毎日新聞 2008/5/13
シンポジウム「iPS細胞研究の展望と課題」
京都大の山中伸弥教授らが世界で初めてつくった人工多能性幹細胞(iPS細胞)への理解を広げようと、シンポジウム「iPS細胞研究の展望と課題」(毎日新聞社主催、英国大使館、スコットランド国際開発庁共催)が4月15日、東京都渋谷区の津田ホールで開催された。山中教授のほか、英国から招かれた発生学の世界的権威ジョン・ガードン博士と、クローン羊「ドリー」を誕生させたイアン・ウィルムット博士が基調講演し、体細胞クローンからiPS細胞に至る研究の流れが明らかにされた。西川伸一・理化学研究所幹細胞研究グループ・デイレクターを加えたパネルディスカッションでは、iPS細胞の意義や将来像問題などが語られた。会場には一般の人々や研究者、患者など約500人が集まり、生物学の歴史を作った研究者たちの話に聴き入っていた。
主催 毎日新聞社
共催 英国大使館、スコットランド国際開発庁
UK-Japan 2008公認イベント
4月15日津田ホール
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「時間は不可逆」常識覆す 西川伸一氏 理化学研究所ディレクター
すべての科学的発見には源流があります。iPS細胞の一つのルールは胚性幹細胞(ES細胞)です。もう一つのルーツである細胞のリプログラミング(いったん分化した細胞が元の未分化の細胞に変化すること)については、あまり語られていません。
1800年代に、ワイスマンという人は分化の際に遺伝子がなくなっていくのではないかと考えました。それが本当かどうかを確かめるために核移植が行われ、分化しても遺伝子が保たれていることがわかりました。後に、ガードン先生はカエルを使って、大人の細胞からリプログラミングできるということを示しました。
今日講演される3人の方は、細胞の分化が一方向ではなく、戻りうるということを証明する重要な研究をされました。私たちの文化では、時間の経過は不可逆的だと思ってきました。そうした常識を覆す研究がどのように生まれたのかを、これからお話ししていただきたいと思います。
にしかわ・しんいち
1948年滋賀県生まれ。都大医学部卒。京大結核胸部疾患研究所で臨床研究をした後、ドイツ・ケルン大遺伝学研究所に留学。熊本大医学部教授、京大医学部教授を経て、現在は理化学研究所発生・再生科学総合研究センター幹細胞研究グループ・ディレクター。
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基調講演
人の病気治すため研究 山中伸弥氏 京都大教授
研究を始めた時から尊敬していたガードン先生、万能細胞研究を始めるきっかけとなったウィルムット先生にお会いし、私たちの研究結果を発表できることは研究者人生にとって記念すべき日です。
ES細胞は心臓や神経などのさまざまな細胞に分化させることができます。この性質から創薬や毒性の研究に使うことが期待されています。
しかし、問題点もあります。一つはヒトの受精卵からつくるという点です。治療、医学のためとはいえ、受精卵を使ってよいのかということに対して、反対する人が多いということです。二つ目は患者さんご自身の細胞からつくることは難しいということです。
これを解決できないかと考え、1999年に奈良先端科学技術大学院大学で研究室を持った時に、プロジェクトを始めました。体の細胞に特定の因子(遺伝子)を導入することによって、ES細胞と同じような幹細胞をつくることができないかと考えました。その因子を多能性誘導因子(PIF)と呼びます。
ガードン先生の研究によって、カエルの卵子の中には体細胞の時計を巻き戻すPIFがあることが示されました。ウィルムット先生のドリーにより、哺乳類の卵子の中にもPIFがあることが分かりました。2000年には京都大の多田高先生の研究で、ES細胞の中にもPIFがあることが示されました。そこで、マウスのES細胞を使った研究を始めました。
その結果、24個の因子が大事だと分かりました。04年に京大に移ってから、線維芽細胞という体細胞に24個の一つずつを入れてみましたが、万能細胞はできません。次にいくつか組み合わせて入れました。4つを同時に入れると、ES細胞にそっくりな細胞ができることが05年に分かり、これをiPS細胞と名づけました。論文にしたのは06年夏です。さらに、ES細胞と同様にiPS細胞からマウスができることが分かり、07年に報告しています。
