日本経済新聞 2007/10/29

共創ジャパン これからの成長を考える   グローバル化と人材育成

 企業の成長力の源泉となる事業のグローバル化と、それを支える人材の育成は急務だ。現在サウジアラビアで巨大石油精製・石油化学統合プラントの建設を進める住友化学は、いち早く事業・人材のグローバル化に取り組んでできた。日本企業が目指すべき真のグローバル化とはどのようなものか。米倉弘昌社長と伊藤邦雄一橋大学大学院商学研究科教授が語り合った。


パートナーと信頼関係築く 互いに学ぶことから成長が始まる
 学習するプロセスの連続が新たなイノベーションを育む


既存市場では限界 グローバリゼーションに活路

米倉 当社のグローバル化への取り組みは最近始まったものではない。すでに1970年代から事業のグローバル化を進めてきた。まずはニュージーランドやインドネシアでのアルミ精錬事業、そしてシンガポールに建設した石化コンプレックス事業が本格的海外事業の皮切りとなった。
 89年には長期経営戦略「チャレンジ21」を策定し、三つのG、すなわちグローバリゼーション、グループパワー、グレードアップという基本・方針を立て推進した。当時、世界の化学メジャーの状況を見ると、その会社が本拠を置く国内売り上げはいたって小さく、大半が世界各国での売り上げである。やはり一国の経済、市場にばかり頼っていては限界が見えてしまう。新しい市場を求めなくてはという思いだった。加えて、近年は高度な通信ネットワークが整備され、世界がまるで隣人のような感覚になってきた。身近に感じられることで、その思いは一層加速している。
 さらに、中国を中心とするアジア経済の著しい成長ぶりを目の当たりにすることで、我々もそのような世界のダイナミズムを取り入れて、新しい成長市場に参入していくことが最も重要なことだという思いも強めている。

伊藤 つまり現在、住友化学の取り組むグローバリゼーションは突然のジャンプアップではない。段階を踏み、歩みを進めていたということだ。

米倉 そのとおりだ。84年に操業を開始したシンガポールでの事業では、世界有数の石油精製拠点であった当地に大規模な石油化学コンビナートを建設した。
 石油化学製品は石油精製時に出てくるナフサを原料にしている。シンガポールは、ナフサが入手しやすいという点に加え、石化製品の需要拡大が見込まれるアジア市場の中心に位置しているという地理的なメリットがあった。また、この事業を通じて、人材の育成を期待する気持ちもあった。当初はナショナルプロジェクトでスタートし、後に民営化されてシェルがパートナーとして加わった。ヨーロッパの、しかも世界随一の石油会社のビジネスのやり方を肌で感じることができた。かかわった社員にも大いに経験を積んでもらい、結果としてグローバリゼーションにふさわしい人材が育成できている。プロジェクトを通して、良いパートナーとめぐり合い、企業として学び、成長することが真にグローバルな人材を生み出していく、それがグローバル化の意義ということを学んだ。

思想共有して現地に溶け込む グローバルリーダー育成に力

伊藤 現在サウジアラビアの紅海沿岸で巨大プロジェクトである「ラービグ計画」を進めている。
 このプロジェクトは規模が大きいだけではない。重要な意義も持っていると思う。この事業により住友化学が得るものは何だろうか。

米倉 ラービグ計画は、当社が安価原料を用いて競争力のある石油化学事業を展関するために欠かせない事業だと考えているが、得るものは経済性だけではない。ラービグ計画のパートナーは国営会社であるサウジ・アラムコ社だが、サウジの人々は絶対に約束を守り通すという伝統を本当に大事にしている。我々も四百年来、住友の事業精神「信用を重んじ、確実を旨とし」を継承し続けている。お互いに相通ずるものがあった。交渉においても我々の立場を良く考慮した上で提案をしてくれ、スムーズに信頼関係を築き上げることができた。一方でアメリカ型経営スタイルを徹底し、非常に効率の良い経営をされている。ガバナンスやコンプライアンスの面にも学ぶことが多かった。そのようなパートナーと信頼関係を築け、本当に良い勉強ができたことが何よりの意義だ。

