日本経済新聞 2003/11/24
GDPでは実態は見えない 景気「持ち直し」は本物か
本社コラムニスト 西岡 幸一
信じようと信じまいと企業の設備投資は目下、空前の水準にある。国内総生産(GDP)統計によると、今年7−9月期は実質で年率97兆円。バブル期をはるかに超え、四半期べースでは直近のピークだった2000年10−12月期をも大きくしのぐ。数字通りなら過剰設備どこ吹く風のブーム期だ。
先ごろ発表された7−9月期の実質成長率は年率2.2%で7・四半期達続のプラス成長。見かけ以上に手堅い回復過程を歩んでいるというのが大方の評価だ。先週末の政府の月例経済報告でも「景気は持ち直している」と判断を上方修正し、景気回復の足取りの確かさを追認した。
しかし、実感との違和感が残る。確かに景気の方向は、昨年の1月を底に、中だるみを経ながらも上昇軌道にある、という総合的なマクロ判断は動かし難い。設備投資や輸出、生産活動が活発化しているし、企業収益は大幅な増加。冬のボーナスも2年ぶりに増える。日銀短観の業況判断も着実に改善している。
とはいえ、GDPやその主要需要項目である消費、設備投資、輸出がどれも実質で優に過去最高水準を更新しているのが実像かといえば首をかしげたくなる。
市場経済の動きを貨幣で集計した、まさに経済活動の実像である名目値では異なる姿である。499兆円のGDPは8年前の1995年度の水準であり、ピークの97年度より4.2%低い。同様に、設備投資は同91年度より約20%低いし、公共投資はピークの95年度より実に約40%低い。名目で見れば、水準も方向も不振を抜け出ていない。
公共投資激減の中で新しい構造が生まれている証拠という見方もできるが、現実にはひずみばかりが増幅されている。負担率をどこまで上げるか、国民挙げて議論が沸騰している年金問題でも、要は名目の成長率が伸びないから深刻化する。
名目GDPの現在値 2003年7-9月期
季調済年率値いつと同じ
水準かピーク水準 名目GDP 499兆円 8年前 521兆円(6年前) 消費支出 277 8年前 282 (5年前) 設備投資 75 2年前 94 (12年前) 公共投資 26 14年前 43 (8年前) 輸出 59 過去最高 −
実質と名目が映し出す景気像が乖離するひとつの原因は、デフレーターの問題、とりわけ設備投資のデフレーターだ。設備投資は今年7−9月期でも、直近ピークの2000年度より名目では約6%下回っている。それでも実質では逆に8%も増えて経済を引っ張っていることになっている。デフレーターが大幅にマイナスになっているからだ。
同じ価格の複写機でも能力が倍になれば価格が半分になったことにする、というような品質を勘案した物価の算定法や基準年の95年から離れすぎていることで、ゆがみが大きくなっている。レンズの中心部で対象を観察すると正確に拡大されるが周辺部で見ると像がゆがむのと同じ状態だ。
米国でも90年代に情報技術(IT)関連のデフレターが大きく下落し、実質の設備投資が膨らんだ。設備投資に占めるIT関連の投資が50%以上にも達したこともある。それにしても、足もとが前年同期比7.3%も下落しているのは尋常ではない。
GDP集計上の擬制も実態を見誤らせる。例えば、帰属家賃という概念を入れている。持ち家に住んでいる家計も貸家に住んでいる家計同様に家賃を支払い、住宅サービスを購入していると仮定し、相当分を消費支出に計上するのである。
驚くべきごとに、7−9月期でこれが実に年率53兆円に膨らんだ。集計上の仮想消費が小泉改革の標的になっている公共投資の2倍の規模である。「9・11テロ」や重症急性呼吸器症候群(SARS=サーズ)、雇用不安や冷夏などにお構いなく、GDPを押し上げている。
実際、家計の名目消費支出の直近ピークは98年度で足もとはそれより約2%落ち込んでいるが、帰属家賃を除いた消費支出は倍の4%も落ち込んでいる。高齢者所帯を中心に貯蓄率が急落して消費を下支えしているといっても、実態はバーチャル消費の寄与も大きい。
一国経済の付加価値だけを集計し中間投入を無視したGDPを、景気指標の王様のように見て景気判断するのは考えものだ。特に、実質が誤解を生む。大男は総身に知恵が回りかねている。
で、景気はどう展開していくのか、ざっくり言ってこの数年、景気は輸出と連動している。輸出次第すなわち米国、中国次第という構図だ。この両者の堅調さに変わりなければ、回復軌道は続く。
プラスは設備投資だ。循環的要因もあるが、独立要因としてかなり腰が強い。薄型テレビなどデジタル関連機器向けの投資やその部品・材料などすそ野に広がる。ここでは仮に過剰設備を持つ企業でも新規投資の障害にはならない。最新技術を基にした投資を実行しなければ、企業の存続が危ういからだ。素材系の装置産業とは過剰の意味合いが違う。統計のゆがみではなく、本物の増勢に転じる公算が大きい。