日本経済新聞 2004/10/14

ダイエー 機構に支援要請 独自の再建案 一転断念 事業分離案有力に

 経営再建中の大手スーパー、ダイエーの高木邦夫社長は13日、民間スポンサーを独自に選ぶ再建を一転して断念し、産業再生機構に支援を要請した。独自再建では主力取引銀行からの支援を得られないと判断、信用力確保へ決断した。今後、再生機構が年内にまとめる再建計画に沿ってスポンサーを選定、三度目の金融支援を受けながら再生を目指す。バブル崩壊後の過剰債務企業の象徴とされたダイエー再建問題が決着へ動き出す。


監査法人「決算承認できぬ」 
 突然の通告で決断 高木社長 信用不安を懸念

 産業再生機構の活用を否定し続けていたダイエーの高木邦夫社長が主力取引銀行との土壇場の交渉を経て支援申請を決断した。社内では「あんなに強気だったのに」と驚きの声が広がる。だが、その舞台裏では、監査法人が15日に予定していた8月中間決算を承認しないと通告。信用不安を懸念し、覚悟を決めた。

 「この状態では中間決算を承認できない」
 13日。ダイエーは監査法人のトーマツからこのような趣旨の連絡を受けた。主力行が支援打ち切りを真剣に検討するなか、あいまいな今期決算見通しを公表すれば混乱を招くと考えたようだ。仮に支援を打ち切れば、新しい主力行を探さないとやがて資金繰りも苦しくなる。経営破たんの可能性も考慮し、承認に消極的になったという。

 

ダイエーの歴史

1957年  4月   神戸市長田区に大栄薬品工業(現ダイエー)を設立
  57年  9月   大阪市千林に主婦の店・ダイエー薬局開店
  72年  8月   三越抜き小売業界の売上高首位に
  80年  2月   小売り初の売上高1兆円突破
   88年 11月   南海ホークスを買収し、福岡ダイエーホークス発足
   95年  1月   阪神大震災によって95年2月期の当期損益が単体で260億円の赤字
   98年  4月   198年2月期で上場初の経常赤字に
   99年  1月   創業者の中内功氏、社長を退任し、会長に専任。鳥羽董氏が社長に
2000年  1月   ローソン株の一部を約1700億円で三菱商事に売却
       10月   経営陣らによる不透明なグループ株式売買発覚。
中内氏が会長辞任し最高顧問に。
  12月   主力行に1200億円の優先株を発行
  01年  1月   臨時株主総会で中内氏が退任。高木邦夫氏が社長に
   4月   01年2月期で単体で1900億円の最終赤字に
  02年  2月   主力銀行が債権放棄と債権の株式転換で4000億円支援
   3月   現行の再建計画「新3カ年計画」スタート
  04年  3月   福岡のドーム球場とホテル売却

朝日新聞 2004/10/14

ダイエー、拡大路線のつけ大きく 金融支援も実らず

 創業者・中内功氏が戦後の代表的な流通グループに育てたダイエーの再建が、産業再生機構に委ねられた。事業拡大で抱えた巨額負債が、バブル崩壊で致命傷となった。過去2度の金融支援も抜本的な販売力強化につながらず、家電、衣料などで次々台頭する専門店に客を奪われ、かつて小売業日本一になった大手スーパーは追い込まれた。
 57年に大阪市に出店した「主婦の店ダイエー薬局」を出発点に、安売りを巡って大手家電の松下電器産業と衝突することなどで、消費者の関心を集め、急成長。72年には売上高が三越を抜いて小売業トップになった。歯車が狂い始めたのは、中内氏が「総合生活産業」を掲げてクレジットカードや旅行、ホテル、不動産など小売り以外への多角化を進めてからだ。
 80年代以降、さらに南海(現福岡ダイエー)ホークス、情報産業のリクルートなどを傘下に収め、巨大なサービス産業グループを形成。買収資金用の借金が膨れて、重荷に変わった。

 しかし、本質的な問題は本業の販売力の衰弱だった。卸売り業態の安売りや自社開発品の安価なプライベートブランドの拡大など、新たな試みも模索したが、いずれも軌道に乗らなかった。「ナショナルブランド」メーカーがコスト削減で低価格戦略を強化してくると、その知名度には勝てず、リベートに頼った販売が悪循環に陥った。
 さらに、ヤマダ電機や「ユニクロ」など消費者の支持を急速に集めた専門店チェーンの台頭に押された。コンビニエンスストアやドラッグストアなどもチェーンを拡大し、食料から衣料、日用品まで扱う総合スーパーは競争力を失い、00年に長崎屋、01年にはマイカルが経営破綻(はたん)。ダイエーは債務圧縮を急いだ。

 ハワイのショッピングセンターのほか、コンビニのローソンやリクルートの株式の一部を売却。01年に1200億円、02年には5200億円の金融支援を受けたが、他の大手スーパーに比べて借金はなお重く、店舗改装や出店が思うようにできず、販売力の低下に拍車をかけた。
 01年に高木邦夫社長が就任後、ヤマダ電機やユニクロなどをテナントに迎えて挽回(ばんかい)を図ったが、招いた業者と衝突するなど中途半端に終わった。ライバルのイオンやイトーヨーカ堂は、多数の専門店を集めたショッピングセンター型の店舗など新業態の模索を続けたが、ダイエーは資金不足や自らの集客力不足から本格的に取り組めなかった。

 今後は再生機構のもとで、食品スーパーへの特化が進む可能性が高い。ダイエーは名実ともに総合スーパーの座をすべり落ちる。

 


日本経済新聞 2004/10/15-16

ダイエー落日

周回遅れの先駆者 顧客とズレ誤算増幅

 迷走を続けたダイエーの再建は産業再生機構に委ねられた。メーンバンクと二人三脚で巨大化したダイエーは、高度成長下の日本型経営の成功モデルといわれた。同時にバブル崩壊以降、過剰負債と不良債権に苦しんだ日本の企業と金融機関の写し絵だった。ダイエー問題の決着はもたれ合いの古い構図に決別する好機でもある。

