日本経済新聞 2007/1/18 私の履歴書
エサキダイオード 江崎玲於奈
チャンスの女神現る 嚆矢となる「負性抵抗」発見
半導体に電圧をかけた場合、ある限界を超えると、絶縁破壊(ブレークダウン)が起こり、どっと電流が流れる。この現象を巡っては古くから論議が絶えず、私は深い関心を抱いていた。
1934年、米物理学者のゼーナーは、絶縁破壊を量子力学的なトンネル効果によって説明する見事な理論を展開した。しかし、現実の絶縁破壊は、電子の雪崩現象によるもので、トンネル効果とは無縁だった。ゼーナーの提唱は典型的な"創造的な失敗”(Creative
failure)に終わっていた。
51年、トランジスタ発明者、ショックレーを含む米べル研究所の人たちが新たな研究報告を発表した。ある種のゲルマニウム・ダイオードにおいては、ゼーナーの理論に従って絶縁破壊が起こっているという結論である。
ところが、その後の詳細な研究によると、この場合も、トンネル効果ではなく雪崩現象によるもので、ベル研の著名な研究者たちがなんとゼーナーの“創造的な失敗"の上塗りをしたのである。
私はこのような事態の展開に研究心が著しくかりたてられた。トンネル電流の観測に使命感さえ抱いたのは、まだ神戸工業にいた頃である。31歳になったとき、この"トンネルヘの道”を求めて神戸から東京に移ったのである。
「宇宙に存在するものすべて偶然か必然(Chance
or Necessity)が生んだ果実である」と喝破したのは、古代ギリシャきっての自然哲学者デモクリトスである。エサキダイオードの誕生にもこの両者がかかわっている。
私独自の方法でPN接合幅をどんどん薄くして行くと、予想通り、順方向の特性はあまり変化しないが、逆方向の耐電圧はどんどん低下し、逆方向の方が順方向より電流が流れやすいという、前代未聞の新ダイオードが誕生した。私はこれを逆方向ダイオードと名付けた。ここでは疑いなくゼーナー理論が働き、私はついにトンネル電流を観測できたと確信したのである。
ここまでは“必然”の結果であり、チャンスの女神が姿を現すのはこれからである。
57年7月頃の暑い日であった。研究室の冷房はきかない。逆方向ダイオードを零下約80度の槽に入れ、順方向に流れるトンネル電流を見ていると、何と、かける電圧を上げるほど流れる電流が少なくなる、いわゆる「負性抵抗」を発見したのである。これがこうしエサキダイオードの嚆矢である。考えれば当然の特性なのであるが、予想できなかっただけである。負性抵抗は応用面において、大きな価値がある。通常のダイオードとは異なり、発振・増幅・スイッチングの働きをする。その上、トンネル電流であるから超高速で作動する。いうならばここに、これまでのトンネル電流にまつわる"創造的な失敗"をチャンスの女神が"創造的な成功"に変えてくれたのである。
この成果は直ちに57年10月の日本物理学会年会に発表し、書き上げた研究論文をアメリカ物理学会誌の58年1月号に掲載して世に問うたのである。一部の人を除いて、日本ではこの発見の意義をすぐには理解してくれなかった。最大に喜んだのはゼーナー本人である。自分が所長を務めるウェスチングハウスの研究所に来て働かないかという誘いを受けた。