第36回「中小企業経営者の気概に学ぶ」 2003/02/18

 第34回「『デフレ』に動じない中小企業経営者に学べ」に関しては、「コラムを読んで胸がいっぱいになりました」「この経営者殿のご意見には全く同意します。共感を覚えました。是非政府要人・高級官僚に読んでもらいたい」などなど、主旨に賛同した数多くの方からEメールをいただいた。派遣会社に7年間勤めた後フリーランスとなった34歳の方は「中小企業の社長様の本音がずしんと来ました」と告白してきたし、66歳になる年金生活者は「感動しました」とストレートな感想を寄せてきた。

 やはり、心の底からの真摯な叫びというものは、多くの方の心を打ち震えさせるものなのだろう。同じように中小企業を経営している方からは、特に熱いメッセージが寄せられてきている。いくつかをご紹介したい。

 「誠実に努力したものが報われる社会を希望」

 「まさしくその通りです。自らの努力、責任において経営を行っていく中小企業のオヤジの魂からの叫びです。大企業は『リストラ』『コストダウン』を錦に御旗のように振りかざし。そこで『黒字になった』『再生した』などとお話しされています」
 「では、リストラといっても人減らし。安物作りで下請け泣かせのコストダウン。企業文化も社会貢献もありません。私の会社の社員は死にものぐるいです。でも、顔には倦怠感ややる気のなさは一切出しません」

 「そう、安い給料でも(大企業、銀行、公務員は高給取り)こんなオヤジの会社を盛り立てて仕事しています。今回のコラムを読み、『中小零細の頑張りがあれば日本もまだまだだ』と感じ、また同じ苦労、悩み、決意で仕事をしている同志がいると思うと胸がいっぱいになりました」

 「デフレだから減収減益だ」と平気でうそぶく大企業の経営者に聞かせてやりたい。一度、下請中小企業の社長を経験してみたらいい。二度とそんな甘えた台詞は口にできなくなるだろう。

 この方と同様、「同じ苦労、悩み、決意で仕事をしている同志」は、全国津々浦々にいるに違いない。メディアではなかなか取り上げてもらえないが、彼らは、黙々と自らのミッションを果たすべく日夜努力を続けているのだ。モーターサイクルパーツのインターネット販売と卸売を営む33歳の経営者からは、次のようなEメールをいただいた。

 「第34回の内容に非常に深く共感しました。弊社は、2000年4月に、設立しましたが、この3年弱は、私にとっては、驚くべき出来事の連続でした。この3年の経験を一言で表すなら、『正直な起業家は死ね!』という感じです」
 「実際、この『不景気』といわれるものの正体は明らかです。政府のみならず、大手の企業(製造業)が自社より小さな事業者を踏みつけにしている。それが、かなわなければ業務妨害をする。中小企業も大手の企業の行動に習い、その結果、全員で『後ろ向き競争』をしている。こんな状況で景気なんてよくなるわけがありません。誰のせいでもなく、不景気な会社の経営者・社員各人の責任でしょう」

 「実際、前向きな努力をしている者にとっては、『不景気』というものが一体何なのか、まったくわかりません。しかし、不景気だと思っている大手企業の方たちにビジネスを邪魔されることほど、不愉快な出来事はありませんね」

 「最近は、一見の一個人のお客様でも、お勤めの大企業名を出されて、納期・価格の面で、ほかのお客様よりも優遇されることを要求されたり、それを実現するために、弊社の取引先に対して圧力をかけることを要求され、その具体的な圧力のかけ方を明記した『圧力指示書』とでもいうべきものを頂いたりしております」

 「今、この国で生じている問題は、単に不良債権問題やデフレの問題というよりは、あたりまえのルールが、この国には、存在しない、それに尽きるのではないかと思います」

 「巷では、世界的に競争力のある製造業(?)に対する期待があいかわらず高いのですが、私の印象では、大手製造業も、この国のモラルハザードを助長している存在なのではないかと感じます。弊社としては、消費税増税だろうが、外形標準課税だろうが、ぜんぜんかまいませんが、この国がどこにむかっているのかについては、非常に気がかりです」

 「ただ生き残るだけでは、いけないように思います。弱肉強食は、競争社会ですから、当然ですが、『弱肉強食、かつ、適者生存』とならなければ、その種族は途絶えます。誠実に努力したものが報われる、そのような社会を希望しますし、私自身、社会に対して、弊社の事業が、そうなるような影響を与えられる存在となるべく、努力しております。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 「誠実に努力したものが報われる、そのような社会を希望します」――私も本当にそう思う。わが国の閉塞感の源は、そういう社会になっていないことに根差していると感じざるを得ない。退場すべき企業が債権放棄というインチキ技で生き残り、安売りで他の健全企業の収益力を痛めつけるという構図はいいかげん終わりにしなければならない。

 自らやれることを自らやるしかない

 この間、債権放棄をしてもらった社長が記者たちからの厳しい追及に対して、こう応えていた――「色々とご指摘されるのは仕方ないけどね。ウチの会社だってね。借金さえなければピカピカなんだよ」。開いた口が塞がらないとはこのことである。こんな社長に経営を任せておいて再建するはずがない。

 しかし、愚痴っていてもはじまらない。出来ることから始めようではないか。空虚で空疎なマクロ経済の議論はエコノミストたちに任せておこう。どうせ十年来何も変わり映えのしない討論に、時間を無駄に浪費するだけなのだから。

 そういう割り切りに至ってしまえば、自らやれることを自らやるしかないではないか。最期にそういうコメントを寄せてくれたEメールを紹介する。

 「前向きな努力をしなくなったら人間終わりですね。いま改めて、マーケティング・経済・財務会計を勉強しなおしています。コラムの社長様を見習います。だめな会社は潰れるのです。魅力のある会社は大きくなるのです。個人でもそうです。だめな人間はだめで、がんばれる人間が勝つのです。それが資本主義ですし、自由な経済です。当たり前なことと思います。一人一人が自分の半径5mに責任を持って暮らしたら、きっと日本はよくなる、日本を経営していると思って一人一人が考えたら小さな考えは消え去ると考えます」

 

第37回「銀行のインチキ増資をモニタリングしよう」 2003/02/25

 2月21日、金融庁は第三者割当増資に関するガイドラインを公表した。もともとは、2001年12月に破綻した石川銀行が直前に第三者割当増資を繰り返したことによって、被害者が増えたことに対する措置であるが、このところ話題になっているメガバンクの第三者割当増資にも備えたものなのだろう。

 二度と許されない石川銀の事例

 何と言っても、石川銀行の事件はひどかった。株など買ったこともないようなご老人や拒否できない弱い立場にいる債務者に増資を引き受けさせて、自己資本比率の維持に邁進したのだ。わが国では「生き残りに必死だった」といえば何でも許される雰囲気があるが、石川銀行の経営者がやっていたことは、ヒドイ財務状況を隠しながら、株式を売りつける詐欺に過ぎない。二度と許されざる悪行だ。

 そういう意味で、石川銀行事件に学んだ金融庁が、自ら「第三者割当増資ガイドライン」を公表したことは高く評価してよいだろう。というのも、内容がそれなりにつまっている本格派のガイドラインだからだ。