売れ筋そろわず
 「何でこんな猛暑なのに数字が悪いのか」。7月下旬、ダイエーの店舗を視察したアパレルの量販店担当者はため息をついた。「在庫減らしに懸命で、売れ筋商品の補充も不足気味。売り上げが伸びないのも当然だ」
 数字合わせの利益確保を優先するあまり、ダイエーが志向した営業政策は顧客視点からかけ離れていった。競合店との無理な価格競争もやめ、創業者の中内功氏以来、標ぼうした「毎日安売り」というダイエーの強みまでも失った。
 「衣食住を総合的に扱う日本型スーパーは私が考えた。米ウォルマート・ストアーズはそれをまねて大きく成長した」。中内氏はかつてこう豪語した。ダイエーは1972年に三越の売上高を抜き、創業わずか15年で日本最大の小売業に駆け上がった。一方でドーム球場など過大な投資へ走り、過剰負債を築いた遠因ともなった。「価格」から「価値」への消費者ニ−ズの変化にも対応が遅れ、ダイエーはいつのまにか周回遅れのランナーになっていた。
 過剰負債に苦しむリクルートを陣頭指揮で立て直した高木邦夫氏は2001年にダイエー社長に就任。公約通りに資産売却を続けて3年間で3500億円の負債を返済した。だが、ダイエー経営陣は中内時代に築き上げた負の遺産を切り取る外科手術に追われ、魅力ある店舗づくりや品ぞろえなど内科治療まで手が回らなかった。「十分な時間が与えられていない」。高木社長がぼやく場面もあった。
 店舗の老朽化は進み、平均店舗年齢は20年超。イオンは10年、イトーヨーカ堂は15年前後といわれる。6月には旗艦店の碑文谷店(東京・目黒)を5年ぶりに改装。ベッドなどの品ぞろえを強化したが、「こんな商品が売れるのだろうか」と仕入れ担当者は不安げだった。旗艦店改装さえ久々で売り場は自信をなくしつつあった。

突然の方針転換
 抜本的な立て直しができない中、高木社長と銀行団は新再建計画をめぐり対立を深める。経済産業省や金融庁を巻き込んだ再建問題を巡る迷走は、8月3日の竹中平蔵金融相(当時)の「先送り型の再建計画では解決にならない」という注文が発端だった。
 「ダイエー再建に抜本的な処理が必要とのサイン」(主力銀幹部)と受け止めた銀行団は再生機構を使った再建へと一気にカジを切る。
 2002年に5200億円の二度目の金融支援を受けて以降、ダイエーには主力銀から4人の役員を筆頭に10人前後の部長クラスの実務部隊が派遺された。竹中氏が批判したダイエーの新再建案は銀行出身役員らと綿密な相談を重ねて作ったものだった。主力銀行の方針転換に、はしごを外されたと感じた高木社長は態度を硬化、民間主導の経営再建へ突き進む。
 だが、銀行の意向を拒否するダイエーの姿勢は世間からは甘えとしか映らなかった。「カネを借りた以上は必ず返すのが商道徳。モラルに欠けていると思う」。日本経団連の奥田碩会長はこう批判した。
 再生機構へ支援要講した13日夜、千葉・新浦安店はボークス応援感謝セールの売り場以外は客がまばらだった。「安くていい品物が限られている」−−。買い物中の主婦らは品ぞろえの不満を口にした。消費者からの選別がダイエーにとって最大の誤算だった。

 

「最後の不良債権」 金融行政、外堀埋める

 「結論は決まっている。産業再生機構だ。民間案が出ても金融支援を伴うものはノーだ」
 ダイエーの主力取引銀行の一角、三井住友銀行の西川善文頭取は、9月に入り機構と民間候補が並行して資産査定を始めてからも、機構以外は認めない姿勢を貫いた。三菱東京との統合問題でギクシャクしているUFJ銀行の沖原隆宗頭取ともタッグを組んだ。
 今度が三度目の金融支援。裁判所に準じる機構という公的機関を絡ませない限り、銀行側の株主の理解を得られないとみていたからだ。

ゴールは3月末
 「3・2・2」。主力行担当者の頭からは機構から示された数字が離れなかった。カネボウの例などから割り出した支援時間のメドだ。「査定に3カ月、準主力行の調整に2カ月、債権放棄に2カ月」。ゴールまで7カ月かかる計算だ。
 金融庁が求める不良債権比率半減目標の期限は来年3月末。それまでに債権放棄をして財務内容を改善し正常債権に戻すのが大目標。そこから逆算したダイエーへの最初の期限が9月初めだったが、その後査定は進まず機構は態度を硬化する。「3月末までの債権放棄が間に合わない」。銀行は焦り、ダイエーに査定一本化を強く求めた。
 そこに立ちはだかったのが経済産業省だった。2002年2月に作った前回の再建計画を主導し、お墨付きを与えた経産省は、今回の再生機構入りに難色を示した。中川昭一経産相はダイエーの回答期限が迫った10月8日、突如機構の斉藤惇社長を呼び出したが、これまで斉藤社長は経産相に面会を申し込んでも断られ続けていた。
 両者の確執の根は「機構の生い立ちにある」と関係者は言う。再生機構構想は02年秋に財務省主導で出てきた。産業再生は自分たちの所管と考える経産省には越権行為と映った。だが「民のことは民で」と言いながら再建計画作りに介入した経産省の姿勢に政府内でも批判があがってきた。
 「迷走の原因は経産省というのが一般的な見方だ」。9月。「機構活用について」というメモが政府内に出回った。内容はダイエー側に立つ経産省を批判、機構支援の早期決着を促すものだ。機構や銀行に近い政府関係者が作ったという。

孤立した経産省
 「当時は官邸や竹中平蔵経済財政相も皆支持してくれたのに」。前回の再建計画にかかわった元経産省幹部は振り返る。今回は官邸も含め政府内で経産省支持の声はなく孤立無援だった。
 前回の2年半前と何が変わったのか。当時は景気は低迷。銀行が経営不安に陥れば、経済がガタガタになると金融当局も考え、金融支援を銀行の体力の範囲内にとどめることを容認した。
 その後、竹中氏は02年秋に金融相を兼務し金融再生プランを打ち出した。金融庁は大口融資先を厳しく査定し不良債権処理を迫った。大手行はダイエー向けなどの債権を大幅に引き当てた。
 しかも景気は上向いた。仮にダイエーが経営破たんしたとしても、経済全体に与える影響は小さくなった。政府全体から危機感は消えた。
 この間、自力で引き当てができない銀行には公的資金による資本注入や再編を促し、自力で再生できない企業には再生機構を活用した。こうした処理のドミノ倒しは、りそな、足利と続き、この春にはUFJが自主再建を断念。そして、最後がダイエーだった。
 再生機構も来年3月に債権の買い取りを終え、不良債権処理はヤマを越す。だが金融・産業再生が終わったわけではない。ダイエーの落日は融資という「疑似資本」をもとに日本企業を支えたメーンバンク制の行き詰まりを象徴する。新たな金融システムの確立はまだ試行錯誤だ。


