2005/11/11 住友老壮会
講演 「緊迫する国際情勢と日本の対応」
講師 外交評論家 岡本行夫氏
秋山会長
本日は岡本行夫さんにお話をいただくことになっております。まず、岡本さんに、大変お忙しい中を東京からわざわざ本日講演をいただくために大阪までご出張くださいましたことを、心から御礼を申し上げます。どうもありがとうございます。
岡本さんにつきまして、私から改めてご紹介することはあまり無いと思います。と申しますのは、岡本さんは、テレビ、雑誌、新聞、その他あらゆるところで大変にご活躍でありまして、皆様はすでに良くご存じの方でございます。そこで、私が若干エピソード的なことを交えながら、岡本さんの横顔をご紹介申し上げたいと思います。
数か月前でございますけれども、私が、岡本さんが超多忙であることを承知しながら、本日ご講演を賜りたいということお願いいたしました。その趣旨をお話いたしましたところ、「そういった会ならば喜んで行こう」ということで、快諾いただいた次第でございます。ところが、9月になりまして総選挙という大変予定外の事が入ってしまいました。政界にも大変知己の多い岡本さんのことでございますので、更に一段と忙しいのではないかと…。従って、私は、予定どおり来ていただけるのか、あるいは変更が生ずるのかと、内心ハラハラしながら毎日を過ごしておったのでありますが、こうして今日、予定どおり、非常にお忙しい中を時間を削いて大阪まで来ていただけたことを、改めて御礼を申し上げたいと思います。
岡本さんは外務省に勤務されまして、主流といわれます北米局で安全保障課長、あるいは第一課長などを歴任しておられましたが、14年前に自らの道を自分の力で切り開く人生を選ばれました。数年前には、岡本さんが沖縄担当の首相補佐官として献身的に日本のために、そして、沖縄のために毎日を大変ご苦労されて、大変な貢献をされたということは、我々の記憶に新しいところでございます。私も幾つかの本を読んだのでありますが、ある本は、岡本さんにつきまして、「沖縄の地べたをはいつくばって、米軍兵のバーまで行って…」と書いております。あるいは、「岡本さんの偉いところは、身銭を切って沖縄の人と酒を酌み交わし…」と言うふうにも書いております。そしてまた、その行動は極めて範囲が広く、基地の問題ばかりではなく、沖合の離島にまで渡り、漁民にカンパチやヒラメの養殖プロジェクトを指導し応援した話など、盛りだくさんにいろいろな本に書かれているところでございます。基地のある市町村を足しげく訪問いたしまして、毎日欠かさず電話をするとか、その仕事ぶりは、沖縄の人たちに密着、徹底した現場主義であり、担当補佐官時代の沖縄訪問は、実に60回以上にも及んだそうであります。従って、その誠意あふれる仕事ぶりに、今でも沖縄には大勢の岡本ファンがいると私は伺っております。
もう一つ、岡本さんを語るときに欠かせないのは、イラク担当補佐官としての貢献であります。日本・エジプト合同のイラク医療支援チーム、これをイラクに派遣いたしまして、イラクの医師の教育であるとか、あるいは、イラク・エジプト両国の医療関係の交流の橋渡し、こういったものも岡本さんがきっかけをつくり、おやりになったことであります。そして、イラクにおきましても現場主義は全く変わらず、危険地帯を駆け巡りまして人脈を築き、本物の情報を入手して、かけがえのない非常に重要な役割を果たされました。このように、目標に向かって道を切り開き、自分の手で建設していくというのが、岡本さんの仕事のスタイルだと私は思っております。官邸外交でありましたから、外務省との間も非常に難しいものがあったのだと推察いたしますが、それを乗り越えまして、りっぱにご活躍されたことには、ただただ敬服のほかはございません。
さて、世界は不安定と激しい変化の真っ只中にあります。日本を取り巻く環境は、政治情勢も混沌としており、四面楚歌、あるいは出口無しという感じさえ私は持ちます。中国・北朝鮮とのあつれきも収まる気配はありません。特に岡本さんは、先日中国を訪問されまして、日中問題について歯に衣を着せない大論争をやってこられましたので、あるいは、その辺のホットなお話も聞かせていただけるかも知れません。そして、イラク問題。依然としてテロが絶えません。昨日も、ヨルダンで大きなテロがございました。新政府は、果たして治安の回復、あるいは経済の復興を果たしうるのかどうか。また、先日の国連常任理事国問題では、これもうまくいきませんでした。イラクにおける日本の経済的、人的な貢献は、イギリスに次いで非常に大きなものがあると私は思います。しかしながら、それにもかかわらず、日本の言い分は全く通らなかった。国連への拠出金、これも世界で二番目であるにもかかわらず、常任理事国問題については何も聞いてはもらえなかったという感じを受けております。また、特に最近、日本が頼りにするブッシュ大統領の政治基盤も極めて心配であります。
経済を見ますと、日本の景気は株高と共に大変順調に上向いております。しかし、構造的ともいわれる油の値段の高いこと。それから、その他諸々の問題は依然として日本に内在しております。また、アメリカの不動産のバブルはどうなるのか、中国はどうなるのか。日本の景気の先行きに、いろいろな影響を与える事柄も数多くございます。等々、内外に非常に問題の多い今日、岡本さんにお話をいただくわけであります。とても時間は足りないと思いますけれども、時間の許す限り、岡本さん、どうぞよろしくお願いいたします。
外交評論家 岡本行夫氏
「身に余るお言葉」とはよく使いますけれども、こんなに私は人前で褒めてもらったことは初めてであります。秋山会長が私を紹介してくださる間、ずっと身のすくむ思いで聞いておりました。秋山さんとは、私が役所の時からでございますから、もう20年近いお付き合いをさせていただいております。本当に私は尊敬申し上げている方なんですが、時々嘘をおっしゃいます。先ほども、「お忙しいところ来てくれるかとお願いしたら、喜んで快諾してくださった」とおっしゃったんですが、「喜んで快諾」というか、これは秋山さんの私に対する命令でありまして、いやも応もありません。参りました。もちろん、大変喜んでおります。このようなりっぱな会合に呼んでくださってありがとうございます。
