日本経済新聞 2009/11/11−12

サウジ・住化 巨大プラントの衝撃

原料価格は10分の1 中東石化製品、世界のむ

 住友化学とサウジアラビア国営石油会社サウジアラムコが1兆円を投じた世界最大級の石油化学事業「ペトロ・ラービグ」が完成した。中東ではぺトロ・ラービグを筆頭に、安い天然ガス原料を使った巨大プロジェクトが相次ぐ。中東製品が世界市場をのみ込み、化学業界のグローバルな勢力図を塗り替える。国内化学メーカーにも待ったなしの対応を迫る。
 紅海を背に高さ50メートルの熱分解炉が銀色に鈍く光る。「ようやくここまで来た」。サウジ西部のラービグで8日、完工式に臨んだ住友化学の米倉弘昌会長は語った。

日本の3基分
 住友化学がサウジアラムコと事業化調査を始めてから5年。ペトロ・ラービグは「グローバル化を加速するための中核事業」(広瀬博社長)で、住友化学は2020年度にも売上高を現在の2倍超に増やす考え。各社にとってはその規模が脅威
になる。
 年間130万トンのエチレン生産量は日本の一般的なプラント3基分。日本の全生産量の2割弱を賄うことができる。隣接地では高機能樹脂を生産する第2期工事の準備も進む。
 巨大事業を可能にするのは世界最大の産油国サウジだからこそ供給できる格安の原料ガス(エタン)だ。原油精製の過程で生じるナフサを原料とする日米欧の化学産業に比べ、ペトロ・ラービグが受け取るエタンの価格は「10分の1」(関係者)。この原料で大量生産される石油化学製品は圧倒的な競争力を持つ。
 ペトロ・ラービグだけではない。中東では巨大エチレンセンターが相次いで稼働する。ラービグ北方のヤンブーでも今夏、130万トン級の設備が稼働。三菱グループが参加する東岸の石化工場でも新設備の工事が大詰めを迎えている。
 中東産油国は自前のエネルギー資源を石化製品などに加工することで付加価値を高める戦略を加速している。サウジアラムコのアルファレ社長は「ペトロ・ラービグは石油精製に石油化学を組み合わせることで生産効率を高めることができる。雇用創出など国民や国家の経済開発にも広く富をもたらす」と語る。
 経済産業省によると07年に1310万トンだった中東のエチレン生産能力は、13年には2700万トン超と、日本の3.5倍になる。世界での生産能力シェアは07年の約10%から約17%に増える。

化学業界に変動
 これが需要が急増する中国やアジアに一気に流れ込む、、日本企業は「従来通り輸出できるとは思えない」(旭化成の伊藤一郎副社長)との危機感が強まる。
 欧米勢も米ダウ・ケミカルが汎用樹脂事業でアラムコと組んで中東に飛び込み、独BASFもスイスの化学大手チバを買収、化学業界に地殻変動を引き起こしている。
 一方で原油に加えて基礎化学品の多くがホルムズ海峡を通るようになれば、動乱等で封鎖された場合に世界経済が受ける打撃も大きくなる。中東ブラントの活況は、世界が抱え込むリスクと背中合わせでもある。

中国市場を争奪 再編機運、国内で再び

 「中国最大手との提携で急拡大する中国需要を取り込む」。三井化学の田中稔一社長は来月、中国石油化工(シノペック)の王天普総裁を訪れ、合弁契約にサインする。上海で600億円を投じ、自動車・家電向け素材を原料から一貫生産する。狙いは世界最大の需要国に成長した中国市場の取り込みだ。シノペックと組むことで「中国での生産基盤と販売網が手に入る」(田中社長)。
 2003年。三井化学と住友化学の合併交渉が破談に終わった。世界有数の化学企業になるはずだった「三井住友化学」は幻となり、両社はそれぞれ異なった海外での成長戦略に大きく舵を切った。

三井化学の選択
 圧倒的なコスト競争力を持つ中東と、需要が急拡大する中国。住友化学が賭けたのはサウジアラビアの石油化学事業「ぺトロ・ラービグ」への投資。危機感を募らせた三井化学は中国での生産を選んだ。再編機運が遠のいていた日本の化学業界に、ラービグが火を付ける。
 三菱ケミカルホールディングス傘下の三菱化学も今春、シノペックと包括提携し、高機能材料の合弁事業など8〜10分野で協議を進めている。シノペックの王総裁は「日本企業との提携で製品の付加価値を高めれば汎用製品が中心の中東勢に劣らない」と日中連合の意義を語る。
 すでに世界最大市場の中国で石化製品の需要は、今後も年率6%伸びる見込み。07年に1970万トンだった需要は13年には4割増え、供給能力は大幅に不足する。
 これまで中東や中国など新興国企業との提携は日本の技術が流出するとの危惧があった。しかし「安価な原料を持つ中東勢とのハンディキャップレースには勝てない」(三菱ケミカルの小林喜光社長)。
 三菱ケミカルが来春をメドに三菱レイヨンを買収する方針を固めたのも中東を震源地とする国際競争の中での勝ち残りを目指す動きだ。三菱ケミカルは中東勢が攻勢をかける汎用製品から相次ぎ撤退し、三菱レイヨンが持つ炭素繊維など高機能製品を取り込んで新たな成長戦略を描く。

設備余剰の懸念
 国内のエチレン生産能力770万トンに対し内需は550万トン。220万トンの余剰分は中国向けを中心とする輸出に振り向けてきた。しかし中東勢と中国勢の競争の中で高コストの日本製品が締め出されれば「国内のエチレン設備3-4基が余剰になる」(証券アナリスト)。過剰設備の解消は待ったなしだ。
 三菱化学は旭化成と水島コンビナー卜(岡山県倉敷市)で両社のエチレン事業を来春に統合し、その後1基を停止する検討を進めている。三井化学も出光興産と干葉コンビナート(干葉県市原市)でエチレン事業を来春統合する。
 住友化学と三井化学の合併破談で「5〜6年は遅れた」(アナリスト)とされる国内勢の再編。中東と中国を軸に、再び動きが急になってきた。