2008年01月30日 週刊ダイヤモンド

信越化学工業社長 金川千尋
「先読みに理屈はいらない。市況が教えてくれる」

サブプライム問題で米国の住宅需要が大幅に落ち込むなかでも塩化ビニル工場が高稼働を続け、増益基調を堅持する信越化学工業。さらには米国工場の増設に踏み切るという。“先読みの達人”は、今後をどう見ているのか。(聞き手 『週刊ダイヤモンド』編集長 鎌塚正良)

――昨年は米国のサブプライム問題が表面化して大騒ぎになりましたが、どのように見ていらっしゃいましたか。

金川 昨年の初めから、米国国内の塩ビ(塩化ビニル)の売り上げが非常に減っていました。住宅着工件数は1月から7月ぐらいまで、月間140万戸台。2005年は(平均で)200万戸を超えています。それに比べたら3割以上落ちているわけです。これはいやな感じだな、と思っていました。

 そういう時期(8月上旬)にサブプライム問題が発生しました。結局、住宅バブルが終わったということです。だから、金利を多少下げたからといって景気が回復するわけではないと思います。

――米国で塩ビを生産する信越化学にとって、住宅需要は生命線ではないですか。

金川 そもそも米国の塩ビ需要は前年に比べて数パーセント減っているんです。米国では塩ビメーカーの株価はよくない。ですが、塩ビが悪いからといって、塩ビの生産が大きい信越化学も悪いと考えるのはまことに短絡的です。

 世界全体の需要は強い。世界中の需要が強いところにどんどん売っていくことで、塩ビ工場の稼働率は100%を維持しています。信用できる調査によると、今の米国メーカーの塩ビ工場の稼働率は76〜78%。装置産業で76対100というのは致命的、決定的です。決して楽ではないですが、ちゃんとした経営をしていれば結果が出る。

――米国のメーカーはなぜ輸出しないのですか。

金川 まことに原始的な理由だけど、彼らには輸出のための袋詰めの設備がないんですよ。うちは10年ぐらい前に、当時の輸出量の5倍ぐらいまで対応できる大きな袋詰め設備を造った。多少の投資はしたけれども、そんなものは1年くらいで回収しちゃった。同業他社が持っていない設備があることで、米国国内販売と輸出が機動的に実施できます。

 

――2007年11月の住宅着工件数は118万戸台まで落ち込みました。今年も米国国内の住宅需要は期待できません。その厳しい環境の米国ルイジアナで、今年、1000億円以上をかけて塩ビ関連の工場を増設します。

金川 建設が遅れていますが、特に急がないで、建設コストを最低限に抑えることを考えています。ゆっくりでいいから、とにかく「最高の工場を最低のコストで造れ」と言っています。4月の終わり頃に完成して、5月から動かす予定です。

作った物は全部売るのが信越化学の伝統

――増産する30万トン分は、どのように販売していくのですか。

金川 日本全体の塩ビの需要は、年間で140万トンを割っています。一方、ルイジアナ工場の増設で生産能力は15%増加しますが、世界中に売る、それだけのことです。作った物は全部売ります。それが(信越化学の)歴史と伝統だから。今から手は打ってあります。

 メインの市場は、やはり米国、中南米・カリブ海。それから中近東・アフリカです。30万トンがそっちへいけば、これは大変ラッキーです。今、全世界では(塩ビが)足りないから、結構いい手取り(利益)なんです。

――BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)諸国については、どう考えていますか。

金川 マーケットはありますから、物を売るのはいいんです。ちゃんとL/C(信用状)をもらえれば、そうリスクはない。

 しかし、投資するとなれば本質的に話が違う。全部カントリーリスクの固まりみたいなところですから、国内の政治や規則を変えたり、いろいろなことをやります。投資金額が少なくてすむ組立産業と違って、装置産業は工場が動き出してからが問題なんです。われわれにとっては数百億円という投資額は大きい。投資したら、逃げ出すわけにいきません。
(信越化学が進出していた)ニカラグアでは以前、わが世の春を10年間謳歌していました。ですが1979年に革命が起こって、当時のソモサ大統領は逃れた南米で暗殺されました。われわれは渦中にいましたから、身をもって怖さを体験しました。

 中国でいつも問題なのは、安全、環境、公害を無視していることです。行き詰まりが必ずくる。そのとき今まで買っていた物が急に買えなくなるとか、世界に大きなインパクトを与えるでしょう。だから、「中国に過度に依存するのはやめろ」と言っています。

 

――塩ビとともに、もう1本の柱である半導体材料のシリコンウエハが業績を牽引しています。今後の需給の動向をどう見ていますか。

金川 8インチウエハは悪いです。量が減って値段も下がっています。私は2年くらい前に、「8インチの増設は絶対まかりならん」と厳命しました。それは8インチが過去のものだから。単純な理屈です。それははっきりしています。だから、M&A(合併・買収)の話が持ち込まれたときも、「8インチ中心の仕事はいっさい興味ない」と頭から断った。今考えたら正しかったと思います。

