2005/3/22 毎日新聞夕刊

竹島問題

 島根県議会が2月22日を「竹島の日」とする条例を可決したことで、日韓関係がまたも揺れている。日韓国交正常化40年の祝賀ムードに波紋を起こした形になった竹島問題。「竹島は日韓どちらのものか」の著者、下條正男・拓殖大教授(日本史)にその歴史的背景を解説してもらった。

竹島とは
 竹島は北緯37度9分、東経131度55分に位置する、日本海に浮かぶ孤島です。西島と東島の二つの島と数十の岩礁からなり、総面積は0.23平方キロ。東京ドームの約5倍ぐらいの面積です。飲料水の確保が困難で、しかも四方は2島とも断崖絶壁。昔から人が住めない島でした。
 この竹島が、日韓どちらの国に属すのかをめぐる論争が、いわゆる竹島問題です。ちなみに、竹島は日本では島根県隠岐の島町に属しており、韓国では独島(トクトあるいはドクト)と呼ばれ慶尚北道鬱陵郡に属しています。

問題の背景
 竹島問題は1952年1月18日に、当時の李承晩韓国大統領が「隣接海洋の主権」を主張し、公海上に「李承晩ライン」を宣言したことが発端です。1905年2月22日、竹島は島根県に編入されましたが、そのライン内に竹島が入っていたからです。そして54年9月2日、韓国政府は竹島の武力占拠を決定し、15日には灯台を設置して日本に通告しました。日本は国際裁判所への提訴を韓国政府に打診しましたが、韓国側はそれを拒否しました。以来、今日に至るまで、日韓の間で竹島問題に対する話し合いがなされていません。
 李承晩ラインが引かれた理由は3つあります。1つは、漁業活動での衝突を回避しようという意図です。朝鮮半島近海では戦前から日本が漁労活動をしており、戦後も同様なら漁業被書を受けるとの危ぐを韓国側は抱いていました。
 2つめはサンフランシスコ講和条約の第2条のa項、朝鮮の領土の規定の部分に関係しています。講和条約では当初、竹島は朝鮮の領土とされていましたが、最終案では日本領土となりました。それを知った韓国側は、条約の発効以前に竹島の領有権を主張しようと考えたのです。
 3つめは、国交正常化交渉での外交カードが欲しかったということです。交渉での韓国側の課題は、朝鮮半島に残された日本人の個人財産にありました。それは一説には韓国の全財産の80〜90%とも言われました。それを全部持ち出されれば、韓国は破たんしてしまいます。韓国側は結果的に、李承晩ラインを根拠に200隻以上の日本漁船を掌捕し、正常化交渉では抑留漁船員と竹島をいわば人質に、日本政府に譲歩を迫りました。

韓国側の主張
 韓国が竹島を領土の一部とする根拠の一つは、1770年に書かれた「東国文献備考」という書物です。その一篇「輿地考」の中に<輿地志に云う、鬱陵、于山、皆于山国の地。于山は則ち倭の所謂松島なり>と、于山島が日本の松島だという分註があります。松島は、昔の日本での竹島の呼び名です。
 そのため、韓国側は「東国輿地勝覧」(1481年成立)や「世宗実録地理志」(1454年成立)に出てくる于山島も竹島のことと解釈しました。また、「東国輿地勝覧」によると、鬱陵島とその属島の于山島を含む于山国は512年に新羅に編入されたので、竹島は6世紀初めから韓国(朝鮮)領だった、というのが韓国側の主張です。
 一方、日本は松江藩藩士の斎藤豊仙が著した「隠州視聴合記」(1667年)を論拠としていたので、韓国側が論拠とする文献の方が200年ほど古いことになります。より古い文献に于山島の名があるので、歴史的に竹島は韓国固有の領土であるというわけです。

論拠

 問題となるのは、于山島という島が日本の松島、今日の竹島を指しているのかどうか、つまり、「東国文献備考」の分註が正しいのかどうかです。
 于山島を竹島とする言説は、1696(元禄9)年6月、鳥取藩に密航した安龍福という人物が、帰国後「松島は即ち于山島、此れ亦我国の地」と証言したのが最初です。「東国文献備考」には「輿地志に云う」とあるので、1656年に成立した「輿地志」でそれを確認し、分註を検討できればよいのですが、それには2つの問題点があります。