日本経済新聞 2004/10/17          

ダイエー 過剰債務に沈む 機構か民間か 攻防2ヶ月
 ドキュメント 再生機構に支援要請

 大手スーパーのダイエーは13日、産業再生機構に支援を要請した。民間スポンサーを独自に選ぶ再建計画を模索し続けたが、一転して断念した。主力取引銀行三行が8月初めから求めてきた機構活用を、社長の高木邦夫は強く拒否。2カ月間綱引きが続いた。最後は支援打ち切りを辞さないと迫った主力行が押し切った。最終局面では経済産業省や首相官邸、監査法人などがそれぞれの思惑で動いた。バブル崩壊後の過剰債務企業の象徴とされたダイエー。この迷走劇のプレーヤーたちがどんな駆け引きを繰り広げたのか−−。

 

8月 3度目の幕が開く                    第1回、第二回金融支援
 
口火 主力3行 足並みそろう 
 三井住友が「機構活用」を主導

 「産業再生機構の活用で主力三行の足並みはそろっている」ーー。8月5日夜。三井住友銀行頭取の西川善文が記者団に漏らしたこの一言が、三度目の金融支援を巡る今回の「ダイエー劇」の始まりだった。
 ダイエーの主力取引銀行は三井住友、UFJ銀行、みずほコーポレート銀行。来年3月末までに不良債権比率の半減目標を達成するには、経営を改善させ、ダイエー向け債権を「正常債権」に格上げすることが不可欠と考えていた。だが、ダイエー社長の高木邦夫は機構の活用を嫌っている。だれが口火を切るのか。二の足を踏んでいた。
 三行のなかで約4千億円と貸し出しが最も多いUFJ。ダイエーを担当してきた副頭取の岡崎和美ら審査担当幹部は大口融資先の検査を巡る金融庁との攻防で一斉に退任。司令塔が不在だった。みずほは二行に比べ不良債権処理が進み、積極的に動く必要はないと考えていた。ダイエーの大株主の丸紅とも親しく、どちらかといえば二行の後について行く感じだった。
 「自分がやるしかない」。そんな思いがあった西川は7月末、ダイエーを長く担当してきた副頭取の永田武全に前面に立つよう指示。5日夜の発言につながった。マスコミは「機構活用通告へ」と一斉に報じた。
 だが、この時点では三行は合意していなかった。UFJは腹を固めていたが、みずほコーポは白紙だった。頭取の斎藤宏と担当の常務執行役員の山本茂は、西川発言の日は夏休み中だった。
 三井住友とUFJはみずほをただちに説得。週明け10日、UFJ專務執行役員の川俣喜昭が高木と都内で会談、機構活用の方針を伝えた。だが高木は「自主再建案の完成を優先させたい」と拒否。平行線をたどった。
 「『債権放棄してください、支援企業はこちらで見つけます』といきなり言われても乗れない。前提がおかしい」
 8月20日のダイエーと三行の交渉。三井住友の担当者は怒って途中退席した。「UFJがしっかりしないから混乱するんだ」
 UFJもようやく重い腰を上げた。頭取の沖原隆宗は24日夜、記者団に「機構活用が再生への一番確かな道筋。必要があればいつでも出ていくし、きちんと説明したい」とトップ交渉に乗り出す意向を表明した。この時から、三行による「ダイエー包囲網」がしっかりと築かれた。
 この後、UFJは三井住友に代わって三行をリードする。金融庁から早期の不良債権処理を追られ、双日、アプラス、大京など大口融資先問題を処理してきた。残った大物がダイエーだった。来年10月に統合する三菱東京も「統合までに決着を」と求めている。待ったなしの状況だった。
 なぜ三行は再生機構にこだわったのか。
 今回は三度目の金融支援。失敗を繰り返さないよう絶対に再建が成功する案を作る必要があり、裁判所に準じた機構という公的機関を絡ませることが一番と考えた。機構抜きでは金融庁の検査でダイエーの再建見通しは不透明と改めて指摘を受ける可能性があると懸念。不良憤権処理完了を旗印に三行はダイエー説得へ行動を強める。

防衛戦 ダイエー スポンサー募る 再生機構のカゲにおびえ

 8月の主力行の機構活用通告に先駆け、ダイエーは防衛策を練っていた。7月12日。ダイエー社長の高木の電話が鳴った。第二位株主である丸紅の首脳からだった。
 「新再建計画のパートナーとして提案するが、有利子負債を思い切って減らすべきではないか」
 「銀行への配慮も必要だ。金融支援の要請額はできるだけ小さくしたい」。銀行を怒らせたくないと考える高木はそう答えた。新再建計画案作りは6月上旬から始まり、6月下旬には丸紅を事業スポンサーにして再建する方向でUFJの担当者から内諸を得ていたが、金融支援の問題は気になっていた。
 丸紅や日本政策投資銀行などと非公式協議を重ねるうちに、ある情報が飛び込む。「UFJは機構にダイエーの経営データを渡し、機構が独自案を練っている」。ダイエーに衝撃が走った。機構活用なら、事業も店舗も切り売りされかねないーー。
 7月23日、それが現実に。機構社長の斉藤惇がUFJ頭取の沖原を訪ね「ダイエーに対する金融支援は最大でも4千億円程度で済む」と告げた。ダイエー社内ではUFJへの不信感が高まり、高木も有利子負債を大幅に圧縮する金融支援要請を決断する。 
 7月30日。ダイエーは三行に示した再建計画案で合計3600億円の金融支援を要請。「再生機構の案とそん色ないはずだ」。ダイエー内部は自信満々だった。
 しかし、三行は機構活用に動き出す。背後に金融庁の圧力を感じたダイエーは監督官庁の経済産業省に相談に行く。
 「どうすれば自主性を保って再建できるか」
 「丸紅だけでは不十分。有力なスポンサー企業が必要ではないか」
実はダイエーと丸紅は7月中旬から仏カルフールに提携を打診していた。一部出資や商品の共同調達だけなら、経営の独立性は保て、信用補完にもなる。しかし本国の営業不振で対日投資に消極的なカルフールは首を縦に振らなかった。
 独自にスポンサーを探すのは限界だった。そこで目をつけたのが入札だ。8月上旬、大和証券SMBC、UFJつばさ証券、みずほ証券の3社に入札の取りまとめを依頼。「できるだけ事業スポンサーを連れてきてください」。3社は内外の投資銀行・ファンドにこう声をかけて回った。
 8月17日。米ウォルマート・ストアーズの海外部門最高経営責任者のジョン・メンザーは機構と三行を訪問、「機構と民間の両方に名乗りをあげます」と告げた。「ウォルマートがやるならうちも」。入札に半信半疑だった投資銀行・ファンドも目の色を変え、最終的な参加グループは10近くにのぼった。
 ダイエーも再建案見直しを急いだ。「機構案の良いところは取り入れよう」。直営売り場は食品を中心にし、それ以外はテナントで埋め、店の不動産は分離するーー。
 8月27日、高木は三行幹部と会い独自の再建案を説明したが、2時間以上におよぶ会議も何も結論が出なかった。
 同日夜、帰宅した高木は「民間でできることをなぜ公的機関ということになるのか。飛躍じゃないか」と言い切った。あくまで強気だった。

