2006/9/2 朝日新聞

「未認定者、救済策を」水俣病懇談会が最終提言

 環境相の私的懇談会「水俣病問題に係る懇談会」(座長・有馬朗人元東大学長)は1日、水俣病に認定されなかった被害者を救済・補償するための新たな枠組みの創設を柱とする最終提言をまとめた。焦点となっていた認定基準の見直しには踏み込まなかったものの、基準をめぐって暗礁に乗り上げている救済問題の打開に向け、政府に対応を迫る内容。小池環境相は「実現に向けて努力する」としている。

 提言は、病状などから被害者が水俣病患者かどうか判定する現行の認定基準の維持を「それなりに合理性を有しないわけではない」と容認。一方で、現行基準で救済しきれない被害者を含め、「
もれなく補償・救済できる恒久的な枠組み」を早急に構築するよう求めた。

 新たな枠組みでは、原因企業のチッソだけでなく、04年に国と熊本県の責任を認めた最高裁判決を重視し、
国が前面に立つ仕組みとするよう求めた。補償などの費用については、高度成長を支えた企業による公害被害ととらえ、経済成長の恩恵を受けた国民全体で負担するとの考えから、一般会計を財源とすべきだとしている。

 認定基準をめぐっては、最高裁判決で国の基準より緩やかに被害者を認める基準が示されて以降、熊本、鹿児島両県の認定審査会が開けず、認定申請した4200人以上の救済が滞っているほか、約1100人が新たに提訴している。

 新たな救済策については、自民・公明の与党プロジェクトチーム(PT)が年内のとりまとめをめざして検討している。環境省は、今後のPTの議論も踏まえて新たな枠組みづくりに入る見通しだ。

 環境省は07年度予算編成に向け、水俣病対策費は今年度当初より10億円の増額を要求しており、これを原資に、まず当面の救済拡充策を具体化させる。認定を受けられない軽症の被害者を対象に交付を始めた医療費を全額支給する制度(新保健手帳)に、月額2万円程度の療養手当や離島の被害者の通院費補助などを上乗せすることなどが挙がっている。

水俣病懇、柳田邦男委員ら無念 環境省と対立、玉砕覚悟

 1日まとまった水俣病懇談会の提言は、
患者の認定基準を見直すかどうかを巡る攻防が最大の焦点だった。水俣病の公式確認から半世紀という節目の年の大論争。「長年の議論に終止符を打つ」と意気込んだ委員らは、環境省に押されて見直しに切り込めなかった無念さをにじませつつ、救済を迫る内容を盛り込めたことに達成感も示した。

 「冬山の稜線をギリギリ踏破するようだった」。提言の起草委員長を務めたノンフィクション作家の柳田邦男氏は懇談会後、環境省との文言づくりをそう例えた。認定基準の廃止や見直しを盛り込めず、「環境省の姿勢は『死守』という言葉の通りだった。本当に悔しい」と嘆いた。

 有馬朗人座長も「50年来、山積してきた問題に相当な回答を示した」と評価する一方で、「時に大議論になり、委嘱を受けた小池環境相の任期中にまとめられないのでは、という危機感もあった」と、これまでの道のりの険しさをうかがわせた。

 7月半ば。有馬座長は、自ら学園長を務める東京・練馬の武蔵学園の一室に、柳田氏と、起草委員である元最高裁判事の亀山継夫、元水俣市長の吉井正澄両氏を招いた。

 草案づくりが始まって2カ月。「基準に触れた提言は受け取れない」とする環境省に対し、「玉砕」を唱える委員も出るなど、両者の対立は先鋭化していた。

 有馬氏が、じりじりと過ぎる時間に業を煮やし、3委員に強い口調で言った。「まとまらないなら、返上する覚悟がいりますよ」。懇談会の解散も辞さず、との宣言だった。

 柳田氏は沈黙した。

 これまで、水俣病問題を取材する中で、多くの被害者と接した。認定患者、申請を棄却された人、長く保留のままの人など認定制度によって被害者が色分けされ、それが認定制度への不信につながっていた。認定基準を見直し、患者とその他という区別をなくさなければ、水俣病は解決しないと思い定めた。

 だが、認定基準をめぐって対立を続ければ、胎児性患者に対する福祉や地域再生などの提言もご破算になる。基準を見直せば、既存の制度で救済を受けたり、受けられずに死亡したりした人たちに不公平感もあおりかねない。

 「認定基準はおかしいと思ってきたし、今も思っている。ここで辞めるのは簡単だが、それで被害者が救われるのか」――。柳田氏は自問自答していた。

 「検討してみましょう」と吉井氏が沈黙を破った。亀山氏は「とことん粘ってやろうじゃないか」と言葉を継いだ。

 認定基準の廃止や見直しは譲っても、全体を早急に取りまとめる点で一致。この日以後、提言は動き出した。

 環境省は「補償、救済についての提言は求めていない」と過去の政府の対応についてのみ提言するよう繰り返し求めた。言うことをきかない委員には「環境相の要請を引き受けたのだから、省の指示に従う義務がある」と言い放った。