 第三者割当増資については、預金及び貸出等の業務を営む銀行が取引先等に対し直接に割当てを行うので、例えば「資本充実の原則」との関係や「優越的地位の濫用」の防止等、法令等遵守に係る内部管理態勢の確立について、健全性や誠実さ等の観点から、特に十分な経営努力が払われる必要がある。

 当たり前のことなのだが、このガイドラインは、上記のように、「資本充実の原則」との関係や「優越的地位の濫用」の防止を謳っている。極めて正しい視座である。この二つの観点が貫徹されていたならば、石川銀行の犠牲者はもっと少なくて済んだはずだ。実際問題として、自ら迂回融資をさせて株を買わせ「資本充実の原則」を踏みにじり、他に借りる宛てのない債務者に株を引受けさせて「優越的地位の濫用」をする銀行が後をたたない。

 竹中大臣が唱える「3つのS」のうち、健全性(Sound)と誠実さ(Sincere)の観点から言っても、ここは厳しく目を光らせてもらいたいところだ。

 このガイドラインの優れたところは、第三者割当増資を行う銀行に対して、商法、独占禁止法及び証券取引法等の諸法令にしたがって適切に実施するために講じる内部管理態勢全般について、網羅的な報告を求めている点にある。報告には、(1)基本的な経営姿勢、(2)資本充実の原則の遵守等、(3)優越的地位の濫用等不公正な取引の防止、(4)商品性の適切な説明、(5)適正なディスクロージャーの確保、(6)遵守状況の事後的な点検体制の整備、を網羅させている。

 具体的に、留意すべき着眼点としてあげられているものとして、出色なのは、次の2項目だろう。

・ 財務の実態等を勘案すると、返済能力や意思のない先に、直接または迂回して融資等の信用供与を行い、その融資等の信用供与による資金で増資払込みを行わせる場合
・ 増資引受先の株式保有リスクを何らかの形で銀行(グループ)が肩代わりしている場合

 これで明らかなように、財務の実態等を勘案すると増資を引き受けることが不自然な先や、嫌がる取引先に引き受けさせるためにリスクを分担しているような先については、厳しいメスが入ることになる。実際、注意書きとして、「信用リスク管理の観点からは、経営改善支援に注力すべき融資取引先に増資払込みを行わせることのないよう、業況や財務内容等を十分見極める必要があることに留意する」として、「例えば、債務者区分が要管理先以下の債務者に対し、増資払込みを行わせることは、信用リスク管理の適正の観点から問題であることに留意する」と忠告していることに、各銀行は注意することが必要になろう。

 遵守できぬ銀行は厳しく処罰すべし

 また、証券取引法の遵守に関しては、下記のような表現が盛り込まれている。

 有価証券届出書及び目論見書の提出前における割当先名簿の作成は行内の準備作業であり、取得の申込みの勧誘は有価証券届出書が提出されていなければすることができないこと等、基本的な留意事項を行員に徹底することとしているか。

 これは、いわゆる「事前勧誘」の問題である。わが国の証券取引法においては、50人以上の多数に対して、有価証券である株式の引受けを募集する場合、説明資料として「有価証券届出書」を提出しないかぎり、申し込みの勧誘をしてはならないことになっている。したがって、第三者増資をするということを経営陣が決めただけでは、勧誘行為をしてはならないのである。

 しかも、勧誘の際の資料については、「財務内容について誤認を与えることの無い」ものとなっていなければならず、また、顧客への説明方法やその内容は、「民法、金融商品販売法等の観点から、適切なものとなっている」必要がある。

 指摘されてみれば、当たり前のことばかりなのだが、新鮮に心に響く。これまで、わが国の金融行政においては、あまりにも当たり前のことが当たり前に為されてこなかったからだ。だからこそ、このガイドラインを単なる念仏に終わらせてはならない。二度と石川銀行のような悲劇を、しかもそれを大きくしたような形で起こしてはならないからである。

 この程度のガイドラインを遵守できない先があるとは考えたくないが、万が一、そういう銀行があったとすれば、厳しく罰する必要があるだろう。実際、ガイドラインは、「重大な問題があると認められる場合には、法第26条に基づき業務改善命令を発出するものとする」としている。

 もっとも、マーケットでは、すでに「あそこの銀行は事前勧誘をしていた」とか、「目論見書を渡さずに申し込みの勧誘をしていた」とか、「金利条件まで提示して購入を要請していた」などと様々な噂が飛び交っている。ご丁寧にも、「第三者増資の決議を求める特別株主総会に社外取締役が欠席していたのは、コーポレートガバナンスの欠如だ」というテクニカルなものまで流布している。

 いずれにしても、そのような事実が実在するとすれば大問題だ。われわれは、そうした動きを注意深くモニタリングしていかねばならない。もし、読者が耳にした情報や目にした事実があれば、是非Eメールを送っていただきたい。これ以上、インチキ増資を認めることは国民の為にならないし、何よりもその銀行に働く銀行員にとってもプラスにならない。インチキ増資は、インチキ経営者を資するだけで、銀行自身にとっては将来に亘って余分な負担を背負い込むだけだからである。

 

第38回「若手銀行員はなぜ銀行を辞めるのか?」 2003/03/03

 米国において、MBAを目指している28歳の元銀行員からお便りをいただいた。ちなみに、この方は2000年に某メガバンクを辞めたのだが、そのメガバンクは、当コラムで人気者のX氏が勤めている銀行でもある。「貴殿の連載を拝見させていただき思うところ多々あり、メールをお送りする次第です。取り留めなくなるかもしれませんが、ご容赦ください」という書き出しから始まるEメールの内容をご紹介したい。

 「被害者意識…何も変わっていない」

 「もう退職してから2年がたつにもかかわらず、銀行の内部は――特に被害者意識の方々は――何も変わっていないということに愕然といたしました(自分が内部から改革することはもう叶いませんが)。ただし、それとともに、自分の選んだ道――「退職」という選択――が正しかったものであると確信したしだいです。もはや、一部の方が指摘するように、外部からの強制的な改革により、早期に金融システム・銀行を立ち直らせるよりほか対処法はないのではないかと感じます」
 「第24回、第28回に掲載されているEメールの差出人の思考経路は、銀行トップを始め、40歳以上(30歳以上ではないと信じたい)のエリートと自認する人たちの特徴なのです」

 「『甘ったれるな』と言いたい。『何様なのだ』と言いたい。『仕事に応じた給料』という基本的な考え方を理解することもない。経営をしたこともないのに決算書の利益・規模だけで顧客の優劣を『神』のように決めつける。そして、先輩方の築いた戦後日本経済の繁栄をあたかも自分の手柄のように思い違い、ありもしない後光で顧客企業に威圧的に対応してきた。残念ながら、そういう姿が銀行の現状なのだと思います」

 悲しいかな。この若人は、「退職」という選択を「正しかった」と再認識している。メガバンクのX氏に代表される「被害者意識」の強さは、2年以上前からの重たい病なのだそうだ。そういう彼は、何を思い、何を考えて、メガバンクに入行し、そして退職したのだろうか。