私は元々整形外科医です。治したいのは人であり、マウスではありません。05年からヒトのiPS細胞づくりに着手しました。マウスの論文発表をしたころには、ヒトでも同じ因子でできることが分かってきました。
今は4因子のうち、腫瘍の発生に関連する「ミック(c−Myc)」という因子を入れなくてもよいことが分かっていますので、3因子を入れます。それを培養すると、ヒトのES細胞と区別できないような細胞ができます。慎重にデータを積み重ねて、07年11月に論文発表をしました。
iPS細胞はES細胞と同様にさまざまな細胞に分化します。どくどくと拍動する心臓の細胞もできました。それを見た時は、僕の心臓もどくどくと拍動しました。
「細胞バンク」設立構想
iPS細胞で何ができるのか。さまざまな病気の患者さんの体の細胞からiPS細胞をつくり、心臓や神経などの細胞にすることができます。それにより、病気の解明に役立つと期待されます。効果の高い薬のスクリーニング、個人ごとの副作用の検査にも役立つでしょう。安全性を確かめるなど、時間はかかりますが、細胞移植療法にも使える可能性があります。
患者さん一人一人からiPS細胞をつくることは高額の費用がかかります。時間もかかります。皮膚細胞からiPS細胞をつくるまでに1ヶ月、量を増やすのに1ヶ月、さらに分化させるのに1ヶ月と、最低でも3ヵ月かかります。
脊髄損傷は損傷から10日ほどで治療しなけれぱ効果が出ません。そこで、iPS細胞バンクを作ってはどうかと考えています。健常な人から皮膚細胞をもらって、iPS細胞をつくっておく。移櫃には、HLA(白血球の型)という細胞のタイプを合わせなけれぱなりません。タイプの異なる細胞をそろえたバンクをつくっておくのです。
この研究は、多くの若い研究者、学生が一生懸命努力をして成し遂げました。多くの人に役立ちたいのだという純粋な気持ちです。お金もうけのために転用されることは防がなけれぱならないと決意しています。
やまなか・しんや
1962年大阪府生まれ。神戸大医学部卒、大阪市立大大学院修了。04年から京都大再生医科学研究所教授。07年にヒトの人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作成し、世界の注目を集める。08年1月から京都大物質ー細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長。
iPS細胞(人工多能性幹細胞) 神経や筋肉、臓器など体のさまざまな部位の細胞に分化する万能性を持つ人工の幹細胞。同じ万能細胞であるES細胞は受精卵を壊してつくるが、iPS細胞は大人の体の細胞(体細胞)からつくることが特徴。山中教授らが06年にマウスのiPS細胞をつくったと論文発表した後、世界で研究が活発に進められている。文部科学省は「世界に誇れる日本発の成果であり、再生医療の実現に向けた大きな第一歩である」と評価し、08年度から5年間で総額100億円の支援策を打ち出している。 |
体細胞クローン 1個の個体や細胞から受精によらない無性生殖によって増えた遺伝的に同一な個体を、クローンという。体細胞クローンは動物の体の細胞を使って作った元の動物と遺伝的にほぼ同一の個体。個体の皮膚などの体細胞から遺伝子を含む核を取り出し、核を除いた未受精卵に移植する「核移植」の後、電気的刺激などにより融合させて胚を作り、これを子宮に入れて妊娠、出産させる。英ロスリン研究所は96年、哺乳動物では世界初のクローン羊「ドリー」を誕生させた。 |
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基調講演
難病解明、治療に役立つ イアン・ウィルムット クローン羊「ドリー」生みの親
核移植には二つの細胞が必要です。まず未受精卵で、ドリーの場合には成熟した雌ヒツジから取りました。遺伝子の情報を提供する体細胞は、成熟雌ヒツジの乳腺組織から取りました。
移植後、電流をかけると、二つの細胞が融合し、細胞が発達を始めます。電流が精子のような役割を果たします。卵を別の雌ヒツジの子宮に入れて子ヒツジが生まれます。
ドリー以降、さまざまな動物種のクローニングが成功していますが、霊長類はES細胞は得られるものの、子は生まれていません。なぜかは不明です。
