猪口 勇
何時までも繰り返される中国・韓国の反日運動・・・・
国際ル−ルに則って既に決着済みの戦後処理を政権が変わる度に、或いは自国に不都合が起こる度に持ち出し、難癖をつけ、下手に出るのにつけ込んで、恫喝・威嚇までする両国の非常識さにはホントニうんざり、怒り、哀れ、寂しさない交ぜのフラストレ−ションが溜まる一方の毎日ですが、この事態を作り出したのは、他ならぬ我が国自体なのですから、負荷も倍増です。
中・韓の次元の低さはとっくに世界は見ていますが、一方で両国からのイチャモンにニヤニヤしながら何の抗弁もしない日本に対し、世界は理解を越えた不気味さ・外交力の弱さを見ているのではないでしょうか。今回の中国の暴動はわが国の常任理事国入りを牽制する政府主導の茶番劇だと思いますが、言うべき事が言えない国など、誰が心から常任理事国に推すものですか。(武力がなければ、それに代わるピカピカの毅然さが不可欠なのにこれが全くゼロ、よくも恥ずかしくもなく立候補をするものです。)
この事態を打開する手はあるのでしょうか?
勿論あります。易しくはないし、時間はかかりますが、正攻法での正面突破しかありません。これを乗り越えてこそ、健全で堅固な中韓関係が築かれ、世界の評価も上がる筈です。
歴史問題を正面に据え、世界史観・自国史観で堂々と渡り合う事から始めねば解決はあり得ません。
皆さん、わが国が近隣諸国にそんなに迷惑をかけたとお思いですか? 隣国に言われるままに、両国にトンデモナイ事をやったと鵜呑みにされていませんか?
中国の中学教科書に、「日本帝国主義への深い恨みと激しい怒りを生徒の胸に刻ませよう」と言う党方針により記載されている南京における次のような日本軍の残虐行為のくだりがあります。
「日本の侵略者は至るところで家を焼き、人を殺し、強姦し、略奪し悪の限りを尽くした。・・・・ある者は射撃練習の的にされ、ある者は銃剣訓練の対象にされ、ある者は生き埋めにされた。・・・・・・身に寸鉄も帯びない中国住民と武器を捨てた兵士で虐殺された者の数は30万以上に達した。」
こんなヒドイ事を、我々の先輩・先達がいくら非常時戦時事態とは言えやったとお思いですか?
自分の国を愛し、誇りを持つ日本人であれば、そんな筈はないとお思いにならないんですか?!
わが国の政治家が、外交官が、或いは修学旅行の学生が「南京大虐殺記念館」を詣で(させられ)、反省と謝罪をする前に何かおかしいと思わないのでしょうか?(学生には無理かもしれませんが)
これが首相ともなると、穏やかではありません。
国を代表して反省し謝罪するという事は、言われるがままの罪科を認めると言う事です。今日まで友好を第一としてただひたすらに頭をたれてきた政治家達は、我々の先輩・先達がそう言う蛮行をやったと認めた事を意味します。
そうする事が、同じDNAを持った、しかも今日より遥かに高い倫理観・道徳観を持っていた先輩・先達を、そして営々として築いてきた輝かしいわが国の歴史を貶め、冒涜している事だと言う事を理解しているのでしょうか!
いささかの勉強もせず、国の威信をかくも低下させた政治家達、そして、国の誇りも名誉もすてただひたすら中(韓)国の走狗となり、日本を貶め続けてきたA新聞に、限りない憤りを感じます。
軽蔑されるのが本人だけなら許されますが、わが国の名誉を著しく傷つけ、次代を担う若者たちから夢と希望と誇りを剥奪しているとなると、これはれっきとした「特級犯罪」です。(そう、掲題は「自国民に対する大罪」の意です。)
「南京虐殺」の嘘を、次回で暴くことにしましょう。わが国の名誉と威信にかけて!!!