 一つは「輿地志」が現存しないこと。もう一つは「東国文献備考」が別の文献からの引用であったことです。そこで、その底本に当たってみたところ、底本では <輿地志に云う、一説に于山鬱陵本一島>と記述されていました。この意味は、于山島と鬱陵島は同じ島(の別の呼び方)であったということで、松島(現在の竹島)については一言も触れていません。つまり韓国側が依拠した「東国文献備考」は、引用される際に改ざんされ、〈輿地志に云う、鬱陵、于山、皆于山国の地。于山は則ち倭の所謂松島なり>となったわけです。これで韓国側の論拠が一つ崩れたことになります。
 しかし、于山島を松島(竹島)とみなす韓国側は「東国輿地勝覧」や「世宗実録地理志」の中の于山島を竹島とし、そこに記された「見える」の一文を鬱陵島から竹島が見えると読み、竹島を固有の領土と主張したのです。
 ですが、300年ほど前、日本と朝鮮が鬱陵島の領有権を争った際、朝鮮側は同じ文献を、朝鮮半島の蔚珍から鬱陵島が「見える」と解釈し、鬱陵島の領有権を主張しました。同じ文献が、鬱陵島と竹島それぞれの領有権を主張する根拠にされていたのです。この韓国側の自家撞着は解釈に問題がある証拠です。
 そこで「東国輿地勝覧」と「世宗実録地理志」の編さん方針を見ると、島の場合は、管轄する官庁からの距離や方角を記すことになっています。鬱陵島だと、管轄する蔚珍県から遠く離れていて実測が困難なため、蔚珍県から鬱陵島までは「見える」距離にあると表現しているのです。すると、「東国輿地勝覧」などに見える于山島は、鬱陵島近くの小島となります。事実、安龍福は于山島を鬱陵島の北東にあると言っています。地図を見ていただけば分かりますが、竹島は鬱陵島のほぼ東南にあります。ですから、安龍福が見た于山島は鬱陵島付近の竹嶼(現在のチクトウ)だったことになるのです。
 さらに、韓国側は1900年の「勅令第41号」に依拠して、1905年の竹島の島根県編入を侵略行為と主張しました。勅令には、鬱陵島の属島として石島(トルソン)の名があることから、この石島が、発音が似ている独島に違いないというのです。しかし、韓国で竹島を独島と呼ぶのは1904年ころからのことです。石島を独島と決め付けるのは無理があります。
 なぜなら、1882年と1900年、韓国側が鬱陵島の調査をした際、竹島を確認していないからです。竹島が島根県に編入された時、竹島はどこの国にも属さない無主の地でした。従って日本が竹島を島根県に編入したことは、侵略行為とは言えないのです。韓国側は、独島は歴史的にも国際法的にも、韓国固有の領土であることは明々白々であると主張しますが、その根拠は薄弱なのです。

対話は
 竹島問題に限らず、日韓の歴史問題は、文献や史料の検証がなされないまま、「侵略された」という歴史認識で過去が語られるため、身動きが取れなくなっています。日本の竹島研究についても1960年代後半以降、停滞しています。日本が自己主張するためには、相手の論を覆す決定的な論拠が必要です。しかし、日本側からは十分に反論されていません。
 竹島問題に関しては、問題が浮上すると韓国側が反発するだけで、その歴史的背景は全く忘れられてきました。加えて日韓の間には対話がないために、歴史の理解が一方的になりがちです。歴史問題は、日韓の社会システムや文化の違いを相互に理解し、問題の本質は何かを考えることから始まります。竹島問題を契機として、日韓の真の友情をはぐくむ第一歩にすべきではないかと思います。