――今後の戦術は。

金川 投資は300ミリメートルに集中します。いちばん投資効率がいい製品だから、マーケットに自信が持てれば無制限でやる。資金はその程度ならいくらでもあります。それで市況が崩れたら、体力のないところに(事業を)縮めてもらう。それが自由競争の原理です。

 こういうものは売れなくなると始末が悪い商品ですよ。うちもまともな経営をしないと消えていっちゃうんです。だから日夜、想像を絶する努力をしている。言うとノウハウがばれるから言いませんけど。

――どうすれば、自信を持ってマーケットの判断ができるのですか。

金川 理屈はなにもありません。市況を見ていればわかります。変わり目、よくなるとき、悪くなるとき、じーっと見ていれば、市況が教えてくれる。

 大事なのは、値段とその引き合いの内容です。(需要家が)急いでいるのか、量も売れと言っているのか。「急いでほしい」と言われたときは、1つのサインです。1ヵ所なら特殊事情かもしれませんが、数ヵ所からオーダーがきたときは(潮目が)変わったなということがわかります。
 逆は、注文のキャンセルやリスケジューリング(遅らせること)です。これは見逃したら具合が悪い。だから、毎日注意して見ている。他人に任せることではない。ほかにトップはすることがないんです。鉢巻きをして「頑張れ」と言うのがトップの仕事なら楽なもんですよ。

――昨年は、直江津工場(新潟県)で爆発事故が起きました。

金川 2007年3月20日です。大変なショックを受けました。粉塵爆発が起こるとは、誰1人夢にも思っていなかった。事故後、反省会を何度もやりました。

 絶対安全と思っていたのに、意外なところで大事故が起こった。今までの安全教育、安全管理が信用できなくなったことで、ゼロから始めようじゃないかと。

――医薬品の材料となるセルロースの供給不安が起こりました。

金川 「これから新しく製造設備を建設するときは、土地を買って別の地域にせよ」と言っています。1つの工場がダメになってもよそで作れますから。

 今、(工業用の)セルロースを製造しているドイツに、医薬用のセルロース工場を建設しています。万が一事故が起こっても、安定供給を守るのが狙いです。

「買収されたら『勝手にやれ』と言うでしょう」

――国内化学メーカーで、時価総額では現在、圧倒的にトップですが、世界に伍していくうえでさらなる買収戦略の検討が必要ではないでしょうか。

金川 これまでの買収で、株式時価総額を増やすことを考えたことはありません。問題は買収後にちゃんと経営ができるかどうかです。十分な調査をやって、条件も徹底的に詰める。

 原料やユーティリティ(電気、ガス、水道など)の供給契約がどうなっているか、公害問題で隠れた瑕疵がないか、あった場合の補償は誰がするか、調査がいいかげんだと後でひどい目に遭う。話が壊れても、私が納得しないものにはサインしません。結果としてどれも(利益に)貢献しています。

 条件に合うものなら、いくらでも買います。それで収益が伸びればいいですから。でも、なんとしても売り上げを増やそうという気は毛頭ない。だから焦っていない。しかし、いいものがあったらスパッといく。

――昨年、買収防衛策を導入しましたが、もし信越化学を買収したいという提案が出てきたらどう対応しますか。

金川 投資ファンドが判断することはどうでもいいんです。買えばひどい目に遭うでしょう。これ以上うちをよくするのは大変です。買って成功するわけがないと私は思っています。それでもおカネを積んできたら、防ぎようがない。

 もし仮に買われた場合は、私はなんの興味もないから、「勝手にやれ」と言うでしょうね。株主からそういう不信任を突きつけられたわけですから、「どうぞご自由に」という気持ちになるでしょう。あとで大けがしたって、それは自業自得です。

――在任18年近くなっていますが、トップであり続けるエネルギーの源泉は何ですか。

金川 投げ出したくなったことは、あまりないですね。ほかに趣味はないですし。あまり考えないことにしています、面倒くさいから。自分で限界と思えばいつでも辞めればいい。

 今年は難しい年だと思います。特に4月以降は不透明です。ここ3〜4年いいですから、こんな状態になってもっと結果を出すのは大変ですよ。簡単にできるものじゃない。それに挑戦できるかできないか。できなければ、できる人に代わってもらえばいい。それは自分で判断すればいいのであって、人がとやかく言う問題じゃない。それはボード(経営陣)で決める問題だと考えています。


聞き手独白:
「(信越化学を)買収して、新しい経営者でやってください。いいですよ、ご自由に」「私と同等、またはそれ以上にできる経営者はそういませんよ」……買収防衛策について問われると、およそこんなふうに答えてきました。傲慢なのではなく、自嘲や謙遜が嫌いなのです。逆説的にいえば、買収する側に「金川の代わりはいない」と思わせることが狙いなのでしょう。いずれにせよ、日本の経営者はもっと自信を持たないといけないのかもしれません。率直な金川発言には元気づけられます。

(聞き手:『週刊ダイヤモンド』編集長 鎌塚正良)