毎日新聞 2005/7/25
東京裁判
形式は「勝者による裁き」 日米協調で免責も
靖国参拝問題では、A級戦犯の分祀が解決策の一つとされる。A級戦犯を裁いたのが極東国際軍事裁判(東京裁判)だ。正当性をめぐる議論も消えない東京裁判について、同裁判で国際検察局が行った約400人の尋問調書を米国立公文書館で入手し編集に携わった粟屋憲太郎・立教大文学部教授(日本現代史)に習った。
概要と特徴
東京裁判はどこで開かれたか。答えは今の防衛庁がある市ケ谷、ここにあった元陸軍省の講堂を使った。「軍国日本のかつての指導者らは今は人の忌みきらう拘置所の表玄関からは出られぬ身となってしまった」。1946年5月3日に始まった裁判の様子を毎日新聞はこう伝えた。
連合国11カ国が、28年1月1日から45年9月2日までの期間の日本の政治・軍事指導者28人の戦争責任を裁いたのが東京裁判だ。捕虜虐待などの「通例の戦争犯罪」のほかに、侵略戦争を計画、開始、実行したことを犯罪とする「平和に対する罪」と民間人に対して殺人、虐待、奴隷化などの非人道的行為をしたことを犯罪とする「人道に対する罪」を国際法上の犯罪と規定したのが一番の特徴だ。A級戦犯は「平和に対する罪」に問われた被告で、「人道に対する罪」はC級、「通例の戦争犯罪」はB級だ。
A級戦犯28人の起訴状の訴因は55にのぼり、第1類「平和に対する罪」、第2類「殺人」、第3類「通例の戦争犯罪及び人道に対する罪」から成っていた。2年半後の48年11月12日に下された判決では28人のうち、裁判中に亡くなった松岡洋右元外相と永野修身元海軍元帥、精神障害で訴追免除となった思想家の大川周明被告を除く25人全員が有罪判決を受けた。
法理上の問題点として弁護側は「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は事後法に相当し「罪刑法定主義」に反するとの趣旨の主張をしたが、判決は認めなかった。
粟屋教授は「当時の国際法に照らして『平和に対する罪』などによって個人を裁くことに問題があるのは否定できない」としながらも、「事後法による遡及罰の禁止は国内法では人権を守るために必要だが、戦争犯罪では禁止しなくてもよいという考え方もある。また、事後法だからと否定的に評価するのはどうか」ととらえる。
「戦後、『人道に対する罪』はジェノサイド条約をはじめ法典化が進み、旧ユーゴスラビア内戦をめぐっては国連安保理が国際戦犯法廷を設立するに至った。『平和に対する罪』も74年に国連総会が『侵略の定義に関する決議』を採択するなど法典化が進んでおり、国際法の発展の中で東京裁判の意義は否定できない」と話す。
ドイツとの相違
東京裁判に先だち、連合国がドイツの戦争指導者を裁いたニュルンベルク裁判は45年11月20日に始まった。46年10月1日に下された判決では22人の戦争犯罪人のうち19人が有罪となった。二つの軍事裁判の違いとして粟屋教授が強調するのは、「東京裁判では『人道に対する罪』の位置づけが非常に低く、独立の訴因として設定されなかった。このため日本の植民地支配が裁かれなかった」ということだ。
「ニュルンベルク裁判で『人道に対する罪』が重視されたのはナチスのユダヤ人大量虐殺を重視したから。自国民であるユダヤ人の殺害は国際法で裁けないので『人道に対する罪』を新たに設定した。日本でも自国民に対する非人道的行為としては植民地支配、とりわけ朝鮮人の強制運行や従軍慰安婦問題がある。しかし、運合国11カ国の中には植民地保有国家があるため植民地支配そのものが審判対象となることを避けようとした。旧日本軍が中国共産党の根拠地を根絶しようとした『三光作戦』や中国人強制連行、国内での治安維持法による弾圧は『人道に対する罪』に当たるが訴追の対象とはならなかった」
植民地支配をめぐる謝罪は国交正常化した65年の日韓条約でもあいまいにされ、95年の村山富市首相の謝罪談話に至るが、今も歴史認識問題は議論が起こる。
「植民地支配だけでなく天皇の戦争責任問題や日本軍のBC(生物、化学)兵器戦なども含め東京裁判はニュルンベルク裁判と比較して審判をまぬがれた戦争指導者や重要な出来事が多いのが特徴だ。それが日本における『過去の克服』の阻害要因になっているのではないか。ドイツと異なり、日本は自らの手による戦争犯罪追及を行っていない」(粟屋教授)
「靖国」との関係
靖国神社による戦犯合祀は59年のBC級から始まり、A級戦犯は有罪判決を受けた25人中14人が78年に合祀された。
首相の靖国公式参拝を批判する中国が「日本の戦争責任は一部の軍国主義者にあり一般国民は中国人民と同様に犠牲者である」という考えに基づき靖国神社のA級戦犯合祀を問題視するため、A級戦犯の分祀が模索されてきた。
それに対し、東条英機元首相の孫の由布子さんが分祀を拒否するのは東京裁判を納得していないからという。一般にも「東京裁判は勝者による一方的な裁きで正当性はない」という考えは根強い。
粟屋教授は次のように語る。「日本人の判事も検事もおらず、形式は完全に勝者による裁きだ。しかし一方で日米協調で裁きを免れたこともある。昭和天皇の免責や731部隊の問題などは双方に思惑があり水面下の交渉が行われた。『勝者の裁き』を言う人たちはこの点をどのように考えるか」
さらに日本は51年、独立に当たりサンフランシスコ講和条約第11条で東京裁判を受諾することを宣言した。「にもかかわらず裁判の欠陥を指摘することは、日本の戦争犯罪や戦争責任は直視しないでいいという社会的錯覚を生んできたのではないか。靖国参拝をめぐる八方ふさがりの状況を見れば、このような安易なごまかしは国際的な説得力を持っていないことは明らかだ」