 「『この銀行!』と思いを決め、金融不安の兆候にも恐れを抱かず、夢を持ち入行しました。すばらしい先輩方――多くは辞められました――がおられ、ここで働きたいと強く希望して入行したことを昨日のことのように覚えています」
 「しかし、自分の将来を考えたとき、この組織を改革できるようなポジションに辿り着くまで30年以上かかるという現実を直視せざるを得ません。そして、残った場合に30年後の自分は多分魅力的とは言いがたい封建制度の守護者となってしまうということを危惧せざるを得ませんでした。それで、私は退職したのです」

 「銀行を辞めて感じたことは、(1)銀行員・支店が横柄だということ(若手ながら同期入行の友人も典型的な銀行員エリートになってしまった)、(2)顧客企業は銀行員を信用していないということ(銀行員はその逆を信じて疑っていない)、(3)元銀行員と名乗ることに引け目を感じるということ(本当に悔しい)です。それが銀行の現状なのだと思います」

 確かに若手銀行員からすれば、自らが経営陣となり、組織を変革できる立場になるまでには、気の遠くなるような歳月を必要とする。その間、幸いなことに銀行がサバイバルできたとして、その姿は一体全体どういうものになっているだろうか。そういう銀行に居残って勤めている自分の姿を想像したとき、あまりの切なさに胸が痛くなる向きも少なくないだろう。

 銀行を辞めた彼は、世の中の常識から銀行を眺めることによって、内から見た銀行と外から見た銀行の違いを肌で感じるようになる。その目で見たときに、わが国の銀行は立ち直ることができるのか、それは無理なのか――彼の意見を聞いてみよう。

 「外部からの銀行改革が必要な時期に」

 「残念ながら、銀行の特徴である強固な内部人事・組織システムがあるために、内部からの改革は短期的には非常に難しいと思います。しかし現状の景気から、これ以上、真面目にやってこられた企業、経営者、従業員の方々が被害を蒙らないために、大企業というだけで摩訶不思議に存在しうる不公平な社会を糾すために、外部からの銀行改革――いわゆる国営化を含む――が必要な時期に既に入っていると思います」

 私自身は、「内部からの改革」を望んでおり、最期まで諦めたくはないと思っているが、彼の診断は違うようだ。そして、「真面目にやってこられた企業、経営者、従業員の方々が被害を蒙らないために、大企業というだけで摩訶不思議に存在しうる不公平な社会を糾す」という考え方には、私も共感する。

 「今は、米国でMBAを目指して猛勉強しています。米国に来て改めて感じるのですが、日本(人)の潜在能力(特に中小をはじめとする製造業)は非常に優秀であり、その対極にある銀行を始めとする金融システムを改革すれば、日本はまた立ち直ることができるということです。自分に何ができるのか分からないけれども、銀行の内部を知る外部の一社会人として、その役に立ちたいと切実に思います」
 「もう日本を離れて半年が経ちます。早く帰り、どんな形であれ、一社会人として、自信を失った日本がもう一度立ち直る一役を担いたいと強く感じます」

 将来に希望を託す結語に正直「ホッ」とした。私も、「日本(人)の潜在能力(特に中小をはじめとする製造業)は非常に優秀であり、その対極にある銀行を始めとする金融システムを改革すれば、日本はまた立ち直ることができる」と信じている一人である。そして、「一社会人として、自信を失った日本がもう一度立ち直る一役を担いたい」とも心の底から思っている。

 3月期決算を控え、昨年10月末に公表された「金融再生プログラム」――いわゆる「竹中プラン」――が実施の最終段階にさしかかろうとしている。「内部からの改革」が成就するのか、それとも、彼がいうように「外部からの銀行改革」がなされない限り情勢は好転しないのか、まだまだ予断は許さない。読者におかれては、「竹中プラン」の実施状況を厳しくモニタリングし続けていただきたいと思う。

 ただし、その際の基礎知識としては、「竹中プラン」の内容を知悉することが必要である。というのも、あまりにもミスリーディングな報道が多いので、「竹中プラン」の中身が十分に理解されているとは思えないからだ。なぜメガバンクが急いで増資に走っているのかなどという背景を熟知すれば、同じ景色でも受ける印象が違ってくるかもしれない。そう思い立ったので、私は、この2月末に「竹中プランのすべて」(アスキー・コミュニケーション)という新著を緊急に上梓することにした。読んでいただければ幸甚である。批判の絶えない竹中大臣の苦労の一端がみえてくると思う。また、3月25日には、新潮社フォーサイト特別講演会において、「竹中プラン」に関する実況中継講演を行う予定である。興味のある方は事務局(電話0120−468−465、http://www.shinchosha.co.jp/foresight/)に尋ねてみてもらいたい。

第39回「メガバンクは内部改革できないのか?」 2003/03/11

 前回のコラム「若手銀行員はなぜ銀行を辞めるのか?」において、メガバンクの再興に関し、「私自身は、内部からの改革を望んでおり、最期まで諦めたくはないと思っている」とさらりとしたためたところ、メガバンクを一年半前に辞めて、外資系証券会社に転職した39歳の方から手厳しい反論をいただいた。

 「抜本的には何もしない」というカルチャー

 「木村さんのコラムは、現在の銀行が有している問題を的確に抉り出し、それを社会に示されており、大変心強く思っています。私は約1年半前に都市銀行を辞め、外資系証券に移りましたが、辞めた人間が何を言っても詮方ないことと、木村さんのご意見や皆様の投書を楽しく拝見しておりました」
 「ただ、さすがに、木村さんの『私自身は、内部からの改革を望んでおり、最期まで諦めたくはないと思っている』というご見解は、非礼を重々承知の上、『あまりに都銀知らず』『あまりの楽観論』としか言いようがなく、さすがに目に付きましたので、『MBAを目指している28歳の元銀行員』のご見解に何も新たなものを足すことはできないのですが、筆を執った次第です」

 いえいえ「非礼」などとんでもない。私自身、完全な人間でも、無謬の識者ではないから、是非、色々な方々の真摯なご意見をいただきたいと思っている。そこで、このメールの主の意見に耳を傾けてみることにしよう。

 「都市銀行の役職員の行動原則は、一にも二にも、『組織のあり方の維持』です(決して『組織の維持』ではありません)。その『組織のあり方』とは、『組織の周りには若干の問題は絶えずあるものの、それは大きな問題と捉えるほどのものではなく、そのことさえ認識しておけば、今ことさら何をする必要はない、という雰囲気を維持すること』です」
 「この雰囲気を維持すべく、エリートは絶えず問題には気付いています。しかし、同時に、絶えず、『それは大した事ではない』という結論に至るように作文をし、そのことを組織として認識するために報告をし、そして、抜本的には何もしないという判断に至ります」

 なるほど、この論者によれば、メガバンクの目的は「組織の維持」ではなく、「組織のあり方の維持」であるそうだ。「抜本的には何もしない」というカルチャーを大事に大事に守っていくのが、メガバンクの特性なのだということらしい。

 「このような組織で、問題に気付いてよい立場でない者(例えば営業店の人)が問題に気付く、あるいは、本部の人でも、気付いた問題が大きな問題なので、『何とかしないといけない』などと思おうものなら、どんなに優秀な人間でも間違いなくパージされるでしょう」
 「ある意味では愉快なことに、このルールは頭取にも適用され、人望ある辣腕頭取が何かをしようとしても、その考えが本部官僚を通り抜けたときには、無難に落ち着いたものにされてしまい、結局、抜本的には何もしないということになってしまうのです」