今日は、「緊迫する国際情勢と日本の対応」という難しい題名をくつつけていますけれども、日頃、私が考えているようなことを申し上げてみたいと思うんです。
我々、外国とどうやってうまく対応していけるのか。先ほど秋山会長が総括された国際情勢は、私が言いたいことを全部先におっしゃったような話でございます。日本の対外環境というのは、今、大変厳しいところにあると思うんですね。小泉新内閣が発足いたしました。これはなかなか良く出来た内閣だとは思います。基本的には党内になかなか気配りをした。今までジャーナリストたちの間では名前も挙がっていなかったような人たちまで入って、党内のバランスをとった。橋本派も、小泉さんはぶっつぶすことにこれまで政治生命を懸けていたわけですけれども、ぶっつぶした後は、適材適所ということで、3名も入閣をしています。小泉さんの思いが随所にこの内閣には見える。
私、よく見ていますと、なるほどなと思うことがあります。これは、どのマスコミも言っていないことですけれども、多分こういうことじゃないか。まず、農水大臣に中川昭一さんを持ってきた。彼は、ご承知のとおり、経産大臣をやっていたわけです。そこで、FTAの旗を振って、「農水省けしからん」とやっていたわけです。経産省は、もちろん自由化の方の立場であります。その旗振り役を、農水省へもっていった。敵方にもっていって、今度はその勢いで農水省の抵抗派を抑え込めと、こういうメッセージではないかと。もう一人、私と同い年で大変に気安くしている、小坂憲次さんがいます。その小坂さんを、文部科学大臣にもっていった。彼は総務副大臣をやって、中で三位一体改革を必死に今まで進めてきた。総務省でかなりの実績を上げた人です。その彼が、三位一体改革に反対する一つのとりでは文部省でありますから、そこの大臣へもっていった。今度は文部官僚を抑え込め。義務教育の経費などをめぐって文部省が総務省に厳しく対立していたわけです。ですから、じっと閣僚名簿を見ていますと、小泉さんの戦略というのは、すごい人だなという気がしています。
私が今申し上げたことは全く違うのかも知れませんけれども、そんな気がしてなりません。さて、その内閣が、ではどういうように外交に対応していくのか。これはやっぱり安倍晋三さんにかかるわけです。外務大臣はもちろん主管の大臣でありますから、非常に重要でありますけれども、外からはなかなか分からないが、官房長官というのは、政府の中にあって最も重要な役職であります。役人は、すべての案件を最終的には総理大臣のところにあげますけれども、それはすべて、まず官房長官のところにあがるわけですです。ですから官房長官が忙しい総理大臣に代わって官僚との議論をし、そして、「この方向に持っていけ」ということをおっしゃる。何しろ総理大臣という人は、外国の要人との会談とかいろんなスケジ一ルが入ります。官房長官はその分時間がありますから、政策の中身を担当する。外務大臣というのは、外務省だけで判断できる外交案件しか最終権限を持ちませんけれども、今は、FTAや、あるいは普天間の問題のような案件であっても、すべていろんな役所が関係するわけです。結局は官房長官が実質的に多くの外交政策を決めていくという部分が非常に大きいんです。その安倍さん、それから、麻生外務大臣、いずれも愛国者の方々でありまして、外に対しては毅然とした態度をおとりになる。私は、良い布陣だとは思いますが、これからアジア外交をどうやって組み立て直していくのか、大変大きな課題がお二人の肩の上にかかっていくのだろうと思います。
アジア外交と言いましたが、日本は、特にアジアとの関係で今厳しい立場に置かれていると思います。先ほど、秋山さんが、「安保理の常任理事国入りもできないんじゃないか」とおっしゃった。本来は、アジアの中で日本に対する支援というのは、もっともっと声高になっていいわけです。これだけの金を注ぎ込んできたわけです。すさまじい額の円借、無償を、中国はもちろん、インドネシア、インドをはじめ東南アジア全部につぎ込んできて、日本を支持した国はいない。この間の「Newsweek」が首をかしげていましたけれども、「日本を支持したのは、モーリシャスとブータンとアフガニスタンだけではないか、一体これはどういうことだ」と書いていました。それぐらい日本に対する支援というのが無い。結局、今、アジアの中で日本が友人を失いつつあると。その先週の「Newsweek」のカバーストーリーですけれども、「Why
Japan Has No Friends」、どうして二本には友人がいないのかと、こういう大きなタイトルです。小泉さんが靖国で参拝している写真を使いまして、その後に、そういうでかいタイトルを打っておりました。これが、実は私も問題だと思うんですね。たまたま一昨日、シンガポールからお見えになっているゴー・チョクトン前首相とお昼をご一緒する機会があったんですけれども、ゴー・チョクトンさんも一番心配していたのはそのことなんです。
今、アジアは岐路に立っているという気がいたします。一つの道というのは、今までとおりのアジアが続いていく。つまり、日本、中国、やがてインド、そういった三つの三大強国の周りにアジア諸国が案件ごとに緩やかな合従連衡を組みながらアジア情勢が流動的に前に進んでいくというのが、今までのアジアですよね。ところが、もう一つの不吉な道があります。それは、大陸アジア対島嶼アジアという、そういう対決の構造ですね。島嶼アジアといったって、日本と台湾とフィリピンとインドネシアしかないわけですね。シンガポールもやつぱり島ですから、ちょうど中間ぐらいのところにいて、だからこそ、ゴーチョクトンさんも心配しているんだと思うんです。でもインドネシアは独自の地域のミニ覇権を求めている国ですから、これは日本と一緒にということでは必ずしもない。そうすると、実質的に日本の盟友というのはいなくなってしまう。となると、大陸アジア、対日本という格好で進んでしまう。これが非常に嫌な構図であります。すでにアジアは、この不吉な方の道を歩みはじめているのではないかというのが、大げさかも知れませんけれども私の心配であります。
きっかけというか、大きな要因の一つは韓国です。今までは、我々は、日米、それから米韓という軸を通じて、日米韓という、一つの緩やかな友好関係がありました。韓国は常に日米の側に立つていてくれるものと思っていたのですが、ここ2年ぐらいの間の、韓国の中国への急速な傾斜。ワシントンでも、今一番東アジア情勢について深刻に見ているのは、韓国のアメリカ離れということなんですね。完全にバランスを中国側に、大陸側に有利にしてしまった。