資料探しもあり直ぐとは行かないかもしれませんが、ご興味ある方は目を通して頂き、間違いがあれば正して頂きたく思います。
今まで読んだ10冊近い「南京大虐殺」に関する本を引っ張り出し、目を通し直してみましたが、極めて恣意的・報復的に開廷され、日本の残虐行為の象徴として南京事件をで
っち上げ、わが国の名誉を貶め、骨抜きにした連合軍(といっても米国)・東京裁判に改めて激しい憤りを感じるとともに、60年経って未だに目覚めぬわが国が何とも情けなく、苛立ちを押さえ切れませんでした。
日本をドイツ並みのホロコ−ストをやったと仕立てたい連合軍が目をつけたのが南京戦であり、材料は幾らでも出てくると思ったのでしょう、法廷に呼応する形で「南京敵人罪行調査委員会」なる組織を作って日本軍の悪行暴きに乗り出しました。全市を挙げて大々的調査に乗り出した訳ですがサッパリ反応なし、再三手を代え品をかえ勧誘するも効果がないのに業を煮やし、無理やりでっち上げで作りあげたのが30万人です。
何しろ、当時休業状態にあった埋葬業者からの報告の11万人やら、砲弾で負傷し他所で避難していた魯甦なる男が目撃した(見れる筈がない)機銃掃射、銃剣刺殺の上ガソリンをまかれ焼かれたという老若男女57,418人(よくも一桁まで数えられたもの)極め付きは集団殺戮に会い、死体を焼かれて痕跡をとどめなかった者19万人など全く話にならない信憑性のない報告の合計でした。
東京裁判は偽証罪のない裁判で日本軍の悪口は言いたい放題、しかも東京裁判に対する一切の一般的批判は禁止(新聞での反論掲載は厳禁)されていたし、法廷では検事側に不利な弁護側の反論反証はことごとく受理されず、却下された書類は8000ペ−ジにおよんだと言われる程、公正さのかけらもない状況の下で「南京大虐殺」は仕立てられていきました。
そもそも、「南京大虐殺」なるものは、開廷3ヶ月後突然振って湧いたよう突きつけられた訳ですが日本国民には全く寝耳に水でした。何しろ南京攻略戦には日本軍将兵数万人の他報道陣約120人の他大宅壮一、小林秀雄、草野新平、石川達三など文人も大挙おしよせていし、50人以上の三国人や、新聞記者もいたのに、誰も目にも耳にもしておらず、当時全く話題になどなっていなかったのです。
当時の国民政府関係書類の中にも中国側に立って日本に中国における軍事行動に対し非難決議を採択している国連も「南京虐殺」は触れていません。起こっていないのですから載せようがありませんよね。
よく「あった」という証明は証拠さえあれば簡単だが、「なかった」という証明は極めて困難と言われますが、「なかった」の証明は、「こう言う状況下ではなかった筈」というのがやっとと言う限界があり、加えて当時は「あった」派に不利な資料は片っ端から棄却されてた訳ですから勝負になりませんでした。
それでも今日では多くの献身的な学者さん達のご努力のお陰で今日では「あった」派の捏造証拠が相当数粉砕されてきましたし、「ある筈はないと思わせる強力な証拠も結構揃っているんです。
そんな中の、私が反証として必ずあげるお話を以下にさせて頂こうと思います。
ちょっと長くなってきましたので、次回に・・。これより一っ風呂。
静岡県の東端、熱海市の伊豆山温泉国道135号線添いの鳴沢山の中腹に「興亜観音」があります。
日中戦争で亡くなられた日本軍及び相手の支那軍の戦死者を、敵味方等しく供養する為に松井石根(いわね)元陸軍大将が建てられた観音様です。
この松井陸軍大将こそ上海・南京戦を指揮した中支那方面軍の最高指令官で、A級戦犯として絞首刑になった方です。
陸大を主席で卒業しましたが、早くから支那語や書道・漢詩を勉強し、エリ−トが行く欧米ではなく自分が愛する中国を希望北京、上海など中国に16年間駐在武官として赴任していました。
中国・中国人をこよなく愛し、国父孫文始め多くの官民要人とも親交があり、日中両国で、中国の為、日中の為、更には白人国家に対抗する大アジアの為力を尽くした人物です。
当然、最高司令官拝命後の、南京攻略に当たっては人一倍心を砕かれ全軍に厳重注意事項を布告し、「日本軍が外国の首都に入城するのは有史以来のことで世界が注目する大事件なので、略奪行為や不注意による失火は厳罰に処す、憲兵をもって不法行為を摘発させるなど」国際法や慣習法からみても遺漏なきようと国際法学者まで帯同する念の入れようで極めて細かい厳命が下り直ちに下士兵卒まで下達されました。