 「内部からの改革」の公算小さい

 「何とかしないといけない」と思っただけでパージされ、「人望ある辣腕頭取」ですら自らの組織を改革できないのでは、如何ともしようがない。メガバンクの行員は、全員が全員、去勢されてしまうということなのだろうか。そういう人事のやり方で、厳しい競争環境を生き抜いていくことが本当に出来るのだろうか。ひょっとすると、邦銀の国際競争力のなさは、そういう点に根差しているのだろうか。

 「このような組織では、とにかく、事を起こさない人(私の目から見ると、事を起こす力のない人)こそ重用されるのです。また、そういう人が人事部に所属し、同じような人材を選抜し、あるいは、人事出身者で銀行組織の幹部を固めて、事が起こらないようにします。逆に、問題意識のある人の出世はとまり、その力を発揮する場所からどんどん遠ざけられるのです。そして、やがて辞めていくのです」
 「そのような組織で、いったいどうすれば『内部からの改革』など望めましょうか。また、そのような組織で、誰が『内部からの改革』などするのでしょう。『問題が内部にある』と気付いたり、『これは大変なことだ』と指摘したり、『何かしないといけない』と主張する、そのような人を排除することが『組織のあり方』として正しいと思われている組織なのです」

 確かに、彼の指摘が真実であれば、「内部からの改革」など到底望めまい。「何もしない」ということが「組織のあり方」として染み渡っている中からは、何らかの生産的な検討が生まれてくるはずもない。まるで、腐った大官庁の話を聞いているような錯覚に陥りそうだ。

 「もといた組織に今なお残る友人は、一人一人は間違いなく優秀な人間であり、そのような友人と同じ会社で働けたことを誇りに感じています。世間の人もこの点は誤解されないことを望んでやみません。しかし、であればこそ、会うたびに、彼らの月何回かのゴルフの話題は、マーケットで自分の値段を見つめながら必死に生きている身には、暗澹たるものがあります」
 「どうでもいいことではありますが、あまりに大きな誤解(『内部からの改革』が可能)を本気でされているようだといけませんので、老婆心ながらメールをしました」

 率直でストレートなご意見をお寄せいただいたことを素直に感謝したい。確かに、現実はそうなのかもしれない。この論者に両手を挙げて賛同をしたい強い欲求に駆られるのも事実である。しかし、われわれは絶望してしまうしかないのだろうか。微かにでも望みを託すことはできないのだろうか。金融当局が蛮勇を奮って有無を言わせずゴリ押しする形ではない、メガバンク改革は不可能なのだろうか。

 日本の金融機関にだって先例はある。野村證券が不祥事の連続で危機に陥ったとき、若手将校達は血判状をもって、酒巻社長の退陣を迫った。総会屋事件に巻き込まれたDKBも血気盛んな四人組が窮地を救ったと伝えられている。私としては、この論者に対して、反論するメガバンク改革派の反論を聞きたいところなのだが・・・・・。

 とはいえ、反論らしい反論が聞かれない可能性は高いのかもしれない。もし、そうであるとすれば、この論者が指摘していることは、われわれが直視しなければならない、わが国メガバンクの悲しい現実だということなのだろう。

 

第40回「メガバンクの経営者はなぜ筋悪増資を決行するのか?」 2003/03/24

 第37回コラム「インチキ増資をモニタリングしよう」において、近頃のメガバンクによる増資に関するご意見を募集したところ、「本案件は第三者増資ではありませんが…」と断わった上で始まる長文が届けられた。差出人は、外資系証券Bから最近増資を受けたメガバンクAを2年前に退職した元行員。彼の問題意識は、以下の一節に尽きている。

 「メガバンクAが行った増資に関しては、行員、株主、国民の利益という点から不可解な点が多いので一言申し上げたく存じます。そして、銀行の経営陣(特にトップ)が、なぜ、ここまで無理な増資をしてまでも国有化を拒むのかということの理由を推測してみたいと思います」

 報道によれば、このメガバンクAは、最近外資系証券Bに対して優先株を発行し、その転換権を認めるとともに信用保証までサービスしている。そのメガバンクA出身者である彼は、「行員、株主、国民の利益から不可解な点が多い」と断言している。それは、どういうことを具体的に示唆しているのだろうか。彼の主張に耳を傾けてみよう。

 「外資系に足元を見られているメガバンク」

 「私が申し上げたいのは、メガバンクAが外資系証券Bから受ける優先株増資に関してのことなのです。私の理解によれば、銀行の当期利益から毎年かなりの金額の配当が、既存の普通株主に優先して、外資系証券Bに対して支払われることになるはずです。メガバンクAの平成14年3月期は赤字ですから、優先株への配当は決して軽い負担ではありません。優先株への配当支払は20年を超え、総額で2000億円近い負担になるようです」
 「そして、この出資の見返りとして、外資系証券Bの取引に関し、メガバンクAが信用補完を行うということも明らかになっています。こういう信用補完も、本来であれば、金融機関に手数料を支払うものであり、もしも無償であるとするなら、これもひとつの増資というものに係わる資金調達コストとしてカウントされるはずです」

 「さらに、外資系証券Bは、この優先株に対して転換権をもっております。もしも、この転換権を行使した場合には、この外資系証券Bが筆頭株主として経営権を握る可能性もあります。その場合には、行員に対して、リストラの大鉈をふるうことになるでしょう」

 このように、メガバンクAの増資をめぐる諸種の懸念を指摘し、「今回の増資は、外資系証券Bに足下をみられているとしか思えません」とばっさり切り捨てた後、メガバンクAの元行員は、「行員、株主、国民の利益から不可解な点が多い」と主張している論拠を以下のように披露していく。

(1) 国民 :  
 いま邦銀の収益源は、市場営業部門になっています。銀行によって異なるのではないかと思いますが、市場営業部門は銀行全体の6割から7割の収益に貢献していると言われています。この部門がそんなにも儲かっている理由は簡単です。マーケット金利がゼロだからなのです。調達コストがゼロなので、間違った運用さえしなけば必ず儲けることができます。ゼロ金利になってから、もう何年も経過していますが、いったいいつになったら、日本国民は日本の銀行から金利というものを正当に受けとれるようになるのでしょうか。今回の増資は見方を変えれば、本来国民が受け取るはずである金利を、外資系証券Bに対する配当という形で、メガバンクAが国外に支払ってしまうものだとも言えるのです。

(2) 株主 :
 外資系証券Bに対して、優先株の配当が普通株に対して優先的に支払われることになりますから、同行の株主は半永久的に十分な配当を受けられなくなる可能性すらあります。実際、この増資を決行した後、ヘッジファンドから大きな売り浴びせを受けたメガバンクAの株価は3割方も下落しており、まさに大打撃を受けているといえます。

(3) 行員 :
 最後に行員に関してですが、20年以上に亘って少なからぬ金額が、自分達の稼ぎから無造作に配当として支払われていくことに想いを馳せる必要があります。今回の増資を決定した経営陣は4〜5年でいなくなるので関係ないのでしょうが、現在25〜26歳の行員は違います。50歳の退職を想定すると、現在25〜26歳の行員は、これからの行員生活のすべてに関して、この配当の支払いに追われることになるということです。また、B社が大株主になって大リストラを行うというリスクとも向き合って、退職まで過ごすことになるわけです。この問題は、特に若い行員の方々にとって深刻な問題となると思います。