しもじょう・まさお
1950年長野県生まれ。国学院大大学院博士課程修了。83年に韓国に渡り、三星綜台研修院主任講師、市立仁川大学校客員教授を歴任。98年帰国し、99年に拓殖大国際開発研究所教授、2000年から現職。著書に「日韓・歴史克服への道」(展転社)ほか。

周辺はベニズワイガニ漁場
 竹島周辺は江戸時代からアワビやサザエ、ワカメなどの海産物の漁場であり、アシカ猟の猟場だった。現在はベニズワイガニの主漁場となっており、日本では島根、鳥取両県の漁船が主に操業している。島根県水産課によると、最盛期の昭和50年代後半に2万トンを超えたベニズワイガニの漁獲高も、1998年の6207トンから年々減少し、99年5952トン、00年5254トン、01年3886トン、02年3339トン、03年には3135トン、金額にして7億6500万円にまで落ち込んでいる。
 竹島は99年の日韓漁業協定により、日韓どちらの漁船も自国のルールで操業できる「暫定水域」となっているが、竹島の周囲12カイリは韓国が「領海」だとして、日本漁船の立ち入りを拒んでいる。また、日本側が資源保護のため8,9月の2ヵ月を禁漁期間としているのに対し、韓国側は禁漁期間を設けていないため「実質、韓国が漁場を占拠し、島根の漁船が締め出されている状況」(水産課)という。最近になってようやく民間業者同士が話し台い、韓国側が1カ月だけ禁漁期間を設けることで合意したものの、法的拘束カはなく、暫定水域を越え、日本側に入り込む違法操業も後を絶たないという。肥後和雄・水産課長は「漁獲が減ったすべての理由が韓国にあるとは言わないが、大きな要因の一つと考えている」と話している。


韓国、盧武鉉大統領の対日問題談話 2005.03.23

韓日関係に関連して、国民の皆さまへ

尊敬する国民の皆さん

国民の皆さんの憤りは、報道を通じて手にとるように見ています。そして私は、沈黙している多くの方々の胸中に秘められたもどかしさにも共感しています。

皆さんが感じている憤りともどかしさを少しでも解ければと思い、この文を書きます。

国民の皆さんのもどかしさは、大きな怒りと抗議にもかかわらず、希望的な結末は予想しがたいという点にあります。これまで韓国国民は、政府が微温的に対応した時も、強硬な対応をしたは良いが特にこれといった結果なくうやむやになってしまった時にも、我々の意志を貫徹するにふさわしい手段がないという状況を理解して、深く恨まず、気持ちを静めてきました。

今回の政府の対応についても同様です。「気持ちだけでもすっきりした」とおっしゃりながらも、やはり正当な結果は期待しがたいため、もどかしく思われて いることでしょう。

しかし国民の皆さん

今度は違います。(政府は)正しく対応します。もちろん、感情的な強硬対応はしません。戦略を持って慎重に、しかし積極的に対応します。結局うやむやにするようなこともありません。遠くを見つめ、根気強く対応します。

尊敬する国民の皆さん

日本はこれまで自衛隊海外派兵の法的根拠を準備し、今では再軍備論議を活発に進めています。これらはみな、痛ましい過去を我々に思い出させ、未来を不安 にする行為です。

しかし日本がすでに謝罪し、それを我々が受け入れ、新しいパートナーシップを宣言したのですから、普通の国々が一般的に享受する国家権能を日本だけが持てないというのは、日本国民が納得しがたいことです。このような判断から、我々は懸念を抑え、言いたいことを控えてきました。韓日関係の未来のためでし た。

はっきり言えば、謝罪とは真実な反省を前提とするとともに、それに相応する実践が伴うべきものですから、小泉首相の神社参拝は、日本の指導者たちがかつ て行った反省と謝罪の真実を毀損する行為です。

韓国政府はしかし、これについても直接的な外交争点としたり、対抗措置をとったりせず、それとなく自制を促すにとどめました。それこそ、日本の指導者た ちが口癖のように繰り返す、未来志向的韓日関係のためでした。しかしながら、もうこれ以上黙過できない事態に立ち至ってしまいました。