法廷に出された宣誓口供書で、ある主計中尉が道端に落ちていた夫人靴片足を持ち帰っただけで軍法会議にかけられた事が紹介されている位、厳しすぎる軍紀にある部隊から苦情が出てきた程だったようです。ただし、これ程厳しい軍紀下でも違反者は出たようで、掠奪や強姦で軍法会議ににかけられ処罰を受けた者が十数名あったとの報告がみられます。この数字で終わったか否かは別にして、兎に角中国人には心を遣い、規律の遵守には厳しく、その刑には最も遠い司令官が刑場に送られてしまいました。
孫文の縁で蒋介石が日本の陸大に留学した時、松井は彼を大いに支援し親身の面倒を見ましたが、戦後松井の田中元秘書が台湾を訪れ蒋介石に会った時の書き物があります。
*****
田中「閣下には以前お目にかかった事があります。」
蒋「どこで?」
田中「昭和11年、松井閣下にお供して南京でお目にかかりました。」
松井大将の名を耳にされた瞬間顔色がサッ−と変わりました。目を真っ赤にし、涙ぐんで「松井閣下にはまことに申し訳ないことを致しました」と私の手を堅く握り締めて咽ぶように言われた。
あれ程支那を愛し、孫文の革命を助け、自分を庇護し、面倒を見てくださった松井閣下に対して何ら報いる事も出来ず、ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪で刑死せしめた。悔恨の情が一度に吹き上げたものと思われる。蒋介石は私の手を二度三度強く握って離さず、目を真っ赤にして面を伏せた。蒋介石は88歳でこの世を去るまで、松井大将の冥福を祈ったと聞く。
こう言う司令官の下で30万人虐殺など起こりうるでしょうか?
松井石根大将の秘書だった田中正明氏著「朝日が明かす中国の嘘」ですが、
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/7154/ で、もっと詳しく分かります。心理学で「レミニッセンス」=「投影」、「無意識的記憶」というのがあるらしいですね。
千年以上に亙って祖先のやってきたことは無意識の内に頭・身体にインプットされており、中国の場合虐殺は「日本軍は入城後、人を見ると殺し、女と見ると犯し、犯したのちさらに殺し・・・日本軍の殺人の方法は多種多様で、首をはねる、頭をかちわる、腹を切り裂く、生き埋めにする、手足をバラバラにする、生殖器を裂く、女性の生殖器や肛門を突き刺す、焼き殺す、水に投げ入れ溺れ殺す、人類史上においてもまれに見るものであった。」(中国側の公式見解とされている「史料選輯」に採用されている「証言」)の「日本軍」を「中国軍」に置き換えたやりくちが常道。
中国での戦では敗退・撤退時には進攻してくる敵の利用出来そうなモノは家・施設・食料から人間に至るまで破壊・強姦・殺戮して行くというのは「清野作戦」「三光作戦」といって常識なのです。
即ち、このような証言ばかりと言う事は
・日本軍はやっていない。 or
・中国軍が退却時にやった。
を証明するものなのです。
現に、当時のニュヨ−クタイムズの記者や米副領事も中国軍現場を見てその残虐さに呆れ、本国に報じています。
それにしても、この「南京大虐殺記念館」というのが、どうやら、社会党の田辺誠(党首or書記長?)がアイディアを出し作らせたものらしく、しかも展示資料にも日本の某新聞社が大いに手を貸しているらしいと言うのを聞くと、さもありなん。こう言う連中が同じ日本人かと思うと、怒りを通り越して本当に情けなくなります。
展示されている写真も殆どがやらせ(斬首寸前の男は他のシ−ンにも出てくる。)、合成写真の類です。強姦証言にしても、「我々がやって日本軍のせいにした」という白人の前でやった中国人の証言も残ってり大半が濡れ衣としか思えません。
何より、当時は南京住民が日本軍に日本軍に被害届けが出来るシステムになっていましたが、強姦の被害届けは数件となっています。
いやはや、ほんのお返事の積りが際限なくなりそうです。この辺でやめておきましょう。
参考資料 http://jpn.dyndns.ws/~nanking/
憲法記念日に当たり、パ−ル判事を言葉をどうしても皆さんと噛みしめたくなりました。
パ−ル判事は 「日本が過去の戦争において国際法上の罪を犯したという錯覚におちいることは、民族自尊の精神を失うものである。自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。日本人よ・・・」と檄をとばされ、「日本人は何故戦犯裁判の不法、不当性に対して沈黙しているのか、日本人はあまりに無関心、もしくは不勉強である。」と義憤をおぼえられました。