 要するに、元メガバンク行員のA氏によれば、国民にとっても、株主にとっても、行員にとっても、この増資はマイナスに働くというのである。このような論考を経て、このメールの主は、結論部分に突入していく。

 銀行経営陣が国有化に抵抗する理由

 「今回の増資が国有化を防止する策として実行された背景には何があるのでしょうか。そこで、銀行経営陣が国有化に対して執拗に抵抗する理由として、考えられ得る理由をあげてみたいと思います」

(1) 退職慰労金が吹き飛んでしまうから
 以下に示すのは、元長銀の取締役であった箭内昇氏によるコラムからの抜粋ですが、現銀行の経営陣が退職しない理由として説得力があると思います。
 「銀行に対する公的資金注入論議が盛んだが、銀行経営者がかたくなにこれを拒絶している最大の理由は、責任をとらされて退職慰労金が吹き飛ぶことを恐れているからだ」

(2) 会計操作の発覚を恐れているから
 これだけは、理由の一つであっては欲しくないと望んでいますが、可能性は否めません。要するに、国有化されると、不良債権を飛ばしていたスキームが世の中にオープンになってしまいかねない。そうなると、上述の退職慰労金はおろか、下手をすると刑事罰を食らってしまうことになるでしょう。これは、長銀の先例からも明らかです。

(3) 不良債権問題を解決したいという責任感から
 自分が不良債権を作った張本人なので、「自分のやったことの尻拭いは何とか自分でやりたい」という思いが強すぎるので、退職しないのだという見方です。少し浪花節過ぎるかもしれませんが、そういう人もいて欲しいと思っています。ただし、これまで採用してきたアクションは、傷口を治療するどころか、その傷口を広げているかもしれないことについては認識して欲しいと思います。

 「私自身は正直どれが原因かはわかりませんが、つい先日退任されたマクドナルドの藤田田会長のように、銀行のトップにとっては、『経営陣として潔く責任をとって辞める』というのもひとつのオプションとしてあります。それなのに、なぜ彼らは退陣しないのでしょうか。私個人としては(3)であることを望みますが、銀行のトップは、本当に銀行の経営者として評価されるべきことをしているでしょうか」

 このEメールの主は、悩みながらも最後に「どうやったら、このような増資をストップできるのか」ということを問い掛けている。そして、なぜ「銀行の経営陣がなぜ退任しないのか」ということについて、他の要因がないのかと訊ねている。

 「商法において、代表取締役の行動は取締役会を通じて他の取締役がモニターを行い、さらにそれらの取締役を株主がモニターすることになっていますが、株主の多くは機関投資家で、取締役の多くがイエスマンだとしたら、誰がこの増資に歯止めを掛けられるのでしょうか」
 「私はこの増資を批判しましたが、もしも、銀行経営という観点や株主の観点から良い点があると反論できる方がいれば教えていただきたい。また、『銀行の経営陣がなぜ退任しないのか』ということに関して、より説得力のあるアイディアがあったら教えてほしいと思います」

 是非、読者の中で、彼の問い掛けに応えられる方がいたらメールを寄せていただきたい。彼が提起した問題は、日本の不良債権問題が長年解決してこなかった理由の一つを大きく抉り出していると思うからだ。私の見解は彼の見方に近いが、「(2)会計操作の発覚を恐れているから」という懸念を拭い切れないという点でより悲観的かもしれない。みなさんの意見をお聞かせ願いたい。

 

第41回「金融庁はこの貸し剥がしの実情にどう応える?」 2003/04/01

 今も私の元には、貸し渋りや貸し剥がしに関するEメールが舞い込んでくる。今回は、その中から、半世紀以上の歴史があるエアコン部品の中堅メーカーの経営者からの報告をご紹介したい。その方によれば、同じ内容の文面を金融庁の「貸し渋り・貸し剥がしホットライン」にファックスしたとある。まずは、その内容をみてみよう。

 「金融庁からの指導をかさに高圧的な態度」

 「私どもは、昭和26年に創業されたエアコン部品の中堅メーカーです。売上高は、残念ながら、平成4年の72億円をピークに毎年減少の一途にあります。特にここ2―3年は中国の影響が強く減少幅も大きいため、前期(平成14年9月期)においては、29億円(前期比10億円減)と大幅な落ち込みとなりました。収益面をみますと、平成3年の経常利益3億3000万円をピークに、ここ数年、売上高が減少する中で、取引先からのコストダウン要請が強いため、人員リストラを進めてはおりますが、前期(平成14年9月期)は、1億5000万円の経常赤字(もっとも、この内訳には減価償却2億円が含まれます)と大幅なマイナスとなりました」

 グローバリゼーションが進展する中での経営環境は厳しい。この中堅メーカーも例外ではなかったようだ。そういう状況になればこそ、パートナーである銀行との付き合いが重要になってくる。

 「銀行取引につきましては、従来地元のA地銀をメインに、メガバンクB、政府系金融機関Cに加え、第二地銀のDと取引を行っておりましたが、こうした状況のなかで、平成13年9月期に、経常損益で1400万円、当期損益で9300万円(平成12年9月期は経常利益は1000万円の黒字)の赤字に転落してからは、銀行の対応が厳しくなり、特にメガバンクBからは、金融庁からの指導をかさに高圧的な態度が見られました。具体的には、平成14年1月以降約9カ月間の間に、金利引上げ、定期預金の担保追加1億円、担保(工場財団)の評価見直し(「評価が古く担保にならない」と言われたので、260万円の費用をかけて見直しました)、中長期改善計画の提出等を求められたところです」

 ここの「金融庁からの指導をかさに高圧的な態度が見られました」という下りは気にかかる。金融検査マニュアルには、「審査管理部門等が、営業推進部門に対して、当局が定める金融検査マニュアルを理由に、健全な事業を営む融資先に対する資金供給の拒否や資金回収を行なうなどの不適切な取扱いを行なわないよう周知徹底を図るとともに、営業推進部門が不適切な取扱いを行なっていないかを検証しているか」という質問項目も盛り込まれているからだ。是非、この部分については、さらに詳細なご報告をいただきたいところである。

 「『たかが1期だけの赤字ではないか』『債務超過にもなっていない』と思い、『ここまで求めてくるのか』と憤りながらも、すべては融資のためと割り切り、すべてに対応してきたところです。ところがメガバンクBは、平成14年10月に最終判断として、『折り返し(返済分)に対する新規融資は出来ない』という結果を通知してきました。要はていの良い貸し剥がしです。この貸し剥がしについては、メインバンクであるA地銀を中心に、政府系金融機関EとF信金の3行で肩代わりを進めて頂き、何とか難を乗り切りました」

 結局、この中堅メーカーは、メガバンクBによる貸し剥がしに遭ってしまった。いわゆる「長期運転資金」の貸出をストップされてしまったのだ。しかし、この経営者の怒りは、そのこと自体よりも、その後のメガバンク側の対応に向けられている。