中国という国は、本当に抜け目のないと言うか、大変に動きの速い、しかもよく考えた外交をするところであります。ご承知のとおり、彼らが非常に今重視しているのは上海機構という、中国・ロシア・中央アジアの国々でつくる連合体でありますけれども、あそこを一つの軸にして、北、それから北西の方を抑えている。南の方では、タイ、マレーシア、ここへ影響力を最近強めてきております。今までは、ラオスみたいなところは、もちろん中国の影響下にあったわけです。ミャンマーもそうですね。それに、我々が頼みとしていたタイとマレーシアまで、どうも向こうへ行きかけている。それから、ベトナムと中国なんていうのは、いつも喧嘩をしているのかと思ったら、中国とベトナムの急接近というのも、今見られはじめている。となりますと、要するに日本がもたもたしている間に、中国がASEAN諸国までを自分の軌道の中に引き込んできている。非常に簡略化して言うと、どうもこういう絵柄が出てきているのではないかという気がします。
何しろ彼らは素早いですね。今年の4月に小泉総理がインドを訪問いたしました。日本とインドが戦略的なパートナーシップをつくる非常に良い機会だったわけです。ところが、行ったタイミングが温家宝首相のインド訪問の1週間後だったために、インドでの存在感というのが非常に少なかった。インドの新聞は、温家宝のことを大々的に書きましたが、1週間後に行った小泉さんのことは、ほとんど取り上げなかった。なぜ温家宝の1週間後という悪いタイミングで小泉さんが行ったのかということになりますけれども、そうではなくて、実際は、小泉さんのインド訪問というのは4月の後半、早くから決まっていたんですね。決まっているけれとも、日本はそれを外に言えない。国会との関係、いろんな理由で「いや、まだ決まっていません、決まっていません」と。で、インド訪問ということを正式に決めて外へ発表したのは、実際の訪問のわずか10日前ですよ。ところが、中国は何をやったか。早くから小泉さんのインド訪問の日程を知って、直ちに温家宝のインド訪問をその1週間前にぶつけてきたんですね。そして、彼らがインドとの戦略的な関係をつくった。温家宝はたくさんの文書を携えて行って、インドと合意をしていった。
中印紛争から始まって、中国とインドの間の緊張関係というのはずっと続いていたんですけれども、これで一挙に中国とインドは仲良くなった。その後へ、もう熱気が冷めた後、気の毒に小泉さんがインドヘ行く格好になってしまった。要するに、あの中国とには、今までのようなぐずぐずとした日本外交では対応できないんですね。
安保理の常任理事国入り問題もそうだと思うんです。あれは明らかな日本外交の失敗だったと言わざるを得ない。私は2年ぐらい前から、「絶対に日木は通らないよ。国民に過大な期待感を与えるべきではない。そうなると、かえって国民に反発が生まれるから」ということを、いろんなところで言ってきたのですが、「そんなことを言うな」と怒られ続けてまいりました。しかし、結果はそのとおりになった。要するに、日本は、「ニューヨークで情理を尽くしてみんなを説得すれば、『日本を入れましょう』という空気が出てくるだろう。そうすると、中国もそのコンセンサスに逆らえなくなるだろう」と。こういう、あまり根拠のない楽観論でやってきたわけです。1941年の11月初めの御前会議で、日本が、アメリカ・イギリス・オランダに対する開戦を決定したわけですが、その時の理屈が、「今にドイツがイギリスに上陸するだろう。そうすると、イギリスは降伏する。そしたら、アメリカは戦意を喪失して日本の有利な条件のもとに講和ができるだろう。だから行け」と。これは、全く根拠のないもので、国際情勢分析とも言えないものですが、それに基づいてあの戦争へと日本は突き進んで行ったわけです。
ニューヨークで良い雰囲気が出れば、中国も反対できないだろうというのは、そこには何の根拠も無いわけですね。ですから、私は最初から中国は反対するに決まっているわけですから、中国との交渉をいかにやるか。そのために中国は、「どうしても靖国に行くな」と言うことであれば、日木が常任理事国に入ることと、そのことを比較する。結論はどっちでも良いんですよ、「靖国の方が大事だ」と言うのならば、それでも良いですけれども、しかし、そのくらいのことを中国との間でやらない限りは絶対駄目だと思っていました。案の定、中国はアフリカ諸国にまで使節団を送りました。50か国に送ったんですね。「日本の安保理常任理事国入りには反対だ、あそこはまだ軍国主義が残っている国で……」とやりながら、経済協力をアフリカにばらまいたわけです。それで、アフリカ諸国はみんな、日本から離れてしまった。
日本は、さっき秋山会長がおっしゃったように巨額の分担金を払っています。国連の分担金の20%近くを払っています。あれは、もともとGDP比率で分担金率が決まりますから、日本は14%払えば良いんですね。それをなぜ20%近く払っているのか。理由は簡単でありまして、アメリカが本来は30.3%払わなければいけないのを、彼らは22%しか払わないからです。そこは理屈も何もない。「我々は22%しか払いません。以上、議論なし、終わり」、こういうことです。そうすると、アメリカが払わない8%分を誰が負担をするのか。この3分の2を日本が、残りの3分の1をドイツが負担しているという格好です。中国なんかは、本来の分担金率の算定からいって払わなければいけない分の半分も払っていないんですね。どうして、そんなばかなことになるのか。要するにこれは、毎年、毎年の分担金、2年に一度のこともありますが、改定交渉で決まっていくわけです。日本が「それで良い」と言っているから、ここまでどんどん増えてきたわけです。外務省も他では大変良いこともやってきていると思います。しかし、こういうところがいけないんですね。やっぱりいい気持ちになれるわけです。国民の税金ですから、自分の懐が痛むわけでもない。それで、これだけの高額の負担をすれば、「日本がいなければ国連は成り立ちません」、「日本のお陰ですべてのことができます」、こういうことを言われて、そして、日本が主催するレセプションにはみんなやって来る。非常にいい気持ちになる。しかし、それが何になっているんですか。実際に大事なときには何の効果も無い。ですから、私は、日本は本来払うべき14%のところへ戻るべきだと思うんですね。そんなことをむき出しで言うのは品が無いですから、「こういうことだと日本は、自分たちの本来払うべき分以外は払わないと言い出すんじゃないか」と、各国に思わせるようなことをやるべきだと思うんです。