裁判が終わって4年後に来日された時のお言葉ですが、50年経った今も全く変わっていませんね−。と言うより隣国に言われるまま、何の勉強もせず反論もせず、濡れ衣がどんどん史実化してしまっている現状を草葉の陰でどれ程嘆かれている事でしょう。
上のお言葉で終わりにしようと思っていましたが、謝罪派が未だに国民の大勢を占めている、という事は、まず「東京裁判」が何たるかかを知っていない、知ろうとしていない方が多いという事にきがつきました。
さればこそ、この機会に皆さんと共に「東京裁判」を概観しておく事が必要なように思いました。憲法記念日連休という事もあり、少しは「日本」と言う「国」の事を少しは考えてみる事にしようではありませんか。
我々だけの為ではなく、我々の子孫の為にです。
*********
「東京裁判」は正式には「極東国際軍事裁判」と言われ
昭和21年 4月29日 起訴 ※昭和天皇誕生日
昭和21年 5月 3日 開廷
昭和23年11月12日 判決
昭和23年12月23日 絞首刑執行※今上天皇誕生日
最初から日本を侵略国と決め付け、勝者が敗者を一方的に裁いた国際法にも違反する非法・不法の復讐劇。判事も戦勝国のみから11人、内資格なき者5人、国際法学者はインドのパ−ル判事だけ、先ず結論ありきで、審議は終始多数派のペ−スで進められ、11人の判事が一堂に集まって協議したことは一度もないと言う異常さの中で、A級戦犯28名中、7名絞首刑、16名終身禁固他全員有罪の判決が
下されました。
パ−ル判事は、約2年半の期間、他の判事や検事が休日ごとにドライブやパ−ティ−にうつつを抜かして間、法廷後は帝国ホテルの一室に閉じこっもたまま裁判資料に目を通し続け、参考文献を取りよせまくり、もっぱら読書と思索にふけられた(その読書は三千巻)日々だったと言われています。
そして、その判決書は一切の同情論や抽象論を抜きにして、検察側の起訴事実、3種55訴因を追いつつ、論告と弁護を対比しつつ、しかも膨大な証拠、証言および学説について分析し、批判し、判定、国際法や条約文に対する法学者の見解はもとより、古今の哲学者、宗教家、政治家のことばを引用して、さながら荘厳なる大伽藍を思わせるような、見事な論理の構成、まさに、戦争裁判に関するもっとも権威ある名判決と言われているものです。
英文にして実に1275頁、日本語にして、100万語に及ぶ膨大
なものでした。
そのパ−ル判事の意見書の要点を記せば
| ● | 裁判は裁判という外貌はまとっているが、法に準拠した裁判ではない。国際裁判は軍事司令官の上に立つものでなければならない。 |
| ● | 過去の一時点における行為を、新たな現代法解釈で裁くのは適正ではない。1国が他国を征服し支配しようと準備する事が最悪の犯罪であると云う事は、現在ではその通りかもしれない。しかし第2次世界大戦には、いやしくも強国である以上は、この様な企画や準備をしなかった国はなかったのである。どうして日本だけが犯罪になるのか。欧米諸国がアジア諸国に対して行った行為こそ、まさに侵略そのものである。 |
| ● | 提出された証拠を、仔細に吟味してゆけば、被告達と起訴事実を結びつけるのは困難である。被告達と戦争犯罪という起訴事実を、直接的に結びつける証拠はどこにも無い。南京虐殺や従軍慰安婦連行を日本政府が国策して行った証拠も無い。 |
| ● | 日米交渉の最後の段階に於けるハル長官の通牒は、「この様な屈辱的な通牒を受け取ったら、モナコやルクセンブルグの様な小国だって、武器をとって立ち上がったあろう。」(歴史家の言葉を引用) |
| ● | A級の戦犯達が、捕虜虐待や残虐行為を命令したり授権したり、又は許可したという証拠は絶無である。もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが戦争に於て違法であるならば、都市爆弾や原子爆弾の使用はどうなのだ。東条英機をはじめとするA級戦犯28名は全て無罪、絞首刑は不相当。東条が裁かれるのであれば、同様に原爆投下を指揮したアメリカのトルーマン大統領も裁かれるべきである。スターリンの条約破棄による対日戦参加も違法である。 |
パール判決文は少数意見として採りあげられませんでしたが、欧米先進国では少数意見は必ず発表されることになっており、東京裁判所条例も少数意見は公表すると明記していたのに、時間がないことを理由に発表禁止しとなり(凄まじい反響を恐れ)文章の形で出版されたのは4年後日本が独立を回復した1952年です。
パ−ル判決はその後英米のマスコミ、多くの世界の名だたる法曹界の権威から全面的支持され、東京裁判は批判の的となりましたが、後年この裁判を取り仕切った、マッカ−サ−司令長官は公式に、ウェッブ裁判長、キ−ナン検事は私信ながら東京裁判の誤りを認めるに至りました。