 同省幹部は言う。「懇談会は、行政のやりたいことを推進するためのガソリンだ。我々と違う方向へ進もうとするなら、ブロックするしかない」

 だが、同省も認定審査待ちが4000人を超え、新たな国家賠償提訴者が千人に達するなど「地元の混乱をよそに、過去の検証だけはできない」とする委員側に押し切られ、未認定患者を救済する「新たな枠組み」を受け入れた。

 懇談会後の記者会見。「提言内容は、きっと実現してくれるものと信じている」と柳田氏は話した。


「水俣病問題に係る懇談会」提言書 平成18年9月1日
http://www.env.go.jp/council/26minamata/y260-13/mat01.pdf

「懇談会」は、提言の主要な柱として、次の12 項目を掲げることとした。ただし、提言はこれだけでなく、各章ごとに、取り組むべき課題に対する多くの提言とその具体的実践のための試案を挙げている。
     
(1)  国民のいのちを守る視点を行政施策の中で優先事項とすることを行政官に義務づける新しい「行政倫理」を作り、その遵守を、各種関係法規の中で明らかにすること。
 とくに苦しむ被害者や社会的弱者のいる事案に関しては、行政官は「行政倫理」の実践として、「乾いた3人称の視点」ではなく、「潤いのある2.5 人称の視点」をもって対処すべきことを、研修等において身につけさせること。
(2)  各省庁に「被害者・家族支援担当部局」を設けること。
(3)  時代の潮流は、政府全体として公害、薬害、食品被害、産業災害、事故等の被害者を支えるための「被害者支援総合基本計画」(仮称)の策定をすべき時期に来ている。
(4)  公害、薬害、食品被害、産業災害、事件等の原因究明と安全勧告の権限を持つ常設の「いのちの安全調査委員会」(仮称)を設置すること。
(5) すべての水俣病被害者に対して公正・公平な対応を目指し、いまだ救済・補償の対象になっていなかった新たな認定申請者や潜在する被害者に対する新たな救済・補償の恒久的な枠組みを早急に打ち出すこと。
(6)  熊本・鹿児島両県の認定審査会が長期にわたって機能を停止しているのは異常事態であり、国は両県と連携し待たされている被害者の身になって、責任をもって早急に認定審査再開の方策を立てるべきである。
(7)  国は関係地方自治体等と連携して、水俣地域を「福祉先進モデル地域」(仮称)に指定し、水俣病被害者が高齢化しても安心して暮らすことのできるような総合的な福祉対策を積極的に推進すること。その中で胎児性水俣病患者の福祉対策には格別の配慮が必要である。
 新潟水俣病の被害者に対しても、同質の福祉対策を取ること。
(8)  水俣地域の人々の「もやい直し」の活動を積極的に支援すること。
(9)  国は水俣地域を「環境モデル都市」(仮称)に指定し、関係地方自治体等と連携して、地域の環境、経済、社会、文化にわたる再生計画を積極的に支援すること。
(10)  これら「福祉先進モデル地域」(仮称)と「環境モデル都市」(仮称)の取り組みを総合的で持続性のあるものとするには、二つを一本化して「環境・福祉先進モデル地域」とし、立法化の措置も視野に入れた制度化が必要であろう。
(11)  水俣病の被害の全貌を明らかにするための総合的な調査研究を推進すること。
(12)  「水俣病・環境科学センター」(仮称)を設立するなど、首都圏にも水俣病の研究と学びと情報発信の拠点を設けること。
   

《目 次》
はじめに──懇談会が目指すもの 1
1. なぜ、今、水俣病か 〜その歴史的意味からの出発〜 4
2. 被害を拡大させた行政の「不作為」責任 9
(1) 水俣病発生初期──チッソの秘密主義と行政の怠慢 9
(2) 昭和34 年──経済成長政策下の致命的な「不作為」 12
3. 「いのちの安全」の危機管理体制を 19
(1) 「2.5 人称の視点」による意識の変革を 19
(2) 「被害者・家族支援担当部局」の設置を 22
(3) 「いのちの安全調査委員会」(仮称)の設置を 24
4. 被害者の苦しみを償う制度を 28
(1) 状況の急変が問うもの〜求められる高い次元の政治の決断〜 28
(2) 行政の論理に縛られない視点 32
(3) 複雑な救済・補償制度と混乱の根源 33
(4) 新規申請者が示す問題の根の深さ 39
(5) 恒久的な救済・補償制度の方向 41
5. 「環境・福祉先進モデル地域」(仮称)の構築を 46
(1) 胎児性水俣病患者・家族のメッセージ 46
(2) 胎児性患者の実態 47
(3) 胎児性患者支援の課題 48
(4) 患者の身体機能の低下と家族の高齢化 50
(5) 「福祉先進モデル地域」(仮称)の提言 51
(6) 「もやい直し」、そして「環境・福祉先進モデル都市」(仮称)へ 53
6. 未来へのメッセージ
  〜水俣病の総合的な調査研究と「水俣病・環境科学センター」(仮称)の設立を〜 57
7. おわりに 60
付図:水俣病被害地域における地域社会福祉システム「地域活動多機能スペース構想図」 61