日露戦争とは、名称からして日本とロシアの領土をめぐる戦争のように見えますが、そうではなく、日本が韓半島を完全に手に入れるために起こした韓半島侵略戦争でした。実際、日本はこの戦争に勝利した直後、我々の外交権を強奪し、事実上の植民統治を開始しました。

日本はこの戦争中に、独島(竹島)を自国の領土に編入しました。それこそ、武力で独島を強奪したのです。日本の島根県が「竹島の日」と定めた2月22日とは、100年前日本が独島を自分たちの領土に編入した、まさにその日なのです。それこそ、過去の侵略を正当化し、大韓民国の光復(独立)を否定する行為です。

教科書問題も同様です。
2001年、歪曲された歴史教科書が日本でほとんど採択されなかった時、我々は日本の良心に期待をかけ、東北アジアの未来について楽観的な展望も持ちました。それなのに今、その歪曲された教科書がまた息を吹き返そうとしています。これもまた、侵略の歴史を正当化する行為です。

そしてこれらが、一自治体や一部の無分別な国粋主義者らの行為にとどまらず、日本の執権勢力と中央政府の幇助のもとに成り立っているがゆえに、我々はこ れを「日本の行為」として見ざるを得ません。これは、日本がこれまで行ってきた反省と謝罪を、すべて白紙化する行為でもあります。

今や、韓国政府も断固として対応せざるを得ません。侵略と支配の歴史を正当化し、ふたたび覇権主義を貫徹しようとする意図を、これ以上看過するわけにはいかなくなりました。韓半島と東北アジアの未来がかかった問題だからです。

このような行為は今のところ、日本国民の大多数の考えとは違うというのが事実です。しかし、政治指導者らが扇動し、歴史をさかさまに教えることが続けば、状況はすぐに変わりかねません。

尊敬する国民の皆さん

政府は積極的に前に立ちます。これまで政府が、日本に対して言うべき言葉や主張があっても、なるべく市民団体や被害者に任せ、沈黙してきたことは事実です。

被害者たちの血の出るような叫びにも手を貸さず、被害者たちが真相解明のために東奔西走する時にも、ろくに手伝いませんでした。政府間の摩擦がもたらす 外交上の負担や、経済にまで及びかねない波紋を考慮したこともありますが、何よりも、未来志向的な韓日関係を考えて自制したのです。

しかしそれに対する日本からのお返しは、未来を全く考慮していないとしか思えない行動でした。今では、政府が出なかったことがむしろ、日本の無神経さを呼んだのではないかという疑問が呈されています。これではいけません。今からでも、政府ができることはすべて行おうと考えます。

まず、外交的に断固として対応します。外交的対応の核心とは、日本政府に対して断固として是正を要求することです。日本政府の誠意ある応答は期待しにくかろう、という懸念があるにはありますが、当然言うべきことならば、(相手が)聞く時まで止めず、ねばり強く要求します。

次に、国際世論を説得します。国際秩序とは力の秩序で、国家関係は利益が優先されるのが現実ではあります。しかし一方で、国際社会は、それぞれ皆が尊重すべき普遍的価値と秩序を強調する方向に、少しずつ進んでいるのも事実です。日本が、普通の国家を越えアジアと世界の秩序をリードする国家になろうとするならば、歴史の大義に符合して身を処し、確固たる平和国家として国際社会の信頼を回復しなければなりません。

国際社会にも日本に対して、人類の良心と国際社会の道理のもとに行動するよう促す義務があります。我々は国際社会に向かって、この当然の道理について説得します。

これらすべてに増して大切なことは、日本国民を説得することです。問題を究極的に解決するならば、日本国民が歴史を正しく知り、日本が韓日両国と東北アジアの未来のために何をなすべきか、正しく理解しなければなりません。それでこそ、日本政府の政策が、正しい方向を捉えられるのです。

これらは、決してやさしいことではありません。他人の過ちを表に出して指摘するようなことは、難しいのみならず、気まずいものです。互いに顔を赤らめ、 対立することも増えるでしょう。ほかの国々の人々の目に、我々がそしり争うように映るのは、とても恥ずかしくもあります。