核移植と電流による刺激などの活性化を同時にすることもできるし、活性化を遅らせることもできます。ヒツジではどちらでも差がありません。しかし、牛では活性化を遅らせたほうがよいことが分かりました。マウスでは遅らせることが必須です。なぜ、種によって違うのかは全く分かっていません。
なぜクローン技術が有用なのでしょうか。日本のビール会社が米国の研究に資金を提供し、牛でヒト型抗体を産生することに成功しました。役立つ成果です。例えば、がんやエイズの患者から組織をとってきて牛に注入し抗体を産生させる。それを患者に入れて疾病関連細胞を破壊するということが可能性としては考えられます。
もう一つ考えられることは遺伝病の研究に役立てることです。筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病気があります。筋力が低下する難病です。原因は分からず、治療法も確立していません。ALSの疾患遺伝子を持つ人から細胞を取ってきて核移植をしてクローニングすると、患者と健常な人の神経細胞の違いを研究することができます。
ドリーが示したことは、発達を制御するメカニズムはそれほど複雑ではなく、可逆性があるということです。考え方が変わったということが最も大切なことだと考えます。
イアン・ウィルムット
1944年英国生まれ。ケンブリッジ大で博士号取得。96年、ロスリン研究所の遺伝子機能・開発部の責任者として、世界初のクローン羊「ドリー」を誕生させたチームを指揮した。現在はエディンパラ大再生医療センター所長。
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基調講演
分化した細胞核に全能性 ジョン・ガードン氏 発生学の世界的権威
私たちは卵への核移植を研究し、細胞核の遺伝的な同一性を実証しました。この研究からクローン羊、iPS細胞へとつながっていくわけです。
卵から胚、胎児、成人になっていく発達の過程で、細胞は不可逆的に分化するといわれています。いったん腸の細胞になったら、筋肉の細胞になることはできないということです。しかし、皮膚や腸の細胞核を卵に移植して胚をつくり、心臓や筋肉の細胞に再分化させることができると分かってきました。
私たちはアフリカツメガエルのクローニングをしました。両生類の卵は大きいので核移植しやすいのです。脊椎動物では初めてクローニングされたカエルは正常なカエルとして約20年生きました。生殖機能も正常でした。この研究から分化した細胞の核は全能性を有しているということ、30%程度の効率で再分化が可能なこと、分化の際にゲノム(全遺伝情報)が保全されていることが実証されました。
現在はどんなメカニズムでリプログラミングが起こるのかを、卵母細胞という成長過程にある卵細胞を便って研究しています。英国では卵を使う研究に対する倫理的憂慮がありますが、私自身は心配していません。
別の人の治療に使う細胞を作るために、人の生命を殺すことだと批判する人もいます。でも私自身は、胚は移植しない限り生命にはならず、胚をその段階の前にとどめれば、生命とはいえない、倫理的に心配することはないと考えています。
ジョン・ガードン
1933年英国生まれ。62年にアフリカツメスガエルの体細胞クローンを作成し、後のクロ一ン羊「ドリー」など哺乳類の体細胞クローンの実現に道を開いた。73年ケンブリッジ大教授。現在は同大ガードン研究所所長。
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パネルディスカッション
考えられなかった素晴らしい成果 ガードン氏
安全性 時間かけて確認すべきだ ウィルムット氏
早い時期の国際協力に期待 山中氏
患者が参加する仕組み必要だ 西川氏
3氏の基調講演に続き、西川氏が加わり、パネルディスカッションが行われた。
(コーディネーターは永山悦子・毎日新聞科学環境部記者)
永山 iPS細胞研究をどう進めるのかを話したいと思います。まず、ガードン先生、ウィルムット先生にiPS細胞を知った時の感想をお聞きします。
ガードン 研究成果は素晴らしい。体細胞を直接ES細胞に変換することは考えてもいませんでした。ただ、卵子はリプログラミングを100%成功させるユニークな能力を持っており、卵子への関心は残っています。