 「返済を求めた上にペナルティーまで取る」

 「そこで、メガバンクBに対して融資を返済することになったのですが、なんと中長期固定貸出に対して、期限前返済のペナルティー料を請求されたのです。貸し剥がしは、銀行の都合で返済を求めるものであり、企業の都合で返済するものではないはずです。しかしメガバンクBは、『契約時に期限前返済に対する念書も徴求している』『銀行として返済しろとは云っていない』と言い張って頑として応じません。貸し剥がしが社会的に問題視されているなかで、折り返しに対する融資対応も問題と思いますが、それよりもなによりも、銀行の都合で返済を求めておきながら、ペナルティーまで取るメガバンクBのやり方には憤りを禁じ得ません」
 「当社では、今回、メガバンクBの不誠実な貸し剥がしへの対応で、期限前返済違約金605万円、工場財団評価見直費用260万円、借換資金の担保設定費用220万円、合計で1000万円以上の余分な経費を支出しました。中小企業にとっては軽視できない大きな負担です」

 法律的には、メガバンクBの立論に一日の長はあるかもしれないが、この経営者の憤りは理解できる。メガバンクBの都合で「長期運転資金」を引き揚げられ、大変苦しい思いで資金繰り対策をしたのに、それに加えて一〇〇〇万円も余計に取られたら、誰だって、怒髪天を突くだろう。

 「こうした銀行の都合ばかりを押し付ける高圧的なメガバンクBの態度に対し、金融庁としてどのようにお考えになっているのか、ご対応をお願いしたいと思います。地方の財務局では全く耳を傾けて頂けませんでした」

 この経営者の真摯な問い掛けに対して、金融庁はどのように応えるだろうか。それにしても、「地方の財務局では全く耳を傾けて頂けませんでした」というのは許し難い。公務員は、パブリック・サーバントであり、公僕である。公務員にとって、国民は誰であろうと、お客さまのはずだ。もし、そういう基本的なことすら理解できないのであれば、給料を返上してもらいたい。われわれが汗水垂らして稼いだ税金を、「公僕」でない方にタダで使わせるわけにはいかないからだ。

 お客さまである国民からの問い掛けに対する金融庁からの真摯な回答を期待したい。

 

第42回「腰抜けの普株転換ガイドラインは竹中大臣の白旗なのか?」 2003/04/09

 去る4月4日、金融庁は、「公的資金による資本増強行に対するガバナンスの強化について」を公表し、マーケットの関心を集めていた優先株の普通株式への転換ガイドラインの全貌を明らかにした。面白いことに、これに対するマスコミの評価はてんでバラバラである。

 毎日新聞は、「竹中プラン、停滞する強硬路線」「穏健、柳澤路線に戻った」「与党にすり寄りすぎ」などとその甘さを批判し、生ぬるいと喝を入れている。東京新聞も「危機感与えぬ宝刀」「抜け穴だらけ」「金融庁も及び腰」と厳しい。朝日新聞は、「銀行国有化なお及び腰」と表題に打ち、「厳しすぎず甘すぎず」というコメントを紹介するなどバランスをとっている。

 その一方、読売新聞は、「国有化連想なら悪影響」「強権手法には反発も」とその厳しさを煽り、紹介する識者コメントにも「銀行に行き過ぎた圧力」「デフレでは逆効果」ととにかく反対という論陣を張った。専門紙の日経金融新聞は、具体的に3行の名前を挙げて、「3割ルールに抵触」「収益力の条件重く」などと、意外に厳しいというニュアンスをを醸し出している。

 マーケットは「直ちに処理せよ」と要求している

 このコメントのいずれが正しいのかという点については、時の経過がいずれ示してくれると思うが、本コラムの読者は、どちらかといえば、毎日新聞・東京新聞の論調のように感じているかもしれない。実際、以下のようなメールをいただいている。

 「普通株への転換条件が2期連続の無配とは恐れ入りました。竹中氏は4日の会見で『方向は正しいが、市場に認めてもらうのに、産みの苦しみが続いている』と述べていましたが、これは『正しいのは自分たちで馬鹿なのはマーケットだ』と述べたに等しいのではないですか」
 「マーケットは不良債権問題に対して、『直ちに処理せよ』と要求しているのです。これから2年間も待たなければならない理由はどこにもない。だが与党や金融庁はできるだけ引き伸ばしたい。2年もすれば小泉さん、竹中さん、木村さん、金融庁の役人など今の関係者はおそらく一人残らずいなくなっている。そのときまた先延ばしすればよい、という無責任さを市場は見透かしているのです。だから、株式市場は評価しないのです」

 マーケットが「直ちに処理せよ」と要求しているというご指摘に対しては、全くそのとおりだと思う。直ちに処理できるものなら、直ちに処理したいという気持ちは、私も人一倍持っている。思うに、竹中大臣も同じなのではないだろうか。

 「銀行の不良債権をあぶり出し、自己資本の脆弱性を突き、国有化をちらつかせ、銀行に抜本的な経営改善を迫り、金融システムの健全化を図る、というのが竹中プランの基本路線と言われておりますが、ルールや政策の変更で銀行に自浄作用を求めるという戦略は、すでにこれまで幾度も失敗しています。"人"を変えなければ、制度変更やカネの調達だけでは『永久』に不良債権問題はなくならないのです」

 もう少しの間、我慢強く見守って

 「人を変えなければならない」というのは正論だと思う。ただ、残念ながら、金融当局にできることは、原則としてルールや政策の変更に限られている。無論、銀行法第27条に基づけば、「銀行が法令、定款若しくは法令に基づく処分に違反したとき又は公益を害する行為をしたときは……取締役若しくは監査役の解任を命じ」ることができるとされているが、そのためには、通常は法令違反が要件となっているという現実がある。単に「経営が下手だから」というだけでは、「人を変えられない」のだ。

 「『そこまで経営に立ち入れない』と竹中さんは口走っていましたが、ならば初めから大臣など引き受けるなと言いたい。今のままでは株価の更なる下落は不可避ですが、それで詰め腹を切らされるのは竹中さんや木村さんです。木村さん。あなたはどちらにコミットするのですか。マーケットですか。それとも責任逃れに汲々とした連中のほうですか。人を変える、すなわち責任あるべき者に責任を取らせるということができないのなら、今のうちに降りた方が身のためです。私が木村さんに期待していたのはまさにこの点ですが、今の状況には非常に失望しています」

 お怒りは真摯に受け止めたい。そして、さらに出来ることがあるなら、倍旧の努力を傾注したい。ただ、昨年10月30日に公表された「竹中プラン」は、当初「骨抜きだ」と叩かれたが、それからたった2ヶ月の間に少なからぬメガバンクは経営計画を大胆に変更した(その方向性は問題含みのものもあるが……)。そして、それからたった1ヶ月後までにメガバンクのすべてが何らかの形で増資を決断した(その手段は必ずしも評価しにくい場合もあるが……)。そういう意味では、今回の普通株転換ガイドラインについても、その効果のほどについては、もう少しの間、我慢強く見守っていただきたいという気持ちも少しある。

 竹中プランをゴルフに喩えるなら、次のような状況なのだとご理解いただきたい。竹中平蔵というゴルファーがコースに出たものの、風は強いアゲインストだし、激しい雷雨の真っ只中。ゴルフバックをみれば、ドライバーは入ってないし、ロングアイアンはシャフトが曲がっている。やむを得ず、7番アイアンで刻んで進んでいるので、打数が増える一方だ。もっとも、ボールはフェアウェイから外れておらず、たまにラフに入ることはあるけれどグリーンは何とか狙えそうだ。しかし、キャディが裏切ったりするので、パッティングが入るかどうかは分からない……。