 

代理戦争 金融庁vs.経産省 溝深く 先送り型は問題/中小企業に影響

 「先送り型では何ら解決にならない。むしろ問題を大きくする」
 8月3日の記者会見。金融担当相の竹中平蔵は機構を活用しない独自再建案で動くダイエーをけん制した。直後、主力行は機構活用へと一気にかじを切るが、霞が関の思惑も表面化した。
 「単に金融面の視点だけで検討することになれば、本末転倒ではないか」。4日、経済産業省次官の杉山秀二は記者会見で逆に銀行の動きを強くけん制した。
 2002年の再建計画を主導した経産省。機構活用なら、その失敗を意味する。「閉鎖店拡大など大リストラを迫られ、取引先の中小企業への影響も無視できない」
 5日、竹中は再反論。「金融の観点だけで議論している人はいない」
 金融庁対経産省。経産省内には「伝統的に金融機関に不信感をもつ人が多い」。だが、今回はそれだけではなかった。
 話は昨年10月にさかのぼる。UFJが金融庁の検査でダイエーなど大口融資先の内部資料を隠していたことがわかり、金融庁が問題にし始めた。この時、経産省幹部は金融庁を訪問し「UFJをよろしく」と頼んだ。金融庁は「経産省の介入だ」と激怒。厳しい査定が動き出した。ダイエーを不良債権の象徴とみて対応を迫る金融庁とダイエーを守ろうとする経産省。その溝は深まった。
 経産省内には「機構活用やむなし」との声もあり、必ずしも一枚岩ではなかったが、その後も決着を急ぐ銀行に反発した。「引き続き当事者間で濃密な議論が必要だ」(8月30日。杉山)。この経産省の対応が最終局面では混乱を深める。
 主力行・金融庁とダイエー・経産省の攻防は9月に入り、機構と民間スポンサーの双方が同時並行で資産査定をすることでひとまず決着する。それは、9月3日のダイエー高木と三井住友の永田の会談で始まった。
 高木「活用を前提としない非公式な打ち合わせでなければ、機構の査定は受けられない」
 永田「では、主力行が機構に代わって査定する案はどうか」
 だが、機構の斉藤は「査定は他人任せにできない」と突っぱねた。6日から機構とダイエーの折衝が始まった。双方の弁護士が夜を徹して議論した末にできあがった秘密保持契約書は玉虫色の表現で埋め尽くされた。

「査定作業 もう限界」 
 9月下旬 開示拒むダイエー、現場に悲痛な声

 主力行とダイエーの機構活用を巡る綱引きが10月に入り急速に決着へと動き出す。引き金は機構の最後通告だった。
 「まずいね、これは」9月15日夜、都内の飲食店に集まった機構幹部は新聞記事のコピーを前にうなった。コロニー・キャピタルがダイエーと結んだ契約。球団が福岡ドームから移った場合などに900億円もの賠償金を支払うとの内容だ。
 この日、機構はダイエーとの間で、民間スポンサー候補と同時並行で資産査定を進める契約を結んだ。機構にとってはダイエーは「欲しくてたまらない大物案件」だった。これを祝う会合は明るいものになるはずだったが、査定の先行きに不安を投げかけた。
 当初、作業は順調に進んだ。会計士、弁護士等総勢250人、十数億円の費用というみぞうの大規模査定。ダイエーの担当者も資料探しに本部中を走り回った。期限内に終わるかに見えた。
 だが9月終わりに近づくと状況は一変する。ダイエー幹部への聞き取り面談の日程は入らず、マルエツやオーエムシーカードなど関連会社の資料は開示されない。査定が経営中枢に及ぶと作業は急に滞るようになる。
 「もう限界です。間に合いません」。10月の第1週、現場から悲痛な声が上がった。機構が非主力取引銀行から債権を買い取る期限は法律で来年3月末と決まっている。再建計画策定や非主力行との交渉を考えると、時間切れ寸前だった。同じころ、ダイエー社長の高木邦夫が「機構の査定は適当で良い」と指示したとの情報も伝わり、さらに機構の反発を招く。
 ダイエーからみれば、「民間の10倍の作業が必要だった」(高木)。開示を拒んだのは相手方の了解が必要な契約書やグループの上場企業のデータ。それでも機構はなぜ相手の了解を得ないのかと疑問に感じた。「コロニー問題もそうだが、ダイエーは査定するとどんな問題が出てくるかわからない。手を引いてもいいのでは」。そんな強硬論も出始めた。機構は銀行に相談する。
 機構「ダイエーに最後通告をします」
 主力行「追いつめてはいけない。少し考える時間があった方が良い」
 機構活用を前提とし査定を一本化する決断を求める回答期限を10月12日に設定した。
 10月6日、機構はダイエーと主力行に最後通告の書簡を送る。9日からの三連休をはさむ1週間。ダイエーはいよいよ最後の決断を迫られる。