私は、補佐官の時に、「日本はこれ以上分担金を払うべきではない、もっと下げるべきだ」と、ファイナンシャルタイムズのインタビューに言いましたら、それが、ファイナンシャルタイムズの一面トップになりまして、世界中に回っちゃった。私は怒られましたよ、外務省からね。「岡本さん、どうしてこういうことをおっしゃるんですか」と。ただ、私は今でも国のために非常に良いことをしたと思っています。そういうように、日本の国内では、このばかげた分担金率に反対する声がたくさんあるんだということを、やっぱり世界に知らせるべきだと思うんですね。この分担金率というのは、国連の事務局経費だけではありません。よく、外務省は「国連の事務局経費だけだから、この20%の分担金率で払っているお金はわずか400億円にすぎません」とか言いますけれども、これは違いまして、この分担金率で専門機関の分担金も決まってくるんですね。国連が行うPKO経費の分担も全部決まってくる。だから、このばかげた20%という分担金率のもとで、日本は干何百億円かを払っているんです。そういうことを、むしろ国民に言わないで、「いや、いや、400億円にすぎません」と言っている。私は、そういう弱腰の外交というか、一本筋が通っていないと、各国も足元を見て、何も日本に対する脅威感を感じないということになってしまうと思うんですね。と言うと、えらく、このタカ派のナショナステイックなように聞こえるかも知れませんが、私は、このごろ「岡本さん、左傾化しているんじゃないか」と言われるようになってきております。それは、歴史認識の問題によってですが、これはまた後から申し上げます。
その中国との話にいく前に、日本の周りで一番大事な国はもちろんアメリカであります。どうして、アメリカが日本にとって一番大切か。これは非常に簡単でありまして、いざというときには自国民の血を流してでも日本を助けに来る条約上の義務、政治上の義務じゃないですよ、条約上の義務を持っているのは、アメリカだけであります。日米安保条約、第5条に基づいて、アメリカは日本を助けに来るわけです。こんな国はもちろん世界には他にありませんから、日本にとってどこの国が大事かといえば、アメリカが一番大事というのは当たり前の話ですね。ちなみに、日本にとって二番目に大事な国は中国だと思います。一番目アメリカ、二番目中国。こういうような話をすると、これまた批判されるわけです。「いや、みんな大事だ」とかね。「それぞれ大事なところが違っている」とか。特に学者の人たちは、私のように、単純な、乱暴な言い方をすると、「あいつばかか」というような顔で見るんですけれども、私は、アメリカ一番、中国二番だと思っております。中国の人たちと話をするときにも、私はそう言います。「間違わないでください。日本にとって一番大事なのは安保条約です。だから、アメリカが日本にとって一番大事な国です。しかし、中国は二番目に大事な国です。皆さんはどうですか。皆さんにとって一番大事な国はどこですか」と聞きますと、これまた中国人は、異口同音に「アメリカです」とこう言いますね。「では二番目に大事な国はどこですか」と私が聞きますと、「日本」と言う人はいないですね。ほとんどいない。「ヨーロッパです」とかね、「アジア諸国です」とか、「世界全体です」とか、いろいろ逃げてしまう。私は、中国の人たちに言うのは、「あなたたちにとっても、本当は日本が二番目に大事な国のはずでしょ。どうして、それに応じた付き合いの仕方をしないんですか」と言うんです。
ちょっと余談になりましたけども、この一番重要な同盟国であるアメリカとの関係がうまくいくのか。これも秋山さんが言っちゃいましたけれども、ブッシュ政権が今脆弱になってきている。カトリーナの時の対応の無策ぶりというのは酷いものでした。どういう無策ぶりだったか。ここで時間をかけていたら幾らあっても足りませんからやめますけれども、一つだけ言います。とにかく、あそこのFEMA、緊急事態援助管理庁というところが全くひどい。ここの長官はマイケル・ブラウンという男で、ブッシュ政権の情実人事で長官になった人で、全く無能力な人なんです。彼の前職は何かと言うと、アメリカのアラブ馬輸入協会コンサルタント、つまり競馬馬のことしか知らない人をあんなところへ持ってきてどうするんだ。ブッシュの選挙のキャンペーンマネージャーの大学の時のルームメイトだというので、あんな大事なところへ持ってきたわけですね。
あのFEMAという役所は、10年前は素晴らしい役所だったんです。ですから、阪神淡路大震災の時に、私はよく「アメリカのFEMAを見てくれ。どうして日本はああいう対応ができないんだ」と言ったぐらいであります。あの時には、デウイットという有名な長官がいまして、伝説上の人物ですが、この人が全職員に緊張感を与えて、どんなときにも災害に対応できる態勢をつくっていた。指導者一人で非常に変わるものです。
それが、本当にだらけたFEMAになってしまっていた。それで、ニューオリンズであれだけ多くの負傷者が出た。死んだ人は千人ぐらいいるわけです。サウスカロライナ州のチャールストンという町のお医者さんたちが、「うちの町へとにかく病人をできるだけ連れて来てくれ。うちで手当をするから」と言ったんです。それで飛行機がチャーターされまして、FEMAがルイジアナ州の負傷者をたくさん乗っけてチャールストンヘ飛ばした。ところが、チャールストン側で、救急車を飛行場に待機して待っていましたけれども、待てど暮らせど来ない。どうしたのか。何とこの飛行機は、サウスカロナイナ州のチャールストンではなくて、ウェストバージニア州のチャールストンヘ行っちゃってたんですね。FEMAがやったことです。そういうばかげたことが、ありとあらゆる局面でありました。