 いずれにせよ、昨秋竹中大臣が就任して、メガバンクからの激しい抵抗を受けながらも、「竹中プラン」を公表するまでを第1ラウンドだとすれば、その後、メガバンクが増資を実施する一方で、竹中大臣が「3つのS」を打ち出して対抗した、この3月末までが第2ラウンドというところ。これから、3月末決算の公表を経て、株主総会までの期間が第3ラウンドということになるのだろう。

 戦いの終わりを告げるゴングがまだ鳴っていないことだけは確かである。

 

第43回「整理回収機構(RCC)は回収一本槍なのか?」 2003/04/30

 銀行破綻は、悲喜こもごものストーリーを産み出すものだ。中でも、銀行借入を受けていた債務者の立場は悩ましい。銀行が突然破綻することによって、自らの意図とは関係なく、貸出主が替わってしまう。状況によっては、整理回収機構(RCC)に貸出債権が譲渡されてしまい、「不良先」という認定が公に示されてしまう事態もしばしば起こっている。

 鬼迫社長が語ったRCCのポリシー

 そういう中で、破綻金融機関から借入を受けていた債務者から、RCCに対する恨み節を聞かされることは少なくない。曰く「法律論ばかりでビジネスセンスがない」、曰く「元本を回収することしか頭にない」、曰く「経済的に合理的な取引だし、RCCに損にならないのに応じようとしない」、曰く「自分たちの方が偉いと思っている」、曰く「対応が硬直的だ」などなど。

 無論、借り手の債務者と貸し手のRCCは180度立場が異なるから、債務者が抱いている不満のすべてが正当化されるわけではないだろう。そもそも、「不良債権と認定された」というからには、それなりの理由があるのだろうし、破綻銀行による脇甘の融資慣行に甘やかされてきたという側面もあるかもしれない。そもそも、RCCへの売却を決定する権限は制度上RCCにはないから、貸出債権がRCCに譲渡されたこと自体に対して、RCCを恨むのは筋違いである。

 とはいえ、関係者の話を聞いていると、協調融資の枠組みが整っていたにもかかわらず、債権譲渡を受けたRCCがそれまでの議論を無視して即時の元本回収を要求してきた、などという具体的な指摘も聞かれたりする。RCCの従業員は2400人もいるから、中には色々な人もいるのだろうが、実態はどうなのか気になるところだ。

 そういう問題意識を持っていたところ、RCCの鬼追社長と面談する機会に恵まれた。制度と運用の狭間で日々懸命なご苦労をなさっている鬼追社長だけに、様々な論点に関して、極めて説得的な説明をいただいた。真摯にご対応いただいたことに深く感謝したい。

 鬼追社長に対して私がお伺いしたかったのは、RCCの組織としてのポリシーである。世上色々と言われていることの多くは、「RCCは……」という一般論で語られがちだが、まずはそのことが、(1)RCCという組織として実施していることなのか、それとも、(2)RCCという組織のポリシーに反して、担当者が行なっていることなのか、を峻別する必要があるからだ。

 鬼追社長の回答は、非の打ちようのない完璧なものだったと思う。私が直に聞いた限り、フェアで真摯な対応をRCCの職員に求めていることがよく分かった。そして、巷で取沙汰されている様々な指摘と、相当ニュアンスが異なっていることが確認できた。そこで、鬼追社長が私に対して明言したポリシーを下記にとりまとめて示しておこう。

(1) RCCは「何がなんでも元本回収」というポリシーを採っていない。契約の拘束性を重視しているが、実態に即した回収を行っている。
(2) 債務者における期限の利益は最大限尊重している。したがって、元利金を契約通りに支払っている場合に、元本回収に走ることはありえず、融資を契約通りに継続している。
(3) 金銭貸借は双務契約であるにもかかわらず、破綻銀行が債務者に対して契約書を手交していない場合は、債務者から求めがあれば、契約書のコピーを渡しているか、内容についてきちんとした説明をしている。
(4) RCCが破綻銀行から債権譲渡を受けた場合には、譲渡人である破綻金融機関から債務者に通知している。通知がない状況で、元利金の支払いが滞っている場合に、通常それを延滞と認識して回収することはない。
(5) 業種の違いなどによって、債務者の扱いを変えることはない。したがって、債務者が不要不急の特定業種に属しているから、という理由で回収に走ることはない。
(6) 貸し手であった銀行が破綻したことに関して、債務者に責任はない。したがって、ほかには全く問題が無いのにRCCが債権者になったことのみによって、新規貸出が受けられなくなった債務者には配慮している。
(7) 元利金を遅滞なく支払っている債務者に対して、RCCから期限の利益を放棄するよう要請する場合が例外的にはある。この場合には元本回収にこだわることはない。
(8) 債権売却については、経済合理性等が認められ、RCCの購入価格よりも高い水準で貸出債権の値段が合理的に算定された場合に、元本回収にこだわることはない。実際、合理的な値段であれば、積極的に売却に応じている。

 鬼追社長は、弁護士として債務者を代理して戦った経験が長く、「今でも債務者サイドからモノを考える習慣がついている」とおっしゃっていた。実際、個別案件でも悩ましいものは、債務者の立場に立って、社長自らが決裁しているという。

 見聞した情報を客観的に精査

 RCCに対する各種の批判については、「債務者は元々取引銀行の破綻に不快感を持っており、週刊誌で嘗て取り上げられた事例を検証したら、トラブルを大幅に増幅して伝えていたこともあった。具体例でないと反論もできないので、是非個別具体的にご指摘をいただきたい」と丁寧にお話しになり、公正かつ適正な業務運営を実現するため、債務者等の要望・苦情に対応する組織として、社長直轄の「相談室」を東京・大阪・札幌に設置していることを披瀝された。電話や書面で毎月300件程度の苦情が寄せられているが、鬼追社長自らが全部に目を通しているという。

 それだけに、鬼追社長としては、拙著「竹中プランのすべて」(アスキーコミュニケーション)における、巷の声を反映させた書き振りがお気に召さなかったようだ。実際、厳しい抗議もいただいた。中でも、問題視されたのが次の部分である。

 「回収できなくなった不良債権であるにもかかわらず、回収を続けるという作業は、ビジネス上まったくの無駄です。ただでいいからトットと売りに出した方がいい。仮に回収できたところで、ようやく回収できた金額が回収のために費やした総費用を下回るということになるのでは何の意味もありません。回収に努力しているというフリをしていただいても、汗をかいていただいても、そんなことは国民にとって何のプラスもないのです。コストを支払うだけ損失が膨らむことになります。貸出債権の担保となっている物件もRCCに塩漬けにされているくらいなら、誰かに叩き売って実際に使ってもらった方が日本経済全体にとってプラスのはずです。(木村剛『竹中プランのすべて』p.220)」

 確かに、先ほど示した鬼追社長のポリシーがRCCという組織全体に行き届いて実践されているのであれば、上記の叙述はミスリーディングという謗りを免れまい。しかし、鬼追社長のご説明と私がこれまで耳にしてきた情報との間には、相当の乖離があることもまた事実である。ここは、具体例に則して、客観的に精査してみなければなるまい。