「拒否なら法的整理も」
 10月8〜11日 3行首脳が説得

 通告を受けて主力三行は動き出す。
 「機構しか方法はない。それが取引先、従業員を整つ道です」
 8日午前9時半。都内ホテルでUFJ頭取の沖原隆宗は高木に1時間半かけて繰り返し機構の活用を説いた。法的整理の可能性もちらつかせて詰め寄る沖原に、高木は「おっしゃることは分かりました。ただ、関係者と相談してからでないと返事はできません」と即答を避けた。
 だが、高木は機構抜きで再生を進める考えを変えなかった。主力行は攻勢を続ける。
 「この場でご決断をお願いしたい」
 午後4時からは三井住友銀行本店で頭取の西川善文が高木と会談。2時間にわたり強い調子で迫った。高木は「経産省、日本政策投資銀行、丸紅など利害関係者の理解を得る必要がある」と説明する。「我々銀行が最大の利害関係者ではないか」と西川はいらだった。みずほコーポレート銀行常務執行役員の山本茂も説得したが、高木の態度は変わらなかった。
 この日は経産省もあわただしかった。
 「聞いていない。最後通告を出すのであれば主務大臣である私に言うのがルール。再生機構はそれをやっていない」
 午前、経産相の中川昭一は記者会見で怒りをあらわにした。「機構は公的機関。最後の存在としての役割を果たしてもらいたい」と強く批判。そして、午後5時。機構の斉藤惇を呼びつける。
 中川「12日の期限を延期してほしい」
 斉藤「それはできない」
 会談後、中川は「少し反省している部分がある」と午前の発言をやや修正したが、関係者には「経産省の反機構は鮮明になった」と映った。
 9日からは三連休に入る。ダイエーは土曜日にただちに幹部会を招集した。
 「銀行を突っぱねることができるのか」「12日の期限は延長できないか」。独自の再建を主張する生え抜きの強気派と主カ行出身の役員らの意見が交錯した。ただ「機構活用を拒めば法的整理になるかもしれない」との危機感も出てきた。
 実は、この日、主力行はダイエーに新たな警告を突きつけていた。
 監査法人が8月中間決算を認めない可能性があるーー。機構活用を受けない限り銀行は金融支援に応じない。そうなれば決算に付帯する「存続の可能性」についての注記の内容を認めないという。主力行の揺さぶりだった。
 同日午後、ダイエーは経産省に接触し調整を急ぐ。主力行も、機構活用に慎重な経産相中川の説得が第一と考え、水面下で経産省に接触した。
 10日昼、中川が福岡から帰京。事務方はすぐさま大臣説明に入った。
 そして午後4時半。
 「大臣に来てくれと言われたので来ました」
 単身で経産省玄関ホールに現れた高木は警備員に守られエレベーターに乗り込んだ。会談で中川は高木に機構の査定に協力するよう要請した。会談の結果を聞いて主力行は「中立だ、少なくとも経産省が隠し球を出して機構活用に反対することはなくなった」と感じた。だが甘かった。
 「機構の査定に協力するが、当面は民間スポンサーによる独自の再建計画づくりを進める」
 連休最後の11日。ダイエーは臨時取締役会を開き、機構活用を事実上拒否した。
 10対4。高木が「この方針に賛成の人は挙手を」と採決すると銀行出身の4人以外の10人が手を挙げた。2万3千人に上る従業員組合も独自再建案の支持を決議。労使一枚岩を見せつけた。
 午後4時。高木と会長の吉野平八郎が経産省出身の顧問を伴い三井住友本店を訪ね主力三行に報告。「機構回避という経産省の意思表示か」と銀行は疑心暗鬼になる。
 「明日、最終的に機構活用せずとの回答を受けたらどうするのか」
 「会社として信認できないということだ」。
 UFJの沖原は11日夜、記者団に語った。冷静を装うが、「監査法人の問題まで示したのになぜ」という驚きは隠しようがなかった。


「あと半日、時間を」
 12日夜 緊迫の5時間会談、期限延期

 「高木社長を何としても説得する」。
 12日午後3時、三井住友銀副頭取の永田武全、UFJ銀專務執行役員の川俣喜昭、みずほコーポレート銀の山本の3人は日銀理事の稲葉延雄を訪ね、主力行の考え方を力説した。
 だが、12日中という期限は刻一刻と迫る。
 午後5時、都内のホテルで、高木は機構社長の斉藤と会談する。
高木「18日の民間スポンサーの提案を見たい。機構の査定にも協力するので同時並行的な査定を続けてほしい」
 斉藤「機構の査定に一本化してほしいと申し上げた。縁がなかったということですね」
 2時間近くの会談は物別れ。斉藤は「ダイエーの査定チームはあす解散します」と告げた。
午後7時、高木や会長の吉野らはそのまま三行役員が待つ日本橋のみずほコーポ銀別館に入った。ビルに30人を超す報道陣が押し寄せた。
 高木「機構の理解は得られなかった。民間案に協力してほしい」
 主力行「それはできない。この場で決断して機構に電話していただきたい」
 法的整理を辞さないと迫る主力行。激しいやり取りが続いた後の午後11時過ぎ。
 「あと半日、時間をもらえませんか。経産省などと話をして明日昼ごろまでに回答します」
 高木は機構活用を再検討すると約束。主力行はすかさず機構に電話し、期限を翌日正午まで延ばしてもらった。
 深夜零時。5時間の会談は終わる。主力行幹部は「これで反対しているのは経産省だけ。道が開けた」と安どの表情を浮かべた。だが高木は違った。自宅に戻る車から本社に電話を入れた。
 「いま終わった。三行との合意は、機構には査定の継続を要請する、銀行とは協議を続ける、という二点だけだ」
 高木は法的整理だけは絶対に避けたかった。そのため、自分の本心は銀行には知られないようにしただけだった。