厳しい外交戦争もありえます。そのために経済、社会、文化その他多くの分野の交流が萎縮し、それが我々の経済を冷え込ませないかという憂慮もあります。

しかしこの問題については、大きく心配しなくてもよいでしょう。今や我々もそれなりの困難には持ち堪えられる十分な力量があると思います。そして、国家的に必ず解決するべきことのため、どうしても耐えなければならない負担ならば、毅然として耐えるべきです。しかし、耐えられない負担が生じないように、 一方では状況を賢くコントロールします。

国民の皆さん

どんな困難が生じたとしても、後退したりうやむやにしたりせず、韓国国民が受け入れられる結果が現れるまで、ねばり強く対処します。今回は必ず根を絶ちます。難しい時には国民の皆さんの助けを求めます。新しい問題が起きるたびに、国民皆さんの意見を聞きます。

今、このような決意を国民の皆さんに報告しつつ、いくつかお願いをいたします。

第1に、(日本の)一部国粋主義者の侵略的意図は絶対に許せませんが、だからといって、日本国民全部を疑ったり敵対してはなりません。日本と韓国は、離れられない宿命的な隣人です。両国国民の間に不信と憎悪の感情が醸成されれば、大きな不幸の再来を避けられなくなります。

第2に、冷静さを失わず、穏やかに対応せねばなりません。対応は断固として、説得は理性的に。品位を失ってはなりません。ある程度の感情表現はないわけにはいきませんが、節度を失ってはなりません。これは、力による戦いではありません。名分を失えば、それは自分にはねかえります。感情を刺激しすぎたり 侮辱する行為は、特に慎まねばなりません。

第3に、根気と忍耐を持って対応せねばなりません。戦いという言い方をするならば、この戦いは一日二日で終わる戦いではありません。持久戦です。どんな 困難であっても甘受するという悲壮な覚悟で臨み、しかし体力消耗は最大限減らす知恵と余裕をもって、粘り強くやり抜かねばなりません。

第4に、遠くを見つめ、戦略的に対応せねばなりません。判断は慎重に、発言と行動は遅すぎるぐらいにせねばなりません。一喜一憂してもならず、人々の口をふさいでもなりません。これまで発言・行動が過剰でなかったか、という不安がなくはありません。

尊敬する国民の皆さん

韓国国民の要求は、歴史の大義に基礎を置いています。我々は無理なことを要求したわけでもありません。新しい謝罪を要求したわけでもありません。不誠実な謝罪ではありましたが、それさえ白紙化するのはどうであろうか、と是正を要求しているだけです。そしていまだ未解決の諸問題については事実を認め、適切な措置を取るよう促しているだけです。

私は事必帰正(すべての過ちは、必ず正しい道理に帰する。真理は非道理に勝つ。)という言葉を信じています。私にはこれらを正しく処理する所信と戦略があります。国民の皆さんを絶対に失望させません。

信じて助けてください。そして勇気と自信をもってください。我々の要求は必ず、歴史から答えを得ます。

翻訳:佐島顕子


反日法

統治下の「親日行為」断罪
韓国で「反日法」成立
北の強硬姿勢、側面支援も

《平成16年3月3日・産経新聞より》

 韓国で二日、日本統治時代の"親日行為"をあらためて断罪し歴史に残そうという「日帝下の親日・反民族行為真相糾明に関する特別法」が国会を通過し成立した。今後三年間、大統領任命による委員会が関連の資料収集や調査活動にあたり報告書をまとめるが、一九四五年の日本統治終了からすでに六十年近くたち関係者のほとんどが故人になっている今、その狙いに関心が集まっている。

 法律の趣旨は表向き「歴史の教訓として後世に伝えるため」というが、韓国は日本支配から解放後、日本時代の人的遺産を活用しながら国家建設や経済発展を図ってきた経緯がある。このため、その中心になってきた保守層を「親日派」として否定する意図が背景にあるとみられている。 法律成立までには「親日派」とされる日本支配への協力者の範囲や基準などをめぐってかなり議論があった。