第44回「破綻する監査法人はどこだ?」 2003/05/14

 5月13日の日本経済新聞朝刊に「銀行監査 金融庁、過程介入せず」という見出しの記事が掲載された。サブの見出しには、「タスクフォース『税効果会計』で協議」とある。記事の主要部分を抜粋してみよう。

 「現在、銀行と監査法人は2003年3月期決算を固めつつあり、金融庁が関与すべきかなどを議論。金融庁は監査の過程に介入せず、監査法人の独立性を尊重することなどを確認した。……一部のメンバーは自己資本の中身について厳格に見極めるべきだと主張。銀行と監査法人が前期決算を詰めているのを受け、繰り延べ税金資産の扱いで金融庁が個別に意見を表明することがあるのか確認を求める声も出た。金融庁側は、金融当局が監査の過程に介入しないことを確認した」

 監査法人の背負った責任の大きさ

 これは、じつは、ものすごい内容を秘めた記事である。要するに、「金融庁は監査の過程に介入しない」ということを確認した上で、事前に「繰り延べ税金資産の扱いで金融庁が個別に意見を表明することはない」と言明したわけだ。ということは、当たり前のことだが、繰り延べ税金資産の計上については、一重に会計のプロである監査法人が一身にその責任を背負うということになる。

 ところで、わが国の主要行における自己資本が「繰り延べ税金資産」という極めて軟弱で脆い資本によって成り立っていることは、関係者の常識となっている。そして、銀行に関しては、例外的に「5年分」という破格の取扱いになっていることも周知の事実となっている。事業法人の場合に、無条件に「5年分」が認められることはまずない。

 しかし、わが国の監査法人のほとんどは、「金融当局による護送船団行政」の下で、特別に銀行にのみ「5年分」をあたかも権利のように認められてきた。本来、赤字企業であれば認められないケースであっても、例外的に「一時的な赤字にすぎず、翌年からは黒字復帰する」という楽観的な見通しの上に「5年分」という特例を認めてきた。

 ところが、赤字が2年も3年も続くと話は違ってくる。如何に寛大な監査法人でも、「翌年からは黒字復帰する」などという勝手な思い込みだけでは、繰り延べ税金資産を「5年分」認めることができなくなる。そして、ほとんどの主要行は、2年以上赤字を続けている。

 それでは、赤字が2年以上続いた場合はどうなるのか。ある監査法人の審査責任者は、銀行法の趣旨を踏まえた上で、「繰り延べ税金資産を除いた自己資本比率で4%(国内基準行の場合は2%)以上ある場合に、1年程度だけ認める」と述べ、「繰り延べ税金資産を除いた場合に債務超過になる場合は、税効果会計は認められない(要するに、0年)」と断じていた。そして、「この方針が受け入れられない問題銀行からは監査法人を降りる」とまで言明している。

 流石である。それでこそ、投資家や株主の付託を受けて経営者を監視する立場にあるプロフェッショナルの監査法人と言えるだろう。実際、繰り延べ税金資産の計上について規定している「繰延税金資産の回収可能性の判断に関する監査上の取扱い」(監査委員会報告第66号)を素直に読む限り、「5年分」が駄目な場合は、「1年分」か、もしくは「0年分」しか選択肢はあり得ない。したがって、ルールに誠実な監査法人であれば、上記の審査責任者のような考え方をするのが当たり前であり、それであればこそ、プロフェッショナルとしての善管注意義務を果たしたということが立証できるのである。そして、そうであってこそ、万が一訴訟に巻き込まれても、自らの判断の正当性を説得することができるのだ。

 無論、ルールは原則に過ぎないから、「5年」の次は、「5年以内で合理的な範囲」という屁理屈をこねることが全く出来ないわけではないが、その場合、「1年を超えて、5年以内で合理的な範囲」までの間は、完全にその監査法人の責任になるわけだ。

 そこで、冒頭に紹介した記事が重大な意味を帯びてくる。現実の現場では、「金融庁の見解ではこうだ」とか「金融庁の課長はこう言っている」などという発言が、銀行サイドから監査法人に対して浴びせ掛けられる。それでビビッテしまう監査法人もないではないだろう。しかし、金融庁が「繰り延べ税金資産の扱いで金融庁が個別に意見を表明することはない」と言明している以上、すべての責任は監査法人に降りてくる。株主代表訴訟で訴えられた場合は、少なくとも、「1年を超えて、5年以内で合理的な範囲」の部分について、賠償責任はその監査法人にある。

 一度計算してみてほしい。「1年を超えて、5年以内で合理的な範囲」が如何に巨額な金額かを。仮に「3年分」と定めたところで、「2年分」である。監査法人が長年蓄えてきた剰余金が吹っ飛んでしまうほどの金額であることが確認できるはずだ。そして、事後的には金融庁による厳しい繰延資産検査が行われる。もしも、そこでプロフェッショナルの監査として問題があれば、断罪されることになる。しかも、来年の3月末まで、監査法人の代表社員は無限責任を背負っているのである。

 日本でも大手監査法人が吹っ飛ぶ?

 したがって、今年3月期決算において「1年分」以上の繰り延べ税金資産を計上することを認める監査法人は、そのリスクを真剣にかつ冷静に検討すべきであろう。海の彼方では、エンロン1社が破綻しただけで、アーサーアンダーセンという巨大監査法人が吹っ飛んだ。わが国でも、そういう事態が考えられ得るかもしれない。

 第42回の「腰抜けの普株転換ガイドラインは竹中大臣の白旗なのか?」において、私は、以下のように叙述した。

 「竹中プランをゴルフに喩えるなら、次のような状況なのだとご理解いただきたい。竹中平蔵というゴルファーがコースに出たものの、風は強いアゲインストだし、激しい雷雨の真っ只中。ゴルフバックをみれば、ドライバーは入ってないし、ロングアイアンはシャフトが曲がっている。やむを得ず、7番アイアンで刻んで進んでいるので、打数が増える一方だ。もっとも、ボールはフェアウェイから外れておらず、たまにラフに入ることはあるけれどグリーンは何とか狙えそうだ。しかし、キャディが裏切ったりするので、パッティングが入るかどうかは分からない……。」
 「いずれにせよ、昨秋竹中大臣が就任して、メガバンクからの激しい抵抗を受けながらも、『竹中プラン』を公表するまでを第1ラウンドだとすれば、その後、メガバンクが増資を実施する一方で、竹中大臣が『3つのS』を打出して対抗した、この3月末までが第2ラウンドというところ。これから、3月末決算の公表を経て、株主総会までの期間が第3ラウンドということになるのだろう」

 「戦いの終わりを告げるゴングがまだ鳴っていないことだけは確かである」

 そう、戦いの終わりを告げるゴングはまだ鳴っていないのだ。今はただ、破綻する監査法人がでてこないことを祈るだけである。読者の皆様におかれては、「1年分」以上の繰り延べ税金資産の計上を認めた監査法人がどこかを厳しくモニタリングしていただきたいと思う。なぜなら、その監査法人は、とてつもないリスクを背負っているからだ。たかだか年間数千万円の監査料には見合わないリスクだと思うのは、私だけだろうか。

続く