高木社長 空白7時間 経産省が“一時拘束” 13日夜

官邸激怒「介入やめよ」
 埋められた外堀、機構活用が決まった

 「同時並行的に査定の継続をお願いしたいということを申し上げているということです」
 13日午前7時40分。自宅前に押し寄せた20人近い報道陣に高木邦夫は一言だけ話した。
 「なお独自再建策を考んているのか」ーー。高木の朝の発言を聞いて主力行は驚いた。
 高木は経済産業省との協議に望みを託そうとしていた。午前11時。高木を乗せたハイヤーは報道陣の車やバイクを振り切り、姿を消した。銀行には「経産省と日本政策投資銀行を訪問する」と伝えた。だがそれを最後に連絡は途絶える。
 「約束の時間に間に合いそうにない。必ず説得する。夕方までチームの解散を待ってほしい」。午前11時半、主力行は機構に連絡を入れた。
 午後6時に経産省に現れ、機構活用を伝えるまでの7時間。高木は何をしていたのか。
 実は、高木は都内のホテルで経産省幹部らと会っていた。期限の正午直前、居並ぶ幹部の前で機構の斉藤惇に電話を入れる。「機構の活用は昨日申し上げた通りです」
 機構回避へ経産省は午前中も動いた。
 「過度の介入はやめるように」。経産次官の杉山秀二は午前、首相官邸から電話を受けていた。それでも経産省はあきらめず民間スポンサーの再建を探った。幹部は外資系候補をあわただしく訪れた。昼の高木との会談で民間の支援準備が進んでいることを伝えた。
 高木は経産省幹部陣との会談後もダイエー幹部とホテルで対策を練った。債権放棄要請、債権買い取り、整理回収機構活用ーー。あらゆる可能性を探った。そこに本社から電話が入った。
 「監査法人のトーマツが存続可能性に問題ありと言っています」
 「決算を発表できないのか」
 「そのようです」
 ダイエーの中間決算数字に問題があったわけではない。主力行の非公式の警告が現実になった。
 「決算の発表時期を遅らせれば信用不安が起きる」。高木は悩んだ。法的整理回避には機構活用を決断するしか手は残されていなかった。
 夕刻が近づく。経産省幹部が高木と秘密会談をしたことが官邸に知られる。激怒した官邸から再び連絡が入った。「経産省は介入をやめよ」
 驚いた経産省幹部は関係各省の意向を探るため、方々に電話を入れた。外堀は埋まっていた。「あきらめよう。これ以上続ければ省が崩壊する」。
 この瞬間、ダイエーの機構活用が決まった。
 舞台裏を知らない銀行は「高木氏雲隠れ」に焦った。「タ方まで連絡が取れなかったら打つ手はない」。午後5時過ぎ三井住友の永田は機構の斉藤をひそかに訪ねた。
 永田「せっかく待ってもらいましたが、連絡がとれません。ご迷惑をおかけしました」
 斉藤「ここまで待ったので夜中まで待ちます。ご苦労様でした」
直後の午後5時50分。高木が経産省に姿を現した。こわばった表情の高木は記者団の質問に答えず大臣室に入った。
 午後6時8分。予想に反して短時間で高木が廊下に姿を現す。追いすがる報道陣に無言を通し、1階に向かうエレベーターに姿を消した。1階に着いた高木はまた50人を超す報道陣に行く手をふさがれる。「押さないで」。警備員の声が響くなか、高木が小さいが、はっきりした口調でひと言発した。「再生機構の活用を応諾すると報告しました」
 経済産業政策局長の北畑隆生は機構の斉藤に電話し、これを伝えた。
 再生機構本社では臨時の産業再生委員会が始まっていた。資産査定チーム解散を決めるためだ。そこに機構活用の連絡が入る。騒然となった。
 30分後。経産省で中川が報道陣に囲まれた。
「(ダイエーは)結果的に官(再生機構)に頼っただけで民が判断したことを尊重したい」。発言は歯切れが悪かった。
 午後7時半。ダイエーは臨時取締役会を開く。「外部環境の、急激な、変化にともない……」。高木は震える声で、とぎれとぎれに決議文を読み上げる。取締役はじっと下を見つめたまま。最後に「異議なし」と唱えるのがやっとだった。
 午後8時45分、高木はようやくUFJを訪ね、三行役員の前に姿を見せた。だが、すんなりとはいかなかった。
 関係者によれば、高木が持ち込んだ契約書には、実は、様々な条件が付いていた。スポンサー選定などでダイエーの意思が反映しやすいようにするためだった。三行は機構と連絡をとり、ダイエーが盛り込んだ条件をすべて削っていった。
 調整が終わり、高木がUFJから出てきたのは約2時間後の10時40分。機構の斉藤を訪ね、支援に向けた事前相談を文書で申し込み、受理された時、時計の針は11時を回っていた。

第1回金融支援 2000年12月 
 優先株で1200億円増資 普通株転換はらむ「時限爆弾」

 2000年末、東海・三和・住友・富士の主力四行(当時)に総額1200億円の優先株の第三者割当増資を要請した。社長就任を間近に控えた高木邦夫だった。
 同年10月、ダイエーは当時の経営陣による不明朗な株取引で社内が混乱。その責任を取る形で創業者で会長の中内功が最高顧問(翌年にファウンダー)に退き、社長の鳥羽董も取締役に降格。社長空位の事態に陥った。店舗も荒れ、ダイエーは「沈没寸前の泥船」(当時の幹部)だったが、福岡ダイエーホークスのパ・リーグ優勝セールで資金繰りは一息ついた。
 事態収拾へ中内が社長を要請したのがリクルート取締役の高木。1980年代前半に連結赤字に陥ったダイエーを3年で立て直した「V革戦士」の一人。過剰債務に苦しむリクルートも再び成長軌道に乗せた。
 喫緊の課題は連結決算の開示義務付けを控え、中内家のファミリー企業を含むグループ各社の再編成だった。連結対象に加えれば連結債務超過に陥る恐れがあった。
 ただ優先株は銀行が仕掛けた.「時限爆弾」でもあった。優先株のままなら四行合計で20%弱の持ち株比率だが、優先株は2006年3月以降に普通株式に転換できた。優先株がすべて普通株になると主力四行は発行済み株式数の半分近くを握る可能性もあった。再建が困難なら、銀行が外資や国内の小売業へ株式の売却もありえた。

第2回金融支援 2002年2月
 債権放棄などで5200億円 政治が支えた1000億円上積み

 2回目の金融支援は首相官邸主導で進められた。2001年9月、マイカルの破たんで市場から過剰債務企業に厳しい視線が注がれ、ダイエーの株価は急落。一時、倒産ラインと言われた100円を切った。取引先も動揺し、資金回収に走ったり、取引量を絞り始めた。主力行が設定した総額5千億円の信用供与枠の残額も千億円を切り、資金繰りがひっ迫した。
 この窮状を救ったのが首相の小泉純一郎だ。12月下旬、官邸は経産相の平沼赳夫に対し、産業再生法の活用など側面支援の検討を指示した。小泉自身も年が明けた2002年1月18日、記者会見で「ダイエーを倒産させてはならない」と異例の発言。ダイエーが法的整理に追い込まれれば、日本経済に与える影饗は甚大との判断があった。
 政治の意思をかぎ取った主力行は1月、自らの体力を勘案し、1回目の金融支援分の優先株減資や、債権の株式化や放棄など合計4200億円の金融支援の実施を決定。同時にダイエーは不採算店約50店の閉鎖などリストラを徹底する新3カ年計画を策定した。
 しかし、この案に対して市場の評価は「中途半端な内容で問題先送り」と芳しくなく、2月25日には株価が再び100円を下回った。金融庁も同19日に主力行トップを呼んで支援額の引き上げを求め、27日にはリストラを加速させるため、金融支援額を千億円上積みして計5200億円とした新再建計画を発表。閉鎖店舗数も60店に増やした。