 当初、旧日本軍の将校全体が糾弾の対象になっていたが、保守系の野党ハンナラ党が「日本軍経歴のある故朴正煕元大統領を糾弾し、ひいてはハンナラ党の次期首脳に予定されている長女の朴槿恵議員を追い落とす狙いではないか」と反発し、朴元大統領は該当しない「中佐以上の旧日本軍人出身」と修正される一幕もあった。

 法案には国会多数派のハンナラ党の議員がかなり賛成したため成立。これは四月十五日の総選挙を前に各議員が「親日派糾弾に反対した」となれば選挙に不利と判断した結果といわれる。

 また韓国の現代史は左派や親・北朝鮮勢力からは「親日派を温存してきた」と非難され、逆に「親日派を清算した」とされる北朝鮮の歴史的優位性が強調されてきた。


日帝強占下親日反民族行為真相究明に関する特別法(反日法)

第1条(目的)
   この法は日帝強占期を前後した時期に日帝に附逆(注:悪に加担すること)し反民族行為を行った者に対してその行跡と罪状を明らかに糾明して、国家の公式記録を残し、これを後世の教訓にすることによって憲法精神を守り、民族の伝統性の守護及び社会正義の具現に寄与することを目的とする。
   
第2条(定義)
   この法律において“親日反民族行為”とは次の各号に該当する行為をいう。
  1.旧韓国末、日本政府と通謀して韓日合併に積極協力したとか
 韓国の主権を侵害する条約または文書に調印したとかこれを謀議した行為。
2.日本政府から爵位を受けるとか日本帝国議会の議員になった行為。
3.日帝下で独立運動者やその家族を悪意をもって殺傷、迫害を加えた行為またはこれを指揮した行為。
4.日帝下で中樞院の副議長、顧問または参議になった行為。
5.日帝下で勅任官以上の官吏になった行為。
6.日帝下で密偵行為を行い独立運動を妨害した行為。
7.日帝下で独立を妨害する目的の団体を組織したとかまたはその団体の首脳幹部として活動した行為。
8.日帝下で郡警察の官吏として悪質的な行為で民族に害を加えた場合。
9.日帝下で飛行機、兵器、弾薬など軍需工業を責任経営した行為。
10.日帝下で道、 府(市)の諮問または議決機関の議員になった者で
  日帝に阿附(注:こびへつらうこと、おもねて付き従うこと)してその反民族的な罪跡が顕著な場合
11.日帝下で官公吏になった者としてその地位を悪用し民族に害を加えた罪跡が顕著な場合。
12.日本国策を推進する目的で設立された各団体本部の首脳幹部として指導的行動をとった場合。
13.日帝下で宗教、社会、文化、経済その他各部門において民族的な精神と信念に背いて、
  日帝とその施策を遂行するのに協力し、悪質的で反民族的な言論・著作及びその他方法で指導した行為。
14.日帝下で個人として悪質的な行為を行い、日帝に阿附して民族に害を加えた場合。
15.日帝下で高等官3等級以上、 勳5等以上を受けた官公吏または憲兵、憲兵補、高等警察の職を遂行した場合.
16.その他大統領令で定めた行為。
   
第3条(委員会の設置)
   親日反民族行為に対する真相糾明事務を遂行するために大統領の所属下に親日反民族行為真相糾明委員会(以下“委員会”という)を置く。
   
第4条(業務など)
  @委員会の業務は次の各号のとおり。
 1. 親日反民族行為の対象と基準の選定
 2. 親日反民族行為者の親日反民族行跡に対する調査
 3. 親日反民族行為者に対する史料の編纂
 4. 親日反民族行為に対する真相糾明と関連ある非営利民間団体の支援与否など委員会規則が定める事項の処理
 5. その他大統領令が定める事項
A委員会は第1項の業務を遂行するために国家機関、 地方自治体その他関連機関や団体に必要な資料の提出及び事実照会などの協助を要請できる。
B第2項の規定によって委員会から協助要請を受けた国家機関などは特別な事情がない限りこれに応じなければならない。