2005/7/15 日本経済新聞夕刊
がんと人生 近藤誠さんに聞く
枯れて眠るような死を 治療、苦痛招くことも
「がんは治療しなければ、苦しまずに自然な死を迎える。がんとともに滅ぶのが幸せ」
人はいつかは死ぬ。では、どうすれば楽に、家族に迷惑をかけずに死ねるか。
50歳をすぎると、こんな思いが頭をよぎるが、約10年前ベストセラーとなった『患者よ、がんと闘うな』の著者、近藤誠さんは「実はがんは人を安らかに死に導いてくれる」と言う。
昨晩まで元気で翌朝、ふとんの中で冷たくなっているーー。ピンピンコロリは多くの人が望む死に方だ。現にがんと並んで死因の多い脳卒中、心筋梗塞では発作で一瞬のうちに死ぬこともある。だが生き延びて半身不随や寝たきりもなる例も目立つ。
これに対し、がんは治療せずにそっとしておけば徐々に体力が衰え苦しまずに自然な死を迎える。たとえ痛みが出てもモルヒネや放射線などの治療で苦痛を除去できる。
「枯れて眠るような死は、高齢者に望ましいのでは」
昔の老衰死の多くもがんによるもので近年、老衰死が減ったのはがん検診が発達しすぎ、痛くもないのに人間ドックなどに入り、がんの発見が進んだせいだという。
「発見後は手術や抗がん剤治療を受けさせられ、苦痛が生じたり体力を低下させ、かえって寿命を縮める危険もある。体内にがんがあっても無症状で生きてきたのは、がんと共存してきた証拠。検診など受けずに、がんとともに滅ぶのが幸せと僕は思う」
「病院にはできるだけ近づくな」
近藤さんは『患者よ、がんと闘うな』を著して論議を巻き起こし、以来何冊も書いているが、昨秋発刊した『がん治療総決算』まで、主張は一貫している。
近藤さんの調査では、がんは検診してもしなくても一定期間後の死亡数に差はない。また胃がんも乳がん、肺がんも無症状の場合、手術で寿命が伸びたという証拠はない。
がんには本物と「がんもどき」がある。本物は発見時にはすでに転移しており、手術などで治療してもまず助からない。一方がんもどきは放置しても転移せず命取りにはならない。無症状で発見されたがんはたいていがんもどき。だから「早期発見も早期治療も不要」というのが近藤理論。
「体内にがんがあると知ればストレスが高まり、健康に悪い。がん検診はせず人間ドックにも入らず、苦痛などの症状がない限り医療機関には近づかない方がいい」
もとよりすべての診断、治療が無意味と言うのではない。苦痛などの症状がある場合は適切な治療を受ける必要がある。たとえば、子どもの急性白血病は治る可能性が高いという。
「ただ治療は放射線治療など、できるだけ臓器を温存する方法を選んだ方がいい。抗がん剤も有効なのは一部。副作用で苦痛や体力低下が生じ、寿命を縮める危険がある」
医学界では少数意見といえるだろう。大勢は今もがん検診による早期発見、早期治療の重要性を説く。早期に発見されたがんは増大して悪性のがんに発展し転移し、死に直結する危険があると考えるからだ。
「医学は日進月歩で進歩している。今では完治し後遺症も少ないがん手術や、副作用がほとんどなく効果的にがんを縮小する抗がん剤がふえた」という医療関係者は多い。
一般社会でも「早期発見、早期治療」が「常識」だろう。近藤理論に反発する患者もいる。「少しでも長く生きたい」と考えるのも自然で「がんに転移があれば治らない」と言われても簡単にはあきらめられない。
近藤さんも「僕は医療の最新情報とデータを提供しているだけ。最後に方針を決めるのは本人自身です」と言う。
結局はその人の生き方、考え方次第ということになる。ただ、インフォームドコンセント(十分な説明に基づく同意)、がん告知が浸透する中、近藤さんの著書などの影響もあって、最近は手術や抗がん剤を避ける患者もふえている。がん宣告を受けた後に別の医者や医療機関のセカンドオピニオンを聞く患者も珍しくなくなった。
長くがん患者の手術をして来た老外科医が自ら胃がんになったとき「切りたくない」と言って、放射線治療専門の近藤さんの治療を受けに来たこともあるそうだ。
「がんが見つかった場合、しばらく放置して様子を見るのも悪くない」
「がんは成長速度も遅い。無症状で発見された多くの初期がんは現状維持にとどまり自然消滅することもある。検査で発見された場合も、しばらく放置して様子を見るのは悪くない選択だ」
極力、医者と病院のやっかいにならない選択を勧める近藤さん。がん検診どころか高血圧などの健康診断も受ける必要はないと徹底している。「病院や製薬会社、医療機器会社が市場を広げようと健診を提唱しているが、無症状の高血圧、高コレステロール、糖尿病の大部分は治療不要。職場の定期健診は医療費をむやみにふやし、人に不安を与えるだけだ」と手厳しい。
「患者よ、医療産業と闘え」と言わんばかりの過激な近藤理論。がん検診や手術、抗がん剤の有用性を説く医師の論文や意見の矛盾を具体名を挙げて舌鋒鋭く批判してきた。「偏見だ」と反発する声は根強いが、内外の豊富な論文やデータをもとにした解説は素人にもわかりやすく、患者本位の視点に立った発言だとの共感も少なくない。
団塊の世代。医学界の中枢部から疎んぜられ、慶応大学では教授昇進の道を絶たれた。慶応大学病院から他病院への転出を求める「肩たたき」にもあったが、これを拒否。病院奥にある古いビルの四階の一室に陣取り、今もパソコンのキーボードをたたく。
こんどう・まこと
1948年東京生まれ、56歳。73年慶応大医学部卒、同学部入局。83年より同大医学部放射線科講師。がんの放射線治療が專門で乳房温存療法の先駆者。患者本位の治療、医療の情報公開を推進。「患者の権利法をつくる会」「医療事故調査会」世話人。著書に『患者よ、がんと闘うな』など。