週刊ポスト 2004年10月29日号

<TWP特報/流通王国崩壊ドキュメント>
官邸指令「ダイエーを奪れ!」
――「店舗投げ売り」から「楽天のホークス買収」まで全内幕

ステージ1 幻のダイエー入札 事業3分割で外資に身売り

 金融庁と銀行団はダイエーを内閣府傘下の『産業再生機構』の管理下に置き、事実上、“国営化”して再生をはかるように最後通牒を突きつけた。回答期限は10月12日と決められた。
 そこからダイエー処分の大迷走が始まったのである。
 高木邦夫社長をはじめダイエー経営陣は要請を一蹴した。切り札があった。実は、10月18日には“ダイエー入札”ともいうべき民間企業による支援条件が提示されることになっていた。
 「それまで待てば潰されずにすむ」というのが経営陣の共通の思いだったはずだ。
 ダイエーは自主再建に賭けようとした。といっても、民間のスポンサー候補に名乗りをあげたのは、(1)ドイツ証券、米サーベラス、丸紅、(2)ゴールドマン・サックス、ウォルマート、(3)リップルウッド、三菱地所という3つのグループで、いずれも日本で不良債権ビジネスを活発に展開している、いわゆる≪ハゲタカファンド≫と呼ばれる外資系金融機関が中核になっていた。ダイエーは事実上、外資に身売りすることで生き残る道を選ぼうとした。ダイエーの背後では金融庁と対立する経済産業省が自主再建路線をバックアップし、≪分割案≫もほぼ固まっていた。
 「総合スーパー部門(約180店)は世界最大の小売りチェーン、ウォルマートが買収し、食品スーパー部門(約60店)は丸紅、不動産部門はサーベラスが引き継ぐ。他のドイツ証券などは資金調達を担当する青写真だった」
 経済産業省幹部は明かす。
 だが、この≪ダイエー3分割案≫は幻に終わった。首相官邸から直前に“待った”がかかったからである。

ステージ2 小泉首相は“和製ハゲタカ” 中川経産相に「透明にやれ」

 10月11日、祭日のその日に開かれた臨時閣議の後、小泉首相が動いた。閣議後、小泉首相は中川昭一・経済産業相を呼んだ。中川氏はダイエーの自主路線を後押しし、金融庁や産業再生機構のやり方を、「最後通牒を出すのであれば主務大臣である私にいうのがルール。再生機構はそれもやっていない」――と、手厳しく批判していた。小泉首相はやんわりとした言い方をした。
 「ダイエー問題は債権者や取引先、中小企業など非常にすそ野が広く、地域経済にも関係している。透明な方法でやってほしい」
 それだけ聞くと、自主再建路線を支持しているようにも思える。そうではなかった。
 その夜、細田博之官房長官から経産省の事務方のトップ、杉山秀二・事務次官のもとに電話が入った。
 細田「総理の真意を誤解してもらっては困る。透明な方法とは、産業再生機構を使えという意向だ」
 杉山「わかりました。ただ、高木社長の説得には時間がかかります。(期限の)明日中に回答するのは難しい。1週間、待っていただけませんか」
 細田「わかった」
 ――杉山氏が省内で漏らした電話会談の内容だ。細田氏は官邸スタッフを通じて産業再生機構の斉藤惇社長に「ダイエーは要求をのむ」と伝えた。
 産業再生機構側はそれを信用しなかった。
 「18日まで待てば、民間の入札結果が出る。われわれの出る幕はなくなる。細田長官は経産省とダイエーの時間稼ぎに騙されている」
 機構の幹部は色をなして怒った。一見、ダイエーの外資への身売りを推進する経産省と、それを阻止したい金融庁=再生機構の対立に見えるが、そう単純ではない。
 産業再生機構の幹部には、かつて外資系金融機関で不良債権取引を手がけていたやり手の金融マンが集まっていることから、経済産業省側は≪和製ハゲタカ≫と呼んで不信感を持っている。中川大臣もある席で、「外資のハゲタカファンドにいた一発屋が集まっているところにダイエーをまかせたら大変なことになる」と漏らして再生機構側の反発を買った。さしずめ小泉首相は≪和製ハゲタカ≫の元締めということになるのか。

ステージ3 「UFJ処分」で巻き返し ダイエー倒産は竹中戦略の失敗

 ≪ダイエー処理≫を急がせたのが金融担当相から郵政特命相に転じた竹中平蔵大臣だ。
 そもそもダイエーの経営問題自体が竹中氏の積み残した“政治的不良債権”といっていい。ダイエーはこれまで銀行団から2回にわたって総額6400億円の金融支援を受け、何度も再建計画を立てたが実現できなかった。02年9月に金融相に就任した竹中氏は銀行検査の厳格化と不良債権を3年間で半減させる「竹中プラン」を打ち出し、ダイエーが処理の一番手になるとみられていた。
 竹中氏の交代後、金融庁は竹中プランの最終計画ともいうべきダイエー処理に突き進む。それはUFJの刑事告発と一体となっていた。UFJは金融検査の際に不良債権関係の書類を隠匿した容疑で東京地検特捜部の強制捜査を受けたが、押収された資料の多くがダイエー向け融資の書類だった。金融庁と再生機構が足並みをそろえて≪ダイエー取り潰し≫に乗り出したことがわかる。
 「ダイエーのメーンバンクであるUFJは資産の査定を甘くしていた。金融庁は特別検査でそのことをつかむと、UFJに対し、“ダイエーに自主再建など勝手なことをさせるな。再生機構に持ってこい”と圧力をかけ続けた。そうしなければ、ダイエー向け債権の貸倒引当金をさらに560億円積み増すように求めてきた」(メガバンク関係者)
 金融庁の厳しい査定で経営危機に陥り、三菱東京との経営統合を余儀なくされたUFJには560億円を新たに積む余裕はもうない。金融庁はUFJに、“ダイエーを潰すか、銀行が潰れるか”の二者択一を迫ったに等しい。
 危機感を募らせたダイエー側は、「再生機構に入るくらいなら、法的整理を選ぶ」(経営幹部)と一層態度を硬化させた。ダイエーが自ら法的整理を選んで倒産すれば、竹中氏と金融庁が進めてきた不良債権処理路線は完全に失敗したことになる。いわばダイエーの≪自爆テロ≫だ。
 慌てた竹中氏は首相官邸に駆け込んだ――。