伊藤 お話を伺っていると人材の育成とグローバル化はパラレルな存在だ。事業のグローバル化とともに、社員が現地に赴き、異なる文化、風習の中で現地に溶け込んでいく。いうなればオン・ザ・ジョブでグローバル人材が育ちつつある。まさに「ラービグ計画」はグローバリゼーションの核になるものだ。

米倉 ラービグには約130人が駐在しているが、皆が自分でさまざまな国の方と意思疎通を図りながらビジネスを続けている。
 一方で社員に対するコミュニケーションスキルアップのためのトレーニングも重要だ。英語をしゃべれないと部長に登用しないぞと(笑)。ただ、掛付声倒れに終わらないように、役員全員に英語研修を必須とした。まず「隗より始めよ」だ。社員に対しては、TOEICのスコァに応じた英会話やライティングなどの研修を実施している。
 またグローバルマネージャーズミーティングと称して、海外の連結子会社も含め、グローバル経営人材の育成も兼ねて、毎年1回日本で会含を行っており、価値観、戦略などを共有することを目的としている。
 さらにグローバル経営人材に対する業績評価の仕方や配置など、すべてのルールを世界共通にすることを逐次実現している。

伊藤 グローバル経営の人材育成はまだ日本では立ち遅れている。事業活働のグローバル化は進んでいるがグローバルな視点からリーダーシップを発揮でぎる人材は育っていない。こうした取り組みを大いにされ、日本企業の指針となってほしい。

本業で社会貢献 内外の力を効果的に融合

伊藤 一方で社会貢献活動においてもグローバルな規模で展開している。

米倉 主にマラリア撲滅を目的としてオリセットネット、いわゆる蚊帳を開発して、アフリカを中心とする世界各国に提供している。マラリアによる被害は甚大で毎年3億人もの人が感染し、100万人が命を落としている。しかもその多くが5歳以下の子供だという。当社のオリセットネットは樹脂でできた繊維に防虫剤を練りこんである。薬効成分が徐々に染み出すため、その効果が極めて長期間持続,することが特徴だ。当社では石油化学事業と農業化学事業をともに有しており、オリセットネットは両方の技術を融合させてできた製品だ。さらに技術をアフリカに無償で供与し生産体制を整えたことで、現地での雇用の創出にもつながった。

伊藤 社会貢献というものはややもするとまず本業があり、もう一方で付加的に参加するという風潮がどうしてもあるが、オリセットネットにおいては住友化学の技術カがべ-スにあり、縦割りになりかねない2つの事業が手を組んでマラリア感染予防という大きな目標に向かって立ち向かっている。本業の実質的な効用を感じると同時に、雇用の連鎖が生み出す善意の輪の広がりも感じる。
 オリセットネットの事業に象徴されるように、住友化学を総合化学企業たらしめているのは、異なる事業の人材を融合させてイノベーションを誘発させようとしていること。部分最適ではなく全体最適な視点での取り組みだ。

米倉 環境の変化、技術進歩のスピードがこれだけ加速してくると事業セグメントにこだわった自家培養だけではとても追いつけない。そうなると一番近くにあるのは垣根を越えた他部門の技術であるし、それでも対応できなければ外部の技術、大学など研究機関との共同研究だ。スピードを最も重視すればそうなる。

伊藤 共創、すなわち立場の異なる人たちがともにイノベーションを成し遂げることは、そんなに悠長な話ではない。やはり熾烈な競争が必要だ。事業の異種混合、ハイブリッド化ものんびりとは行えない。化学反応を促進し、さらにスパークを起こさせてイノベーションを芽吹かせることが必要だ。いま住友化学が行っていることはまさにそれだ。シンガポールでの事業しかり、ラービグでもしかり。異文化、新しい価値観との出合いがグローバルな人材を生み出し、「競争」の中から「共創」を育んでいく。
 グローバリゼーションとは、異なる価値観との遭遇であるし、そこから学習するプロセスの連続だ。ただしレベルを上げるには非常に強い学習意欲が必要となる。

米倉 日本的経営にこだわるあまり、外に目を向けず単独で経営を進めていては、成長は難しいだろう。現在、我々はお互いに学び合える非常に良いパートナーシップに恵まれている。