実際上の存在意義を有するにとどまる。 しかしながら、債務者の占有下にある約3万部の雑誌が出荷され、一般購読者に販売されて、その読者が増えれば、それに伴ってブライバシーの侵害も増大するものというべきである。その販売等の差し止めが解かれることによるプライバシー被害は、観念的なものではなく、著しく、かつ回復不能なものであることが明らかであるというべきである。 よって、現時点においても、債権者らの申し立てにかかわる仮処分の必要性は失われていない。 |
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結論 | |
債権者らの仮処分命令の申し立てはいずれも理由があり、これを認容した原決定は相当であるから、これを認可する。 |
毎日新聞 2004/4/1
「文春差し止め」取消し 東京高裁
週刊文春の出版差し止め命令を取り消した東京高裁決定(31日)の要旨は次の通り。
1 地裁決定(出版差し止めを支持した3月19日の保全異議却下決定)は、本件記事は長女らの人格権の一つとしてのプライバシーの権利を侵害するとし、侵害行為の差し止めを認め得るための要件として@記事が公共の利害に関する事項に係るものといえないA記事が専ら公益を図る目的のものでないことが明白B記事によって被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る恐れがあるーーの三つを挙げている。
(ア)記事で取り上げられた事柄は、不特定多数にけん伝されることで本人が精神的苦痛を被るのは当然で、プライバシー権の対象となる。記事は、現時点においては一私人に過ざない長女らの全くの私事を、不特定多数の人に情報として提供しなければならないほどのことでもないのに、ことさらに暴露したものであり、長女らのプライバシー権を侵害したと解するのが相当である。
(イ)前記3要件は、名誉権の侵害に関する事前差し止め要件として樹立されたものを魁酌(しんしゃく)して設定されたと解されるが、プライバシー権に直ちに推し及ぼすことができるかについては疑問がないわけではない。しかし、3要件は、本件差し止めの可否を決める基準として相当でないとはいえないし、当事者双方も格別の異議を唱えていないことに加え、本件が手続き的・時間的制約等の下に置かれていることなどを考えると、本件保全抗告事件においては前記3要件を判断の枠組みとするのが相当である。
2 そこで、記事が3要件を具備するか否かを検討する。
(ア)記事が「公共の意図・希望をうかがわせるに足る事情がない時点においては、単なる憶測による抽象的可能性に過ぎない。このような抽象的可能性をもって、直ちに公共性の根拠とすることは相当ではない。しかも、記事の内容が、政治とは何らの関係もない全くの私事であることも考えると、公共の利害に関する事項に係るもの」といえるか。
文芸春秋は、長女は国会議員である両親の後継者として政治を志す可能性があると考えるのが相当だから、記事は公共の利害に関する事項に係るものと主張する。しかし、その者が将来における政治家志望等の意向を表明していたり、そのような意図・希望をうかがわせるに足る事情がない時点においては、単なる憶測による抽象的可能性に遇ぎない。このような抽象的可能性をもって、直ちに公共性の根拠とすることは相当ではない。しかも、記事の内容が、政治とは何らの関係もない全くの私事であることも考えると、公共の利害に関する事項に係るものと解することはできない。
長女が田中真紀子衆院議員の外国出張に同行したり、選挙運動に参加していることなどは、将来政治の世界に入ることを意識してのものというよりは、家族ゆえのこととも考えられ、長女を後継者視して、長女の私事を公共の利害に関する事項に係るものとみるのは相当とはいえない。
(イ)記事が「専ら公益を図る目的のものでないことが明白である」か否か。
記事は、身内に著名な政治家がいるとはいえ、現時点では一私人に過ぎない長女らの全くの私事を内容とするものであり、専ら公益を図る目的のものでないことが明白である。文芸春秋は、「公益を図る目的」は行為者の主観によって判定されねばならないと主張するが、そのように解するのは相当でない。「公益を図る目的」の有無は、公表を決めた者の主観・意図も検討されるべきではあるが、公表されたこと自体の内容も問題とされなければならない。
(ウ)記事によって「被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る恐れがある」か否か。 記事の内容及び表現方法は、長女らの人格に対する非難といったマイナス評価を伴ったものとまではいえない。本件記事に、憲法上保障されている表現の自由の発現・行使として積極的評価を与えることはできないが、表現の自由が、受け手の側がその表現を受ける自由をも含むと考えられているところからすると、憲法上の表現の自由と全く無縁のものとみるのも相当とはいえない側面のあることを否定することはできない。
一方、記事で取り上げられた私事は、当事者にとって、けん伝されることを好まない場台が多いとしても、それ自体は、当事者の人格に対する非難など、人格に対する評価に常につながるものではないし、もとより社会制度上是認されている事象であって、日常生活上、人はどうということもなく耳にし、目にする情報の一つに過ぎない。
更には、表現の自由は、民主主義体制の存立と健全な発展のために必要な、憲法上最も尊重されなければならない権利である。出版物の事前差し止めは、表現の自由に対する重大な制約であり、これを認めるには慎重な上にも慎重な対応が要求されるべきである。
このように考えると、記事は長女らのプライバシー権を侵害するものではあるが、当該プライバシーの内容・程度にかんがみると、事前差し止めを認めなけれぼならないほど、長女らに「重大な著しく回復困難な損害を被らせる恐れがある」とまではいえないと考えるのが相当である。
なお、プライバシー権を侵害する事案では、事前差し止めのために「損害が回復困難である」ということまでを要求すべきではないという考え方がある。プライバシーが一度暴露されたならば、それは名誉の場合と必ずしも同じではなく、「回復しようもないことではないか」ということであろうかと思われる。本件では、この観点に立っても、記事によるプライバシー侵害の内容・程度にかんがみるならば、事前差し止めを否定的に考えるのが相当である。
3 以上の次第であるから、長女らの主張する事前差し止め請求権は、これを認めることができない。