ステージ4 金融庁と経産官僚の省益戦争 あきれた“ダイエー販売権”をめぐる確執

 運命の10月12日朝は思わぬハプニングから始まった。産業再生機構には社長の上に最高意思決定機関の産業再生委員会が置かれている。その高木新二郎委員長がダイエーと経済産業省の時間稼ぎ作戦に業を煮やして、
 「経産省の政治的介入に抗議して辞める」――と、辞表提出の動きを見せたのだ。
 官邸は泡を食った。ちょうど臨時国会召集日で、小泉首相の所信表明演説の原稿には「不良債権問題を今年度末までに正常化させる」という一文が盛り込まれていた。そのさなかに経産省と再生機構の対立が表面化すれば、首相の指導力が問われる。
 この日午前9時からの定例閣議の後、今度は竹中氏が一人残り、小泉首相と向かい合った。表向きは郵政民営化の話とされているが、ダイエー問題が焦点だった。
 「竹中大臣は総理に『経産省がどんなに抵抗しようと、産業再生機構を活用するしかありません』と強く迫った」
 官邸筋が明かした。勝負はついたかに見えた。だが、経産省=ダイエー連合はなおも驚異の粘りを見せる。
 この日、ダイエーの高木社長は期限の午後3時になっても再生機構側に回答をせず、あくまで自主再建路線を主張した。高木社長の側にぴったり付き添っていたのが元通産官僚でダイエー顧問に天下った成田公明氏だった。
 中川大臣、杉山次官ら省をあげて再生機構と対決し、竹中―金融庁の思惑をつぶそうとしたのは、あくまで同省がダイエーをコントロールし、結局は外資へ売却するとしても、日本の小売り・流通業への外資進出を同省主導で進めようという省利省益優先の発想に他ならない。
 相沢幸悦・埼玉大学教授(国際金融論)の指摘は鋭い。
 「ダイエーは負債は大きいものの、営業利益は出ているし、資産も多い。買収相手から見るとうまみの大きな企業だろう。外資が買収に名乗りをあげるのはもちろんだが、“ハゲタカの代理人”といわれるほど外資を積極的に不良債権処理に利用した竹中大臣が作った産業再生機構も狙いは同じとみていい。ただし、露骨に外資に売れば、かつて旧長銀をリップルウッドに売却した時のように『安売りした』との批判を招く。そこで再生機構がいったんダイエーを管理して解体し、表向き日本の投資ファンドなどを通じて店舗や球団(ホークス)など資産を二束三文で切り売りする。気づいたら、みんな最終的には外資が買っていたという結果になる可能性は高い」
 経産省と金融庁=再生機構の争いも、つまりはどっちが窓口になってダイエーを外資に叩き売るかという主導権争いにすぎない。

ステージ5 謎の電話で事態急変 高木社長包囲網はこうして作られた

 ダイエー問題が延長戦にもつれ込んだ10月13日、高木社長が“行方不明”になるという奇妙な事件が起きた。
 正午過ぎ、再生機構の斉藤社長に1本の電話が入った。声の主は高木社長だったとされる。
 「(回答を)お待ちでしょうが、今日はうかがいません」
 前日に続く拒否回答だったが、どこからかけてきたのかもまるでわからない。
 「実は、高木社長は本社を出た後、経産省の役人に拉致同然に囲い込まれていた。“絶対に機構入りを拒否しろ”と迫られ、斉藤社長に電話を入れた。経産官僚たちの信じられない暴走だった。それを知った小泉首相が“いつまでそんなことをやってるんだ”と激怒し、経産省首脳を叱責して解放させた」
 官邸筋は手柄顔で真相をそう語ったが、北朝鮮に残る拉致被害者を連れ戻したわけではあるまいし、政権内で起きた恥ずべき不祥事を総理大臣が尻拭いしたにすぎない。
 しかも、経産省やダイエーに対して最も効果的だったのは総理大臣の一喝ではなかったらしい。金融庁vs経産省の対立が頂点に達した頃、金融関係者や自民党内に、ある情報が広がった。
 「UFJが隠匿していた資料から、ダイエーが粉飾決算まがいの不良債権隠しに深くかかわっていた可能性が出てきて東京地検特捜部が注目している。事件化すれば、現経営陣ばかりでなく、経産省OBを含めた旧経営陣まで累が及ぶかもしれない」
 “これ以上抵抗するなら、特捜部を差し向けるぞ”といわんばかりの露骨な恫喝ではないか。経産省もダイエーも一も二もなく白旗を掲げた。

ステージ6 楽天のホークス買収 最後に丸儲けする奴は誰か

 産業再生機構入りまでの節目節目でなぜか顔を出したのが渡辺恒雄・前巨人軍オーナーである。
 ダイエー本社はあくまでもホークス球団を手放そうとはしなかった。渡辺氏は再生機構寄りの竹中大臣と急接近していく。今年7月末と9月21日に竹中―渡辺会談がもたれた。それだけではない。今年8月31日には、反再生機構派の中川経済産業大臣に電話を入れ、ダイエーを厳しく批判して再生機構を利用するように働きかけたとされる。
 実際、思惑通りにダイエーは再生機構の管理下に置かれることになり、球団の保有は絶望的とみられている。そこにふってわいたのがあの楽天によるホークス買収というウルトラCだった。
 セ・リーグ関係者が語る。
 「楽天とライブドアの参入問題は各球団オーナーの受けがいい楽天の勝ちとみられていたが、地元の人気は圧倒的にライブドアの方が高い。無理に楽天1社を参入させると批判を浴びる。そのため仙台の新球団はライブドアに作らせるかわりに、楽天にホークスを買収させる案が浮上した」
 プロ野球1リーグ制推進派のオーナーたちが、≪楽天ホークス≫を核に新たな球団合併の図面を描いているとしたら、ダイエー処理の税金1兆円は彼らが払えばいい。