ウィルムット ここで確立された手順は有用であり、私たちはこの手法を使って、ALSなどの疾病の解明に役立てています。iPS細胞が安全であるということを、時間をかけて確認する必要があると思います。
永山 iPS細胞研究はクローン胚研究に完全に置き換わるのでしょうか。
ウィルムット ES細胞から学ぶことはまだたくさんあり、研究は続けるべきです。しかし、近い将来、iPS細胞が胚由来の幹細胞と同じだと分かり、iPS細胞が唯一使うべき細胞となる日が来るでしょう。
永山 倫理的な側面をどう考えますか。
ガードン 毎年、頼まれて聖職者にレクチャーをします。私たちの考え方に対し、敵意を持つ聖職者は少なくない。研究により、初期段階の限られた胚を失うけれども、潜在的な利益があると説明しています。だんだんと多くの聖職者が支持してくれるようになり、昨年は85%が研究を続けるべきだと言ってくれました。
ウィルムット 私はほぼ60年生きていますが、その間、数多くの発見がありました。抗生物質の発見、人工受精、臓器移植、新しい化合物の開発など。私たちが問うべきことは、なぜもっと早く治療法を開発できないのかです。例えば、ALSやパーキンソン病などは治療法がほしいのです。そして、治療法ができた時に世界中の人たちが使えるようにするために、どうしたらよいのかといラことです。これの方が私にとって(倫理的問題よりも)重要な問題です。
山中 培養器の中にあるヒトの受精卵を顕微鏡で見た時、ものとは思えません。その感覚は失いたくない。一方、病院が火事になり、そこに培養されている受精卵と自力で動けない患者さんがいるとしたら、当然、受精卵を放置して患者さんを助けます。患者さんを救うのに受精卵を使ったES細胞しか方法がないのであれぱ、受精卵を使うべきです。しかし、技術が進んで受精卵を使わなくてもできるようになれぱ、両方を大事にすべきだと思います。
将来、iPS細胞から精子や卵子ができてしまう可能性があります。新たな倫理的課題をつくり出していると感じています。野放しにしないことが必要です。
永山 日本ではiPS細胞への期待が大きく、政府はこれまでにない速さで支援体制を作りました。英国ではいかがですか。
ガードン 英国民はiPS細胞研究の成果に感動していると思います。ただし、過去に科学技術や医療の進歩についての期待が裏切られる経験をしているため、過剰な期待はよくないという国民感情もあります。難病が近い将来、治癒可能になるとは思っていないでしょう。
永山 国際協力をどうすべきか、アイデアはありますか。
ガードン iPS細胞研究の重要性は多くの人たちが理解し、研究者同士が知識を共有しています。複雑な国際協力の枠組みを確立しなくても研究は進展すると思います。
山中 iPS細胞研究はヒトゲノム計画のように一国では予算的にも研究者の数からもできない研究とは違い、手技が簡単で小さな研究室でもできます。しかし、私が期待しているのは、病気の方の細胞からiPS細胞をつくって病気の解明や創薬に使いたいということです。世界のいろいろな国の方のiPS細胞を同じ手法でつくって、誰でも使えるバンクを設立するような協力は早い時期に必要だと思います。
ウィルムット ES細胞の研究で連携している国際グループがあります。そういった連携があれぱ、進展が加速されると思います。
西川 早く患者さんのため使えるようにするということが一番重要です。皆が知財の所有権を主張し合って争っていては仕方がない。英国や米国が1000人のゲノムを読み取るプロジェクトを進めていますが、すべてゲノムが分かっている方のiPS細胞ができると、さまざまな形で使えます。
永山 ALS患者にとって、iPS細胞は希望につながるかという質問が来ています。
山中 今は何もできません。そのことをできるだけ正確に伝えるように努めています。しかし、今の患者さんからつくったiPS細胞の研究は、将来の患者さんに役に立つ可能性は十分にあると感じています。
西川 私たちの研究所にかつて、医学部出身で突発性心筋症の研究者が入ってきました。研究所に来た動機は自分の体を治すためだったのですが、選んだ研究テーマはDNAについての極めて基礎の研究でした。心臓発作で亡くなってしまいましたが、回り道のように見えることが実は大切なのです。
患者さんたちが集まって力を合わせると、研究は進みます。多くの人が参加する仕組みをつくることが必要だと思います。