それにしても、ブッシュ大統領自身がどのくらい危機管理の必要性を認識していたかと、散々にたたかれたわけですね。それから、最高裁判事にハリエット・マイアーズという、また大統領の側近の女性の弁護士を推薦して、これまたみんなの袋だたきにあった。それから、今、リビー副大統領補佐官がついに起訴される。いろんな足元からどんどんどんどん崩れてしまっている。
アメリカの大統領の力が落ちるということは、大変に日本にとって深刻なことだと思います。私は、いつも思い出すんですけれども、ブッシュ大統領の親父さんの時にこういうことがあったんです。日米首脳会談が、ホワイトハウスで行われました。時の日本の総理大臣は、竹下さんです。当時は、日米貿易摩擦が非常に厳しい時でした。それで、午前中に大変にいい政治についての会談が行われて、昼飯になったんです。昼飯の時には、国務長官と国防長官だけが出て来るはずが、USTRも来る、商務長官も来る、財務長官も来る、経済閣僚がずらーっと来るということが、我々のところへ通報されてきました。これは、やれコメがどうだ、半導体がどうだと、ろくなことにはならんと我々は警戒しましたが、しかし、向こうがやる飯ですから、こちらから出席者について文句をつけることもできない。怖々と行きましたよ。そうしましたら、食事の冒頭にブッシュさんが立ち上がって、「今日は私の内閣の重要な閣僚にすべて来てもらった。ここで私は日米間の一番重要なことについて話をしたい」と一言ったんです。それから1時間半の飯を食いながら、日本がソ連にどう対応していくのか、中国にどうやって日米が協力して対応していくのか、それをずーっとやったんです。経済の話は一つも出なかった。そこで私は会談が終わってから、大統領の補佐官を捕まえまして、「あれは一体どういうことだったんですか。どうして戦略協議をやるのに経済閣僚を呼んだんですか」と言いましたら、その補佐官が、「あれはブッシュ大統領の直々の指示です。大統領は経済閣僚たちに日米間の深さ、重要さということを思い知らせたんです」と言うんです。「それぞれの経済閣僚は、その基本的な日米関係の中ということを十分認識して個別の貿易交渉をやれよ、というメッセージだったんです」と言うんですね。私は、大変にその時に感銘を受けました。ブッシュさんのお父さんというのは、残念ながら再選はされませんでしたけれども、そういうふうに非常に戦略的に日米関係のことをやっていった人です。大統領が日本に対してどういう感情を持っているかというのは、非常に大事なんですね。それによって閣僚たちが全部右向け右をする。
ところが、今のように、ブッシュさん自身は、息子さんの方は、日本に対して非常に良い関係を小泉さんとの間で持っている。日本に対して良い感情を個人的にも持っているとしましても、ホワイトハウスの中がガタガタしてきますと、そういうような、みんなで一致団結して日米関係をということでは無くなってきてしまう。それを私は大変に心配しております。
それから、アメリカのクレデビリティというのが、対外的に落ちてくるということになりますと、これは国際社会が前に進みません。特にアメリカのリーダーシップがなければ前に進まないような、イラクを中心とします中東情勢、特に中東和平が進まなければ、いつまで経ってもテロは無くならないと思います。中東の安定化はままならない。それから、東アジアにおいては、もうブッシュ政権は正面から取り組む余裕というのが無くなっていると思うんです。そうすると、北朝鮮というのは、結局、アメリカが核問題で北朝鮮に強い態度でねじ伏せない限り前に進まないという面があるわけですけれども、アメリカにそれができないということになってきますと、日朝交渉というのも進まない。世界の中でいろんなところで難しい案件が膠着状態になってくるということが心配されます。
そのアメリカとの関係で、今日本が一番問題になっているのが、普天間の移設問題ですね。これは、秋山会長が、これは橋本内閣の時でありましたけれども、私の沖縄担当補佐官の時の話をしてくださったので、ちょっと私もそれに乗せられて言います。要するに、「今度日米で合意ができたのが、非常に大きなことである」と、こういう報道ぶりになっているんですけれども、実際は、アメリカと合意するのが一番楽なわけですね。日米政府は双方とも同じ方向を向いているわけですから、細かい差はあっても日米は必ず合意をする。問題は、地元との関係です。私は沖縄担当補佐官になりました時に、直接の上司は梶山官房長官でした。この人は偉い人でしたね。私は今でも、あらゆる政治家の中で最も尊敬しているのは梶山静六さんであります。彼が「岡本、お前、この普天間の移設を沖縄と話して来い」とおっしゃるわけです。当時は、辺野古の沖に持っていくということすら言えなかった。東海岸のどこかということになった。それで私は、さっき、秋山さんが私を褒めてくださったのは、あれは過分なお言葉なんですが、とにかく一生懸命沖縄に行きました。毎朝、毎朝、名護の市長と電話をしました。そして、彼は、「あのヘリポートを、それでは浅瀬の上に受け入れましょう」ということを約束してくれた。そしたら、本土から反対派がたくさん行って、住民投票をやって、「移設反対」という多数票を出してしまったんです。それで、私は、名護の当時の比嘉さんという市長に、「比嘉さん、無理をしないでください」と言ったのですが、彼は頑固一徹の人でありまして、「いや、岡本さん、どうしてもヤンバルの振興のためには基地を受け入れることしかないんだ」と。ヤンバルというのは、山原と書きまして、沖縄の北部一帯のことをヤンバルと言います。沖縄は、南と北との間にかなりの確執があるわけですが、「南の人たちの言うことだけを聞いて反対だけをしていられない。自分は政治生命をかけて受け入れるんだ」と言って、住民投票で「ノー」の結論が出ているにもかかわらず、行政の長として受け入れるという決定をしちゃったわけです。法的に言えば、住民投票の結果というのは参考意見でありまして、行政の長が決定するのが正式になります。その代わり、彼は市長を辞任するという決意を固めて、1997年12月24日、クリスマスイブの晩に官邸にやって来まして、橋本さんにそれを伝えました。二人とも泣いていましたよ。涙、涙のああいう会談というのも珍しいですけれども、お互いに手を握り合って、「市長さんよく決断してくれた」と。それからやり直し選挙をやって、ドロドロの政治闘争でしたよね。