「極東国際軍事裁判」とはそんな裁判だったのです。
次稿で、パ−ル判事の日本人に対する「檄」を噛み締め、終わりとしましょう。
パ−ル判事は東京裁判閉廷後、日本側の招待を受け3回来日されていますが、毎回、「日本人よ目覚めよ、奮起せよ」と檄を飛ばされ続けました。数ある中からホンの4つ。
| ● | 日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない。しいて独立という言葉を使いたければ、半独立といったらいい。いまだにアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。日本人よ、日本に帰れ! |
| ● | ニュルンベルクにおいては、裁判が終わって三か月目に裁判の全貌を明らかにし、判決理由とその内容を発表した。しかるに東京裁判は、判決が終わって4年になるのにその発表がない。他の判事は全部有罪と判定し、わたくし一人が無罪と判定した。わたくしはその無罪の理由と証拠を微細に説明した。しかるに他の判事らは、有罪の理由も証拠も何ら明確にしていない。おそらく明確にできないのではないか。これでは感情によって裁いたといわれても何ら抗弁できまい。 |
| ● | わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議審期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。 しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。 満州事変から大東亜戦争勃発にいたる事実の歴史を、どうかわたくしの判決文を通して充分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されてゆくのを、わたくしは見過ごして平然たるわけにはゆかない。 |
| ● | 日本の法曹界はじめマスコミも評論家も、なぜ東京裁判やアジア各地で執行された戦犯裁判の不法、不当性に対して沈黙しているのか。占領下にあってやむを得ないとしても、主権を回復し独立した以上この問題を俎上にのせてなぜ堂々と論争しないのか。 |
| * | 根も葉もないでっち上げにやっきとなり『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』キャンペ−ンに血道をあげている某社、パ−ル判事の言葉をどう受け止めているのでしょう。 |
http://members.at.infoseek.co.jp/jhistory/nanking/asahi.html
村山内閣総理大臣談話
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
平成7年8月15日
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
平成17年4月22日
議長、
御列席の皆様、
半世紀ぶりに、アジアとアフリカの諸国が一堂に集うこの歴史的会議に出席することはこの上ない光栄であり、会議を主催頂いたインドネシア及び南アフリカの両共同議長に深甚なる謝意を表します。私は、この五十年間我々を結びつけてきた強い絆を改めて実感し、我々が共に歩んできた道を振り返るとともに、二十一世紀においてアジアとアフリカの国々が世界の人々の安寧と繁栄のために何をなすべきか率直に議論するために、この会議に出席しました。
(過去五十年の歩み)
五十年前、バンドンに集まったアジア・アフリカ諸国の前で、我が国は、平和国家として、国家発展に努める決意を表明しましたが、現在も、この五十年前の志にいささかの揺るぎもありません。
我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。今後とも、世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意であることを、改めて表明します。
(アジア、アフリカ支援の実績)
議長、
過去五十年の我が国の発展は、日本国民の不屈の努力の賜でありますが、国際社会の支援があって初めて実現できたものです。日本はこのことを忘れません。戦後の荒廃から立ち上がった国民とその世代の代表として、私は生活の向上へ向け、額に汗をし懸命に働こうとするアジア・アフリカの人々と共に歩んでいきたいと思います。
