化学賞・田中耕一さん たんぱく質の質量分析法を開発
生体高分子
壊さずイオン化 金属の微粉末を使って
がん診療などに応用へ
田中さんが受賞するのは「生体高分子の質量分析法のための脱着イオン化法」の開発。たんぱく質など生体高分子の構造を精密に分析する新技術を編み出したことが評価された。では、質量分析法とは何なのだろう。
★見えない分子を調べる
目に見えない小さな分子の構造を知る方法として、現在広く使われているのが「質量分析法」だ。分子をイオンの状態にして真空中で電気や磁気のふるいにかけ、質量と数を測って分子全体の構造を解析する。@分子をイオン化する
Aイオンの質量と数を精密測定する、という二つの技術が必要だ。 イオンとは、本来電気的に中性(プラスでもマイナスでもない)の原子や分子が、電子を周囲に奪われたり、逆に受け取ったりしてプラスかマイナスの電気を帯びた状態になっていることをいう。分子を真空中でイオン化させるには、調べたい分子を気体の状態にしなくてはいけない。従来、小さくて気化させやすい分子は比較的簡単にイオン化することが出来た。しかし、生体高分子は、気化させようと加熱すると、分子そのものが壊れてしまう。
★MALDI法
田中さんは、「マトリックス支援レーザー脱離イオン化(MALDI)法」でこの難問をクリアした。85年のことだ。
まず調べたい生体高分子を、グリセリンなどドロドロした液体の有機化合物に混ぜ、そこにレーザー光を当てて間接的に加熱しようとした。分子は壊れなかったが、有機化台物が熱を吸収しないため、加熱不足で失敗した。試行錯誤の最中、当時新素材として注目を集めていた「金属超微粉末」が目に留まった。
金属超微粉末はさまざまな金属を数十ナノメートル(ナノは10億分の1)サイズにした粉末で、非常によく光を吸収する。「これで光を集めれば加熱効果があるかも」。田中さんはコバルトの超微紛末を取り寄せ、実験を始めた。ある時、誤ってコバルトとグリセリンを混ぜてしまった。「捨てるのはもったいない」。その“失敗作”を乾かそうと真空中でレーザー光を当ててみると、分子がイオン化していた。グリセリンの中でレーザー光を吸収したコバルト粉末が急速に高熱を発し、分子を壌さず一気にイオン化していたのだ。
質量は「飛行時間型分析法」で調べる。イオン化した分子に電圧をかけて加速し、真空中を1〜2メートル先の的に向けて飛ばす。同じ加速でも小さな分子はより速く飛び、大きな分子は遅い。的に到達するまでの時間と数を調べて、分子の質量や構造が分かるというわけだ。
★ライバルの技
田中さんと同時に化学賞の受賞が決まった米バージニア・コモンウエルズ大のジョン・フェン博士(85)が開発した「エレクトロスプレーイオン化(ESI)法」は、調べたい分子を水やメタノールに溶かし、極細の管から霧状にして噴射する。管の先端に電圧をかけておくと、霧状の水滴は電気を帯び、電気の反発カで水滴がどんどん小さくなっていく。最終的に水は全部蒸発し、溶けている分子だけが電気を帯びたイオンとなって残る。
田中さんのMALDI法、フェン博士のESL法のどちらの手法でも分子量数十万の生体高分子をイオン化できる。従来はその100分の1以下の分子量の分子しか扱えなかった。新手法では誤差も1000分の1以下になった。
では、どちらが優れているのか。今坂藤太郎・九州大教授(分析化学)は「ESI法はレーザーなど高額の機器が不要。さらに溶液を使うので準備が簡単で、別種の分析器をつなげてさまざまな分析を連続で行いやすい。MALDI法は有機化台物と分子を混ぜるなど準備が必要だが、データの精度が高い」と言う。機器の改良が進み、より安価になると高精度のMALDI法の普及が進む可能性があるという。
MALDI法は米、独の研究者が有効性に気づき、積極的に研究している。田中さん自身も97年から今春まで英国の関連会社に出向中に、技術を大幅に改良した。近く発売される新型装置では、一度イオン化した分子を細分化して調べることが出来る。たんぱく質と糖が結合した巨大な分子を小さな部品ごとに分割しながら、構造分析が出来るという。
ヒトゲノム(人間の全遺伝情報)の解読後、脚光を浴びるたんぱく質解析。新薬開発やがんなど病気のメカニズム、脳機能の解明など生命科学の多くの分野にかかわる。基礎研究だけでなく、がんなどの病気の診断にも応用が可能だ。
今坂教授は「金属超微粉末を加えた有機化合物にレーザー光を当てても、普通はこげてしまって使い物にならないだろうと思っただろう。常識にとらわれず、実験で結果を試した田中さんの姿勢が素晴らしい」と話している。