そして今度は、比嘉さんと一緒にやってきた戦友である助役の岸本さんという人が、今度は市長選挙では勝った。それが現市長であります。それで、受け入れがあそこに決まったんです。つまり、国とアメリカと名護市と、この三者が合意したんですね。沖縄県は反対していましたけれども、県は要するに同意しなくたって、あそこの管理者である市長が「イエス」と言ってきているわけです。それから、もう決まったと思ったら、9年間、さまよえるオランダ人のごとく、またいろんな理由があるんですけれども決まらなかった。基本的には、政府がぴしっとやっていけば、そのままの勢いでやれたと思うんですけれども、わずか数キロメートルのところを行ったり来たり、山へ上がったり下がったりして、ようやく今のところに決まりました。「決まりました」と言ったって、前の案は三者で合意をしているのに、今度は日米だけで合意が成り立った。市は反対ということに回わちゃった。県は以前から反対。そうしますと、前へどうやって進めるんですか。どうして三者で合意したところをそのまま貫き通してくれなかったんですかと、私は個人的にはいささか不満があるんですけれども、これから大変であります。結局、地元が反対して動かないとなると、普天間が動きません。普天間が動かないと全体がパッケージになっていますから、海兵隊の削減というのも実現しない。キャンプ座間への米軍の司令部の移転も、厚木の夜間離発着訓練も動かないということになってきて、日米関係がきしみはじめるんではないかという心配があります。ですから、アメリカとの関係も難しいです。
あとちょうど20分の時間をいただいているんで、もう少しお付き合いください。残った最後の問題で、中国のことを申し上げたいと思います。中国はどうしてこんなに反日感情が強くなってきているのか。今、世論調査をしますと、特に若者の間に反日感情が非常に強い。だいたい75%の中国の若者が「自分は日本か嫌いだ」と答えます。これは、直接戦争を経験した世代よりも、もっと高いんですね。なぜ若い方が高いかと言えば、理由はただ一つであります。教育をそういうふうに受けたからです。今の中国の愛国教育というのは、1994年から江沢民が強化しましたけれども、そこでは日本軍が2千万人の中国人を殺したと教えます。更に、1500万人を負傷させたと。併せて3500万人が日本軍の犠牲になったというのが、中国の公式の数字なんですね。98年に江沢民が早稲田大学で講演した時も、「あなた方の国は、私の同胞を3500万人殺傷しました」と学生たちに言いました。これは、ちょっと考えるととんでもない数字だということは、すぐに分かるわけです。2千万人殺すためにどのくらい必要か。私、ちょっと計算してみましたけれども、10年間、来る日も来る日も5400人ずつ殺し続けなければ2千万人にはなりません。ですから、こんなのはとんでもない数字なんですが、ただ問題は、中国の若者たちは、これをそうやって覚え込んでいるということです。私も上海の大学で教えていますから、中国の若い人たちを捕まえて、「あなたたち、一体日本軍が何人殺したんだと思っているんだ」と聞きますと、みんな「2千万人」と言いますよ。中には負傷させた1500万人という中国の数字をさらに混同して、「日本は3500万人殺しました」と言う若者たちも居る。いかに事実と反していても、そういうふうに覚え込んだ若者たちが、日本を嫌いにならないはずはない。そら、私だって、どこかの国が3500万人の日本人を殺傷したと教えられれば、その国を一生憎むと思うんですね。この教育というのは今も続いています。毎年、毎年、この反日感情が再生産されているわけです。
それから、中国各地の抗日記念館、お回りになった方もいらっしゃると思いますけれども、おどろおどろしい日本軍の残虐写真がずっとあるわけですね。あそこへ毎日何千人という小中学生が修学旅行で訪れます。中国各地に十数カ所あるこういう抗日記念館、掛ける365と計算しますと、毎年何百万という子供たちが、非常に強い日本に対する嫌悪感というものを持って生まれてくる。南京の大虐殺記念館、その抗日記念館に行った時も、「あの日本め!」と、小学生の団体が叫んでいましたよ。私はよく外務省にも頼むんですね。「経済協力は良い。しかし、橋を架けて学校を造ったところで、一体何人の中国人が喜ぶんですか。その案件毎に数百人、あるいは何千人かの中国人を喜ばすことはできても、片一方で毎年何百万という子供たちを反日にしている。だから、そんなことよりも、あの抗日記念館の展示物を何とかもっと穏やかなものにさせるとか、建設が決まっているところは、それを文化センターみたいなものにするとか、何かそこに焦点を変えさせるべきではないか」と言うのですが、残念ながら日本のお役所はなかなかそういうことでは動いてくれません。
この愛国教育のもとで、中国政府は膨大な反日の若者たちをつくり出してしまって、彼ら自身が今危機感を覚えていると思うんです。4月の暴動というのは、あれは中国政府の想定をはるかに超えるものだったわけです。中国政府自身、あんなに強い反日感情が若者たちの間にあるとは思っていなかったと思います。そして、彼らは今、その反日活動というのを一斉に抑え込みにかかっている。小泉さんが、先月の初めに靖国へ参拝した時も、中国側の反応は静かでしたけれども、これは必死になって中国が抑え込んでいるせいですね。中国の若者たちは、みんなインターネットでお互いに連絡を取り合う。インターネットの利用者というのは、一億数千万人。ということは、あれは主として学生たちでありますから、みんながやっているということなんです。
やっぱり中国政府はインターネットの書き込みに非常に敏感になっています。「日本という国はけしからん」という書き込みはずっと残ります。しかし、「日本に対して抗議行動を起こそう」という呼びかけの書き込みはすぐ削除されます。もちろん、手で削除しているわけではなくて、アメリカのシスコみたいなところへ巨額の金を払って、インターネットのスクリーニングの技術を彼らは買って、それでやっているわけです。そういうふうに具体的な抗日行動につながるようなものは、全部彼らはシャットオフしている。その代わり、それだけでは中国の若者たちが猛反発して爆発しますから、一般的な形での日本への誹誇、中傷、悪口、これはもう自由にやらせています。おどろおどろしい写真のものがインターネットにあふれています。それから、憎しみだけしかあふれ見られないような、反日のラップ、歌ですね、そういうものもインターネットに出ている。
