池田信夫blog 2008-05-18
「日本をダメにした10の裁判」
本書は30代の法律家4人の共著で、本としての完成度は高くないし、内容も常識的な話が多い。しかし若い法律家に、このように法律や裁判を経済合理性の観点から批判する(いい意味での)常識をわきまえた人々が出てきたことは、日本の法曹界にも少し希望を抱かせる。
特に第1章で、解雇権濫用法理を「合成の誤謬」という経済学用語で説明している論理は、当ブログの記事(個々の正社員にとっては望ましい既得権の保護によって、マクロ的には最も弱い立場の非正規労働者や失業者が犠牲になる)とそっくりだが、重要な問題なのであらためて紹介しておこう。これは東洋酸素事件の東京高裁判決(1979)で示された、次のような整理解雇の要件である:
これに労働組合との協議を 加えて「4要件」とする場合が多いが、労使協議は原判決では不可欠の要件とはしていない。しかし、その後の労働事件では、この4要件が踏襲され、労働基準法で認められている企業の解雇権が、司法的に非常にきびしく制限されることになった。その結果、派遣労働者や請負契約といった変則的な労働形態が増えたのである。
労働基準法第20条
「使用者は、労働者を解雇しようとする場合においては、少くとも30日前にその予告をしなければならない。30日前に予告をしない使用者は、30日分以上の平均賃金を支払わなければならない。但し、天災事変その他やむを得ない事由のために事業の継続が不可能となつた場合又は労働者の責に帰すべき事由に基いて解雇する場合においては、この限りでない。」
→ 「30日分の賃金を払えば、特に理由が無くても解雇できる」2003年改正労働基準法第18条の2
「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」
しかもこうした手厚い労働者保護が正社員以外にも適用されるのかといえば、日本郵便逓送事件のように「長期雇用労働者と短期雇用労働者では雇用形態が異なり、賃金制度も異なることを不合理とはいえない」として、非正規労働者を差別する判決が出て、これが踏襲されている。このように歪んだ労働市場を作り出し、大量のフリーターやニートを生んだ責任は、第一義的には家父長的な労働行政にあるが、目先の事後の正義にもとづいて正社員だけを保護してきた司法の責任も重い、と本書は指摘する。
これは当ブログでも何度も指摘してきたことだが、法律家自身も、同じような疑問をもち始めているのは心強い。特に労働市場の流動化による生産性の向上が日
本経済の最大の課題となっている今も、30年前の解雇権濫用法理が踏襲されているのはおかしい。本書も最後に提言するように、裁判官もビジネスの現場を見
て世の中の常識を身につけるとともに、判例に耐用年数を導入し、たとえば10年たったら無効とするような制度(あるいは慣例)をつくってもいいのではないか。
東洋酸素事件の東京高裁判決
事件の分類: | 解雇 (その他) |
事件名: | 地位保全等仮処分申請控訴事件 |
いわゆる事件名: | 東洋酸素アセチレン部門従業員整理解雇控訴事件 |
事件番号: | 東京高裁―昭和51年(ネ)1028号 |
当事者: | 控訴人 東洋酸素株式会社 被控訴人 個人13名 |
業種: | 製造業 |
判決・決定: | 判決 |
判決決定年月日: | 1979年10月29日 |
判決決定区分: | 認容 |
事件の概要: | 控訴人(第1審債務者)は、酸素、窒素、アセチレン等の製造、販売等を目的とする株式会社であり、被控訴人(第1審債権者)らは、昭和45年当時、控訴人川崎工場アセチレン製造部門に勤務していた従業員である。 控訴人は、アセチレン部門の業績が悪化したことから、同部門を閉鎖することとし、昭和45年8月15日をもって、同部門に勤務する従業員全員を解雇した ところ、被控訴人らは本件解雇は無効であるとして、従業員としての地位の保全と賃金の支払いを請求し、仮処分の申請を行った。 第1審では、当時の状況からみて、アセチレン部門を閉鎖すること自体はやむを得ないものであるが、控訴人が同部門の閉鎖に伴い従業員全員を解雇したこと は、配置転換等による解雇回避の可能性を考えるといまだ事業経営上やむを得ないものであったと解することはできないし、その手続も社会通念上首肯できるも のではなかったとして、本件解雇を無効とし、被控訴人らの従業員としての地位の保全と賃金の支払いを命じたため、控訴人はこれを不服として控訴した。 |
主文: | 原判決中被控訴人らの申請を認容した部分を取り消す。 被控訴人らの申請をいずれも却下する。 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人らの負担とする。 |
判決要旨: | およそ、企業がその特定の事業部門の閉鎖を決定することは、本来当該企業の専権に属する企業運営方針の策定であって、これを自由に行い得るものというべ