我が国は、こうした考えに立って、アジア・アフリカ地域の開発のために人づくりやインフラ整備、水・感染症対策といった保健衛生分野の支援に力を入れるとともに、貿易・投資環境の改善に努めてまいりました。
(将来に向けての平和的な国際協力の遂行への決意)
本日、私は、今後我々が手を携えて進めるべき三点、すなわち、第一に経済開発、第二に平和の構築、第三に国際協調の推進に絞って発言します。
我が国は、貧困との闘いや開発におけるパートナーシップの強化を重視します。国造りのためには、自らの意思と努力により発展を実現しようとする各国自身の決意が何よりも重要です。我が国はこのような努力を尊重し、支援します。ミレニアム開発目標(MDGs)に寄与するためODAの対GNI比〇.七%目標の達成に向け引き続き努力する観点から、我が国にふさわしい十分なODAの水準を確保していきます。また、後発開発途上国の自立を支援するため貿易面でも、これらの途上国産品に対する市場アクセスの拡大に努めます。
アジアは過去五十年、大きく前進しました。しかし、開発格差の是正、経済連携の推進、先のスマトラ沖大地震及びそれに伴う津波の経験に基づく防災対策、海賊対策など、重要な課題が山積しています。具体的施策を打ち出し、アジアにおける新たなパートナーシップを構築していく考えです。防災・災害復興対策については、アジア・アフリカ地域を中心として今後五年間で二十五億ドル以上の支援を行います。
本年は「アフリカの年」です。我が国は、これまでTICADを通じて、アフリカと国際社会の連帯による対アフリカ協力を進めてまいりました。この場を借りて、二〇〇八年にTICADWを開催すること、今後三年間でアフリカ向けODAを倍増し、引き続きその中心を贈与(grant
aid)とする考えであることを表明します。
この場に最もふさわしいテーマは、アジアとアフリカの間の協力強化です。我が国は、そのため、アジアの若者がアフリカの青年と出会い、交流し、未来に向けた人づくりを推進するアジア青年海外協力隊の創設を提案します。また官民を挙げてアジアの生産性運動の知見をアフリカに活かすための支援を実施します。こうした取組を通じて、今後四年間でアフリカにおいて一万人の人材育成への支援を行うことを表明します。
第二に、平和の構築が重要と考えます。平和と安定こそが経済発展の不可欠な基盤です。我が国は、これまで大量破壊兵器等の拡散やテロの防止に力を注ぐとともに、カンボジアや東チモール、アフガニスタン等において平和の構築のために努力してまいりました。今後、中東和平推進のためのパレスチナ支援や、平和に向けてダイナミックな動きを示しているアフリカに積極的な支援を行ってまいります。無秩序な兵器の取引の防止、法の支配や自由、民主主義といった普遍的価値の普及は我々すべてが積極的役割を果たすべき課題です。
第三に、我が国は、グローバリゼーションを迎えた世界が新しい国際秩序を模索する中、我々アジアとアフリカとの一層の連帯を図りつつ国際協調を更に進めていく考えです。国連は引き続き国際協調の中心的役割を果たすべきですが、今日世界が直面する諸問題に効果的に対処するためには、国連、特に安保理を今日の現実を反映した組織に改革することが必要です。アナン国連事務総長が提案しているように、九月までに安保理改革について決定を行うため協力します。
(文明間の対話)
アジアとアフリカの連携を強化する上では、文明間・文化間、そして人と人との対話によって経験と知見を共有することが何より大切となります。我が国は、伝統を維持しつつ近代化に取り組む各国の経験を共有すべく、七月に世界文明フォーラムを開催します。
(結び)
議長、
昨年のノーベル平和賞はアフリカの女性として初めてケニアのマータイ女史が受賞しました。植林活動を通じて持続可能な開発に貢献したことが評価されたのです。マータイ女史は、現在日本で自然の「叡智」をテーマに開催されている愛・地球博の開会式にも出席され、日本語の「もったいない」という言葉を引用して、資源の有効利用と環境保全の重要性を訴えられました。物を大切に使おう、使える物は出来るだけ使っていこう、再使用しようという「もったいない」の精神を理解してくれたのです。アジアとアフリカは豊かな自然に恵まれ、大きな可能性を有しています。科学技術の進展によって、環境保全と持続的発展が両立する活気のある力強い社会を創り出すことは可能と信じます。我が国は、そのための努力を惜しまない決意をここに表明し、結びの言葉と致します。
御静聴ありがとうございました。