結局、教育によって再生産された反日感情というものが、若者のところでは、インターネットによってさらに拡大しているという気がいたします。この若者たちが、やがて中国の中心部に入っていくわけです。党・政府・軍の中核を彼らが占めるようになったときの、日中関係がどうなるのか。私は大変に心配であります。
彼らは盛んに日本製品のボイコットを呼びかけております。今、「日本製品ボイコット」という言葉を中国のインターネットの検索エンジンに入れますと、何と90万ぺージも出てきます。そのくらい、とにかくみんなでボイコットしようと。もちろん、この90万という数字は、冷静な日本製品ボイコットに関する論評みたいなものも全部文字だけで引っかけて出してきますから、90万ぺージ全部がボイコットの呼びかけというわけではないんですけれども、しかし、それにしても膨大ですね。同じ言葉を「アメリカ製品ボイコット」という言葉にして入れてみても、1万数千しか出て来ない。しかし、実際には全くと言うか、打撃を日本製品は受けていないところがたくさんある。例えば、自動車の売上などは全く落ちていない。ですから我々は胸をなで下ろしているわけですが、これは理由が簡単でして、私の解釈ですけれども、若者たちに自動車なんかを買う金が無いからですね。ところが、何年か先に彼らが中心的な購買層になっていったときに、じゃ、日本車を彼らが買ってくれるか。ボディーブローのように、今の若者たちの日本嫌いというものが、日本製品にも響いてくるんじゃないかということを私は心配いたします。さて、悪いのは中国側ですが、日本側にも責任があると思う。そこをはやく正さないといけない。責任というのは何かというと、歴史認識だと思うんですね。やっぱり我々は中国に対して、日本がしてきたということを、きちっと認識していないと思うんですね。私がこのごろそういうことを言うものですから、「岡本は左傾化している」と言われるわけです。事実は事実として受け止めるべきだと思うんですね。
日本で、戦争というと思い出すのは、太平洋戦争ですね。1941年12月の真珠湾攻撃からの戦争を想起する。そして、こう考えるわけです。「外務省が最後通牒をアメリカに時間内に渡さなかったから、日本はだまし討ちの汚名を着せられている。しかし、あれさえ数時間早く渡していれば、あれは自衛戦争で、しかも正々堂々たる戦時法規に則った戦争なんだ。我々は真珠湾攻撃ということから始まって、果敢に闘ったけれども、しかし、圧倒的なアメリカの物量はいかんともし難く、日本はたたき伏せられた。そして、310万の兵隊と市民という多大な犠牲を出した。最後に2発の原爆まで落とされた。日本はこれだけの大きな犠牲を出したんだから、我々は十分にもう罪をあがなった。だから、もう戦争は、間違ったことだったけども、その罰は受けたんだから良いじゃないか。これで終わりなんだ。ここから先は、日本が平和国家になればそれで良いんだ」と。現に、1945年に、当時の東久邇首相は、「どうぞアメリカ市民の皆さん、真珠湾のことは忘れてくださらんか。我々は、広島・長崎を忘れましょう。もう過去のことは水に流して、前を向いてお互いに歩んでいきましょう」と、こういうメッセージをアメリカ市民に告ぐという形で出しているんですね。大変に安易な総括であります。しかし、多かれ少なかれ、それが日本の一般的な意識として続いてこなかったかと思います。我々は、あと平和にずっとやってきているから、過去のことを日本が今言われると、「なんだ!」と不愉快になるわけです。
最近は、さらにナショナリスティックな論調が進んでいて、東京裁判も否定する。A級戦犯の社会的な復権も行われているのではないか。この間は、私はひっくり返りました。閣僚ですけれども、テレビで、「A級戦犯の方々」と言うわけですね。「方々」と尊敬奉れば、A級戦犯というのは悪い人たちではない。こういうことになってくるわけですね。たしかに、東京裁判というのは、裁判の記録を見ればメチャクチャですよ。裁判長だったオーストラリアのウェッブなんていうのは、ひどい指揮をとったものだと思います。しかし、いかに間違った裁判であれ、あれを受け入れることによって日本は国際社会に復帰した。フィクションとして受け入れたわけです。ですから、サンフランシスコ平和条約に、あれはジャッジメンツと複数なんで、単数とは違うんだとか、いろいろ議論が起こっておりますけれども、そんなことではない。要するに、あれ全体として日本が受け入れることによって国際社会に復帰した。そういう約束事であるわけです。今さら、その中身に立ち入って、「あれはフィクションだからあんなものは受け入れられない」と言っても、これは国際社会は納得しない。となると、「では日本人自身で戦争犯罪を処断できますか」と言うことになるわけですね。「あれは戦争犯罪ではない」と言うことから、今の日本のアジアでの孤立化というところへつながってしまう。
さて、さっきの東久邇首相の総括というのは、百歩譲ってそれが正しかったとしても、これは、中国との間では全く成り立たないということを、我々は認識しなければならないと思います。中国との戦争は、41年に日本が正式に中国に宣戦を布告、開戦通告を通告したときに始まったのではなくて、1931年、柳条湖の満州事変から始正式に中国に宣戦を布まっているわけでアメリカの中立法というのがあって、戦争当事国には、アメリカが物を売らないものですかす。当時ら、日本は困って、葉の上だけでごまかしましたけれども、あれは、まがう方なき戦争であるわけです。侵略事変と言戦争だったと思いまは、その前の田中義一内閣から、そういう政策をとったわけです。皆様方の中には、多す。これ分、「何言っているんいの方もいらっしゃると思うんですけれども、この際、私、率直に自分の所感を述べただ」とお思いんです。