きである。しかし、このことは企業が右決定の実施に伴い使用者として当該部門の従業員に対する解雇を自由に行い得ることを当然に意味するものではない。我
国における労働関係は終身雇用制が原則的なものとされており、労働者は、雇用関係が永続的かつ安定したものであることを前提として長期的な生活設計を樹て
るのが通例であって、解雇は、労働者から生活の手段を奪い、あるいはその意思に反して従来より不利な労働条件による他企業への転職を余儀なくさせることが
あるばかりでなく、その者の人生計画を狂わせる場合すら少なくない。したがって、労働者を保護するために、たとえば労動基準法19条1項(業務上負傷、産前産後の30日)にみるように、法律の明文によって使用者の解雇の自由が制限されていることがあるが、そのような場合に当たらないときであっても、解雇が労働者の生活に深刻な影響を及ぼす
ものであることに鑑みれば、企業経営上の必要性を理由とする使用者の解雇の自由も一定の制約を受けることを免れないものというべきであり、控訴人の就業規則が使用者側の解雇を無制約なものとせず、「やむを得ない事業の都合によるとき」に限定したのは、右の事理を就業規則上明文化したものと解されるのであ
る。しかして、解雇が右就業規則にいう「やむを得ない事業の都合による」ものに該当するといえるか否かは、畢竟企業側及び労働者側の具体的実情を総合して
解雇に至るのもやむを得ない客観的、合理的理由が存するか否かに帰するものであり、「やむを得ない事情の都合」によるものと言い得るためには、第1に、右事業部門を閉鎖することが企業の合理的運営上やむを得ない必要に基づくものと認められる場合であること、第2に、右事業部門に勤務する従業員を同一又は遠隔でない他の事業場における他の事業部門の同一又は類似職種に充当する余地がない場合、あるいは右配置転換を行ってもなお全企業的にみて剰員の発生が避け
られない場合であって、解雇が特定事業部門の閉鎖を理由に使用者の恣意によってなされるものではないこと、第3に、具体的な解雇対象者の選定が客観的、合理的な基準に基づくものであること、以上の三個の要件を充足することを要し、特段の事情のない限り、それをもって足りるものと解するのが相当である。な
お、解雇につき労働協約又は就業規則上いわゆる人事同意約款又は協議約款が存在するにもかかわらず労働組合の同意を得ず又はこれと協議を尽くさなかったと
き、あるいは解雇がその手続上信義則に反し、解雇権の濫用にわたると認められるとき等においては、いずれも解雇の効力が否定されるべきであるけれども、これらは解雇の効力の発生を妨げる事由であって、その事由の有無は、就業規則所定の解雇事由の存在が肯定された上で検討されるべきものであり、解雇事由の有無の判断に当たり考慮すべき要素とはならないものというべきである。 控訴人のアセチレン部門の収支は昭和38年上期から赤字に転落しており、その業績不振は一時的なものではなく、業界の構造的な変化と控訴人に特有な生産能率の低いことに起因し、同部門の収支の改善はほとんど期待することができず、このままの状態で漫然と放置するときは、大手同業他社との企業格差が拡大 し、ひいては会社経営に深刻な影響を及ぼすおそれがあったことが明らかであるから、控訴人がその経営の安定を図るため、同部門を閉鎖するに至ったことは、 企業運営上やむを得ない必要があり、かつ合理的な措置であったものといわざるを得ない。 控訴人は昭和40年以降、一部の女子事務員を除き従業員の新規採用を停止しており、本件解雇通告当時、控訴人にはアセチレン部門以外の事業部門において も新たに補充を必要とするような男子従業員の欠員がなかったばかりか、かえって数十名に及ぶ過員を擁しており、特に現業職員及び特務職員の著しく高い比率 の過員状況から、控訴人としては右の過員の解消に努めていたものと認められる。他方、アセチレン部門の閉鎖当時同部門に勤務していた従業員47名中46名 は現業職であったから、被控訴人ら現業職従業員を他部門に配置転換するとすれば、その対象となるべき職種は現業職及びこれと類似の特務職に限られるとこ ろ、他部門においてこれらは当時過員であり、近い将来欠員が生じる見込みはない状態にあった以上、同部門の閉鎖により全企業的にみても同部門の従業員は剰 員となっていたことが明らかであるといわなければならない。更に被控訴人らは、控訴人がアセチレン部門の従業員の配転先を確保するため他部門の従業員につ いて希望退職者を募集すべきであったと主張するが、一般に企業が特定部門を閉鎖するに当たり、同事業部門の従業員の配転先を確保するために希望退職者を募集すべき義務があるか否かは、当時の諸般の事情を考慮して判断されるべきものである。しかして、控訴人としては全従業員について希望退職者を募集するとき は、同業他社から酸素部門等の従業員に対する引抜きを誘発することを恐れたこと、希望退職者を募集する以上は熟練従業員等がこれに応じた場合にこれを阻止 することは困難であること、控訴人が本件整理を行う旨公表したところ、47名の被解雇者について同業各社等から延1120名に及ぶ求人申込みが殺到したこ とが認められる。 以上の事実を勘案すると、控訴人が当時全社的に希望退職者を募集することによって会社経営上大きな障害が生ずることを危惧したのはあながちこれを杞憂と 断ずることはできず、控訴人は当時希望退職者を募集すべきであり、これによりアセチレン部門閉鎖によって生ずる余剰人員の発生を防止することができたはず であるということはできない。 上記のとおり、控訴人のアセチレン部門の閉鎖により、同部門の従業員はことごとく過剰人員となったものであり、そして控訴人は既に企業全体に過剰人員を 擁していたのであるが、そのうちから控訴人が具体的な解雇対象者として被控訴人らを含む同部門の従業員47名全員を選定したことは、一定の客観的基準に基づく選定であり、その基準も合理性を欠くものではないと認められる。以上のとおりであるから、本件解雇は就業規則にいう「やむを得ない事業の都合による」 ものということができ、本件解雇について就業規則上の解雇事由が存在することは、これを認めざるを得ない。 被控訴人らは、本件解雇通告は信義則に違反し、権利を濫用したもので、違法無効であるというが、控訴人がアセチレン部門の閉鎖及び同部門の従業員の全員 解雇の方針を組合に対し初めて通知したのは昭和45年7月16日であり、被控訴人らに対し本件解雇通告をしたのは同月24日であり、右閉鎖及び解雇を実施 したのは本件解雇通告の日から約20日後であって、控訴人が組合と協議を尽くさないまま短期間のうちにアセチレン部門の閉鎖及びそれに伴う従業員の解雇を 強行したことは、いささか性急かつ強引であった感がしないではない。しかしながら、当時控訴人においては解雇問題につき組合と事前に協議すべき旨の労働協 約等は存在せず、控訴人が長期間アセチレン部門の赤字経営を続け、結局同部門を閉鎖してその従業員全員を整理せざるを得ない羽目に陥った原因については、 控訴人の経営陣に特段の責められる落度があったものとは認められない。その上、控訴人は従来から組合に対し、アセチレン部門の赤字が逐年増加しており、会 社経営上放置し難い状況にあること並びに同部門における人員削減と作業能率の向上が急務であることを繰り返し説明していたこと及びこれが実現できないとき は、同部門の存廃が早晩検討されなければならないことも説明していたこと、更に控訴人が組合に対し、経営引受けの意思の有無を打診していたことが認めら れ、これらの事実からすると、少なくとも控訴人はアセチレン部門の従業員に対し同部門の将来は楽観を許さず、早晩その存廃が問題とされることを知らせてお り、同部門の閉鎖及び本件解雇が全くの抜打ち措置であったと断定することはできない。また、アセチレン工場においては、解雇通告等により同年8月に入って から欠勤者が増加し、組合との団体交渉は中断のまま組合側の申入れにより終わってしまった。このような事情の下においては、控訴人が組合と十分な協議を尽 くさないで同部門の閉鎖と従業員の解雇を実行したとしても、他に特段の事情のない限り、右の一事をもって本件解雇通告が労使間の信義則に反するものという ことはできない。 ところで、大手酸素製造業者3社がアセチレン部門を閉鎖した際には、労働組合と協議を尽くした結果、いずれも同部門の従業員を他の事業部門へ配置転換す るなどにより、整理解雇者を1名も出さないで事態を解決したことが認められるけれども、右3社においては控訴人と異なり、会社と労働組合との間にいわゆる 人事協議約款が存在していたこと、労働組合は合理化問題について柔軟な態度をとっており、アセチレン部門の閉鎖前から徐々に配置転換により減少していたた め同部門の閉鎖時における従業員数の比率が低下していたこと、右3社は昭和40年から昭和50年にかけて毎年多数の男子従業員を新規採用しており、酸素部 門等の事業規模が年々拡張され・アセチレン部門の従業員を配転により吸収し得るだけの労働力の需要があったことが確認でき、これら諸点において控訴人と比 べ全く事情を異にしていることがうかがわれる。したがって、右3社がアセチレン部門を閉鎖した際に労働組合と協議を尽くした結果整理解雇者を出さなかった 実例があるからといって、これと比較して、控訴人の執った本件整理解雇の措置が信義則に反し、解雇権の濫用であるとするのは当たらないものというべきであ る。その他本件整理解雇が労使間の信義則に反し、又は解雇権の濫用にわたるものと認めることはできない。 以上に認定・判断したところによれば、控訴人が被控訴人らに対してした本件解雇通告は有効にその効力を生じたものというべく、これによって被控訴人らは昭和45年8月15日限り控訴人の従業員の地位を喪失したものである。 |