田中義一内閣は、彼自身が「帝国の国是は島国たる地位を脱し大陸国家をもってなし」と、こういうことを言っている。東方政策要綱もみんなそうですね。つまり、当時の日本は、土地もみんな無くなってきている。「さあ、この島国でどうやって生きていけるんだ」と。「見よ、あの緑したたる満蒙の地を。あそこに王道楽土を建設しよう」と言うことで、ずっと行った。これは、国際法上は「侵略」と言わずして何と言うか。やっぱり人の土地なんですね。「いや、いや、当時は、あれは清朝の支配のもとになかった」と言うようなことを反対派の人たちは言いますけれど、やっぱり中国の支配のもとにあった。当時、西園寺公望も、陸軍に対し、「満州が清国のものであることは疑いない。軍部は先走ったことをするな!」と、怒っているぐらいです。そして柳条湖から盧溝橋になってきた。盧溝橋でどっちが先に鉄砲を撃ったかはなんて、末節の問題だと思うんです。問題は、あそこで停戦合意ができたのに、近衛文麿という、どうしようもない総理大臣が、強硬に中国に対して戦線拡大を主張した。そら、東條英機が焚き付けたからでありますけれども……。そして、ただちに五個師団の増派を決めた。そして、上海、南京へと行ったと、こういうことであるわけです。太平洋戦争は、日本がボコボコにアメリカにやられましたから、アメリカは日本に対する復讐心というのはありませんけれども、中国は、日本をポコポコにやっていない。むしろやられた方ですから、日本に対する怨念というのが強く残っている。だから、我々は1931年から41年までの間のことを考えてやらない限り、日中というのは、うまくいかないと思うんですね。やっぱり、国立戦没者追悼施設というのを造るべきだと思うんです。靖国は、実は、私は自分自身参ります。行って参拝をいたしますが、ただ私は拝殿に向かって声に出して「私は戦争責任者のために来たのではありません」と言うことにしております。やっぱり今の靖国というのは、遺族たちが素直な気持ちでお参りするという、人間的な行動だけでは済まされないようなこととして国際的にとらえられている。あそこには、「遊就館」という附属の博物館があります。靖国神社の一部であります。そこに、例えば、満州国、今言った満州の展示を何としているかというと、五族協和のために日本が樹立した良いことであるということを書いたあと、「満州は、現在は中国が支配し東北部と称している」と。これが靖国神社の展示なんです。要するに、あれは中国が不法に占拠しているという説明です。この靖国史観というものが一体となっている施設へ総理大臣が行くから、政治的にいろいろ問題になる。欧米のプレスもこのごろの表現は、「ヤスクニ アンド イッツ ミュージアム」なんですね。ですから、もっとわだかまりのない追悼ができる所というのは、私は必要だと思っております。いろいろと申し上げたいことはあります。
中国の学生たちは誤った愛国教育のもとでありますけれども、とにかくこういうことを針小棒大に教育されている。関東軍司令官の本庄繁とかね、南京攻略の総司令官の松井石根という名前なんていうのは、中国の学生はみんな知っている。鬼のように思っているわけですね。ついでに言えば、松井石根というのは大変にりっぱな人であって、彼は南京攻略の責任を取ってA級戦犯として絞首刑になります。絞首刑になる直前に、彼は付き添ったお坊さんに、「私は絞首刑になって大変に嬉しい。私が絞首刑になることで、あの虐殺事件を起こした部下の師団長たちがいささかでも反省をしてくれれば、こんなに良いことはないんだ」と言う。彼は大変に軍律に厳しい人でした。37年の12月13日に南京が落城して、松井石根大将の入城が17日、その4日間の間に、この部下の師団長たちが大量の捕虜を殺してしまっているわけです。中島今朝吾、谷寿夫、長勇、佐々木到一など、そういう人たち、実行犯と言ってはいけませんけれども、「捕虜を殺せ」と命令した師団長たちが居るわけです。それを見て、松井は泣いて部下の師団長たちを怒るんですね。すると、その師団長たちは、「捕虜を殺すのは当たり前じゃないですか。略奪、強姦は軍隊の常ですよ」と、笑ったと言うんです。それは、その場にいろんな人が居て、今も記録が残っているわけです。
ですから、靖国神社というのは本当に難しいんですね。A級戦犯を分祀すればいいかというと、A級戦犯というのは、広田弘毅とか、今の松井石根みたいなりっぱな人たちが居る。B級には実際に捕虜を何万と殺す指示を出してきた人たち。これは、彼ら自身の日記とか、それぞれの日本軍の記録からも明らかなわけです。膨大な日本側の資料がありますから、南京事件は存在しなかったというのは、これは相当無理があると思います。ともかく、そういうB級、C級の人たちは、この靖国で祀られる対象なのか。日本人自身が戦争のことを処断してきてませんから、際限ないそういう議論になってきてしまう。ですから、私は、もうそこのところはおいて、新しい施設を造ることしか解決策はないと思っています。
私が今申し上げたことで、ご不快にお思いになった方がいらっしゃるとすれば、私は謝ります。ただ、我々自身、やっぱり戦争のことを余りにも子供たちに教えてきていない。今の子供たちは第一次大戦と第二次大戦の区別も付かないんですね。そうすると、逆の教育の中に漬かってきている中国の若者たちとの間の意見が、どんどん離れるばかりであります。
最後に、「では、望みはないのか」と。この間、これも秋山会長がご紹介してくださったので申し上げますが、この夏に中国のテレビに出ました。日本からは、私と田原総一朗さんと二人出て、中国側から二人出て、侃々諤々とやりました。中国のテレビ局によると、4億人が中国で見ていたと言いますけれども、それは、大げさでしょう。しかし、何億かの人が見ていた。中国の視聴者から爆発的な反響が来ました。私と田原さんの言っていることは、嘘だ、信じるな、とかいうのが非常に多かったですけれども、しかし、中には「我々は日本に歴史の過ちを問いただすだけではなくて、我々自身の歴史も検証すべきではないか」というような、こういう、ちょっと前であれば考えられなかったような意見というのも出て来ている。太平洋の水を柄杓で掬うようなことかも知れませんが、やはり、長い期間かかって日中関係というのを元に戻していかざるを得ない。60周年の今年が駄目であったら、75周年、あるいは100周年先でも仕方がないかも知れないけれども、長期的なビジョンをもって日中関係というのを直すより仕方がないというところにきていると思います。
すいません、つい熱くなってしまって数分、時間を超過いたしましたけれども、これで終わります。どうもありがとうございました。